1-5 のんびりトマト煮なんか食べている
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アンナの店で選んだ服を着て、浴室を出た。
ミーナが風呂に入っている間にローザを呼んでくれていたのか、一階に降りると既に彼が待ってくれていた。
「すみません。お待たせしました」
「いえ。それほど待っていませんから大丈夫ですよ」
ローザは不躾ではない程度に一度ミーナの全身を見てから、満足げに頷いた。
「こちらの世界の服装も、よくお似合いです」
「あ、ありがとうございます……」
直球で褒められて、顔が熱くなった。イケメンに弱いのは女子高生の性だろうか。ローザはイケメンというより美形と表現するのがふさわしいように思う。むしろそういうものを超越した、芸術的な美すら感じる。あいにくミーナは芸術の『げ』の字もわからない柔道少女なので、それがどのように芸術的なのかを表現する言葉は持ち合わせていないが。
「風呂はどうだったかい? 嬢ちゃん」
「アンナさん! おかげさまで満喫しました。本当にありがとうございます!」
奥の小部屋から出てきたアンナに、ガバッと頭を下げた。この世界に来てからというもの、感謝することばかりだ。簡単にもとの世界に帰れなさそうなところは恨めしいことこの上ないが、人に恵まれたところは神に感謝すべきだろう。
ローザも同じように頭を下げ、「ありがとうございました」と礼を言った。
「いいんだよ。おまえには世話になってるからね。あたしも嬢ちゃんにいいもの見せてもらったから、それで代金は十分チャラさ」
「いいもの……?」
「制服……えっと、わたしがもともと着ていたものをお見せしたんです」
「ああ。確かに珍しい服装だとは思いましたが……」
「あれはすごいよ。あたしもこの仕事に就いて結構経つがね、あんなに上等な生地も縫製も見たことがない。デザインや形も奇抜だがどこか品がある。あたしゃ早く新しい服が作りたくてたまらないよ」
アンナはよほど制服を気に入ったらしい。今回のお礼にプレゼントしたいくらいだが、もとの世界に帰った時に制服がないと困るし、自分が日本の女子高生であることを忘れないためにも手元に持っておきたかった。
「アンナさん、本当に本当にありがとうございました。また必ず、お礼しに来ます!」
ミーナの当面の目標は、王都でお金を貯めてローザとアンナに恩を返すことだ。アンナは「ああ、楽しみにしてるよ」とニカっと笑いかけてくれた。
「それと、帰りは気をつけな。最近、このあたりを怪しい奴らがうろついてるのを見たって村の奴が言っててね」
「そうですか……わかりました。村で何かあったら、私を呼んでください」
「ああ。そのときは頼むよ、ローザ」
『怪しい奴ら』と聞いて、ミーナの身体が強張る。魔物なら猪突猛進に襲ってくるだけだが、人間となると話は別だ。【客人】であることがバレたら確実によくないことが起こるだろう。やはり用心するに越したことはない。
「……大丈夫ですよ、ミーナさん。何があっても私がお守りします。必ず」
ローザはとん、とミーナの肩に手を置いて、まっすぐ前を向いてそう言った。その心強い言葉に救われる。この人がいれば大丈夫だ、という気持ちにさせてくれる。
アンナはそんなふたりの様子を、目を細めて見つめていた。
「……ローザ」
ミーナとローザが店を出ようと踵を返したとき、アンナは思わず声をかけていた。10年もの間見つめてきた、孤独な青年の背中に。
「その子が、おまえの……」
その言葉の先は、唇に人差し指を立てて微笑んだローザによって、紡がれることはなかった。やむなく口を閉じたアンナに、ローザは一度小さく礼をしてから店を出て行く。この二人のやりとりを、一歩先を歩く少女が気づくことはなかった。
*
アンナの家を出た後、「待ちくたびれたぞ!」と怒るウィルに謝ってから、少しの間村の子どもたちと遊んだ。
子供たちの髪色は金や赤、ウィルのようなオレンジなど様々だった。異世界人の色彩は実にカラフルだ。もとの世界では茶髪に近い地毛のせいでよく生活指導の先生に呼び出されたものだが、こちらの世界ではミーナなど地味オブ地味の象徴である。
鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたり、子どもの有り余るエネルギーの発散に付き合っていたら、あっという間に日暮れになってしまった。
「じゃあな、ミーナ! また来いよ! 絶対だぞ!」
「う、うん。わかった、また来るよ……」
「絶対だぞ? 絶対!」
「わかった、わかったから。早くお家に帰りな」
すっかり疲れてしまったミーナとは対称的に、ウィルや他の子どもたちはまだまだ元気だ。スキップしながらミーナに手を振る子までいる。ウィルは「絶対また来いよ」と最後までガンを飛ばしながら家へ帰っていった。全く面白い子だ。
「ウィルに気に入られたようですね。ミーナさん」
「そうなんですかね……? だったら嬉しいですけど」
子供たちと遊ぶミーナを端でずっと見ていたローザは、くすくすと笑った。微笑ましいものを見るような目を向けられて、なんだかむずがゆい気持ちになってくる。ローザまでミーナを小学生か中学生のように思っているのではないだろうか。
念を押すように「わたし、これでも16歳ですからね」と言うと、ローザはやはりやさしい微笑みを浮かべたまま「わかってますよ」と言った。
夕日に照らされながら、ふたりは村を出て森へ向かった。どうしてもアンナの店で聞いた『怪しい奴ら』の話が気になってしまって、ミーナはつい周囲に視線を動かしてしまう。
「……怖いですか?」
「そ、そうですね。ちょっとだけ……」
「私のそばから離れないでくださったら大丈夫ですよ。たいていの人間には負けませんから」
なんて力強く、心強い一言だろう。言われずとも、ローザから離れる気などミーナには一切ない。ローザを見失えば最後、ミーナは永遠に森を彷徨うことになってしまう。
「……あの、ローザさん」
森に入ってから、ミーナはアンナの家を出てからずっと聞きたかったことを尋ねてみた。
「なんですか?」
「あの……この世界って、魔王とか、いたりしますか」
「……魔王、ですか」
ミーナの質問に、ローザは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。要はこれが答えである。ミーナはなんだか自分がとても突拍子もない質問をしてしまったように思えて、慌てて付け足した。
「い、いないなら何よりなんですけど。わたしの世界にある物語では、異世界に召喚されると、例えば『勇者になって魔王を倒してほしい』とか『世界を救ってほしい』とか言われるんです。神様とか王様に」
「へえ……。そんな物語があるんですか。興味深いですね」
「あくまで架空の話、なんですけどね……なので、わたしがこの世界に呼ばれたのも何か目的があるんじゃないかと思いまして。魔王じゃなくても、何か危機迫ってることとかありませんか?」
「そうですね……今のところ、そのようなことはありません。ですが今後、その『危機』が訪れる可能性はあります」
「……どういうことですか?」
ローザは途端に、言いにくそうに口を閉じた。彼を見つめるミーナに、申し訳なさそうに「すみません」と言う。
「【異世界の客人】について、まだ貴女にお話ししていないことがあります」
「え……」
「まだ貴女には言わない方が良いかと思って黙っていたのですが……お話しした方が良いですか?」
「…………」
それはつまり、ミーナにとって良くないこと、ということだろうか。さっき『危機が訪れる可能性がある』なんて不穏なことを言っていたし、きっとそうなのだろう。
しかし、これを聞かないと本当の意味で自分の今後を考えることなどできない気がする。ミーナは浴室であの『印』を見てから、自分が何故この世界に来たのかが知りたくて仕方がなくなっていた。聞くのは怖いが、何も知らないままの方がずっと怖い。
「……聞きたいです。教えてください、お願いします」
「……わかりました。では、夕食の際に」
ローザがそう言ったとき、近くから獣のうなり声が聞こえた。次の瞬間には狼の魔物がこちらに飛びかかってきていて、ミーナは悲鳴をあげそうになる。
しかしローザは魔物の存在に気付いていたのか、魔物が飛びかかってくるのと彼の剣が狼の身体を吹っ飛ばすのはほぼ同時だった。
うめき声をあげて魔物が目の前の樹に身体を打ち付ける。そのまま全身の力を失って横たわり、魔物は息絶えた。
「……ここでは、落ちついて話せませんからね」
ふう、とため息をついて剣を鞘に納めるローザの姿は、控えめに言ってもものすごく格好良かった。突然の魔物の襲来と彼の圧倒的な力を目にして、ミーナは二重の意味でドキドキした。
家に帰りつく頃、空はもう日が沈んでいた。
ローザが夕食を作ってくれている間、ミーナは廊下を箒で掃いて拭き掃除をした。この家を出るまでに、ローザの寝室を除くすべての部屋と場所を掃除するのが目標だ。遠足のお約束『来た時よりも美しく』の精神である。
夕食が出来上がって、ふたりで席につく。今晩のメニューは、どうやら野菜と肉を使っているようだ。「ミーナさんが服を選んでいる間、食材をもらったので……」とローザは嬉しそうに言った。
ミーナは見覚えのある赤い汁に沈む鶏肉らしきものを見て、衝撃を受けた。これはまさか、トマト煮では……。
キャベツとニンジンらしきものは畑で見たが、まさかトマトまであるなんて。鶏肉とニンジンが、きらきら輝く赤橙色の海に浸かっていた。涎が出そうだ。早く食べたい。
「「いただきます」」
今朝からすっかり恒例となった挨拶をしてから、二人は食事を始めた。
トマト煮は案の定、トマト煮だった。「すっっごい美味しいです!」と叫ぶと、ローザは「それはよかった」と目を細めて頷いた。
食べ始めて少しして、ローザが静かな声で「では、話の続きをしましょうか」と切り出した。いつ来るか来るかと待ち構えていたミーナは、そら来た! という感じで「お願いします!」と返事をした。
「……【異世界の客人】は、『救世主』とも呼ばれています」
そう話し始めたローザの口調は、今までになく重々しかった。
『救世主』。今度はやけにご立派な単語が飛び出したな、とミーナは眉を寄せた。
「救世主、ですか」
「はい。【客人】が現れたら、それは近いうちに危機が訪れる予兆だと言われています。そして【客人】はその危機のために神から遣わされた『救世主』だと」
「そ、それは……なんというか、すごいですね……」
いきなり話のスケールが大きくなって、思わず語彙力を失った感想が出た。
これは……勇者になって魔王を倒すとか世界を救うとか、実際そんな規模の話にはならないだろうと踏んでいたミーナの想定を大きく覆す展開になりそうだ。
「実際、記録に残っているんです。【客人】が現れた国は、その数年後か数十年後かに必ず大きな戦争や革命が起こっています。その際、【客人】が何らかの形でその収束に大きく寄与したと」
「……今まで現れた【客人】みんな、ですか?」
「そこまでは断言できません。ただ、解決に導いた人物として、必ず一人は【客人】の名前が記録に残っています。大々的に名前が挙がっていない【客人】も、何らかの形で関わっているだろうというのが通説です。それがわかる記録もちらほら残されているようですから」
「じゃあ……【異世界の客人】は、その『危機』の収束に必要な存在ってことですか?」
「そういうこと、ですね」
「だから【客人】は、国に保護される対象なんですね……」
色々な点に納得が行った。
神が不定期に【異世界の客人】を招くのは、そもそも原因となる『危機』が不定期に起こるものだから。
わざわざ法律まで作って保護するのは、国のどこかに現れた救世主をみすみす見逃すのを防ぐため。
そしてこのわき腹の証は――おそらく予想した通り、【異世界の客人】であることを証明するためだろう。身体に刻まれた消えない烙印、なによりの証明だ。
いきなり壮大すぎる話になってしまって頭が追い付かないが、これで自分が異世界に召喚された理由がわかった。
ミーナは口に含んでいた鶏肉をごくんと飲み込んで、ひと呼吸置いてから「つまり」と言った。
「わたしがこの世界に来たってことは……」
「……このフォルカナ王国で近い未来、何かが起こります。そしておそらくミーナさんは、その解決に重要な役割を果たすでしょう」
「なんてこった……」
途方もなさすぎる話に、思わず天井を仰いだ。
こんな自分が、国の『救世主』?
ちゃんちゃらおかしいわ、とミーナは心の中で呟いた。あまりにも突拍子がなく、あやふやで、現実味のない話だ。
だって今、ミーナはこんな森の中でのんびりトマト煮なんか食べているのである。まだ起こってもいない危機に対して何ができるというのだろう。まだ『魔王を倒してくれ』と言われる方が、倒す対象がわかっているだけマシだと思う。
「なんか……全然、本当に何も想像できないんですけど」
「仕方ありません。というか当然のことです。いきなり知らない世界の、実体のない危機を救えというのですから。私も自分で話していて現実味がありません」
「戦争とか、革命とか……。わたし、そういうのを全く経験せずに育ったんです。ちょっと男の人を背負い投げできるくらいで、剣なんか持ったことないし魔法も使えません。今だって……ローザさんがいなきゃ、家の外にすら出られないのに」
ミーナは天井に目を向けたまま、膝の上でぎゅっと手のひらを握りしめた。
これから先、自分の身に確実に何かが起きる。それはわかっているのに、具体的に何が起きるのかひとつも想像できないからすごく不安だ。
ローザがこのことをミーナに話すのを躊躇った理由がわかる。こんなことを聞いてしまったら、今後、異世界で生きていくのが怖くなるだろうことがわかりきっているからだ。それでも、聞きたいと言ったミーナに彼はちゃんと話してくれた。甘言なんて交えず、事実だけをハッキリと。
ミーナは一度ぎゅっと目を閉じると、ローザの方へ視線を移し、まっすぐに彼を見据えて言った。
「……話してくださって、ありがとうございます」
座ったまま、ぺこりと頭を下げたミーナを前にして、ローザは目を見開いた。
顔をあげた少女の目は、泣いてなどいなかった。毅然とした瞳で、ローザを見返すばかりだ。そして次の瞬間にはフォークを持って、食事を再開しようとしている。
「……さて。真面目な話もひと段落つきましたし、ご飯食べましょう! 早く食べないと冷めちゃいますからね」
そう言って、話をする前と同じ顔をして美味しそうに鶏肉を頬張るミーナを見て、ローザは柔らかく目を細めた。「……そうですね」と言って、彼も食事を再開する。
それからミーナが寝室に入るまで、二人はアンナや村の子どもたちの話をして過ごした。今後のことは何も、お互いに話題に出さなかった。