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竜とわたしの従者  作者: 朔真サク
第1章
8/20

1-8 死んでも死にきれない



 ミーナは慎重な足取りで森の中を進んでいた。


 地面に落ちていた尖った石で、通った場所の木に傷をつけていく。

 頭の中では、ウィルのこと、ローザのこと、アンナのこと、魔物のこと――そして、先ほど嗅いだ火薬の匂いのことが、ぐるぐると巡っていた。


 魔除けが壊されていた場所はドロテが言っていた通り、辺り一面炭になった木と焦げた匂いで充満していた。その中に、火薬のあの独特な匂いが混じっていたのだ。

 間違いなく誰かが故意に魔除けを壊したということ。そしてローザの認識がこの世界共通ならば、犯人はあえて魔法を使わず、わざわざ一般には知られていない火薬を使って爆発を起こしたということになる。

 ミーナは、自分が気づいてはいけないことに気付いてしまったのだと理解した。あれが火薬の匂いだとわかるのは、異世界人であるミーナだけだ。村の人はきっとわからないだろう。ざわざわとした胸騒ぎと言い知れぬ恐ろしさがミーナを襲う。


 犯人は魔法を使いたくなかったのだろうか。魔法の知識がないのでわからないが、魔法を使ったら正体がバレるとか。魔力がうんぬんかんぬんで、優柔な魔術師だったら魔力を感じ分けられるとか……。ミーナがこれまでの人生で触れてきたファンタジーの知識を総動員しても、思いつくのはこれくらいだ。

 それにしても、動機が不明だ。何故アーガイル村のそばの森である必要があるのだろう。村を襲わせるため……? アーガイル村に恨みがある人間の仕業だろうか。


 ウィルを探しながら頭を悩ませていたら、ふいに遠くから聞き覚えのあるうなり声が聞こえてきた。心臓が跳ねあがる。森に入ってから既に二度ほど、ミーナが通ってきた方向から同じ声が聞こえてきたが、まだ魔物の姿は見ていない。

 しかし今度の声は、地面を踏みしめる重たい足音と共に、こちらへだんだん近づいてくる。

 ミーナは立ち止まり耳を澄ませ、音がする方向を探した。ローザと初めてアーガイル村へ向かうとき、彼に言われたことを思い出す。


『魔物に出会ったら、動いてはいけません。物音を消し、息を殺し、身を潜めてやり過ごしてください』


 音の方向を判断すると、木の陰に身を隠した。口を手で覆い、浅く息を吐く。樹木一本を隔てたミーナの背後で……ドスン、ドスンと巨大熊が通過していた。すぐそばでその声を聞いた時、生きた心地がしなかった。呼吸が止まる。心臓だけがドクンドクンと脈打つ。


 長い長い時間に思われた数十秒後、熊は静かに去っていった。足音が聞こえなくなったのを確認してから、はーーっと息を吐き出す。木の陰から顔を出して、また歩き始めた。


 ローザと一緒に森を往復したときは出現しなかった巨大熊と、ミーナはすでに四体も遭遇している。もしこの森にウィルが迷い込んでいるなら……考えたくないが、最悪の場合も想定できてしまうだろう。

 ミーナは昨日出会ったばかりの夕日色の少年のことを考えた。ドロテ曰く、彼はミーナのために木の実を採りに行ってくれたという。その先でこんな事態に巻き込まれたのだ。ウィルのことを考えるだけで苦しくなった。早く見つけたい。助けたい。あの優しい橙色を、この目に焼き付けたい。

 ローザたちは魔物を倒し終えただろうか。ミーナのことをアンナに聞いて、あの心優しい紳士は卒倒していないだろうか。

 森に入って15分ほどが経過した頃、今度は遠くでバキバキと木がなぎ倒されていく音が聞こえてきた。異世界に来た初日、巨大肉食鳥に襲われかけたときのことを思い出す。これは間違いなく、魔物がこちらへ勢いよく近づいてきている音だ。


 ミーナはできるだけ魔物の進路から外れようと考えた。しかし、「ミーナ!」と聞き覚えのある声が自分の名前を呼ぶのが聞こえたとき、彼女は足を止めた。



「ウィル!」



 魔物の足音と同じ方向から、夕日色の少年が涙目で駆け寄ってくる。

 ――会えた。会えた。よかった、生きてた! ミーナはたまらずウィルを抱きしめた。



「よかった……! ずっと探してたんだよ」

「ごめんなさっ、おれっ……魔物がいて、怖くて、森の方に走っちゃって」

「うん、うん。わかってる。もう大丈夫だから、早く村に帰ろう」



 ふたりが手を繋いだ、次の瞬間――すぐ近くの木が激しい音とともに倒され、巨大熊が姿を現した。


 ミーナはひゅっと息を飲んだ。熊の目がふたりの姿をとらえ、後ろ足にぐっと力を入れる。それを目にしたミーナはすぐさまウィルの手をぐいっと引っ張り、自分の方へ引き寄せた。   

 そのわずか数秒後、熊が猛烈な勢いでミーナたちの方へ走ってくる。ミーナはウィルをぎゅっと抱きしめ、真横に転がった。さっきまでミーナの頭があった場所を、熊の太い腕と鋭い爪がなぎ払う。

 ミーナはウィルの身体を抱き込んだまま地面を転がり、やがて腰が木の幹にぶつかって止まった。激痛が腰に走り、声にならない悲鳴を口の中で噛み殺す。背負ったリュックサックの中の卵も木にぶつかってしまったが、割れたりしていないだろうか。竜の卵が頑丈であることを願いながら、ミーナは身体を起こした。


「み、ミーナ、大丈夫!?」

「うん、たぶん大丈夫……腰の骨折れたかと思ったけど」


 立てるから問題ないだろう。膝や肘がどこかしら痛むので、おそらく細かい擦り傷や血が出ているところがたくさんある気がするが、この状況でそれを確認している余裕はない。

 心配してくれるウィルの手を握り直し、ミーナは自分たちをじっと見ている熊を真正面から見据えた。完全にロックオンされている。



「……ごめんウィル。わたし、村の方角わからないんだ。助けが来るまで、とにかく逃げるしかない」

「わ、わかったよミーナ……」



 念のため木に傷をつけて歩いてきたが、こうなってしまうと最早意味を成さない。ミーナがいなくなったことを知ったローザが、助けに来てくれることを祈るばかりだ。


 また熊の後ろ足が、力を入れて地面を踏みしめた。相手の手足の動きに目が行くのは柔道の癖だ。この癖がまさかこんな異世界の巨大熊相手に役に立つとは思わなかったが。


「――走るよ!」


 ミーナはウィルの手を握りしめて駆け出した。

 昨日の鬼ごっこの時も思ったが、ウィルは運動神経がいい。クラスの女子ではいちばん足が速いミーナと比べても、走り負けることがないのだ。おかげでミーナはウィルの動きに気を取られず後ろを確認することができる。

 ふたりを追いかける熊の手がまた振りかぶられ、ミーナはとっさにウィルの手を引っ張って真横に飛んだ。近くの木の幹に思い切り背中をぶつけたが、運よく熊の攻撃からは逃れる。

 しかし熊が想像以上に近かった。すぐに身体を起こして逃げようとするが、背中を強く打ったせいで激痛が走り、力が入らない。ウィルを逃がそうとその身体を真横に押し出した瞬間、目の前に迫った熊が、ギラリとした目つきでミーナを見下ろした。


 あまりの恐ろしさに呼吸が止まる。ウィルに早く逃げてと言いたいのに声が出ない。熊の腕がゆっくりと振り上げられる。

 ……ウィルだけでも助からないと、ここへ来た意味がない。死んでも死にきれない。空を噛むばかりでカチカチ鳴る口に全神経を集中させて、ミーナは声を出した。か細い声で、ウィ、と発音する。その声がウィルの耳に届くのと――空高くから、男の大声が響いたのはほぼ同時だった。




「ミーナ様!」




 瞬間、熊の身体が真っ二つに裂けた。

 血しぶきをあげて巨大熊が倒れる。全身に黒をまとったその男は、返り血を浴びるのも構わず熊の身体を切り裂いた。獣のような黒曜石の瞳は、獲物を決して逃がしはしないと大きく見開かれている。


 ミーナもまた、目の前の斬撃を瞬きもせずにその目に映した。返り血を浴びて赤く染まった男の目が、ゆっくりとこちらを向く。ミーナの姿をとらえると、昂った感情を宿した黒曜石は、すうっと落ち着いた色を取り戻した。



「……お怪我は、ありませんか」



 ローザは最初の出会いと同じ言葉でミーナに尋ねた。しかしその声色は、あのときよりずっと暗く、重い。ミーナはそれに気づかないふりをして、力なく笑った。



「……ナイスタイミングです、ローザさん。きっと来て下さるって、信じてました」


 

 ミーナの言葉に、彼は何かを堪えるようにぐっと唇を噛む。その瞳は怒りや不安、色々な感情が混ざった複雑な色をしていた。



「大した怪我はしてないです。足と腕を少し……」



 言いながら、ミーナは自身の足に目を向けた。そして……傷一つない真白の足を目にして、目を見開いた。……え? だって、あんなに痛かったのに。

 腕も確認したが、やはり傷はひとつもない。まさか痛みは気のせいだったのか? しかし、あんなに森の中を走り回って転びまくって、かすり傷ひとつないなんておかしい。いつの間にか腰の痛みも消えていることに気付き、困惑した。



「……怪我は……ありません。奇跡的に……」



 気のせい……だったのか?

 戸惑いながらも、実際に怪我はひとつもしていないので事実をそのまま述べた。すると、横にいたウィルが泣きながらミーナに抱き着いてくる。



「よかった! よかった! ミーナが死ななくてよかった!」

「……ウィルも。よく頑張ったね、生きててよかった」


 見ると、ウィルの腕には細かい擦り傷がたくさんあった。やはりこれが当然だろう。怪我も痛みも綺麗さっぱり無くなっている自分の身体に不信感を抱きながらウィルを抱きしめ返していると、近くから数人の男女の声が聞こえてきた。



「ウィル……!」



 駆け寄ってきたのは、アルマだ。その後ろには、武器を持った男性たちがいる。村周辺の魔物を片付け、ローザと共にウィルを探しに来たのだろう。先にミーナの居場所に気付いたローザが助けに入り、彼らはそれを追いかけてきたといったところか。


「母さん!」

「ああよかった! よかった……! ミーナさんも、本当に……!」


 アルマは泣きながらミーナとウィルを抱きしめた。「ありがとうミーナさん、ありがとう……」と繰り返す。彼女の涙を見て、あのとき勇気を出してよかったと思った。かなり何度か危ない場面はあったが、ミーナは結果的にウィルを助けることができたのだ。



 ウィルはアルマに手を引かれ、村人とともに村へ戻っていく。ミーナもそれについていこうとしたが、ローザがその場を動かないことに気付いて立ち止まった。


「……ローザさんは、戻らないんですか?」

「……私は、もう少し森を見回ります」

「そうですか……。壊された魔除けはもう直ったんですか?」

「ええ。あの場所以外に破壊されているところはないことも確認しました」

「よかった……」


 これでもう心配ないだろう。あとは『爆弾で破壊されていた』という謎が残されているので、村に戻って皆と話さなければならない。……それと目の前の、彼とも。

 ずっと思いつめた表情で下を向いているローザ。彼が見回りから戻ってきたら、きちんと謝って、礼をしなければ。そう思いながら、ミーナは村人たちの方へ歩き出そうとした。



「じゃあ、わたしは先に戻って……」

「……何故こんな無茶をしたんですか?」



 それは、色んな感情を抑え込んでいる声だった。ミーナはハッとして立ち止まり、振り返る。黒曜石の瞳が、見たことのない色をして強くミーナを見つめていた。



「危険なことはしないと仰っていたのに、何故ひとりで森へ入ったんですか。結果的に間に合ったからよかったものの……危うく貴女を死なせるところだった」

「……ローザさんにも、アンナさんにも。すごく心配をかけたことはわかっています。本当にごめんなさい。死んじゃうかもしれないってことも……ちゃんと、わかってました」

「では何故……!」

「ここで行動しなかったら、後悔するかもしれないって思ったんです」

「死んでしまっては、後悔も何もないでしょう!」

「ウィルが助からずに後悔するくらいなら、死んだ方がマシです!」



 飛び出した迷いのない言葉に、ローザは目を見開いて口を閉じた。ミーナはぎゅっと両の拳を握りしめて、黒曜石を見つめ返す。出会ってから初めて強い感情をぶつけ合ったふたりの間に、沈黙が落ちた。


 それを破ったのは、ローザの目の端に不意に映った光。太陽光を反射した――矢じり。



「危ない!」



 ローザはとっさにミーナの背中に手を回し、地面に臥せった。いきなり押し倒されたミーナは混乱しながら間近の美しい男の顔を見ている。彼の目は、近くの草陰に向けられていた。

 その視線の先にいるのは、弓矢を手に持ち下卑た笑いでこちらを見てくる男。その後ろには、青白い顔をした細身の男とまるまる太った大男がいた。



「いや~、そこのアンタを追いかけてたらァでっけえ魔物に遭遇して、大変だァったぜ?」



 中背中肉の男が弓矢を下ろし、草陰から出てくる。ローザはミーナを背後にかばうようにして、男たちを睨みつけた。


「……何者だ」

「ちょいとそこの娘さんに用があァんだよ。背中の袋の中の……おっきな卵によう」


 男の目は、ミーナのリュックサックに向いている。この中に竜の卵が入っていることを知っているらしい。

 ローザは男たちに厳しい視線を向け、「竜狩り……」とつぶやいた。


「最近この辺をうろついてる怪しい奴というのは、お前らだな」

「いやいや。オレたちゃァ竜狩りなんてご立派なもんじゃァねえ。お宝探してこの村に行きついたら、こんな子供が【特竜】の卵なんかァ持っていやがるからぶったまげたぜ?」

「……これはこの方の竜だ。【特竜】の主人は生涯で一人、売り払ったところで意味はない」

「そんなこたァどうでもいいんだよ。まだ【契約】してねえんならァ同じことさ」



 先ほどローザは『竜狩り』と言っていた。竜狩りというのは、竜の卵を奪って売り払う人間のこと……だろうか。確かに【特竜】の卵は希少だし、価値が高いのかもしれない。

 ミーナが卵を持っているのをいつの間に見られていたのだろう。まさか尾けられていたとは思わなかった。


 男たちが一歩近づくと、ローザが鞘から剣を抜いて一歩下がる。ミーナはリックサックを背中から下ろし、守るように両手で抱えた。



――『その竜は生まれてから死ぬまで、ずっと貴女のものです』



 ローザの言葉を思い出し、ミーナは一層強く卵を抱きしめる。

 渡したくない。ローザの言葉が本当なら、この竜の主人は自分だけだ。自分が守らなくてはならないものなのだ。

 

 男はローザとミーナを見て、チッと舌打ちをした。ニヤニヤと笑っていた表情をスッと冷たいものに変え、ふたりを睨みつける。



「……簡単にゃァ渡してくれねえんだな。……おい。やれ」



 男は片手をあげると、人差し指をくいと動かした。すると後ろにいた大男が頬をこれでもかというほど膨らませて息を吸い、短く太い足を振り上げた。



「ウオアアアアアアア!!」



 凄まじい雄たけびとともに振り下ろされた足が、文字通り地面を砕いた。

 大男がいる場所からミーナたちの場所まで亀裂が入り、足元の地面を崩す。岩が砕けるような激しい音と粉塵が舞い上がった。


「……っ!」


間一髪でローザがミーナを抱えて飛び上がり、後方へ着地する。しかしすぐに細身の男が駆け出し、地面に足を下ろしたミーナめがけて剣を振り上げた。すぐにローザがそれに応戦するが、弓矢が飛んでくるのが見えると雑に男に蹴り飛ばし、剣で矢をはじく。



「……っ逃げてくださいミーナさん!」



 苦い顔をしたローザが叫び、ミーナはすぐに頷いた。村の人々が歩いて行った方角へ走り出そうとするが、ミーナの進路に弓矢が飛んできてそれを阻んだ。

 ミーナが歯がゆい気持ちで方向転換すると、細身の男が追いかけてくる。男は弱々し気な見た目にそぐわず足が速い。あの巨大熊ほどではないがすぐに追いつかれそうになり、ミーナは木々の間を潜り込むように走って男の目をさえぎる。



 こうしてふたりは広い森の中で分断され、ミーナは細身の男と地獄の鬼ごっこを、ローザは大男と弓矢を相手に剣をふるい――運命の時が、すぐそこまで迫っていた。





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