心を震わせる言葉
今回は初めての歴史考察です。
今年話題の鎌倉時代の「あの人」についてです。
もうすぐ、NHK大河ドラマにて『鎌倉殿の13人』が放送開始する。鎌倉政権(私は所謂''鎌倉幕府''という言葉が嫌いなので敢えてこの語を用いる)発足当初の動乱を描くそうだ。
その中の登場人物、北条政子は日本を代表する悪女として名を馳せているが、それは同時に彼女の非凡さ、力強さをも示している。彼女がいなければ、その後の武家政権も成り立たなかったのは間違いないだろう。
中でも、1221(承久3)年の承久の乱での彼女の演説は有名である。鎌倉政権三代目征夷大将軍源実朝が暗殺され、源頼朝の嫡流の血筋は絶えてしまった。これを好機と見たのが、朝廷の権力を取り戻そうとした後鳥羽上皇である。上皇は二代目執権で政子の弟である北条義時を討伐するよう綸旨を出した。これには鎌倉の御家人も大混乱になった。政権に恩義はあるが、上皇に逆らえば、自分達は逆賊の汚名を着る事態になってしまう。このような大混乱の時に立ち上がったのが、亡き源頼朝の妻、北条政子である。
彼女は混乱状態の中の御家人に向かって、次のような大演説を行った(諸説あり)。
「皆の者、よく聞きなさい。これが私の最後の言葉です。亡き我が夫頼朝公が逆賊(平家一門・義経等)を討って関東に政権を打ち立てて以来、官位や俸禄で与えられた恩賞は山よりも高く、海よりも深いのです。この御恩に報いようという志が浅かろうはずがないでしょう。にもかかわらず、朝廷では奸臣達が上皇を惑わし、道理に外れた偽綸旨が出されてしまいました。もし名誉を重んじようとする者がここにあるなら、直ちに偽綸旨を出させた奸臣を討ち取り、将軍の残したものを守りなさい。但し、上皇方に付きたいと思う者がいるなら構わないので、今ここでハッキリ申し出なさい」
これは『吾妻鏡』の記述だが、この言葉に御家人は奮い立った。御家人達は自ら逆賊となって上皇方を攻撃するという前代未聞の事態となり、遂には朝廷に勝利し、後鳥羽上皇等3人の上皇を島流しにするという未曾有の展開を招き、鎌倉政権の地位は名実共に確固たるものになった。
この政子の言葉、一見すると亡父の恩着せがましい台詞のようにも聞こえるかもしれない。事実、彼女には息子の暗殺疑惑等黒い噂が絶えなかった。当時でも、そう言った事情で鎌倉側に付くのを躊躇っていたろう御家人達がいた。
しかし、この政子の言葉は、そう言った恩着せだけでは無かった。政子が言う「恩」とは単に「恩賞」を示すのではなく、「自らの領地が鎌倉政権の意向によって守られている」という事実であった。これはそれまで御家人達が自ら所有する土地が、朝廷によって恣に取り上げられていたのを、頼朝が初めてその土地の安定的な土地の所有を保障したという事である。この時、御家人達は気づいた。もし上皇方に付いても、いつかは土地を取り上げられて使い捨てにされるだけだという事を。しかし、もし政子の言葉に従って、上皇方を討伐すればこれからも安定的な地位を保障してくれるという事を。この事実は御家人達を奮い立たせるに十分であった。
もう一つ、政子は上皇方に付きたい人間は名乗りでるように訴えた。これによって、御家人の逃げ道は塞がれた。もし名乗りでれば、即座に周りの者に斬り殺されるであろう。彼等一人でも裏切りが出れば、一気に内部崩壊に向かう事が明らかだったのであるから。かくして、一人の女性の雄弁はその後の歴史を大きく変えた。
北条政子が歴史に大きく名を残したのは、以上のような心を震わせる言葉を残したからである。自分たちだけがお前たちを守ってやる事が出来るのだと。人は何かを為すには、身の安全を保障してくれる存在が無ければならない。北条政子はまさにそのような存在であった。果たして今の政治家にどれだけ政子のような、この人に付いて行けば絶対に大丈夫だと言える存在がいるだろうか。そう言った意味でも、我々は彼女のような傑物から学ぶ必要があるのではないだろうか。
最後までお読み頂きありがとうございます。
これを機に鎌倉時代について興味を持って頂ければ幸いです。