29話 葵姉さん
「最近、夏休みに入ってから夜遊びが多いんじゃない? しっかりと勉強もしているの?」
「うん。大丈夫だよ。勉強はしっかり夜にしているから。」
「どこの友達の家に遊びにいっているの? 一度、きちんと挨拶したほうがいいかしら?」
「加茂井の家だよ。母さんに挨拶なんてされたら、加茂井がビックリするから止めてね」
夏休みに入ってから愛理のアパートに遊びにいく頻度が増えている。
その度に夕飯をご馳走してもらって、家に帰るので、母さんが疑い始めたようだ。
家では愛理の家に言っていることは伏せている。
女子の家に遊びに行っていると知れば、母さんに止められてしまうから。
家の中では加茂井という男子生徒の家に遊びに行っていることになっている。
母さんに嘘をつくのはいけないことだが、こればかりは仕方がない。
「今日も加茂井くんの所へ行くの? きちんと向こうの親御さんに挨拶しなさいよ」
「わかってるよ。きちんと挨拶してるよ。それじゃあ、行ってくる」
そう言って俺は家を飛び出して、愛理のアパートへ向かった。
そして愛理のアパートに着いて、二階への階段をのぼって、愛理の家のインターホンを鳴らす。
玄関が開けられ、愛理の笑顔とウータに迎えられて玄関に入る。
ダイニングテーブルに座るとウータが膝の上に飛び乗ってきた。
最近のウータの指定席だ。
俺はウータの背中を優しくなでる。
「ニャー」
「ウータ、お前は可愛いな」
愛理が何も言わずに紅茶を淹れて、ダイニングテーブルに置いてくれる。
今日の愛理の私服は白のニットのカットソーにデニム姿だ。
「今日もゆっくりしていけるの?」
「母さんが疑い始めてるんだ。だから今日は夕食を食べて帰るのは止めておくよ」
「えー残念。でも、最近、頻繁に来てるから仕方ないかー」
「そういうこと。愛理もわかってくれ」
「うん。大丈夫だよ」
愛理は優しい微笑みを浮かべ、紅茶を一口飲む。
俺は愛理の微笑みを見て、安心して紅茶を飲む。
静かな一時が流れる。
ふいに愛理の家の玄関の扉が開いた。
そして愛理とよく似た女性が一人立っている。
愛理よりは3つほど年上のお姉さんだ。
いったい誰だろう?
「葵姉さん、何しに来たの?」
「可愛い妹が何をしているか見に来たんじゃない。夏休みになっても実家に戻って来ないと思ったら、彼氏を作っていたのね」
「葵姉さんには関係ないじゃない」
「私にはね。でも、あの頭の固い父さんが交際を許してくれるかしら?」
「そんなの父さんに黙っていればバレないじゃん。葵姉さんが黙ってくれていればいいじゃん」
葵姉さん……愛理のお姉さんか。
そういえば愛理の家族のことを聞いたことがなかったな。
外見は愛理に似ているけど、葵姉さんって性格が愛理と似ていないような気がする。
「愛理はいいわよね。あの頭の固い父さんと喧嘩して、一人暮らししてるんだから。私なんて、ずっとあの実家住まいよ。だから今でも彼氏の一人もできないんだから」
「葵姉さんも大学生なんだから独り暮らしすればいいじゃん」
「あの頭の固い父さんが許してくれるはずないでしょ。それでなくても愛理がいなくなって私への監視も厳しくなってるのに」
そういえば愛理の両親も躾が厳しいと聞いたことがあった。
それにしても大学生のお姉さんを監視するなんて、少しやりすぎじゃないか。
「今日は急に何しに来たの?」
「父さんが愛理を呼んでるの。夏休みになっても実家に戻ってこないから。実家に顔を出せって言ってるわよ。嫌がった時には一人暮らしの生活費をストップするって」
「何を勝手なこと言ってんのよ。その勝手な強引さが嫌で家を飛び出したのに。まだ父さんはわかってないの?」
「あの頭の固い父さんがわかるはずないでしょう。自分が正義なんだから」
確かに夏休みに入っても実家に一度も帰らないのは、父親も心配するだろう。
しかし、愛理と愛理のお父さんの仲は絶悪のようだし、実家に顔を出したくなかったのだろう。
「父さん、勘だけはいいから、どうせ彼氏でもできたんだろうって言ってたわ。もし彼氏を作っていたら、彼氏に挨拶にきなさいと言っていたわ」
「亮太は私の彼氏よ。でも父さんに会わせる必要なんてないじゃない」
「父さんが言ってるんだから仕方ないでしょ。本当は今日、父さんがここに来るはずだったんだけど、愛理と喧嘩になると思ったから私が代りに来たのよ。これでも庇ってるんだから」
「うん……庇ってくれてありがとう。でも私は父さんと会う気なんてないわよ」
愛理はダイニングテーブルから立って、腕を胸の下で組んで仁王立ちになっている。
姉の葵を家の中へ入れるつもりはないらしい。
「彼氏くんの名前は何ていうの? 亮太くんでいいのかしら?」
「はい。俺の名前は麻宮亮太と言います。愛理のお姉さん、はじめまして」
「私のことは葵でいいわ。これからは葵姉さんって呼んでね」
葵姉さんは俺を見てにっこりと笑った。
やっぱり雰囲気は違うけど、笑顔もどこか愛理に似ている。
「それじゃあ、私は父さんの言伝をつたえたから帰るわ。亮太くんには悪いけど、近々、二人で愛理の実家に来てちょうだい。父さんから話があると思うから」
「私は嫌よ。亮太を連れていったら、彼氏と認めないとか、別れなさいとか言われるに決まっているから。絶対に嫌」
「仕方ないでしょう。生活費を止められるよりもマシだと思って、一度は顔を見せてよ。それじゃあ、私は行くわね。亮太くんまたね」
そう言って葵姉さんは愛理の家から去っていった。
愛理は力なくダイニングテーブルの椅子に座ると頭をかかえる。
「二人で挨拶にいくだけじゃないか。大人しく挨拶して帰ってくればいいだけだろう」
「父さんの頭の固さは半端じゃないの。私の父さん、警察官で頭がすごく固いの。それが嫌で私は実家を逃げ出したのよ」
「頭が固いのに、よく一人暮らしを認めてくれたね」
「母さんが味方についてくれたから。母さんが私の生活費用を管理してくれてるの」
それであれば、愛理の父さんと挨拶する時に、愛理の母さんにも挨拶しておいたほうがいい
だろう。味方になってくれるかもしれない。
「とにかく近々、挨拶に行こう。俺も絶対に彼氏を止めないって覚悟を決めて行くからさ」
「そうね。こうなったら、父さんと会うしかない。亮太ごめんね」
ただの挨拶だ。別に問題はない。
愛理はテーブルの上に置いていた俺の手をそっと握って微笑んだ。




