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竜とわたしの従者  作者: 朔真サク
第1章
9/20

1-9 谷底で血まみれになって溶け合って



 ミーナは広い森の中をひたすらに駆けていた。


 後ろからは細身の男が剣をふるい、周囲の枝をなりふり構わず斬りながら追いかけてくる。

 まさかこんな鬼ごっこを一日で二度も経験する羽目になるとは思わなかった。初日の巨大鳥との追いかけっこといい、いきなりハードモードにするのやめてくれ神様、とミーナは切に思う。


 初日と同様、1リットル相当の卵を抱えているせいで余計に体力を持って行かれる。足がもつれ、息が切れるが、卵を手放すことはやはりどうしてもできなかった。

 しかしそろそろ体力が限界にきている。この異世界に来てからというもの、火事場の馬鹿力なのか何なのか、もとの世界で感じていた自分の体力をはるかに超える長い時間を何度も全力疾走している。なんの能力もない可哀想な【客人】にちょっとしたお恵みを与えてくれたのかと思っていたが、さすがにこの状況はきつい。どうせ恵むならチート能力をくれたらよかったのに。


 と、どうでもいいことを考えていないと足を動かせない程度には体力が無くなってきた。恐ろしくて後ろを振り返ることができない。今、どれほどの距離まで剣の切っ先が近づいているのか、確認する余裕すらない。

 ミーナは視界にひと際大きな樹木をとらえた。幹は太く、大人の男性が二人くらい並べそうな太さだ。力を振り絞って走る速度を上げると、ミーナは樹木を回り込んで走ってきた道を引き返した。先ほどまで真後ろで聞こえていた枝を切り刻む音が止む。ちらりと後ろを振り返ると、細身の男がものすごい形相で走って追ってきていた。


「ひっ……!」


 死人のような顔色の男が一心不乱に追いかけてくる様は、まるでゾンビだ。ミーナは「いやあああああ!」と叫びながら足を動かした。








 遠くで、少女の悲鳴が聞こえる。


 ローザは次々飛んでくる弓矢を走り避けながら、ハッと声がした方を見た。

 今のはミーナの声だ。もし捕まってしまったのなら、最悪の事態が起こる前に早く向かわなくてはならない。緑竜には申し訳ないが、彼女が時間稼ぎに卵を差し出してくれていたらいいのだが。


 ローザはぐっと左足に力を入れると、高く飛び上がった。こちらに弓を構えている男の方へ剣を振り上げる。弓矢が飛んでくるが構わない。矢に毒がないのは最初に確認済みだ。腕に矢がかすめ血が噴き出すが、痛みなど感じている暇はない。

 男に剣が届く寸前、大男がまた足を振り下ろした。弓の男の足元が崩れる。そのせいで狙いが外れ、ローザの剣は割れた地面を叩いた。しかしすぐ近くでバランスを崩した男の姿を見逃さなかった。


 ローザがそのままの態勢ですぐさま男の腕を蹴り上げる。男の手から弓が落ち、それを剣で真っ二つに斬った。これで飛び道具は使えないはずだ。

 武器を奪われ怯んだ男に剣を突き立てようとするが、それを間近まで迫っていた大男の太い腕が邪魔をする。ローザの二倍はありそうな巨漢の手が勢いよく振り上げられる。これに当たれば吹っ飛ばされると判断したローザは後ろに飛んで避けた。

 しかしその隙に、弓を失った男がミーナが走っていった方へと駆け出した。まずい。


 大男の足が再度振り上げられる。また地面が割れる前にローザは勢いよく踏み込み駆け出すと、振り下ろされる寸前の男の太ももに剣を突き立てた。男が痛みに絶叫し、地面が崩れる。しかしローザはあえて避けず、そのまま剣を動かして男の太ももを深く斬った。血飛沫が飛び、ローザの腕を汚す。大男が痛みに喘ぎながら腕を振り、大きな手のひらでローザの身体を横に飛ばした。


「……っ!」


 木の幹に強く身体を打ち付け、ローザが顔をしかめる。弛緩しそうになる身体に鞭打ち、すぐに立ち上がった。時間がない。早くミーナのもとへ向かわなくてはならない。


 足に痛みにのたうち回る巨漢を横目に、ローザは悲鳴が聞こえた方へと走った。







 逃げて行きついた先は――崖だった。


 どうやらこの森は山間部にあったらしい。遠くに美しい山々が見え、下の方にはまた森が広がっているように見える。崖下を見下ろす勇気など到底ないが、おそらく深い谷かなにかがあるのだろう。

 崖だと悟った瞬間、ミーナは絶望して足を止めた。振り返ると、細身の男と途中で合流してきたリーダー格らしき男が笑みを浮かべながら近づいてくる。ミーナはそれに合わせ、一歩、また一歩と後退するが、このまま下がり続ければ崖から真っ逆さまである。



「早く渡したァ方がいいぜ? その卵。オレたちも女の子を殺すのは気が引けるからなァ」



 下品な笑いを浮かべる男を前に、ミーナは動揺していた。

 弓を持っていたはずのこの男がミーナを追いかけてきたということは、ローザは……。考えたくない想像が頭をよぎる。

 ……いや、ローザは強い。『何があっても守る』と言ってくれたのだ。彼が負けるわけがない。

 ミーナがリュックサックを抱きしめて睨みつけると、男はまたチッと舌打ちをした。そしてミーナの肩を乱暴に蹴る。痛みによろけて倒れると、そのままリュックサックを無理やり奪われた。


「か、返して!」

「へっ、これがあの【特竜】の卵かァ」


 男は細身の男から剣を受け取ると、リュックサックを斬り裂いて卵を取り出した。男は恍惚とした顔で卵を見つめる。


「返してよ!」

「おっと」


 ミーナが必死に手を伸ばすと、男がひょいとかわして彼女の腹を思い切り蹴り上げた。


「っ……!」

「大人しくしとけって」


 倒れ、声にならない痛みで唇を噛む。痛い。痛い。痛い! 苦しむミーナの顔に剣が突きつけられ、鼻の先に迫った切っ先にひゅっと息を飲んだ。これは本物の剣。本物の……いとも簡単に自分の命を散らす、刃物。


 痛い。怖い。痛い。痛い痛い痛い。死ぬのは怖くない、両親と祖母が待っているから。でも痛いのは別だ。死ぬのは一瞬だが、痛みは慣れることがなく苦しみを伴う。

 ミーナの精神の強い部分、理性はまだ負けたくないと訴えていたが、これまでの人生で感じたことのない恐怖と痛みに耐えかねた本能が叫んだ。

 なんでこんな目に遭わなきゃいけないの。痛い。怖い。苦しい。帰りたい。もとの世界に帰りたい。こんなのもう嫌だ。帰りたい、帰りたい!


 知らず溢れ出る涙が、瞳に膜を張る。歪む視界の中で視線をあげたミーナが見たのは、卵を持つ男たちと、その背後で跳躍し、剣を振り上げる――獣のすがただった。



「―――ガハッ!」



 血を噴いた二人の男が倒れ込んでくる。

 瞬きをして涙が頬を伝いクリアになった視界で、ミーナは獣のような瞳の黒曜石を見た。いや、あれは獣ではない。金色が混じったあれは……竜の目だ。

 その目がミーナをとらえると、やさしく細められた。

 男たちが倒れたはずみで、手からこぼれた卵が崖の方へ転がっていく。跳躍したローザが崖の手前で卵を拾った。

 身体を起こし、立ちあがったミーナと目が合う。返り血を浴びて真っ赤に染まったローザは、それでも美しかった。彼が何か言おうと口を開いた、そのときだった。



「アアアアアーーー!!」



 ミーナのずっと後ろから、咆哮が聞こえた。

 振り返ると、木々と草陰の間に潜む大男の姿があった。血走った目の男はもう一度叫び声をあげると、血まみれの片足をぐっと踏ん張った。そのせいで深い傷口からごぽりと血が噴き出す。そしてもう片方の足を振り上げ――下ろした。


 ――バキバキバキ。

 男の場所から地面に亀裂が走り、それはミーナがいる場所を越え、ローザがいる場所の手前で轟音と共に割れた。ミーナが足を踏み出したのは、その瞬間だった。


 割れた場所からヒビが入り、ローザの周り一帯の地面が崩れ落ちる。跳躍し逃れようとしていたローザの足が空を切り、そして―――。





「――はあっ、はあっ……」



 崖から落ちる寸前で、息を切らしたミーナの手がローザの手首を掴んだ。バクバクと心臓が脈を打つ。

 ローザの身体が投げ出された真下には、案の定、くらくらするほどの高さの谷底があった。いくら人間離れしたローザでも、この高さから落ちれば複雑骨折どころでは済まされない。


「……っ、ミーナさ……」

「いいですか、せーので引っ張りますよ」

「む、無茶です! 貴女の力では引き上げられません!」

「無茶とか言ってる場合ですか!?」


 今も赤い顔をして踏ん張っているミーナには、到底ローザは引き上げられない。そんなことはミーナもわかっているが、片手が卵で塞がっているローザでは自力で上がることができないのだ。どうにかしてミーナが引き上げなくてはならない。

 しかしミーナの背後でまたあの咆哮が聞こえ、二人は凍り付いた。ザリ……ザリ……と、かなり遅い速度だが砂を踏みしめる音が聞こえてくる。


 急がなければ。焦る頭で引き上げる方法を考えようとするが、考えが上手くまとまらない。背中を冷や汗が伝い、頭がどんどん冷えてくる。早く、早くしないと……。



「手を、離してください」



 そんな声が聞こえ、ミーナは信じられない気持ちで目の前の男を見た。ミーナとは対称的に、彼の表情は落ち着き払っている。



「な、何言ってるんですか……?」

「あの男の片足を負傷させました。おそらく今のでさらに負担がかかり、もう使い物にならないはずです。今ならミーナさんでも逃げ切れます」

「ローザさ……」

「卵を投げるので、受け取ったら走ってください。村へ逃げて助けを呼ぶんです」

「ローザさん!!」



 あまりにもあんまりな提案に、ミーナは声を荒らげた。しかしローザの表情は変わらず、むしろ言うことを聞かないミーナに苛立っているようにさえ見える。



「お願いしますから……手を、離してください」

「嫌です」

「他に方法がないでしょう」

「なくても、離しません!」

「……っ、このまま二人で死ぬ気ですか!?」

「わたしだけ逃げるくらいならその方がマシです!」



 砂利を踏みしめる男の音が、近づいてくる。

 それでもミーナは手を離さない。絶対に。


 ――もう、二度と。





「わたしはわたしの大事なひとを、ぜったい先に死なせないって決めてるんです!」




 

 ミーナは涙をこぼして叫んだ。

 大事なひとを捨てて生きる人生なんて、死んでいるのと同義だ。生きる意味がない。価値がない。

 この手を離して、こんな異世界でなんか生きていけるもんか。そんな人生を送るくらいなら、この世で唯一信じられるこの人と手を繋いだまま死んでしまいたい。谷底で血まみれになって溶け合って、この黒曜石を見つめながら意識を手放したい。


 ……自分は、もう二度と。絶対に。

 大事なひとの手を、離さないのだ。



 頭上に降ってくる大粒の涙を、ローザは黒曜石の瞳をいっぱいに開いて見つめた。まるで溢れ出た情をこぼすような少女の涙を、受け止めるように見つめ続ける。

 そしてやわらかく微笑み、「やっぱり、貴女なんですね」とつぶやいた。



「え……?」

「ミーナ様。時間がありません、今から私が言うことを何も聞かず繰り返してください」

「え?」

「『天に(ましま)す神よ、竜王よ』」

「え? え?」

「早く」

「てっ、てんにまします神よ、竜王よ……?」



 戸惑うミーナが声を出した瞬間、ふたりをつなぐ両の手の甲に光が浮かび上がった。驚くミーナに構わず、竜の目をしたローザは続ける。



「『御世の理に則り』」

「みよのことわりにのっとり」

「『【客人】ミーナの名のもと』」

「【客人】ミーナの名のもと」

「『黒竜(こくりゅう)ローザと【竜の契約】を結ぶ』」

「こくりゅうローザと【竜の契約】を結ぶ……えっ?」



 瞬間、カッと辺りを光が包んだ。路地で緑竜の卵を見つけたときと同じ、薄橙色の光。眩しさに目を細めるミーナの視界に、黒い翼が見えた。

 ハッとして目を見開く。まるで花開くように、ローザの背から大きな竜の翼が広がった。その光景はあまりにも現実離れしていて、幻想的で、綺麗で――こんなときでさえ、ミーナは呼吸も忘れて彼の姿に見惚れた。


 ローザはミーナの後ろに目をやると、安心させるような笑みで言った。



「飛びますよ」

「え?」



 ぐい、と繋がっている手が引かれ、ミーナの身体が崖から落ちる。息を飲むのと同時に、ローザの手に受け止められた。ふたりはそのまま崖へ落ちる……ことはなく、ローザはミーナを抱いたまま翼で飛び、先ほどミーナがいた場所までいつのまにか迫っていた大男を見下ろした。



「……え? え?」

「詳しいことは帰ってお話ししますので、少し待っていてください」



 わけがわからないまま空の上にいるミーナにそう言うと、ローザは静かに地面に着地してミーナを下ろした。彼女に卵を渡し、同時にフッと翼が消える。

 それからローザはこれまで通りの人間離れした身体能力で駆け出すと、大男が腕を振り回す前にもう片方の足に剣を突き立てる。

 噴き出す血飛沫を目にして、ミーナは思わず顔を背けた。先ほど男たちが血を噴いて倒れたときは涙で視界がにじんでいたから幾分か平気だったが、普通に見るとかなりショッキングな光景だ。とても直視できるものではない。おそらく既に事切れているであろう男たちの死体も出来れば見たくない。



 大男の絶叫を聞きながら目をそらしていると、やがてローザが「終わりましたよ」と言ってミーナの目の前まで来た。

 ミーナが嫌な光景を見なくていいよう配慮してくれているのか、おかげで視界にはローザの血まみれの赤黒い服しか入らない。

 そっと顔をあげて、彼を見上げた。黒曜石は普段通りの穏やかな漆黒色だ。目が合うと、ふわりと優しく微笑まれた。


 ……色々とわけがわからないけれど、とりあえず。




「……生きて下さって、ありがとうございます。ローザさん」




 言うと、ローザは驚いた表情をした。そして泣きそうな顔をして目を細め、ミーナを抱き上げると再び竜の翼を広げる。




「……貴女こそ。手を離さないでくださって、ありがとうございます。ミーナ様」

 



 いつの間にか変わった呼び方で愛おしそうにミーナを呼び、飛び立った。





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