76話 日が昇る
「――ファランクス!!」
陣剣の結界で防ぎ切れるとは思っていない。
だが、少しぐらいなら鈍らせることができるはずと、僕は振り下ろされる凶爪へと割って入る。
「――っ!?」
凄まじい鋭さと力に結界が切り裂かれる。
速度が多少緩んだ程度。だけど今の僕にはそれで十分だった。
目で追うことができれば――
「っはああああ!」
凶爪に小盾を添わせ、身体全体を捻るようにして受け流す。
『ザン』と鋭い音を立てながら凶爪が地面を抉った。
「よしっ! 早くあっちに逃げて――あれ?」
爪を受け流すことに成功した僕は、すぐさま逃げるよう声をかけた。
ガレオスさんたちが居る方へと、指で示しながら。
だがしかし、僕の指は動かなかった。
しかもそれどころか左腕がまったく動かない。
意思に反してダラリと垂れ下がっているだけ。
「アルっ!」
ガレオスさんが叫ぶように僕の名前を呼んだ。
その必死な声に、何が起きたのか理解した。左腕が半分ほど抉り取られていたのだ。
「――っ!!!」
それに気が付いた途端、腕に熱い激痛が走った。
頭の中が真っ白になるような激痛。一瞬、思考を飛ばしかける。
「ぐっ……」
歯を食い縛って意識を繋ぎ止める。
当然そんな大きな隙をオーバーエッジが見逃すはずがない。
禍々しい凶爪が振り上げられた。
「くそったれっ! WS”パワスラ”!」
大きく弧を描いたWSが、振り下ろされようとしていた凶爪を弾き返した。間一髪で助けられる。
いまの一撃には然しものオーバーエッジも怯み、後ろへと退いた。
「ダルボナ、コイツらを頼む!」
「ういっす」
ガレオスさんと同じ犬人冒険者のダルボナさんがやってきた。
彼は僕の首根っこを掴み、サポーターの女の子を脇に抱える。
それを見たオーバーエッジが――
「させっかっ!」
『――っ』
「リーダーに続けっ」
「何でもいいから邪魔をしろ」
斬り上げるWS”クラハザ”をガレオスさんが放った。
オーバーエッジの追撃を許さない。
そしてそれに続くモミジ組の人たち。
僕たちが退く時間を稼いでくれている。
「おら、退くぞ! 馬鹿が無茶しやがって、この命知らずが」
「っが!? 首が、締まっ」
「騒ぐな、黙って引き摺られろっ。ニュイ、馬鹿の怪我を頼む」
「はい」
オーバーエッジから離れ、安全圏まで下がった僕たち。
僕にはニュイさんが、サポーターの子にはリバティさんと言う回復術師がつく。
「もうっ、アルド君はなんですぐ飛び出すのよ」
「すみません……」
「相手はハリゼオイじゃないんだからね。こんな怪我を負って……」
「はい、すみません……」
「何度も注意したのに、もう」
確かにちょっと調子に乗っていたのかもしれない。
ハリゼオイが相手なら捌き切れた、だからオーバーエッジが相手でも何とかなると、頭の隅でそう思っていたのかもしれない。
「すみません……」
しかし現実は違った。完全に思い上がりだった。
ハリゼオイとは比べ物にならない鋭さにやられて、僕は左腕を切り飛ばされかけた。もしかしたら身体ごと持っていかれていたかもしれない。
だけど……
「……でも、助けたかったんです」
そう、助けたかった。
もし同じ場面に出くわしたら、僕はまた同じことするだろう。
少なくとも死ぬことが使命の僕よりも、サポーターの子が生きるべきだ。
僕よりもきっと価値がある。
心配してもらって申し訳ないとは思うが、この考えはズッと変わらない。
「どう? 痛みは引いた?」
「はい、ちゃんと力も入るようになりました。ニュイさん、本当にいつもありがとうございます」
そう言って左腕の感覚を確かめる。
さっきまでは拳を握ることができなかったのに、いまはそれができる。
完全にではないが、ニュイさんの回復魔法によって傷は塞がった。
「彼女の方は?」
「……」
ふるふると首を振るリバティさん。
傷は塞がって血は止まったようだが、失った腕はそのままだった。
欠損した箇所を治すことができるのは聖女の勇者様ぐらいだろう。
とても痛ましい姿でサポーターの子は眠っていた。
助けられた安堵から気を失ったのだろう。
サポーターの子は瞳を閉じて浅い呼吸を繰り返している。
「そうだ、切り落とされた腕があれば……」
もしかしたら魔法でくっつけられるかもしれない。
そんな思いで彼女が居た方へと視線を向ける。
しかしそこ戦闘中、ガレオスさんたちがオーバーエッジと死闘を繰り広げている。
「っらああ!」
掛け声とともに繰り出された一撃が、オーバーエッジを大きく仰け反らせた。
その隙を逃さずに束縛系の土魔法が放たれた。
地面から土塊でできた蛇が這い上がり、オーバーエッジの足に絡みつく。
定石通りの流れだ。
あとは爪さえ止めれば、正面に陣取ったアタッカーが仕留めに行く。
そんなとき――
「え? まさかっ」
戦っている奥の方から、オーバーエッジがもう一体姿を見せた。
しかもよく見ると、その奥にはイワオトコの姿もあった。
もしかするとまだ魔物が居るかもしれない。
僕は剣を取って立ち上がることにした。
新たに現れた魔物の注意を引かねばならない。
ガレオスさんたちの邪魔をさせるわけにはいかないと。
「――うわっ」
しかし立ち上がった瞬間、顔を後ろから掴まれて引き倒された。
全く予想していなかったので無様にひっくり返る。
「一体何が……ウーフ? それにリティも」
「雑魚は引っ込んでろ。邪魔になるだけだ」
「ウーフ、ダメ」
驚いて見上げると、そこにはウーフとリティが立っていた。
その後ろから他の人もやってくる。
「え? ガートさんにジャンさんも」
「丁度合流してね、無理言ってついて来たんだ」
「……」
落ち着いた声で言ってきたガートさん。
ジャンさんは無言だ。僕はそれを倒れたままで見上げる。
「けっこうヤベぇ状況じゃねえか。リティア、急ぐぞ」
「ん、わかった」
「僕もっ!?」
「っんだあ!? だからっ、邪魔すんじゃねえ!」
ウーフが顔のすぐ横を踏み抜いた。
顔の横で岩が爆ぜる音がする。まともに喰らったら鼻が潰れていただろう。
ウーフはそのまま見下ろしながら言ってくる。
「いいか、オマエはそこで寝てろ。ニュイ、オレたちに強化魔法を掛けろ」
「ウーフっ、何だって貴方は……。まったく」
くどくどと注意しながらも、何だかんだ強化魔法を唱えるニュイさん。
淡い光がリティとウーフを包み込んだ。そのとき――
「いけない、魔石から魔物が湧く」
最悪なことに、新たな魔石魔物が湧こうとしていた。
ただでさえ複数相手がだというのに、さらにもう一体。
これ以上長引くともっと増える危険性もある。
「カゲクモが……」
湧いたカゲクモの魔石魔物は、ゆっくりと動き始めた。
こちらを窺うような動き。
僕たちは4体の魔石魔物と戦うことになった。
しかもそのうちの二体は亜種のオーバーエッジだ。
いくらモミジ組と言えど厳しいはず。
ガレオスさんたちに焦りが見える。
オーバーエッジだけに集中するのではなく、他の魔石魔物にも目を向けている。
「……僕がイワオトコをやれば」
覚悟を決める。
今はやれることをやるべきときだ。
ウーフには止められたが、蹴られて鼻が潰されようが行くと決める。
一体でも減らせば状況は楽になるはずだ。
「オジサン。これ、外すよ」
「え? リティ?」
リティが自身の髪留めに手を掛けながらそんなことを言った。
とても場違いな発言。それを見てとても渋い顔をするガレオスさん。
妙な胸騒ぎがする。
「何を……?」
把握できない状況。
なのにウーフは、少しも不思議そうにしていない。
分かっていない顔をしているのは僕とガートさん、それとジャンさんだけ。
モミジ組は全員――
「………………許す。さっさと終わらせんぞ」
「アル、これを持ってて」
「え? これってリティの髪留め――っ!?」
月が沈み、太陽が昇った。
静かで密やかな光を放っていた銀色の髪が、輝くような亜麻色へと変わった。
瞳の色も、赤から淡い碧眼へと変わっている。
「一体、何が……」
突然のことに戸惑ってしまう。
何故髪と瞳の色が、どうしてそんなことが。
そう思っていたら――リティの姿が消えた。
「え!? え?? え……?」
消えたと思ったが、それは勘違いだった。
彼女が凄まじい速さで駆けただけだった。
「あ、ああ……ああ……」
あり得ない光景が広がっている。
速いだけじゃない、一瞬の減速もしないキレと鋭さ。
まさに縦横無尽に駆け巡る亜麻色の刃。
「こ、れは……」
「何だぁ? オマエは堕ちたのか? 情けねヤツだ」
ウーフが何かを言っている。
だけど僕は、衝撃的な光景に呆けてしまう。
命のやり取りの鉄火場だと言うのに、僕は魅入ってしまった。
ただただ魅入ってしまい……
「――ぐっ」
奥歯が砕けそうになるほど歯を食い縛る。
心の奥底から沸き上がるモノを必死に抑え込む。
それに支配されてしまわないように、僕は自分を抑え続けた。
黒くてドロドロしたモノを……
そして気が付くと僕は、ノトス行きの馬車に乗り込んでいたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
やっとプロローグが終わります。