帝都陥落〔上〕
「さ、ここで立ち話をするより、一旦座って話さない?私、ずっと移動して疲れてしまったわ。」
「それじゃあニューベトスさんも含めて話しましょうか。一人で来たなら、フォンフィールさんが不審者に間違えられても弁明できないですし。」
「…そうね。それじゃあそうしましょうか。」
フォンフィールさんと一緒に廊下を進んでいると、ケトゥーヴァが私にしか声は聞こえないはずなのに声を潜めて話しかけてきた。フォンフィールさんは前回カデークで隣に座った時よりも深い笑みを浮かべている。
『ねえ、アレクト。ワタシの直感的に彼女は怪しいと思うわ。魔力量的にはあなたが勝っているけど、油断は禁物よ。』
「え、フォンフィールさんって、いつもニコニコしていていかにも無害そうじゃないですか?」
『特に理由はないけれど、とにかくワタシは怪しいと思ったの。警戒しておいて損はないと思うから、一応覚えておいて。』
いったい何がそんなに怪しかったのだろうか。頭の中で考えてみたけれど、フォンフィールさんはニコニコしていてやっぱり不審には思えない。そうこう考えているうちに、いつの間にか私たちはニューベトスの執務室の前に到着していた。
「四〇一特別魔導部隊所属、アレクトです。」
「アレクト君か。入ってくれ。」
扉を開けると、紅茶の匂いが鼻孔をくすぐる。いい香りだ。前回もそうだったが、ニューベトスさんと私の好みは結構似ているのかもしれない。
「おや、今日はどうやら連れがいるようだね。さあ、遠慮せずに座ってくれ。」
座るよう促されたので席に着くと給仕が二人分のお茶を淹れてくれる。部屋は過度に豪華な装飾はされていないが、余白の美というのだろうか。それもまたいいと思えてしまうような仕立てになっていて、美的感覚の鋭さが伺える。
「僕はニューベトス、ここではランカラ防衛線総合司令官をやらせてもらっています。そこの見慣れない方は、どちら様かな?アレクトがつれてきたってことは何か理由があるんだろう?」
柔らかい態度を崩さないけれど、目を細めフォンフィールのことを見極めるように見つめるニューベトス。私から見てもフォンフィールが疑われているのは明白だった。
「私はフォンフィール・テルーノです~。アレクトちゃんと同じ401特別魔導部隊所属で、本来はハーデル・ロンバルトにいたんですけど、『道化』の襲撃を受けて増援を要請しに来ました。別に怪しくはないですよ~」
私に話した内容と別に食い違うような言動はない。やっぱりフォンフィールさんは特におかしなことは言っていないし、ケトゥーヴァもニューベトスさんも疑いすぎではないかと思う。
「ふむ、君の言い分は一見すると確かに理にかなっているように感じるが、元々君はこの魔導兵不足の穴を埋めるために動員された特別魔導部隊ではないか。だからといって無条件に肉壁になれと言いたいわけではないが、もう一人を見捨てるのは軍紀に違反する。コードネームクラスの敵が現れた絶好の機会にもかかわらず、なのにだ。私としてはその点はどうでもいいが、絞首刑にかけられても文句は言えないぞ?」
いつもは目を細めてうっすらと笑みを浮かべている二人が今回ははっきりと両目を開いて睨み合う。私は違和感を感じることなく素直に受け入れてしまっていたけれど、確かに隊長はハーデル・ロンバルトに二人派遣したと言っていた。そうなればフォンフィールは相方を見捨てたということになる。相方の姿が見えない以上、そのことは言い逃れできないだろう。
「確かに私は軍法に違反して勝手に撤退したわ。でも、ここで私がそんなことになるとは思えないわ。あなたたちのほうが考えが足りないと思うけれど?」
「なんだと?」
フォンフィールはそう一方的に伝えて立ち上がる。同じように目だけ笑っているように見えるが、先ほどまでとは違い不気味さを醸し出している。
「確かに私は企み事をしているわ。けれど、あなたたちはそれを理由に私を捌くことはできない。なぜなら、新大陸に残存する貴重な魔導兵を少しでも有効活用したいから。だから私はスパイの疑いがある中、召集させたのでしょう?」
「…そこに気が付くか。だが貴様が自らどこかの目であることを自白した以上は拘束する。痛い目に遭いたくないならば態度には気をつけるんだな。」
ニューベトスは机の上に置いてあるベルを3回鳴らし、警備に部屋に入るよう伝えるが、いつまで経っても音沙汰がない。
「…?どうしたのでしょうか。」
「っ!いけない、扉から離れろ!」
扉を開けようと近づいた所でニューベトスさんに大声で止められたので、身体強化を施して素早く扉から離れる。
私が扉から離れるとニューベトスさんが扉の鍵穴に向かいナイフを勢いよく投げる。見事な技量だ。ナイフは弧を描きながら鍵穴の金属でできた部分を貫く。そして、爆ぜた。ブービートラップと言うやつだろう。
「ったく、どいつもこいつも、魔導兵は勘が良い。折角仕掛けた罠もすぐにバレちまう。」
観念したように醜い容姿の男が姿を現した。
◆
『道化』はクリミハイルの遺志を気まぐれに受け継ぎ、彼曰く裏切り者らしいフォンフィールをぶらぶらと探していた。
「ったく、探せって言われたってどこ探せばいいんだ?とりあえずランカラに潜入してみるか。」
『うむ。そうするのが妥当であろう。』
「っぎゃ!?喋っただと?」
『道化』はまさか独り言自分の独り言に返事が返ってくるとは思わず、奇声を上げる。永い時で朽ち果てなかった物が意思をもって動くとは聞いたことがある。いわゆる付喪神だ。だがそんな付喪神は己から発せられる感情を楽しむほどの自我しかない。流暢に言葉を話すとなると相当の年月を人間の手の下で過ごさなければならないが…
『む、そこまで驚くとは思っていなかったぞ。貴様らからしても我々のような存在は珍しいのか?』
「まあいねぇことはないけれどな、ただあんまり好ましくは思えないやつだったな。」
その本人自身は自分の過去を語る気は無いようなのでひとまずそっけない態度で反応しては引き続きランカラに向かっていく。しばらくの時間二人は沈黙を守り続けたが、ついには『道化』が根負けし、口を開いた。
「なあ、その、俺がクリミハイルを殺した遠因になっちまったわけだが、何か思うことはないのか?」
ブレスレットはしばらく考えた後、なんともいえない様子で話し始める。
『お前がそう思うなら我は主人を焼き殺してしまったことになるのだが…』
「ああ、そういやそうだったな…」
そして再び沈黙が流れ始める。互いに共通する話題はあるが、殺し合ったことを話題にするのは憚られ、静かに時間だけが経過していった。
『…だが、これが主人が最期に望んだことである。もし貴様が気まぐれでそれを受諾しなかったならば、主人は未だ、絶望から抜け出せていなかっただろう。我は貴様のような捻くれたものを主人とは認めようとは思わぬが、主人の最期の望みを叶えようと思っている間は共に戦場に立ってやろう。』
複雑な心境であろうブレスレットの中の自我は『道化』の性格を流れるように貶しながらも謝罪の意を示す。
「ケッ、そうかよ。ならしばらくは、仲良くやれそうだな。」
遠回りな和解により二人の関係は時間が経過するにつれてゆっくりと溶けていくことになった。しばらく空の旅を楽しんだ後、ランカラ上空に到着すると腕に嵌めていたブレスレットが何かを見つけたような様子で話しかけてきた。
『む、そちらの方にあの女の気配を感じる。ああ、間違いない。主人が警戒した確か名前は…フォンフィールと言ったか。やつはあそこにいるだろう。』
「あそこっつうと…あのレンガ造りの目立つあれか。複数人いるが、確かにあの中にならお目当ての相手がいるかもしれないな。」
目星をつけた後、『道化』は勢いよく降下を初める。ブレスレットに魔力を流すと何故かクリミハイルが生み出したものとは違い、赤黒い炎を纏っている。
「うん?お前の姿ってこんなんだったか?」
『…魔力の個性によって炎も変わるだろう。貴様のは随分と歪だが。』
「まあ、使えるんだったらなんでもいいだろ。」
そう呟いて二人は降下していく。すべては約束を守るために。
◇
「あら?まさか私以外にも誰かランカラにいるわね?まあいいわ。巻き込まれてしまっては文句も言えないものね。」
『魔女』は燃えるフェルブル通りの一角を上空で眺めていた。魔女がラグノーブルから急いで引いた理由。それは、カリンを『王子』がスポメンサに引き付けている隙に己の潤沢な魔力を使い、ランカラに大軍を送り込むためだった。
『第二の虚』『灰燼に帰す魔法陣』
『魔女』は二つの魔法を唱える。一つ目の魔法は己の魔力を消費して傀儡を生み出すもの。『魔女』の力を以て見事に二十万の兵士を一瞬にしてランカラ近郊に召喚することに成功した。二つ目はラグノーブルで使われたもの。『魔女』を殺すことができなければ、ランカラもラグノーブルと同じ結末を辿ることになる。
◆
アレクトは目の前の光景に慌てながらも、剣を引き抜き臨戦態勢をとる。
「急に扉を爆発したかと思えば槍を構えて、一体あなたは誰なんですか?」
『まずいわね。ワタシたちはどうにかなるかもしれないけれど、ここが戦場になったら死人がたくさん出てしまうわ。』
目の前に降り立った燃え盛る炎を纏った槍を持つ男は部屋を見渡してフォンフィールの方を見ながら満足そうに頷いた。
「なぁ、そこの女。今ここで安らかに死ぬか、無駄な抵抗をして苦しんで死ぬか好きな方を選びな。奴からは殺し方について指示されていないから、そんぐらいは選ばせてやる。」
「お断りよ〜。急に現れて礼儀がなってないわね〜」
そう言ってフォンフィールが剣を抜くより早くその男は襲い掛かったかと思うと、一瞬にして部屋の壁ごと吹き飛ばされ、二人の姿はなくなっていた。
「アレクト君。あの二人を追ってできれば両名とも拘束しろ。無理にとは言わない。最悪殺しても構わない。ただし、できるだけ民間人の被害は抑えてくれ。」
「わかりました!…って、フォンフィールさんも拘束するんですか?」
「まだ尋問すらできていないからな。とりあえず『道化』が先だ!」
「あの人は『道化』ですか…わかりました!」
突如現れたみすぼらしい男を頭に思い浮かべながらコードネームと合致させていく。
◇
フォンフィールは『道化』に胸ぐらをつかまれ勢いよく投げつけられて、家屋をいくつも破壊してやっとその勢いは止まった。
「なかなかやるわねぇ~でも少し乱暴が過ぎるのではないかしら?」
「はぁ!?なんでお前耐えてるんだよ、きっしょ!?」
何事もなかったかのように瓦礫の山から這い出で来る様子を見て『道化』も流石にお手上げ状態にならずにはいられない。
「それでお終いかしら『道化』さん?ならば次はこちらの手番かしらね~」
フォンフィールはあくまでその優雅さを崩さずにレイピアを構える。剣身は水晶のように透き通っていて
美しいという感想が最初に浮かんでくるが『道化』にとっては脅威そのもの。あんなものが自分の体に当たってしまえば糸のように千切れてしまうだろう。
「痛い目が嫌なら早く本気を出してもらわないと。まだまだ頑張れるでしょうー」
「…あぁーめんどくせーな。これだからベガの話は信用ならんと前から…」
忌々しそうになにかを呟きながら『道化』の右腕につけられた装飾品が深紅に染まり、形を成していく。
「帝国の宝物庫から引っ張り出されたってことはあの『女神』の手下なんだろ?お前の名はなんて言うんだ?」
「…我は新顔だ。名を付けられるどころか認知をされていたかどか…」
「そうかそうか。じゃあこの俺が名付けてやろうか?」
「いや、それは遠慮しておこう。」
「連れねぇなぁ。」
そうこうしているうちにブレスレットははっきりと槍の形へと変化し、直感で完了したとわかった。
「さぁ、そろそろおっぱじめるか。」
◇
「あれって結構な大事じゃないですか?早く隊長帰ってこないかなぁ。」
『ちょっと、もう少し軍人としての気概を見せなさいよ。』
アレクトはランカラの被害を抑えるためにニューベトスの命で二人を追っていたが、アレクトは急な出来事に心の準備ができていなかった。
「どうにかしてあの二人を楽に止められたらいいんですけどねー。隊長ならババっとやってすぐ終わらせられるんですけどね。」
『うーん、アンタはカリンみたいに特別な能力は持ってないものね。とりあえずフォンフィールが押されているように見えるから、『道化』を狙ってみたら?もしかしたらフォンフィールが戦闘不能になっててそのまま戦いを収束できるかもしれないわしね」
「それじゃあまずは、『道化』をどうにかしますか。」
勢いよく跳躍するアレクト。しかし、不思議にも空は段々と赤くなっていき、うっすらと魔法陣が浮かび上がってきているのが同時に目に入ってきた。
「なんか空が異常なほど赤い?もしかしてここ以外でも大変なことになっているんでしょうか。」
『確かに変ね…ん?空に魔法陣が見えるわね。…できるだけ早くことを終わらせて逃げるわよ!ここに居たら私たち助からないわ!』
「そんなことを言われたって、ニューベトスさんの命令があるのでとりあえずはあの二人を何とかしないと」
地面を勢いよく蹴り急接近するアレクト。アレクトは手本であるカリンの剣技を見よう見まねで繰り出す。それが皇帝の間で鍛え上げた技術と組み合わさり、初見殺しにはなるが、その名の通り初見で殺す技となった。
「ぐえ、なんで俺なんだよ!」
アレクトの奇襲に驚き、奇声を上げて慌てる様子を見せるが、体は流れるようにスムーズに防御体勢をとる。
「なんで急にこんなところまで来てフォンフィールを襲ったんですか?弱いものイジメをする趣味でもあるんですか?」
「そんな面倒な事をしてまで人を嘲笑うような趣味はねぇな。おっと、まだ話は終わっちゃいない。だからソレを向けて脅すのはやめろって。」
「『道化』の戯言なんぞ聞きませんよ!」
『道化』の懸命な説得も空しく、アレクトはその刃を納めることはなく彼の身に降りかかる。
「お前の仲間にクリミハイルってやつがいるだろ?フォンフィールを殺せってのはそいつからの依頼みたいなもんなんだよ。だから俺も理由はわからないんだって」
「そんな根拠のない願いをわざわざ叶えるためにこんなことをして頭おかしいんじゃないんですか?」
「うるせぇ、俺は気まぐれなんだよ。俺は目的を達成したしおさらばするかな。お前もあの魔法陣には気を付けろよな!」
「逃がすとは言ってません!」
アレクトはカリンの斬撃をイメージして剣を振おうとするが、槍の暑さで近づくのが躊躇われる。
「残念だったな。こいつの炎は魔力の暑さだから、身体強化でも防ぎきれないのさ。」
『道化』が悠長に話している隙を狙って、フォンフィールが後ろから突き刺す。心臓があるとされている左側を狙った一突き。肺を巻き込んでの一撃は普通の人間だったなら呼吸も困難なまま息絶えるだろう。
「ちくしょう、どいつもこいつも俺をコケにしやがって…」
『道化』は咄嗟に突き刺されたレイピアとフォンフィールを突き放して何とか態勢を立て直す。だが、その刺された痕は魔力を流しても塞がらない。異常さに気が付いた『道化』は舌打ちをして二人から距離を取り、その行方をくらませた。
「アレクトちゃんよくやったわ。ナイスコンビネーションよー」
「フォンフィールさん、助かりました。これでランカラを防衛できたのでしょうか」
「…そういうわけにはいかなそうね。だってほら、空の魔法陣が消えていないのだもの」
フォンフィールさんが空を指さして言う。赤を基調として、文字らしき部分は黒くなっている魔法陣がでかでかとランカラの空を覆っている。
「ということは『道化』を倒すために行方を追わないといけないということですか」
「そうでもないかもしれないわよ?ランカラに襲来した敵が『道化』だけとは限らないもの。もしかしたら私たちの知らないところで『王子』や『魔女』なんかが暴れているのかもしれないわ」
「確かにそうだな。『王子』…カリフとは連絡が取れないが、『魔女』…タリータはランカラにいるらしいぞ。まあ、あれもタリータのやり方らしいし相当暴れる予定みたいだな」
「そうなんで…はっ貴方いったいどこから…!」
私の横からひょっこりと『道化』が顔を出してきた。こんなに近づかれても気が付かないなんて本当は相当の実力者なのかも。
『道化』は一度二人の視界から外れ撤退したと思わせ、油断していたのを狙って深紅の槍でフォンフィールを狙う。アレクトが驚いている隙にフォンフィールは再び剣を抜いて『道化』をアレクトから引きはがす。
フォンフィールは優雅に舞う。戦闘には向かない豊満な体つきであるにも関わらず、身のこなしは『道化』を翻弄する。その際にその魅力的な体もそれ相応に揺れるが、ここにいる者はそんなことを気にしている余裕はなく『道化』は応戦するので手一杯といった様子だ。
「六連聖突!」
フォンフィールが銃弾を放っているかのような六連撃を披露する。『道化』の反応速度からして回避することはできないと判断してのことだったが…
「甘いねぇ!極縮黒炎」
その六連撃を搔い潜り、『道化』の槍がフォンフィールを貫いた。アレクトは一瞬何が起こったのか理解することが出来ず、硬直する。理解したころにはフォンフィールが地面に倒れていた。それを見たアレクトは必死になって駆け出す。
「おっと、おまえはそこでじっとしてな。」
誰からこちらに向かってくるのに気が付いた『道化』は動きを封じるために突拍子のない行動をさせないために鎖で動けなくしておく。苦しそうにもがいているが、手加減してあるから死ぬことはないだろう。…たぶん。
「ハーデル・ロンバルトで小僧から聞いたぜ。お前、この国の裏切り者だそうじゃないか。お前も俺に対価をくれれば、復讐してやろうか。」
既に命が尽きたフォンフィールの亡骸に『道化』は楽しそうに話しかける。
「フォンフィールさんを離してください!やっぱり貴方は『道化』の名に相応しい狂った人です!」
無駄だと思いつつも力の限り叫んでみる。フォンフィールさんをあんな風にして…許せない。
「はぁ?…わかった止めてやるよ。」
「え?」
『道化』はそう言うと槍からフォンフィールを雑に振り落とす。そしてこちらを軽く一瞥すると静かに姿を消した。しばらくすると体を縛っていた鎖は錆びて、身体強化をしている体で簡単に引き千切ることができるようになった。
「フォンフィールさん、フォンフィールさん、返事をしてください…」
アレクトは何とかして出血を止められないか思案するが、胴体が貫かれ内部も焦げてぼろぼろになった人の延命処置を知るはずがない。
「リ、リニュークに、…で待ってる、まってる、わ」
死んだと思ったフォンフィールは最期の力を振り絞ってそう言うとこと切れてしまった。アレクトはフォンフィールの上半身を優しく置くと、少し上を向きながら立ち上がる。
『アレクト、アンタ…』
ケトゥーヴァが話しかけてくるが、このままではきっと涙を堪えられない。
「ケトゥーヴァ、慰めないでください。これが、戦争ですから。…なんで、もっと早く、気が付けなかったかなあ…」
いくら上を向いても涙は止まらない。誰もいなくなった場所でひとりで啜り泣くアレクトを空に浮かんでいる魔法陣が現実に引き戻す。
帝国の長い長い夜が始まろうとしている。




