56話 アル散歩っ
身体が痛くて目を覚ますと、僕は堅い床の上で寝ていた。
凝り固まった身体を解しながら見回すと、そこは自分の部屋ではなかった。
見覚えないの薄暗い部屋。
一瞬『ここは何処?』と思ったが、近くから聞こえてきた寝息で思い出す。
門が閉まって昨日帰ることができず、僕はリティと一緒に【獣の尻尾】という名の宿屋に泊まることになったのだ。
そして色々とあり、リティはベッドで僕は床で寝ることに……
「――そうだった。それで僕は……」
リティは昨晩のお酒が残っているのか、まだ起きる気配はなかった。
スヤスヤと気持ち良さそうに寝息を零している。
ただ、彼女は寝相が悪いのか、右足が布団から突き出すように出ていた。
「……ちょっと目のやり場に困るな」
白くて艶めかしい脚を晒している。
僕はそれを目にしないようにして、そっと布団の中へと戻してやる。
「まったく」
彼女は心配になるぐらい無防備だ。
前もそうだったが、二人っきりで居ても全く気にした素振りがない。
こちらの身にもなってもらいたいものだ。
僕はこのまま部屋に居るのは気まずいので、鍵を掛けて宿の外へと出た。
宿の人にまだ寝かしてやって欲しいと伝え、一応延長の料金を支払っておく。
取りあえずこれで心配はないだろう。
「うん、折角だし辺りを回ってみるか」
昨日は連れ回されていたので気が付かなかったが、僕はこの街を歩いて回ったことがほとんどなかった。
王子だった頃は外へ出られず、出たとしても馬車での移動がほとんど。
僕は自分の足で街を歩いたことがほぼなかったのだ。
丁度良い機会だと思い、僕は大通りから逸れた脇の道へと入る。
馬車が通るにはギリギリな道を通り、勝手気ままな散策を開始する。
もう日が昇っている時間なので、道には多くの人が行き交っていた。
「7時か」
太陽を見ると、時間は丁度7時だった。
もう城壁の門は開いている頃、リティが起きたらすぐにルリガミンの町へと帰らねばならない。
ガレオスさんは苦笑いで許してくれるかもしれないが、ウーフの方はきっと面倒だろう。いや、間違いなく面倒になる。
ちゃんと訳を話さないといけないだろう。
「……ベルーは、大丈夫かな」
あのときベルーは、駆けつけて来た男によってほぼ強引に連れて行かれた。
詰め所で聞いた話では、ベルーは商売の契約を取り付けるために、ルリガミンの町へと向かっていたとのことだ。
取引相手からの要望で、一人来られる気概を見せろいうものだった。
だから馬車の中にはベルー一人だけだった。
普通ならば誰か共の者を付けるはずだ。それこそ助けに来た使用人などを。
しかし今回は違ったから起きてしまった事故だった。
「……そう言えば」
ふと、駆けつけて来た使用人の男のことを思い出す。
必死な形相でやっては来たが、あの形相は貼り付けた感じだった気がする。
心配で駆けつけたようにも見えたが、どちらかと言うと別の必死さが見えた気がする。
それに彼の声には偽りを感じた。
何を偽っているのかまでは分からないが、何かを偽っていた。
それに……
「いや、僕の出る幕じゃないな」
僕は婚約破棄を突きつけた非道の男だ。
そんな男が心配で何かをして良いものではない。
少なくとも、ベルーは僕のことを視界に入れたいとは思わないし、きっと声も聞きたくないだろう。僕はそういう存在のはずだ。
「うん、僕は係わっちゃ駄目な男だ。僕はベルーに……え?」
思いに耽っていると、少し離れた場所から怒声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だ。ただ覚えがあると言っても、誰と分かるものではなくて、その声の質に覚えがあったのだ。
聞こえて来た怒声には、驕り増長した者特有のモノがあった。
城に居た高官や貴族たち、そういった者が発する声だ。
声音に他人を見下すものが含まれている。嫌なことを思い出させる声だ。
「あれか……」
声がした方を見ると、身なりの良い男と、その男の従者らしき者が居た。
二人は声を荒らげて、子供たちを庇う女性に怒声を浴びせ続けている。
「貴様らはっ、貴族の息子であるオレの前を無断で横切ろうとしたのだぞ! 分かっているのか、この平民がっ!」
女性に庇われている子供たちが怯えて泣き出している。
無理もないことだ。まだ幼い子供が相手だというのに、男は容赦なく怒声を浴びせている。
「マズいっ」
泣き声に腹を立てたのか、怒声を浴びせていた男がこぶしを振り上げた。
とても間に合いそうにないが、僕は駆け出そうとした。――そのとき。
「てめえ、何をするつもりだ」
「ぐっ! 貴様、邪魔をするか!」
「邪魔だぁ? ふざけんな」
いつの間にやって来たのか、一人の男、耳の形から見るに狼人の男が、振り上げたこぶしを掴み上げていた。
従者らしき男が即座に間に割って入る。
「ミルンさま、お下がりください」
「あ、ああ」
あまりよろしくない流れ。
身なりの良い男は貴族の息子だ。きっと権力を振りかざしてくる。
それをただの平民が防ぐのはとても厳しい。
従者らしき男が、主の意を汲んで剣の柄に手を伸ばしている。
あの男は街中だというのに剣を抜くつもりだ。
「止めないと。――待つんだ! こんな往来で剣を抜くつもりか!」
「ああん? なんだテメエは」
「僕の名前はアルド、冒険者アルドだ。貴方の行いを見ていたが、そんな横暴な立ち振る舞いは許されるものではない」
僕の方を振り向いた男は、僕の職業を聞いて見下すように目元を歪めた。
「はっ、冒険者風情の指図なんて受けるかよ。いいか? オレたち貴族には愚かな平民を斬り捨てる義務があるんだよ。刃向かう平民など害以外の何モノでもないからな。こんなガキなどっ」
「やめろ!!」
子供を蹴りつけようとした男。
それを狼人の青年が咄嗟に庇い、背中でそれで防いだ。
「ぐっ」
「ロウっ!」
「邪魔をしやがってっ!」
男はもう一度蹴りを加えた。
女性が悲鳴をあげ、その悲鳴を聞いてさらに泣き出す子供たち。
「なんてことをっ」
「うるせっ! こっちは昨日の予定が狂ってムシャクシャしてんだよ! 泣くなクソガキが! ぶち殺すぞ」
全員とは言わないが、こういった横暴な貴族は多くいる。
貴族としての誇りはなく、他者を虐げることに躊躇いのない貴族が。
そしてそんな者が居るから僕は……
( くそ、こうなったら…… )
もうこの場を丸く収める方法はない。
諭してそれを聞くような相手ではなさそうだし、僕が何を言っても無駄だろう。
力で何とか出来ないこともないが、それでは解決にはならない。
こういったヤツらは逆恨みをしてくる。
仮にこの場を力で解決したとしても、後で子供たちに害を成すだろう。
この男はそういう眼をしている。
アルトと言う名を名乗るしかない。
腐り切っても王子だったのだ。冒険者よりかはマシなはず。
「貴方たちっ、そこで何をしているのです」
芯の通った声が響いた。
僕たちは一斉に声がした方へと目を向ける。
するとそこには、一人の狼人の女性が立っていた。
僕はその女性の顔を見て固まってしまう。
「お兄さん、一体何があったのです? 子供たちが皆泣いて……」
「ふん、この男が突っ掛かって来たんだよ。そんでオレは子供とリーシャを守っただけだ」
「おい、何だ女? 狼人風情が偉そうに、お前達は奴隷以下の存在だったてのに調子に乗りおって。最近は少し違うみたいだが、ウチの領地では別だ」
「何を言って……」
僕は二つのことを残念だと思った。
まず一つ目は、狼人への差別発言。
そんな風習は遥か昔のこと。そんな発言が出るということは、それだけ情報が届いていない地方の領地ということだ。
そして二つ目が、割って入ってきた女性の狼人のことを知らないということ。
僕でも何度か見たことがある人だ。
大事な式典にはいつも出席しているし、彼女を巡って争いが起きたことがある。
そしてその争いは、いまも水面下で続いていると聞いている。
「貴方はBクラスのミルンですね。確かピルカ領の嫡男」
「むっ、何故オレの名前を知っている?それに領地まで把握して」
領地を言われて訝しむミルン。
僕の記憶が正しければ、ピルカ領はメークイン領の北東の方にある領地だ。
爵位は男爵で、予想通り地方の領地だ。
「もちろん知っていますよ。貴方は私の授業に出ていないようですが」
「ま、まさか学園の教師!?」
「ミルン様っ、この方は――」
慌てる主を見かねた従者が、スっとミルンに耳打ちをした。
従者から彼女の素性を教えてもらったからか、ミルンの顔色がみるみる変わっていく。 怒りで赤く染まっていた顔が、いまは真っ青になった。
「ま、まさか貴方は、あの有名な【乙女達の愛娘】!?」
「ええ、そう呼ばれることがありますね。ですが私の名前は、モモです」
【乙女達の愛娘】であるモモさんが、そう言ってニッコリと笑ったのだった。
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あと、誤字脱字も……




