63話 マリアベルーア
すいません、おまたせしました。
本当に不幸な報せは、いつも唐突にやって来る。
彼女はそれを二回も知ることになった。
一回目は婚約破棄。
二回目は父親の訃報。
婚約破棄のときは、全く想像だにしていなかった。
三日にあけず会っていたというのに、彼女は一方的に婚約破棄を突きつけられた。
当時のマリアベルーアは頭の中が真っ白になり、何も言えなかった。
だが少し落ち着くと、『ああ、仕方ないか』と悟った。
自分は太った女の子だ。お芝居に登場するような女の子とはほど遠い存在なのだ。一緒に観たお芝居のように、平民が王子様と結ばれるはずがないのだと。
だから仕方ないと受け入れた。
でも心の奥底で――泣いていた。
婚約してくれた王子は、人を容姿で判断する人じゃないと思っていた。
少し暗い目をしているが、誰かを傷つけるような人じゃないと思っていた。
困っている人や弱っている人に手を差し伸べてくれる人だと思っていた。
マリアベルーアは心の底からそう思っていた。
しかし婚約破棄から二日後、マリアベルーアは事の真相を知った。
今回の婚約破棄騒動は、彼女の父が判断を見誤った結果だったのだ。
王太子ではない王子を自分たちの手で王太子へ、と画策していたのだと、彼女の父がそう明かしたのだ。
要は、自分たちにとって都合の良い王様を担ぎ上げようとした。
今回の婚約はそのための足掛かりであり、自分と王子はそれに利用されようとしていただけだと……
普通の娘ならば激怒したことだろう。
しかしマリアベルーアは少々達観したところがあり、父が明かしたことを素直に受け入れた。
婚姻とは契約であり、契約外のことを望んではならない。そういう認識だった。
しかも王子との婚約は、臣籍降下の意味が含まれていた。むしろそれが目的だった。だから王族と平民の婚約が結ばれるという無理が通った。
だと言うのに、王子を王太子にしようなどと画策した。
契約違反をしたのはこちらの方と、マリアベルーアはそう理解した。
それから彼女の生活は一変した。
屋敷で働いていた者の態度が明らかに変わった。そこまで露骨ではないが、明らかに扱いが雑になった。
だがこれは当然ともいえることだった。
王家の反感を買った家だ。次の仕事が見つかったら辞めようと考えている者が増えたのだ。だから仕事が雑になったのだった。
もうマリアベルーアの味方と言える者は、彼女の父親だけだった。
しかしその父の立場も危ういものとなっていた。
様々な許可書を取り上げられ、いままでのように商いができなくなった。
小さい取引ならお目こぼしもあるが、大きな取引だと話は変わってくる。
直接は無理でも、第三者を挟むという方法もあるが、王家の反感を買った家と手を組む者はほぼおらず、完全に八方塞がりとなった。
そんな状況下を打開すべく、彼女の父は南のノトスへと向かった。
ノトス公爵は話の分かる人と言われており、彼はそれに一縷の望みを賭けた。
そして呆気なく散った。
彼女の父は、目指していたノトスの街には辿り着けなかった。
その訃報は、父が不在で心細い思いをしていたマリアベルーアの心を深く抉った。
彼女は唯一の味方を失ってしまった。
身の回りの世話をしてくれる使用人はいるが、自分を見る視線の冷たさには気が付いていた。
だから早く帰ってきて欲しいと願っていたのに、その訃報はあまりにも辛いものだった。
もう泣くしかなかった。
泣いても何も解決しないことを分かっているのに涙がこぼれ続けた。
そんな泣くしかない彼女に、訃報を届けてくれた男が言った。
雇って欲しいと。
その言葉を聞いたマリアベルーアは、自然と頷いていた。
自分で雇った者なら、もしかしたら味方になってくれるかもしれないと。
そんな風に何にでも縋りたい心境だった。
状況はわずかに改善された。
使用人の冷たい目は変わらないが、一人だけ違う者ができたのだ。
自分のことを大切に思っている、そんな目だった。
それから少し経った頃、彼女は痩せ始めた。
元は食が細かった彼女。だが父の意向で無理矢理食べていた。
その父が亡くなったことと、父が亡くなった悲しみから食べ物があまり喉を通らなくなっていた。
だから彼女はどんどん痩せていった。
そして痩せていくと同時に、雇った使用人からの褒める言葉の回数が増えた。
ただただ容姿を褒める使用人。初めはどうしても戸惑っていた。明らかに嘘を言ってるのが分かったから。
子供でも容易に見抜けるほどの浅さだった。
しかしマリアベルーアはそれを、自分のことを励ましてくれているからと解釈した。
だから申し訳なさからいつも困ってしまってた。
しかし痩せ始めると、それが本気へ変わっていた。
しかも欲望まみれの言葉と視線。いつからか視線は胸元へと注がれることが増え、どうしても身構えてしまった。
婚約していた王子とは違う。
とても雄の部分を感じさせる、マリアベルーアはそう感じていた。
だけど味方は彼だけだった。だから彼女は、ヘイルが裏で行っていることを見ないことにした。
他の使用人に強く当たっていることや、支払いを大きく見積もって中抜きしていることを。
そう、彼女はヘイルを見逃していた。
どん底だった自分をわずかでも救ってくれた彼のことを……
そんな彼がある話を持ってきた。
亡くなった父の知人が、仕事を手伝って欲しいという話を。
不可解な条件が含まれているが、彼女はヘイルに従うことにした。
たぶんだが、何かしらの仕込みがあり、金だけ取られるといったことになるのだろうと彼女は予想した。
小金を得るのではなく、少し纏まったお金が欲しいからこのよう茶番を仕組んだのだろうと。
言ってくれればお金ぐらい渡すのに、そう思いながらマリアベルーアはその茶番に乗ることにした。
しかし結果は違った。
事はとても大きな事件となった。
雇った辻馬車の御者が死んでしまうことになった。
彼女は本気で怯えた。
まさか彼が、と思っていると、これまた信じられないことが起きた。
もう会うことはないと思っていた人物が助けに来たのだから。
その人物は前よりも明るくなっているように見えた。
暗く淀んでいた瞳ではなかった。強い意思を見せていた。
懐かしさから彼と話したいと彼女は思った。
自分と彼は被害者であり、親や貴族たちに振り回された仲間だ。
だから何か言葉を交わしたいと……。
だがそれは叶わなかった。
すぐに駆けつけてきたヘイルによって連れて行かれてしまったから。
その後彼女は、どうしても話してみたいと思い彼のもとを訪ねた。
しかしそこには、助けてもらったときに居合わせた狼人の子がいた。
昨日の二人の様子から、そうかもしれないとは思っていたが、どこかで落胆する自分に彼女は気が付いた。
追い返される形で屋敷へと戻ったマリアベルーア。
しかししばらくすると彼が訪ねて来た。
彼女は心を落ち着けつつ、彼と会話を交わした。
誤解されているところもあったが、久々の会話に心を弾ませた。
それを仄暗い気持ちで見てる者が居ると知らずに……
そしてそれから――
「マリアベルーア様、少々よろしいでしょうか」
「はい、何かありましたかヘイル」
「ええ、ちょっとお願いが……ありまして。会っていただきたい方が」
「……このような時間にですか?」
マリアベルーアはヘイルを訝しんだ。
もう日は落ちる時間だ。そんな時間に訪問など普通はない。
何か火急のようがあるならともかく、彼の口ぶりからはそうではないと彼女は察したから。
何か良くないことが起きようとしている。
女の勘、商人としての勘ともいえる何かが彼女に警鐘を鳴らした。
そんな身構えるマリアベルーアの元に、ノックもなく部屋へ二人の男がやってきた。
男の視線に肩をわずかに震わせるマリアベルーア。
警戒していることを悟られるのは良くないと、身体を抱き抱えたくなる衝動を必死に我慢する。
「へえ、近くで見るとやっぱいいな」
「……」
これは訪問客ではないと彼女は察した。
ねっとりとした視線が胸元へと向けられている。
少しも取り繕おうとしないその不躾な視線に、彼女はとうとう我慢できず腕を組んでしまう。
彼女は分かっていなかった。
その男にとってそのような仕草は、完全に逆効果だと。
「――女、何だその態度は」
「ミルン様っ」
「いやっ」
ミルンはズカズカと歩み寄り、マリアベルーアの腕を強く握った。
そしてそのまま強引に持ち上げる。いままで対峙したことのない害意に彼女は眉をひそめる。
そんな彼女の顔を、面白くなさそうに見ながらミルンが言った。
「ふん、コイツが、ウチの領地を小さくさせた元凶か」
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あと、誤字脱字なども……