26話 シー
ハルイシ伯爵家令嬢シオン。愛称はシー。
彼女は僕の一人目の婚約者であり、初めて婚約破棄をした相手でもあった。
出会った当時はまだ幼く、お互いにたどたどしい挨拶を交わした記憶がある。
彼女はわずかに紫がかった赤い髪と、少し勝ち気な目をした女の子だった。
何というか、僕とは対照的な子、それが彼女に抱いた第一印象だった。
僕らは中央の城でよく一緒に遊んでいた。
同い年ということもあり、打ち解けるのは早かった気がする。
彼女はいつも笑顔で、陰気な顔をしていた僕の腕を引っ張って城内の庭を駆け回っていた。
僕のことをアルと呼び、彼女は自分のことはシーと呼ぶように言っていた。
いま思うと、あのときはいつも引っ張ってもらっていた。
まるで僕を導くかのように……
そしてそれは、そう指示されていたのだと後になって知った。
彼女の父親ハルイシ伯爵は黒だった。
そして彼は、曾祖父が放った生き餌に食い付いた最初の貴族となった。
彼は娘のシーに指示を出して、彼女を通して僕を操ろうとしていた。
要は、僕のことを傀儡の王にしようと企んでいたのだ。
どうやらハルイシ伯爵家の家計は火の車だったらしい。
期待していた十三代目の勇者には領地を去られ、それを当てにした投資は失敗。
しかもエウロス領の長、エウロス公爵家の騒動にも巻き込まれ、様々なことが上手く行かず非常に厳しい状態へと陥っていたそうだ。
だがそれらは、地道にやれば返せないことはない金額だった。
しかしハルイシ伯爵は、一発逆転の一手に飛びついてしまった。
そんな愚か者はさっさと退場した方が良いと、曾祖父は南の風を使って内情を調べ上げ、言い逃れのできないある証拠を掴んだ。
その掴んだ証拠とは、僕を傀儡の王にしたあと、王の権限によって女神の勇者様を東へと戻すという、そんな無茶でずさんな計画書だった。
エウロスには少々片寄った信仰のようなものがある。
それは、胸元が豊かな女性を尊び是とする考えだ。
召喚された歴代の勇者が遺した思想であり、数々の勇者様がそれを支持した。
例を上げるならば、今代の勇者の一人、鉄壁の勇者コヤマ様がそれだ。
コヤマ様は胸元が豊かな女性を非常に好み、『巨乳以外は価値なし』の発言は各方面に物議を醸した。
一時、そういうことを生業にしている場所では、その発言がとても影響して、エルフ族が非常に困窮したらしい。
これには狙撃の勇者と呼ばれている勇者ミクモ様が大きく反論。
すったもんだと色々あり、最終的には勇者コヤマ様が土下座謝罪へと追い込まれることになった。
当然、他の者もミクモ様の反論に従う形となった。
しかしこのとき、エウロス領はコヤマ様の発言を強く支持した。
エウロス領には『貧乳に人権は無し』という格言があり、それと同じ内容だから強く支持したようだ。
エウロスはそれだけ極端なところがあり、その格言がまかり通っている領地。
だからエウロス領は、女神の勇者コトノハ様に非常に執着していた。
勇者コトノハ様は胸元がとても豊かなお方で、このイセカイに残ってくれている勇者様の中では一番豊かだと言われている。
過去にはエウロス公爵が、コトノハ様を求めて大騒動を起こしたことがある。
あと一歩でエウロス公爵家が滅亡する、そんな事態まで発展したのだとか。
それぐらいエウロス領はコトノハ様を欲していた。
なのでエウロス領のハルイシ伯爵は、女神の勇者コトノハ様を東へと引っ張る計画を立てていた。
もしこれが上手く行けば、ハルイシ伯爵の地位はぐっと高くなっていただろう。
しかしその計画書には、非常によろしくない、人の耳に入れるには憚られるような内容が記されており、曾祖父はそれを突き上げた。
結果、賛同はせずも様子を見守っていた者は全員退き。
ハルイシ伯爵家だけが孤立して断罪された。
最終的には領地の一部を没収、爵位は降格されて男爵へと降爵。
まさに、勇者に執着して身を滅ぼす貴族の見本となってしまった。
その後、ハルイシ伯爵の身内が曾祖父をシーザンで暗殺。
それに激怒したオラトリオによってハルイシ男爵はさらに追い込まれ、狭くなった領地をさらに狭くされた。
どんな方法で取り上げたのかは知らないが、オラトリオのことだから、裏から手を回す形で領地を取り上げたのだろう。
その騒動から僕はシーに会っていなかった。
そんなシーが、いま僕の目の前に居た。
二つ名持ちの冒険者として……
「……ガレオスさん。彼女と、二人だけで話をさせてもらえないでしょうか?」
現在個室には、僕とシーとガレオスさんの三人だけが居た。
僕は自分の保身のため、シーと二人っきりさせて欲しいと言った。
シーとの会話を聞かれれば、僕がアルト王子であることがバレてしまう。
絶対にバレてはならないということではないが、できることならまだ知られたくなかった。
「んん、そうしてやりてえのは山々だが、そうなるとリティが突入して来んぞ? いまだってオレがいるから我慢してるみてえだけどよ」
「そう、ですよね……」
僕は先ほどシーに殺されかけた。
そんな相手と二人っきりは確かに危険だし、他の理由もあるので駄目だろう。
ガレオスさんが言うように、絶対にリティは許さない。
「はあ~、分かったよ」
「え?」
「部屋の端にいるから、それで妥協しろ」
「ありがとうございます、ガレオスさん。シっ、シオンさん、こっちの方に」
一瞬、ギロリと睨まれた。
僕はもう、彼女のことをシーと呼ぶことは許されないのだろう。
( ……当たり前か )
僕はそれだけのことをしてしまった。
ハルイシ伯爵に罪はあったが、彼女には、シーには何の罪もなかった。
シーはハルイシ伯爵に利用されていただけで、ハルイシ伯爵の計画を知っていた訳でもなく、ただ父親に従っていただけなのだ。
僕はそんな彼女を地獄へと叩き落としてしまった。
「シオンさん、本当に……申し訳ないことをしました……」
僕はただ謝罪した。
それ以外言う言葉が見つからなかった。
謝罪の言葉を口にしている途中で、僕は死ななくてはならない人間なのだと再認識する。
いまはまだ生きると決めたが、近いうちに死ななくてならないと、心の底からそう思った。
僕はハルイシ伯爵を釣るために、何の罪もないシーと婚約して……
「……ねえ、アンタは何に対して謝ってんの?」
「ごめんなさい」
何に対して謝っているのかと問うてくるシー。
しかし僕は、何に対して謝罪しているのか、それを明確にする訳にはいかなかった。
あれは必要なことであり、あの行いを間違っていたとは思っていない。
だから明確にして謝罪することは、曾祖父の顔に泥を塗る行為だ。
いま僕が謝っているのは、個人の感情からの謝罪なのだ。
それ以上でもそれ以下でもない、そんなズルい謝罪だ。
「……ふん」
つまらなそうな顔をして横を向くシー。
彼女も本当は解っているのだろう、何に対してなのか明確にできないことを。
シーは嬲るような圧を放ち、僕に続きを促した。
しかし僕には、もう言える言葉は無かった。
「……ねえ、アンタの謝罪なんてワタシにはこれっぽちも意味がないの」
「うん」
「分かる? アンタのそんな謝罪なんてワタシにとって銅貨一枚の価値もないの。アンタみたいなクズ野郎の謝罪なんて……これっぽっちも」
「……うん、ごめん」
「もう目障りだからさっさと失せてくれる」
「~~~~~。分かった、ごめんね、シオンさん」
「さっさとどこか行って」
シーにとって僕は、その辺の石ころよりも価値がない存在。
彼女の冷め切った瞳からそれが感じられた。
さっきは名前を呼ばれて激怒したが、いまはもう何の興味もない、きっとそんな感じだ。
「ガレオスさん、わざわざ個室を用意していただいて、ありがとうございました」
「ん? もういいのか?」
「……はい」
こうして僕とシーの再会は幕を閉じた。
初めて会ったときとは真逆な、そんな再会だった。
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