表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/6

1 ぼろ姫、求婚される

 ウェルカーディンと言う名の小国が、隣接する大国に滅ぼされたのは、つい一月ほど前の事だった。


 そのウェルカーディン王国の第一王女だったシャロンは、自国を占領した騎士たちの手により捕えられ、彼らの国の王宮まで運ばれた。

 彼女はこの1カ月の間、まともに光の届かない地下牢の中で過ごしていた。けれどその日、この鬱屈した牢から出される事になった。


 ジャラ……


 看守により鎖付きの手枷を嵌められ、シャロンは石レンガの冷たい地下通路を歩いた。

 何故牢から出されるのか、その理由は聞かされていない。


――これからどうなるのかしら…… 占領された国の王族の末路なんて、良い物では無いわよね。殺されるか、奴隷にされるか……

 先導する看守に鎖を引っ張られながら、シャロンはそんなことを考えた。


——何だって良いわ。あのまま王宮で暮らしていても、未来なんてなかったんだから……

 シャロンはフフッと自嘲した。だって、地下牢での暮らしが王宮でのそれより、ずっと穏やかで良い物だと気づいてしまったから。

 召使い達から《ぼろ姫》と馬鹿にされ、彼らの言いなりになる様な暮らしに比べればずっと。




 階段を上り、アーチ状の出口を出る。すると刺すように降り注いできた陽光に、シャロンは目を細めた。

 長い間暗い地下にいたせいで、この明るさに慣れるのに時間が掛かった。外にいた数人の男らの輪郭もはっきりしない。

 ただ、彼らの話す声や仕草だけは判別できる。


「捕虜の娘を連れて来ました」

 これは看守の声だ。

「ごくろう」

 外にいた数人の中の、ローブを着た男がそう答えた。

「ウェルカーディン旧王家の王女シャロン、この娘でよろしいですか?」

「ええ、目録の通りだ」

 看守の問いに、ローブの男は手にした書類に目を落としながら答えた。


 そして彼は、ひときわ体格の良い、礼服を着た男に向かって話しかける。

「閣下、陛下から下賜されたのは、この娘で相違ありませんね?」


――下賜された?

 それは、ウェルカーディンを占領した国の王が、家臣に褒美を与えたと言う事。どうやらシャロン自身がその褒美らしい。

——じゃあ、エル・オークストーは私を奴隷として扱う事に決めたのね。


 制圧された小国の姫が戦果を挙げた者に授けられる、それ自体は前例の無い話ではない。それは、制圧したことを周囲に知らしめるために行われるのだが、下賜されれば元姫の役割はそこで終わり。その後、奴隷をどう扱おうが主人の勝手だ。

―—せめて、良い人だといいな……


「ああ、そうだな」

 礼服姿の男がそう答えた。彼は顎に手を当て、シャロンをまじまじと見ている様だった。

 男がそうしているころ、シャロンの目はようやく外の光に慣れて来た。男はシャロンに近づき、屈んで彼女の顔を覗き込む。

「確かに、この人だ」


 この男の声、そして顔に、シャロンは見覚えがあった。


◇ ◇ ◇


 シャロンが男を見た時、彼は礼服ではなく甲冑を身にまとっていた。銀色に輝く甲冑には血を被った跡があり、手には剣を下げていた。


 あれは、ウェルカーディンの王宮が襲撃された時の事だった。敵国の軍は王宮内の各所を占拠し、王族を王の寝室まで追い詰めた。

 その筆頭にいたのがこの男だった。


「この宮殿は、我がエル・オークストー国王軍が占拠した! 非戦闘員はおとなしく投降せよ!」

 彼は太く、重厚な声を響びかせ、部屋の隅に追いやられたシャロンや召使いらを一瞥した。その目つきは鋭く、見た瞬間に悪寒が走り、動くことが出来なくなった。


 この時、既に防衛軍の指揮を執っていた父王は討たれた後だった。シャロン達は、遠くで敵軍の勝利の雄たけびを上げるのを聞いていた。


「姫様……」

 近くで泣き崩れていた召使いが、すがる様にシャロンを見上げていた。つい先日までシャロンを《ぼろ姫》と呼んでいた侍女だったが、こんな時に限って王女として頼ろうとする。


「ごめんなさい」

 シャロンはすがる侍女の手を振りほどき、敵軍の前まで出ると、床に膝をつき頭を下げた。召使い達には、王女として敵に抵抗することを期待されていたかも知れない。

 でも、今更王女らしく振舞うことなど出来なかった。


「どうぞ、捕えて下さい」

 シャロンは震える声でそう言った。


 こうしてシャロンは捕虜となり、ウェルカーディン王国は隣の大国エル・オークストーに占領される事となった。


◇ ◇ ◇


 あの時の男、それが再び自身の前に現れたと知ると、シャロンの体はこわばった。

 

「馬車を向こうに待たせていましてね」

「でしたら、そこまで私がこの娘を連れて参りましょう」

 ローブの男がシャロンの手枷に繋がれた鎖を受け取り、礼服の男の先導に続いた。


 ジャラ……

「ん?」

 鎖を手にした男は、振り返ってシャロンを見た。鎖に繋がれた彼女が動かなかったからだ。

 シャロンの体は強張ったまま、先導する男に付いて行く事を拒んでいた。ただただ、王宮を襲撃された日の恐怖が、シャロンを支配している。

「ほら、歩かないか!」

 ローブの男が声を荒げると、礼服の男が「待った」と声を掛けた。

「彼女の手枷の鍵は無いか?」

「は、はい、ここに」


 小さなカギを受け取った男は、シャロンの前まで来ると、その場で腰を落とした。殴られるんじゃないかと思って目をつぶったが、そんな事は起きなかった。

「怖がらせて済まない」

 そう言って、男はゆっくりとシャロンの手を取った。まるで砂糖細工を手に取る様に優しく。

 目を開けると、彼はシャロンの前で跪いていた。


「私の名はアズール・グレイアム。エル・オークストーの騎士であり、国王軍の将校だ」

 アズールと名乗った男の声は、襲撃の日に聞いたときのものと、確かに同じだった。でも、あの時の低く凄む様な声とは違った。どこか穏やかな声だった。


「君はこれから、私の屋敷で過ごすことになる。来てくれるか?」

 シャロンは「どうして?」と聞こうとした。何故そんな風に優しくされるのか分からなくて。でも、声が出せなかった。


 ガチャ……

 アズールはシャロンの手枷のカギを外し、それをローブの男に渡した。

「これは不要だ。お返しする」


 手枷を外したと言う事は、シャロンを無理やり連れて行くつもりは無いのだろうか。彼の行動に、シャロンは困惑した。

「行こうか」

 アズールは少し歩いてから振り返り、シャロンが付いてくるのを待った。


 アズールは、シャロンの身の上を承知した上で連れて行こうとしている。帰る家も、行く当ても無いだろうと、高を括っているんだろう。

——あの人に付いて行くしかない。

 そう思い、シャロンはアズールの後を追った。



***



 馬車の中で、アズールはじっとシャロンを見つめていた。

 今シャロンは向かいのアズールと二人きり、小さな箱の中で膝を突き合わせて座っていた。御者とアズールが連れて来た従者は外の御者台にいて、箱の中の様子は見えていないだろう。

 そんな中、シャロンはアズールに怯えて体を震わせ、彼もまた黙ったまま、正面の相手を見つめる。無言の時間がしばらく続いていた。


「怖いか?」

 突然アズールが口を開いた。その声にシャロンは驚き、体をビクリと震わせた。

「そうか……。何不自由なく暮らしていた王女様が、敵国の騎士の元に引き渡されたんだ。牢獄から出られたとはいえ、不安は大きかろう」


 シャロンがさっきの問いにどう答えようか考えていたら、アズールは勝手に納得していた。怖い事は確かだし、嘘をついてまで取り繕う事も無いかと思い、この不安を解消するために一つ質問をしてみる事にした。


「あの……あなたは? あなたは、襲撃の日に指揮をとっていた人……ですか?」

 シャロンがおそるおそるアズールの顔を覗うと、彼は眉間にしわを寄せて目を伏せていた。

「確かに、私は貴国制圧の部隊の筆頭に立っていた」


―—ああ、やっぱり。

 自分の記憶に間違いは無かったと思い、シャロンは体を強張らせる。あの時と声色は違っても、やっぱりあの人なのだと。

 そうして怯えていると、何故かアズールは頭を下げた。

「君の父上を死に追いやったのも私だ。済まない、君に恨まれて当然の立場だ」


―—え? 謝ってる?

 謝られるとは思わなかった。意表を突かれて、思っていたよりも良い人なのかも知れない、と考え始めた。

 でも、初めは優しい印象を受けても、後からそれが嘘だったと気づかされる人は存在する。そう思うと、この人も信用して良いのか分からない。


「ただ、陛下は私に下賜するのが妥当だと判断されてね。確かに、元々は私が陛下に進言した事だったから」


―—どういうこと? 進言した? 私を捕虜にしておく事で、エル・オークストーに何かしらの不利益が出ると言う事かしら。

 それで、扱いに困った国王が家臣に押し付けた。そう考えると納得できる。


 でも、そういう事では無かったらしい。

「シャロン王女……、いえ、シャロン」

 アズールが背筋を正してからそう呼ぶので、シャロンも改まって相手に向き直った。

 彼の深く青い瞳が、まっすぐにシャロンを捉える。その時ばかりはアズールから視線を逸らせなくなった。


「結婚してくれないか?」

 その低い声を聴いて、シャロンはしばらくの間思考がストップした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

よろしければ、ブックマークや評価などしていただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ