表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アイビー




 去年柿の木を切りました。曾祖父が植えたものです。敷地の北東の隅にありました。お隣の敷地のすぐ傍です。わたしはあの柿の木が大好きでした。とても甘い柿がなっていたから。毎年それが楽しみでした。でも柿の木を切ることになったのでわたしが切り倒したんです。脚立にのぼってのこぎりで上のほうから切っていきました。木は半分ほど枯れてしまっていてぼきぼきと折れました。酷いありさまでした。のこぎりをいれようとすると皮がぽろりと落ちるんです。わたしは泣いてしまいました。柿の木がそんなふうになるまで気付かなかったことに腹がたちました。それなのに今年になって今度は杏を切らなくてはならなくなりました。わたし達夫婦は何度も抗議に参ったんです。アイビーが敷地の外へ出ないように対策してくれと。あれはあのちっぽけな木製のフェンスをつたって我が家の庭へはいってきました。柿の木が最初の被害者です。つたにとりまかれてなにもできなくなってしまった。あの子はアイビーに殺されました。杏もです。杏は祖母と祖父が植えたものでした。祖母は戦争神経症で働けなくなってしまった祖父と子ども達の為に映画館でもぎりをしていました。その時にお客さんから苗をもらって祖父と一緒に植えたんです。祖父はそれをきっかけに畑仕事をするようになり立ち直っていきました。あの杏は我が家の再生の象徴でした。わたしはあれを大事にしていました。二度目の甲状腺腫で入院している間にあんなことになって。夫は竹林のお世話がありますから気付きませんでした。血糖値が安定しなくて手術が延期になったんです。前もそうだったんです。それだってひと月もかからなかったのに。あの貧相なフェンスにアイビーを這わせるのがあのひと達の夢だそうです。アイビーが絡まったフェンスのある瀟洒なお家にしたかったそうです。それならご自由にどうぞ。でも我が家にまでそれがはいりこむのは別の話です。わたし達に迷惑をかけてまでばかげた願いを成就させたいのでしょうか。わたし達の柿も杏も大切なものです。柿は実を食べられますし葉をお茶にできます。杏も実を食べます。アイビーは毒でしょう。葉もつるも根も。燃やせば煙が毒になる。なんの役にも立ちません。無用の長物とはこのことです。わたし達が抗議したのは当然のことです。あのひと達は鼻で笑いました。柿も杏も田舎くさいそうです。なら田舎に来なければいいのに。夫が丹精している竹林にも文句があるようでした。筍をとれて竹水をつくれて竹炭をつくれて竹チップにできて竹筒焼きもできるのに素手で触るのも危険な全草毒のアイビーのほうが位が高いようです。不思議な話ですね。わたし達は何度も何度も抗議しました。我が家にはいってくるアイビーが迷惑で仕方がありませんでした。あのひと達の所為で柿も杏も切り倒さざるを得なかった。わたし達は自分の体を切る思いであれらを切ったのです。わたし達の哀しみも悔しさもあのひと達にはわかっていないようでした。自分達の食べられもしない毒草を植えた庭とプランターが大事なようでした。ばかばかしい徒花達はあのひと達と同じです。わたしは柿と杏は我慢しようと思いました。わたしの対策不足でもありました。なにか手立てをしていればよかった。入院なんてしなければよかった。毎日アイビーをむしりとっていればよかった。ひとの所為だけにはできません。でも夫のことを侮辱されたのは我慢がなりませんでした。夫の竹林は大切なものです。子ども達を養ってくれた宝の山です。夫の生涯の仕事をばかにする権利はあのひと達にはありません。引っ越してほしかった。家がなくなったら引っ越すしかないでしょう。だから退院してから火をつけました。ひとが死ぬとは思っていませんでした。




 たしかに何度もうちまで来ていました。でも主人が変なひとだから相手にするなって云ってたんです。あんなところに切り傷があるなんて普通じゃないって。首に。こんなふうに真横にすぱっと。わたしもこわいと思っていたんです。自殺未遂をしたそうだって主人が云っていました。ご近所のかたが教えてくれたそうです。たしかお向かいの旦那さんです。でも主人の勘違いか聴き違いだったんでしょう。そそっかしいひとだから。ご病気だったんですってね。あの火事のあとに知りました。お気の毒なことをしてしまって申し訳ないです。わたしは物腰の柔らかい丁寧なかただと思っていたんですけれど主人が変なひと達だと云うので。夢? はい話しました。主人の親戚が亡くなってここを受け継ぐことになったので喜んだんです。わたし達の思い描いていた庭をつくれるって。前住んでいたひと達は関心がなかったのか枯れてしまったような木ばかりで。だからそれらをひっこぬいてしまってクリスマスローズやキツネノテブクロやカラーやなにかを植えたんです。可愛いトリカブトも生えてきてくれたし。とにかく素敵な庭にしたかったんです。わたしはずっとアパート暮らしで庭なんて持ったことがなくって。主人も似たようなものでした。だから庭付きの一軒家に住みたいってずっと云っていました。こんなふうに転がり込んでくるなんてなんて幸運だろうってわたし達喜びました。もっときちんとお話聴くべきでした。あのかた達のほうが先に住んでいたんだから敬意を払うべきでした。少なくとも主人はあんなことを云うべきじゃなかった。あれはわたしも酷いと思ってあとでおわびにうかがったんです。菓子折を持って。お相手のお仕事のことを悪く云うなんて子どもでもしません。奥さんはいらっしゃいませんでした。え入院? してらしたんですか? ポリープの手術を。その前にも長いこと入院してらしたようでしたけど。お体の弱いひとなんですね。わたし達はやっぱりきちんと聴くべきでした。それにあの枯れ木を放っておいたのは本当に申し訳ないと思っています。主人も悔やんでいると思います。でもわたし達では手に負えなくて。丁度あの次の日に業者にひきとりに来てもらう予定だったんです。だから敷地から表に少し出るように置いてあったんです。朝はやくから来てくれるって。この辺りのひと達でお金を出しあって。年に一度くらい皆さんで話し合ってやることだそうです。お隣はそれには参加していませんでした。あの木に火の粉が飛んでいって火がうつったのでなんとかしようとしました。わたし達必死でした。でもできませんでした。あんなふうにお向かいに火が飛ぶとは思っていなかったんです。お向かいが表に出していたたんすに燃え移るなんて。




 わたしが云いました。向かいのひと達がきらいだって。大きな音で変な音楽を流すしトリカブトを可愛いなんて云って駆除しないで。おかげでわたしの蜂達がそちらへ行ってしまって去年一昨年ははちみつがだめになりました。いつはいりこんだのかアイビーもやってきましたしね。なんて迷惑なひと達だろう。わたしどもは斜向かいみたいにひろい土地を持っていないので安全に養蜂することもできません。あんなに立派な竹林を持っていてずるいと思います。半分は夫の家のものでした。ずっと昔に売ってしまったそうです。ばかなことをしたものですよ。筍は安定して需要があるのに。斜向かいは筍と竹炭でぼろ儲けです。竹水もあんなに売っていて。わたしどもだってその半分はもらえていた筈だったのに舅達がばかだったんです。だいたい嫁に楽をさせようという気がひとつもないひと達でした。わたしをこきつかうだけこきつかった。給料を払わなくていい従業員くらいに思っていました。夫が外で仕事をしているからお前が畑に出ろと。子どものこともてんかんがあるからって可愛がりませんでした。わたしの家系が悪いんだそうです。やっとできた子だったのに四歳になる前にとりあげられました。わたしはそのあと絶対に妊娠しないようにしたんです。絶対に。あの子を返してもらうまではと思って。結局返してもらえませんでしたが。畑も最後は勝手に売り払って。バブルの頃だからそれなりの値段になったでしょうに先物買いに手を出してお仕舞です。ばかなひと達でした。死んでくれたので助かりました。わたしは嫌いなひと達には完全にわたしの視野から消えてほしいんです。迷惑なひと達は死ぬのが一番です。だから夫に頼みました。子どもをとり返してくれなかったんだからわたしの子どもがわりの蜂達の邪魔になるあのひと達をどうにかしてって。夫は優しいのでなんとかすると約束してくれました。お向かいのひと達にいろいろと話したようです。どういう考えだったのかは知りません。ただ斜向かいの奥さんは思い詰めるとなにをするかわからないひとなのでそれを利用しようとしたんでしょう。それくらいはわかります。長いこと夫婦をしていますから。でもわたしはあんなこと思いもしなかったし夫もそうです。あのたんすに火がうつったのはなにかの導きだったんでしょう。あれはわたしの嫁入り道具です。ようやく捨てる決意がついたものでした。夫はわたしをおぶって逃げてくれました。わたしなんて捨てていったらよかったのに助けようとなんてしたから死ぬんです。子どもですか? 勝手に養子に出されました。わたしの意思なんて関係なかったんですよ。少し前に死んだそうです。連絡が来ました。結婚もして子どももできて。あの子にわたしのたんすを渡すつもりだったから今までとっていたのに。夫は悪いひとではないけれどいいひとでもありませんでした。娘のお弔いを優先します。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 3回読んで、やっぱり救いがないと理解しました。 ( ;´Д`) あああ…ツタ類の植物はいかんですよ。お隣の木を切る状態にまで追い込むのはあかんですよ。トリカブトもあかんですよ。夢だけみて植物…
[一言] こわい!ご近所トラブル! 竹水って初めて知りました。 美容にいいのね。気になります。 アイビーがそんな毒性が強いのも知らなかったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ