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竜とわたしの従者  作者: 朔真サク
第1章
7/20

1-7 声は、少しだけ震えていた



 夢を見た。



 両親のいなくなった家で首を吊ろうとしていた未衣菜を止めて、すがりつく祖母の姿。

 心を壊していた幼い未衣菜は、泣きながら自分を抱きしめる祖母を呆然と見つめていた。



『お願いだよ未衣菜。お願いだから死なないでおくれ』



 そう繰り返す祖母があんまり可哀想で、未衣菜はその白髪の頭をそっと撫でた。


『……なんで泣くの、おばあちゃん』


 問いかけると、祖母はハッとした顔で未衣菜の顔を見た。そして悲しそうに表情を歪め、皺だらけの両手で未衣菜の頬を包んだ。



『……おばあちゃんはね。もう二度と、自分より先に大事なひとが死ぬのを見たくないんだ』

『……大事なひとって、わたし?』

『そうだよ。未衣菜はおばあちゃんにとって、たったひとりの大事なひとなんだ。未衣菜が生きていてくれないと、おばあちゃんは悲しくて悲しくて死んでしまうよ』



 未衣菜はまた、祖母の頭を撫でた。

 そうか。未衣菜が生きないと、今度は祖母が死んでしまうのか。それは嫌だ。未衣菜も、大事なひとには生きていてほしい。未衣菜はもう、大事なひとを失いたくない。


 

 もう二度と。

 もう、二度と―――。






 遠くで何かが爆発するような轟音が聞こえたのは、次の日の朝だった。



「……今の音は……?」

「村の方からですね」



 朝食を摂っていたミーナとローザは、ほぼ同時にハッと顔を見合せた。ミーナよりずっと耳のいいローザが、村の方角に目を向ける。しかし音の原因まではわからないようで、「何の音でしょうか」と眉を寄せた。


「ずいぶんと大きな音でしたが……」

「たぶん、爆発音……ですよね」

「爆発音?」


 ミーナは音を聞いた時、よくアニメや特撮番組で耳にするような爆発音を想像した。地響きのような低く重い音で、まるで……。



「なんていうか、大きな爆弾が爆発したような……」

「……バクダン、とは?」



 予想外のところで聞き返されて驚愕した。ローザは本気でわからないという顔をしている。まさか……この世界には爆弾がないのか?


「ば、爆薬を詰めて、投げて爆発させるアレですよ」

「すみません、バクヤクというのもわからないです」

「えええ? マジですか。わたしも詳しくないんですけど、火薬はわかりますか?」

「カヤク?」

「ええーーっと、火をつけたらバン! って燃え上がる粉のことです。爆薬っていうのはたぶんそれの威力をさらに高めたもので、爆弾っていうのは、爆薬を容器に詰め込んで火をつけて、ぶん投げてドカーンって攻撃するもの……って説明でわかりますかね?」


 あまり化学が得意ではないのでかなり曖昧な知識で雑に説明してしまったが、伝わっただろうか。ローザは口元に手を当てて考え込む仕草をしている。


「つまり……そのバクダンというものは、激しい爆風を起こす魔法と炎を起こす魔法が合わさったようなもの、ですか?」

「ええと……そんな感じですね。たぶん」


 魔法で例えられてしまうとミーナの方がわからなくなってしまうのだが、およそ合っている気がする。しかし今のローザの発言で、爆弾がこの世界に存在しないのは魔法があるからだと理解できた。

 わざわざ小難しい化学兵器を作らなくても、人間兵器みたいな魔術師とか剣士がそのへんにゴロゴロいるのだ。ちなみに今ミーナの目の前にもひとりいる。



 すると、ふいにコンコンと窓に何かが当たる音がした。

 ローザが弾かれたようにバッと窓の方を見る。窓の向こうにいたのは、なんと鳩だった。



「……村からの伝書鳩です」

「えっ……」



 伝書鳩!? ミーナは初めて見る本物の連絡用鳩に驚きを隠せなかった。

 ローザは窓を開けると、鳩が咥えていた紙を受け取った。彼はサッと内容に目を通し、すぐに返事を書いて鳩に咥えさせる。鳩はまた村の方へ飛び立っていった。

 


「な……なんて書いてあったんですか?」

「村の近くで巨大な魔物が出たと。村の人間だけでは戦力が足りないので、助けてほしいとのことです」

「えっ! 魔除けしてあったんじゃ……」



 昨日アーガイル村へ向かう森の途中で、魔法陣のようなものが描かれた木を見つけた。それは村を囲むような形で他の木にも描かれていて、これより先に魔物を寄せ付けないための『魔除け』なのだとローザが教えてくれたのだ。

 ローザは上着を着て外へ出る準備を始めながら、難しい顔で「わかりません」と言った。



「それも含めて見に行きます。ミーナさんはここで待っていてください」

「……わ、わたしも連れて行ってもらえませんか」



 ミーナはぎゅっと手を握りしめてローザを見た。彼は驚いた顔でミーナを見つめ返してくる。


「……危険ですよ。どの程度の魔物かわかりませんし」

「わかってます。でもさっきの爆発音も気になるし、子どもたちが心配なんです。村の中にいますから、連れて行ってください」


 言いながら、自分に出来ることはきっと多くないだろうとミーナは気づいていた。

 それでも見ておきたかったのだ。この世界における『危険』というのが、どういうものなのかを。

 戦争も革命も経験したことがないからこそ、こういうときに守られた空間にいるべきではないと思った。

 とにかく知らなければ。この世界のことを。

 知らなければ、これから自分が関わる『危機』のことも、そのとき自分がどうすべきかも、いつまでも想像できないままだろうから。



「わたしにできる範囲のことをやります。危険なことはしません。だから、お願いします」

「……わかりました。私としても、見える範囲にいてくださった方が安心できますしね」



 がばっと頭を下げると、ローザは仕方がないという風に息をついて、了承してくれた。


 その後、ミーナは大急ぎで竜の卵をリュックサックに詰めて家を出た。

 そして村へ到着する頃には既に疲れ果てていた。「歩いていたら時間がかかるので」とローザはミーナを抱えて跳躍しながら森を駆け抜けたのだ。お願いして連れてきてもらった以上文句は言えず、ミーナは喉奥で悲鳴をかき消すので必死だった。



 村へ到着すると同時に、ふたりは凶暴な獣のうなり声を聞いた。

 見ると、ミーナたちが駆けてきた方とは村を挟んで反対の、山々が連なる手前の森の入口付近に熊のような魔物がいた。

 しかも、今までミーナが目にしてきた大きさのそれではない。あの巨大鳥の数倍の大きさをした真っ黒い熊が、森と村の間を徘徊している。いつ村へ来てもおかしくない様子だ。


「おおローザ! 来てくれたんだな」

「待っていたよ、ありがとう!」


 巨大熊の様子を見ながらローザが抱きかかえていたミーナを地面に下ろしていると、片手に武器を持った村の男性たちがぞろぞろと駆けよってきた。



「なぜあんな巨大な魔物が……。魔除けはどうなってるんですか?」

「それが俺たちにもわからないんだ。突然森の方で大きな音がしたと思ったら、あの魔物がいる付近の魔除けの木がすべて破壊されていた」

「やはりあの音が原因ですか……」



 ローザが眉を寄せて考え込む。木をなぎ倒すような爆発となると、やはりミーナには爆弾しか思い浮かばなかった。しかしどうやらこの世界に爆弾はないようだから、もしかすると魔法の可能性もある。いずれにしろ人為的な何かを感じてしまうのは……考えすぎだろうか?


「ひとまず、あの魔物をどうにかしましょう。私はこのままあの魔物を叩きに行きますから、周辺にも魔除けの木が倒れているところがないか、見まわっていただけますか」

「ああ、わかった!」

「いつもすまねえな、ローザ。ここらじゃお前がいちばん強いから、つい頼りにしちまう」

「大丈夫ですよ。私も皆さんにはお世話になってますから、お互い様です」


 それからすぐに村人たちは周辺の森の確認に向かった。アーガイル村は森に囲まれているから、確認して回るだけでもかなり大変そうだ。

 あんな巨大な魔物、他にも出てきたらたまったものではない。魔除けが壊されたのはあの場所だけなら良いが。


「ミーナさん。私はこれからあれを倒しに行ってきます」

「わかりました! ローザさんなら絶対大丈夫って思ってますけど、気をつけてくださいね」

「はい。ミーナさんも、くれぐれも用心してください」

「了解です!」


 ビシッと敬礼してみせると、何のポーズかわからないだろうローザは少しの間ぽかんとしていた。しかしすぐに笑って同じポーズをとって、「いってきます」と言う。

 それがあまりに無邪気で可愛くて、ミーナは思わずニヤけながら「いってらっしゃいです」と言って見送った。紳士でお人好しかと思えば謎が多く、かと思えば無邪気に笑ったりと、ミーナの恩人は忙しい人である。



 村の中は騒がしかった。

 昨日、ミーナと子どもたちが遊んでいた場所で、村の女性と子供たちが集まっている。いつもと違う村の緊張感に泣きだす子どもや、魔物の姿に怯えて震える子ども、彼らを抱きしめて慰める母親。いつでも全員で逃げられるよう、村中を駆け回って準備を整える女性たち。その中には、アンナの姿もあった。


 ミーナはそれらの光景を目の当たりにし、少しの間固まった。その瞬間、森の方から大きな音が聞こえてきて、ハッと我に返る。

 見ると、ローザが大熊を地面になぎ倒していた。自身より何倍もの巨体を圧倒する彼の姿を、村の人々は不安げに、しかし期待に満ちた顔で見つめている。

 ローザは、信じられているのだ。この村の人々に。

 ミーナは自分にもできることはないかと考えた。これまで平和な日本に生きてきて、自分はこんなにも緊迫した空間に居合わせたことがない。この世界の知識も、魔法も、戦う手段も何一つ持たない自分は、何ができるだろう。



「……考えてても仕方ない。足を、動かさないと」

 


 自分は深くあれこれと考えて行動するより、己の判断基準に従って足を動かす方が性に合っているとミーナは知っていた。昨日出会ったばかりの子供たちのもとへ行き、泣いている子を元気づけよう。それかアンナに声をかけ、仕事を命じてもらうか――。



「ウィルが! ウィルがいないのよ――!」



 考えながら足を一歩踏み出したミーナの耳に、そんな悲痛な叫びが響いた。

 涙まじりのその声はあまりにも辛く耐えがたい苦痛に満ちていて、ミーナはびくりと肩を震わせる。声の主は若い女性で、井戸の横で顔を覆って臥せっていた。その傍らには、不安げな顔で彼女に寄り添う幼い子供の姿がある。


――ウィルが、いない?



「魔物が出たって聞いて山菜採りから戻ってきたら、ウィルがいないのよ!」

「落ち着いて、アルマ。あなたがそんな風にしていたら、下の子が不安がるわ……。もしかしたらこの辺りにいるかもしれないし、今から捜索を頼みましょう」



 他の女性が彼女の肩を抱き、慰める。状況を推察するに、アルマと呼ばれた彼女はウィルの母親。そばにいるのはウィルの弟だろう。アルマが山菜採りに行っていて、魔物が出たことを知り村へ戻ってきたら、ウィルがいなかったということか。


 村の男性たちに捜索してもらうことを提案した女性は、巨大熊がいる方角の村の入口を守っている男性たちのところへ話をしに行こうとした。

 しかしその瞬間、魔除けが破壊されたところからまた二頭の大熊が姿をあらわし、そのまま村の方へと走ってくる。

 すでに巨大熊の魔物と戦っていたローザは、すぐにどちらを先に止めるべきかを判断し、二頭の方へ向かった。そして一際高く跳躍し、村へ突進するかのような勢いで駆けてくる一頭の胴体めがけて刃を下ろす。そのまま二頭目の足にも剣を振り下ろし、二頭の熊はバランスを崩した。村の入口の目の前で、大きな音を立てて熊が横に倒れる。

 村に走った緊張の糸がすっとほどけるが、先にローザが相手をしていた熊が村の方向へ移動をはじめ、そちらにローザが向かったこと、二頭の熊が身体を起こそうと動き始めたことで再び村は凍り付いた。

 起き上がろうとする熊を警戒し、男性たちは村を囲うようにしてその場で武器を構える。つまり、今男性たちはそこを動くことができない。ウィルを探しに行くことができない。万が一に備えてすぐに逃げ出せるよう態勢を整え始めた女性たちの中で、すぐに状況を理解したアルマは、ふらふらと立ちあがった。



「……探しに行くわ。私……」

「何言ってるの、危険だわ!」

「じゃあ誰が行くのよ!? 今頃、魔物に怯えて震えてるかもしれないのよ! 早く助けに行ってあげないと」

「この子はどうするの? 子供たちにとって親はあなたしかいないのよ!」

「でももう嫌なのよ! 夫だけじゃなくウィルまで失うなんて耐えられない……!」

「アルマ、ここにいるのは危ないわ! できるだけあの魔物から離れないと」

「子供たちを村の反対側に移動させるのよ! 早く!」



 女性たちが言い争い、バタバタと駆け回り、子どもたちが泣き叫び、遠くでは熊が暴れ、戦う男たちの怒声が聞こえてくる。

 恐怖と不安と焦りが渦巻く空間で、ただひとり蚊帳の外にいるミーナの頭の中は、いたって冷静だった。


 ―――ああ。

 神がわざわざ異世界から『救世主』を連れてくる理由が、ひとつわかった気がする。

 そして――その『救世主』に、自分が選ばれた理由も。




「わたしがウィルを探しに行きます」




 ミーナの声は、少しだけ震えていた。

 しかしその凛とした強い意志を含んだ声が響いたとき、その場がしんと静まり返った。

 皆が、呆気にとられた顔でミーナを見ている。


 人が少なく、だからこそひとりひとりが大切にされているこの小さな村において、ミーナは唯一の部外者だった。

 自分が死んで悲しんでくれる人はいても、困る人はいない。もしかしたら【異世界の客人】を失うのは世界的損失かもしれないが、ここで死ぬなら【客人】としてのミーナはそれまでの運命だったということだ。『救世主』なんて大それた役目は荷が重すぎたと証明するだけ。

 何より、ミーナは見てみぬフリができない。『ここで躊躇ったら後悔するかもしれない』という思いを抱いてしまったが最後、あとに引けなくなってしまう。


 たとえそれが、死と隣り合わせの危険の中でも。

 ミーナにとっては、後悔する方が死よりよほど怖いことだから。


 もし自分のそういう性質を承知したうえで召喚したのならば――神というやつはなかなか、腹の立つ存在だとミーナは思った。



「あ、あなたは確か、昨日ローザと一緒にいた……」

「ミーナです。わたしが探しに行くので、ウィルが行きそうな場所を教えてください」

「……あ、あたし、知ってる」



 戸惑うアルマをまっすぐに見つめて問いかけるミーナに、答えをくれたのは小さな女の子だった。

 ドロテだ。昨日一緒に遊んだ子供たちのひとり。彼女は真っ青な顔でミーナのもとへ近づいてきた。



「ウィ、ウィルが……。『ミーナが次に来た時に一緒に食べるんだ』って言って、一緒に森の近くの木の実を採りに行ったの。そしたら近くで大きな音がして、ウィルが『見に行ってみよう』って言って、行ったら木がぜんぶ倒れてて、すごい燃えてて……」



 ドロテは震える両手を胸の前で握りしめ、涙目で語った。

 

「そ、そしたら、あの魔物が……あの魔物がいたの。すぐ近くに。だからあたし、急いで村の方に逃げて……でも、ウィルは一緒に逃げてなかったの。あ、あたしだけ、こっちに逃げてきちゃったの。早く言わなきゃって思ってたのに、こ、怖くて……あ、あたし」


 じわ、と瞳に大粒の涙を溜めたドロテを抱きしめたのは、他でもないアルマだった。ぎゅっと力強くアルマに抱きしめられ、ドロテは涙をこぼした。アルマおばさんごめんなさいごめんなさい、と言って泣いた。



「……じゃあ、あの森の中だね」



 ふたりの姿をじっと見つめてから、ミーナは一部の木が破壊されている森の方を見た。ローザはすでに一頭を倒し終え、村人たちと一緒に村の前にいる二頭と戦っているところだ。

 二頭をひきつけてくれている今なら、ミーナがこっそり森へ行くことも可能だろう。


 戦いの場には近づかないよう迂回して行こうと考え、歩き始めたミーナを止めたのはアンナだった。


「待っとくれ、嬢ちゃん。本気で行くのかい? もし嬢ちゃんに何かあったら、あたしゃローザに顔向けできないよ」

「……ごめんなさい、アンナさん。もしかしたら『何か』あるかもしれないけど、それでもわたしは行きます。……どうしても」


 ミーナの目は揺らがない。固い意志を宿した瞳を前にし、アンナは何も言えなくなった。理由はわからないが、しかし――今の少女には、他にはない気迫がある。それこそ、ミーナより倍以上生きているアンナですら、気圧されてしまうほどに。


 押し黙ったアンナに一度ぺこりとお辞儀をして、ミーナは森の方へと駆け出した。



――危険なことはしないって言ったのに、ごめんなさい。



 あの魔物たちを倒し終えたローザが自分のことを聞いたら、きっと怒るだろう。だが何もミーナだって死ぬつもりはない。ウィルと生きて帰るために今、走っている。


 ただ……進んで死ぬ理由もなければ、なりふり構わず生にしがみつく理由もまた、ミーナという少女にはないのだった。




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