1 ぼろ姫、求婚される
ウェルカーディンと言う名の小国が、隣接する大国に滅ぼされたのは、つい一月ほど前の事だった。
そのウェルカーディン王国の第一王女だったシャロンは、自国を占領した騎士たちの手により捕えられ、彼らの国の王宮まで運ばれた。
彼女はこの1カ月の間、まともに光の届かない地下牢の中で過ごしていた。けれどその日、この鬱屈した牢から出される事になった。
ジャラ……
看守により鎖付きの手枷を嵌められ、シャロンは石レンガの冷たい地下通路を歩いた。
何故牢から出されるのか、その理由は聞かされていない。
――これからどうなるのかしら…… 占領された国の王族の末路なんて、良い物では無いわよね。殺されるか、奴隷にされるか……
先導する看守に鎖を引っ張られながら、シャロンはそんなことを考えた。
——何だって良いわ。あのまま王宮で暮らしていても、未来なんてなかったんだから……
シャロンはフフッと自嘲した。だって、地下牢での暮らしが王宮でのそれより、ずっと穏やかで良い物だと気づいてしまったから。
召使い達から《ぼろ姫》と馬鹿にされ、彼らの言いなりになる様な暮らしに比べればずっと。
階段を上り、アーチ状の出口を出る。すると刺すように降り注いできた陽光に、シャロンは目を細めた。
長い間暗い地下にいたせいで、この明るさに慣れるのに時間が掛かった。外にいた数人の男らの輪郭もはっきりしない。
ただ、彼らの話す声や仕草だけは判別できる。
「捕虜の娘を連れて来ました」
これは看守の声だ。
「ごくろう」
外にいた数人の中の、ローブを着た男がそう答えた。
「ウェルカーディン旧王家の王女シャロン、この娘でよろしいですか?」
「ええ、目録の通りだ」
看守の問いに、ローブの男は手にした書類に目を落としながら答えた。
そして彼は、ひときわ体格の良い、礼服を着た男に向かって話しかける。
「閣下、陛下から下賜されたのは、この娘で相違ありませんね?」
――下賜された?
それは、ウェルカーディンを占領した国の王が、家臣に褒美を与えたと言う事。どうやらシャロン自身がその褒美らしい。
——じゃあ、エル・オークストーは私を奴隷として扱う事に決めたのね。
制圧された小国の姫が戦果を挙げた者に授けられる、それ自体は前例の無い話ではない。それは、制圧したことを周囲に知らしめるために行われるのだが、下賜されれば元姫の役割はそこで終わり。その後、奴隷をどう扱おうが主人の勝手だ。
―—せめて、良い人だといいな……
「ああ、そうだな」
礼服姿の男がそう答えた。彼は顎に手を当て、シャロンをまじまじと見ている様だった。
男がそうしているころ、シャロンの目はようやく外の光に慣れて来た。男はシャロンに近づき、屈んで彼女の顔を覗き込む。
「確かに、この人だ」
この男の声、そして顔に、シャロンは見覚えがあった。
◇ ◇ ◇
シャロンが男を見た時、彼は礼服ではなく甲冑を身にまとっていた。銀色に輝く甲冑には血を被った跡があり、手には剣を下げていた。
あれは、ウェルカーディンの王宮が襲撃された時の事だった。敵国の軍は王宮内の各所を占拠し、王族を王の寝室まで追い詰めた。
その筆頭にいたのがこの男だった。
「この宮殿は、我がエル・オークストー国王軍が占拠した! 非戦闘員はおとなしく投降せよ!」
彼は太く、重厚な声を響びかせ、部屋の隅に追いやられたシャロンや召使いらを一瞥した。その目つきは鋭く、見た瞬間に悪寒が走り、動くことが出来なくなった。
この時、既に防衛軍の指揮を執っていた父王は討たれた後だった。シャロン達は、遠くで敵軍の勝利の雄たけびを上げるのを聞いていた。
「姫様……」
近くで泣き崩れていた召使いが、すがる様にシャロンを見上げていた。つい先日までシャロンを《ぼろ姫》と呼んでいた侍女だったが、こんな時に限って王女として頼ろうとする。
「ごめんなさい」
シャロンはすがる侍女の手を振りほどき、敵軍の前まで出ると、床に膝をつき頭を下げた。召使い達には、王女として敵に抵抗することを期待されていたかも知れない。
でも、今更王女らしく振舞うことなど出来なかった。
「どうぞ、捕えて下さい」
シャロンは震える声でそう言った。
こうしてシャロンは捕虜となり、ウェルカーディン王国は隣の大国エル・オークストーに占領される事となった。
◇ ◇ ◇
あの時の男、それが再び自身の前に現れたと知ると、シャロンの体はこわばった。
「馬車を向こうに待たせていましてね」
「でしたら、そこまで私がこの娘を連れて参りましょう」
ローブの男がシャロンの手枷に繋がれた鎖を受け取り、礼服の男の先導に続いた。
ジャラ……
「ん?」
鎖を手にした男は、振り返ってシャロンを見た。鎖に繋がれた彼女が動かなかったからだ。
シャロンの体は強張ったまま、先導する男に付いて行く事を拒んでいた。ただただ、王宮を襲撃された日の恐怖が、シャロンを支配している。
「ほら、歩かないか!」
ローブの男が声を荒げると、礼服の男が「待った」と声を掛けた。
「彼女の手枷の鍵は無いか?」
「は、はい、ここに」
小さなカギを受け取った男は、シャロンの前まで来ると、その場で腰を落とした。殴られるんじゃないかと思って目をつぶったが、そんな事は起きなかった。
「怖がらせて済まない」
そう言って、男はゆっくりとシャロンの手を取った。まるで砂糖細工を手に取る様に優しく。
目を開けると、彼はシャロンの前で跪いていた。
「私の名はアズール・グレイアム。エル・オークストーの騎士であり、国王軍の将校だ」
アズールと名乗った男の声は、襲撃の日に聞いたときのものと、確かに同じだった。でも、あの時の低く凄む様な声とは違った。どこか穏やかな声だった。
「君はこれから、私の屋敷で過ごすことになる。来てくれるか?」
シャロンは「どうして?」と聞こうとした。何故そんな風に優しくされるのか分からなくて。でも、声が出せなかった。
ガチャ……
アズールはシャロンの手枷のカギを外し、それをローブの男に渡した。
「これは不要だ。お返しする」
手枷を外したと言う事は、シャロンを無理やり連れて行くつもりは無いのだろうか。彼の行動に、シャロンは困惑した。
「行こうか」
アズールは少し歩いてから振り返り、シャロンが付いてくるのを待った。
アズールは、シャロンの身の上を承知した上で連れて行こうとしている。帰る家も、行く当ても無いだろうと、高を括っているんだろう。
——あの人に付いて行くしかない。
そう思い、シャロンはアズールの後を追った。
***
馬車の中で、アズールはじっとシャロンを見つめていた。
今シャロンは向かいのアズールと二人きり、小さな箱の中で膝を突き合わせて座っていた。御者とアズールが連れて来た従者は外の御者台にいて、箱の中の様子は見えていないだろう。
そんな中、シャロンはアズールに怯えて体を震わせ、彼もまた黙ったまま、正面の相手を見つめる。無言の時間がしばらく続いていた。
「怖いか?」
突然アズールが口を開いた。その声にシャロンは驚き、体をビクリと震わせた。
「そうか……。何不自由なく暮らしていた王女様が、敵国の騎士の元に引き渡されたんだ。牢獄から出られたとはいえ、不安は大きかろう」
シャロンがさっきの問いにどう答えようか考えていたら、アズールは勝手に納得していた。怖い事は確かだし、嘘をついてまで取り繕う事も無いかと思い、この不安を解消するために一つ質問をしてみる事にした。
「あの……あなたは? あなたは、襲撃の日に指揮をとっていた人……ですか?」
シャロンがおそるおそるアズールの顔を覗うと、彼は眉間にしわを寄せて目を伏せていた。
「確かに、私は貴国制圧の部隊の筆頭に立っていた」
―—ああ、やっぱり。
自分の記憶に間違いは無かったと思い、シャロンは体を強張らせる。あの時と声色は違っても、やっぱりあの人なのだと。
そうして怯えていると、何故かアズールは頭を下げた。
「君の父上を死に追いやったのも私だ。済まない、君に恨まれて当然の立場だ」
―—え? 謝ってる?
謝られるとは思わなかった。意表を突かれて、思っていたよりも良い人なのかも知れない、と考え始めた。
でも、初めは優しい印象を受けても、後からそれが嘘だったと気づかされる人は存在する。そう思うと、この人も信用して良いのか分からない。
「ただ、陛下は私に下賜するのが妥当だと判断されてね。確かに、元々は私が陛下に進言した事だったから」
―—どういうこと? 進言した? 私を捕虜にしておく事で、エル・オークストーに何かしらの不利益が出ると言う事かしら。
それで、扱いに困った国王が家臣に押し付けた。そう考えると納得できる。
でも、そういう事では無かったらしい。
「シャロン王女……、いえ、シャロン」
アズールが背筋を正してからそう呼ぶので、シャロンも改まって相手に向き直った。
彼の深く青い瞳が、まっすぐにシャロンを捉える。その時ばかりはアズールから視線を逸らせなくなった。
「結婚してくれないか?」
その低い声を聴いて、シャロンはしばらくの間思考がストップした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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