修道女
カンタベリーとレルフィール、ウェクトリーナのプロローグです。
修道腹に身を包んだカンタベリーが光源の無い廊下を進む。ここはギーバルハ王国リソト郊外にある、タルガロス大聖堂。人類が明確な記録手段を持たない時代に女神が建てたとされる古代の遺物。建材となっている石ですら、信者であるならば敬意と畏怖を感じることができるだろう。彼女は夜だというのに、薄い雲で隠れたわずかな月の明かりだけを頼りに歩みを進めていく。彼女の靴が発する音が石材に小さく反響している。
ギーバルハ王国は世界大戦で大きく領土を広げることに成功した。女神の名の下に行われた『聖戦』は、それを望まない多くの者を死に至らしめた。国教府はその時の犠牲と、コルト帝国との大洋海戦に敗北した責任を、王立院の責任だとして強く批判した。分断された神より与えられし権力を、あるべき姿に戻すために。
「お久しぶりですね、エリザベス女王。」
長い廊下の先には、淡い光で幻想的に見えるステンドグラスと、十字架に誰かが腕に釘を打たれて磔になっている対照的な光景に目が行くだろう。カンタベリーは十字架に磔になっているエリザベスを下から覗き込む。エリザベスは虚ろな目をしており、こちらに気が付いたのか、首が重力に逆らい少し動いた。
「…カンタベリー、貴方は、私に、いったい何を、」
エリザベスが何かを言い終わる前に、カンタベリーは懐から取り出したナイフを突き刺す。エリザベスはその虚ろな目を見開き何か言葉を発しようとして、口をわなわなと動かすが、最後はがっくりと項垂れて意識を再び手放す。カンタベリーは意識がなくなったのを確認すると、自身の虹彩がない目で何か遠くのものを見つめて微笑む。
王立院の王を信奉する者共が勢いを失うと当然、そこには空きができる。これまで政教分離という女神を愚弄する政策を黙認してきた我々国教府は、手駒となるものをその空に滑り込ませた。一度綻びができてしまえば後は簡単。右にも左にも、そして中にも。党派を超えて国教府の勢力は面白いように広がっていった。既に機は熟している。ついにぞ女神の望む贄を手に入れることができた。王室と王室近衛師団は事実を隠蔽することで手一杯で、国教府に疑いの目が向かう前にすべて終わることだろう。
『よくやりました。■のナイフに刺されて流れた■■■■は、■■■■■■■■■■■できるでしょう。私がその■■■■まで、グローヴェインの地を死守しなさい』
頭の中にふわりとした浮遊感を感じ、声が聞こえてくるとともに、気持ちの昂りが抑え込めなくなる。何があっても道具でありながら主人を裏切り、人と結ばれ、ともに神へと昇華した淫乱を赦してはならない。帝国の従者が何をするのかはわかっている。精々足掻くがいい。
雲は晴が晴れ、明るくなった月の光がカンタベリーの顔を一瞬照らす。底の見えない漆黒の瞳にはいったい、何が映っているのだろうか。
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レルフィールは石から切り出された椅子で目を覚ます。感覚が戻ってくるとまず、最初に体中が己の体液で濡れている不快さで頭がいっぱいになる。とっさに立ち上がろうとするが、足に力が入らず、そのまま前に倒れてしまう。
彼女が起きたことに気が付いた数少ない側近は何も言わずに応援を呼び、風呂へ連れていく。二度目の死。死ぬ瞬間というのは何度経験してもなれるものではないな、と湯につかりながらぼんやりと思考する。一度目は真相に近づきすぎた。我々の国とは根本が違うことを実感した。まさか帝が直々に手を下しにやってくるとは思わなかった。客観的に判断すると実に愚かなことだっただろう。
「失礼します…」
頭からお湯をかけられ、髪を洗われる。頭が軽くなり、心まで現れるようだ。二度目の死…あれは苦しかった。思い出すだけでえずきそうになる。たしか、道化だったか。あの歪んだ顔の奴にいたぶられて死んだことは屈辱だった。あれはいつか必ず殺さなければならない。
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「フォンフィールさん、フォンフィールさん、返事をしてください…」
「アレクトちゃん、ごめんなさいね。私のことはいいから、行きなさい…」
自分が何をしゃべっているのかわからない。それに体が変だ。なんだか、お腹の方が熱くて、何にもなくて…
「リ、リニュークに、…で待ってる、まってる、わ」
遠ざかっていく意識と、感覚のおかしい体。怖い、これが本当の『死』なのだろうか。助かりたい、たすかりたい、タスカリタイ。自分が何を言ったのかを考える暇すらなく意識が、脳から伝わる微弱な電気信号が途切れた。
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でも、今回は十分な情報を手に入れることができた。…耐え難い苦痛を代価に。帝国の機甲師団の実情、東部戦線の今後の実施されるであろう作戦詳細。そして帝国第二の実力者であるカリン・セラントの戦闘データ。だけどレルフィールには、何故かわからないけれど、そんなことが霞むほどに、帝国貴族の一人娘の姿が脳裏から離れなかった。
女性同士の恋、なのでしょうね、認めたくはないけど。我々国教府所属の者は結婚は認められていないが、別に結婚に至らなければ良い話で、付き合っている人ももちろんいる。思想にも寛容だが、自分が少数派の人間だったことが少し屈辱的というか、恥ずかしいというか、何故だかわからないけど認めたくない。
入浴も終わり衣服に身を包むと、生きている実感がより確かなものになる。…少し痩せたかしら?服が緩く感じる。肌も荒れているし…
こんな気持ちの時にはため息を吐くのが気持ちを落ち着かせるのに適している。他人の精神に入り、干渉できるのは便利だけれど、その間本体が無防備になるのが玉に瑕というか、大きすぎる弱点というか、ああ、私の語彙は貧弱すぎる。
レルフィールは局長室に籠り、記憶を頼りに報告書にインクを走らせる。それが記憶の中で思い出になるように願いながら。
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ギーバルハ王国に潜むレジスタンスには目的は違えど、誰もが片時も忘れずに意識している言葉がある。
『フードを被った女性には決して近づくな』
ギーバルハ王国で少しでも長く人間としての尊厳を保ちながら生きたいのならば、この言葉は覚えておかなければならない。そうすれば少なくとも能動的に死ぬことはないだろう。
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「物陰に隠れろ!」
誰かがそう叫んだのが聞こえた。感がいい奴だ。少しでも楽に終わらすために先に殺してしまおう。
「いいか、ここから脱出して爆弾を起爆させろ。建物も見方も巻き添えにするんだ。先に行け…!」
何やら指示を出しているようだ。無駄なことを。目を付けられたからには計画は全て露呈していることを知っているだろうに。
こちらに気が付いたのか、男性は慌てた様子を見せずに拳銃を懐から取り出す。自分がホシオの手先であることを隠さないことには一定の好感が持てるが、抵抗するのが残念だ。
「そんな文字通り必死にならなくたっていいではないですか。私達の任務はただ殺すことだけではありません。交渉次第では今ほどではないにしても、人らしい生活を送れるかもしれませんよ?」
「金髪の武装修道女…お前がウェクトリーナか。神託司令長自らが前線に出てくるとは、随分と手厚い歓迎だな。」
男の右耳に付いている装置から赤い光が発せられている。ホシオの技術力は侮れない。先につぶしておきましょう。ウェクトリーナは左手を男性に向けると、腕に描かれた線が一瞬光る。次の瞬間には男性の右耳を中心に白い爆発が起こり、頭ごと消し炭になった。
「バk…!」
男は何を言おうとしたのか、それとも痛みに反応して無意識のうちにか、わからないが小さい絶叫を上げて絶命した。海上帝国の再興を未だ夢見る愚者にふさわしい末路だ。
「あら、少し威力が強かったようですね。実戦までには力を使いこなせるようにならなければ。」
ウェクトリーナは大して悪く思っていないような様子で男の死骸を一瞥し、机に置かれている書類を物色していく。途中、外からいくつか乾いた音と人の悲鳴が聞こえてきたが、ウェクトリーナはそれに気にすることなく文章に目を通していく。
「火を放ちなさい。撤収しましょう。」
特に注目すべき文言がなかったことに残念に思いつつ、ウェクトリーナは燃える街の一角を後にする。武装修道女、女神の手からは逃れられない。どんなに策を練ろうと、外患を誘致しようと、その一挙手一投足は監視されていて、神判が下されるのを待つのみ。彼女たちは太陽の沈んだ夜の色に溶けて姿を晦ませる。




