1-4 そもそもどうして神は
掃除を終えて昼食を摂ったあと、アーガイル村へ行くことになった。
「その格好だと目立つでしょうから、良ければこれを羽織ってください。あと、できれば竜の卵も持って行きましょう。留守中に何かあるといけませんから」
そう言って、ローザはフードの付いた麻のローブのようなものを貸してくれた。ミーナとは30センチ以上身長差がありそうなローザの服なので、当然袖が余りにあまった。
幸い裾丈はギリギリ地面につかないくらいなので、引きずって歩くことはなさそうだが……手も足も隠れてしまったミーナを見て、ローザが「やっぱりぶかぶかになっちゃいますね」と笑ってくれたのでまあ良しとする。美形の男が笑いかけてくれたのだから、しがない女子高生であるミーナは何も言うことはないのだ。
竜の卵は中身をすべて出したリュックサックに詰め込んだ。チャックを閉めたらパンパンになってしまったが、これもまあ入ったので良しとする。
家を出て森を歩いている道中、何度か魔物に遭遇した。ミーナの世界と同じくらいの大きさなのに凶暴さを数十倍にしたような狼や猪、昨日ミーナを命の瀬戸際に追い詰めた巨大な肉食鳥とも出くわした。すべてローザの華麗な剣技によってあっけなく散っていったが。
剣を持って跳躍し、軽やかな身のこなしで戦うローザの姿は本当に綺麗だ。恐ろしい魔物と対峙するのは嫌だし、魔物と言えど生き物が殺されていく様を見るのはあまり気分のいいものではなかったが、ローザが剣をふるう姿はいつまでも見ていたいと思った。王都までどれほどの道のりかは不明だが、彼が守ってくれるのならば安心である。
アーガイルの村は、ローザの家を出て15分ほど歩いた先にあった。
昨日、ひとりで森を彷徨っていたときは永遠に続くと思われた森だが、思いのほか早く出られたので驚いた。
森を抜けた先には、一面に広がる畑と中央に小さな集落のようなものが見えた。あれが村だろう。その向こうにはまた深そうな森があり、遠くには山々も見えた。村の横には山の方から流れている小川があり、予想はしていたものの、アーガイルという地方はかなり田舎なのだと理解できた。
ローザと村の方へ歩きながら、それとなく畑の様子を見てみる。キャベツみたいな緑色の菜っ葉、ニンジンみたいなオレンジ色の根菜が育てられている。なるほど野菜もミーナの世界と大して変わらないようだ。今後、食文化で困ることはなさそうだと改めて安心した。
「あ、ローザ! ローザだ!」
村へ入ると、ローザの姿を見つけた男の子が駆け寄ってきた。8歳か9歳くらいの年齢に見える。ただ、さすがリアルファンタジー世界と思わされたのは、彼の髪色だ。ローザの黒髪も藍色がかっていて日本で頻繁にお目にかかれる色ではないが、男の子の髪は夕日のような橙色だった。思わず凝視していたら、男の子がミーナの存在に気付いた。淡い茶色の瞳と目が合う。
「ローザ、この人は?」
「ミーナさんです。昨日、森に迷い込んでしまったところを偶然助けたんですよ」
ミーナが【異世界の客人】であることはしばらく秘密にしておこう、とここまでの道中で話して決めた。
国の重要人物であることが確定している【客人】は、怪しい輩に狙われることも少なくない。アーガイル村はほとんどの人間がローザと顔見知りなので、すぐに危険なことにはならないだろうが、用心しておくに越したことはないから、というのが彼の意見である。ミーナにもそれを否定する理由はなかった。
この異世界において、今のミーナが信用できるのはローザだけだ。彼が『用心すべき』と言うのならそれに従うまでである。
それにしてもこの紳士、子供に対しても敬語なのか。おそらく彼は誰にでも物腰柔らかで親切なのだろう。やはり聖人である。ミーナは自分の目に狂いはなかったと何故か誇らしく思いながら、男の子に挨拶した。
「はじめまして。ミーナです」
「おれはウィル! ウィル=ギルバート! なあなあ、ミーナはどっから来たの? なんで森にいたの?」
「ウィル。それはミーナさん自身もわかっていないんです。だからむやみに聞くのはやめましょう」
「そ、そっか……。もしかしてキオクソウシツってやつか? 大変なんだな……ミーナ」
子供に心配されてしまった。記憶喪失というのがこういうときのお約束ワードなのは異世界でも同じらしい。ミーナは記憶喪失ではないが、この世界の知識は赤子同然に皆無なのでその設定でいった方が色々便利かもしれないな、と思った。
村の中は、ほとんどが民家のようだ。通路の両側に赤茶色の三角屋根の古びた民家が立ち並び、その間に馬小屋や馬車がある。人通りはちらほらあって、老若男女皆ローザの姿を見るとにこやかに笑って声をかけてきた。村のほとんどの人と顔見知りというのは本当のようだ。
ウィルとともに三人で歩いていると、女の子を連れた恰幅の良い赤毛の女性がローザに声をかけてきた。
「ローザじゃないかい! 久しぶりだね。また魔物の素材を持ってきてくれたのかい?」
「アンナさん。ちょうど良かったです、今からお家へ伺おうと思っていたんです。今日はちょっとお願いしたいことがありまして」
ローザの言葉に、アンナと呼ばれた女性はちらりとミーナの方を見た。そして何かに気付いたような顔をして「わかったよ。今からうちに来な」と言った。
何の用事だろう。いつもは村で魔物の素材と食料を交換すると言っていたが、ローザは素材らしきものを持っていない。自分が同席して大丈夫だろうかと不安になったが、「ミーナさん、行きましょう」と声をかけられて、ミーナもアンナの家へ向かうことになった。
「ミーナ! おれ、あっちでみんなと遊んでるから、あとで来いよな!」
そのままアンナについていこうとしたら、ウィルがそう言って井戸がある方を指さした。井戸の近くでは、村の子供たちが集まって遊んでいる。ウィルが自分と仲良くしようとしてくれていることに感激して、ミーナは思わず「わかった!」と返事をした。ウィルが嬉しそうに笑って子どもたちの方へ走っていく。ミーナは隣のローザを見て、「すみません」と謝った。
「このあとの予定、勝手に決めてしまって……」
「構いませんよ。そもそも村に来たのは貴女のためですから。この世界の人間に触れて、話して、今後の指針を決めるのに役立ててください」
「……はい」
そうだ。ミーナは考えなくてはならないのだ。おそらくすぐにはもとの世界に帰れないだろう、自分の今後について。
可愛らしい花の鉢植えが玄関前に置かれたアンナの家は、小川のそばにあった。外観は他の民家とそう変わらない二階建てのレンガ造りだが、ローザの家の風景を想像しながら中に入ったミーナは目を見張った。
「お邪魔しま……わ、すごい!」
扉を開けて目に飛び込んできたのは、大きな棚とそこに大量に積まれた布の山だった。色とりどり、模様も様々の布が四方に積まれている。その中央にあるカウンターに立ったアンナは、口を開けて部屋を見回すミーナを見て面白そうに笑みをこぼした。
「驚いたかい? うちは仕立て屋をしていてね。一階が作業場、二階が住居になってるんだ」
「し、仕立て屋ってことは、お洋服を作るんですよね?」
「そうだよ。ここで作った服を村で売ったり、メリルの服屋に卸したりしてる」
「す、すごい……」
先ほどまでアンナと一緒にいた女の子は、奥の階段から不思議そうにミーナを見ている。アンナの子どもだろう。よく見るとカウンターの向こうには大きな作業台のようなものがあって、製作途中とみられる服が置かれていた。
仕立て屋なんて、女子高生として日本に住んでいたらまず出会わない店だ。思わぬところでファンタジー世界の店に入れて興奮しているミーナを横目に、アンナはローザの方を見た。
「で、ローザ。お願いってのは何だい?」
「こちらの女性……ミーナさんに合う服を、出来合いのもので良いので何点か見せていただけませんか」
「えっ!?」
予想外のところで自分の名前が出てきて面食らった。まさかローザは、ミーナの服を買いに来たというのか。
「ほう。お嬢ちゃんは……見たところ、12、3歳といったところかい?」
「16歳です!!」
確かにミーナは歳の割に童顔で小柄だし、全体的に平均身長が高そうなこの世界では子どもに見えるのかもしれないが……これでも大人に片足を突っ込んだ高校生である。背伸びしたいお年頃のJKなのだ。中学生に見えるのは悲しい。
「……じゃなくて、ローザさん!? わたし、お金持ってないですよ!」
「お金は私が出しますから、問題ありません」
「いやいや大アリです! 寝る場所も食事も用意してもらってるのに、さすがにこれ以上はいただけませんよ!」
本当にこの男はどこまでお人好しなのだろう。宿と食事は【客人】を保護するために最低限必要だから仕方がないが、服となれば別である。最悪、王都まで制服のままでも構わないと思っていたのに。
ミーナの訴えには耳を貸さず、ローザはアンナに「予算はこれくらいで」となにやら硬貨を渡していた。何故急に無視する。さっきまであんなに紳士だったのに。
「じゃあお嬢ちゃん、奥の部屋で服を見ようか」
「で、でもわたし、ほんとに服は……」
「終わったら呼びに行くから、その辺で暇をつぶしておいで。ローザ」
「はい。よろしくお願いします」
アンナはミーナの腕をがしりと掴んで、奥の部屋へと連れて行った。今度は衣装棚が四方を囲む小部屋で、ミーナはその中央に立たされた。アンナはなにやら鼻歌を歌いながら衣装棚を開けては服を取り出し、ミーナの横に次々洋服が積まれていく。何を言っても聞き入れてもらえない。すでにアンナとローザの間で取引は成立してしまったようだ。ミーナはしぶしぶ観念することにした。
「お嬢ちゃん、どうやら訳ありみたいだね」
積まれていく洋服を見ながら、ローザは一体いくらアンナに渡したのだろうと考えていると、突然話しかけられた。
「あ……あはは。まあ、そんな感じですね……」
「あたしも深くは聞かないよ、厄介ごとはごめんだからね。けど、安心するといい。あとでローザに金は返すよ。あいつには定期的に魔獣の皮を分けてもらってるし、何かと世話になってるからね……特別にタダで一式揃えるつもりさ」
ようやく衣装棚から服を取り出し終えたアンナは、洋服の山から一枚一枚、ミーナに合わせて服を吟味しながらそんなことを言った。お金の心配をしていたミーナは一瞬喜びかけたが、すぐにそれはそれでアンナに申し訳ないという気持ちでいっぱいになる。
「で、でもそれじゃ……」
「いいんだよ。あいつは森に住むようになって以来、ずっと村を守ってくれてんだ。森を毎日巡回して魔物を倒してくれるだけでも有難いのにさ、村を襲う悪党を退治したり、メリルへ商品を卸しに行くときの護衛もやってくれたりね……みんなローザに感謝してんだよ」
「……やっぱり、すごくいい人なんですね。ローザさん」
「そうだよ。あいつに拾われた嬢ちゃんは、幸運以外の何物でもないさ」
ミーナも同意見だ。ローザに出会えたことで、ミーナは一生分の運を使い果たしたかもしれないと思っている。
しかし、ローザの人徳でタダになるものを自分が受け取っていいのだろうかと不安になった。ローザの働きに対するお礼は、ローザが受け取るべきだ。そう言っても、きっとアンナは『いいんだよ』と言うだろうし、ローザも『気にしないでください』とか言う気がする。
無事王都についたら、なんとか王宮の中で仕事を見つけてお金を貯めて、ローザにお礼がしたいと思った。ミーナは異世界に永住する気など毛頭ないし、どうにかしてもとの世界に帰るつもりだが、ローザに恩を返さずに帰るわけにはいかない。
彼が言っていた『今後の指針』というほどのことではないものの、ひとまず王都に行ってからの目標は決まった。王都でもとの世界へ帰る方法を探しながら、お金を貯めてもう一度ここに来る。アンナにもお礼をする。決まりだ。
その後、アンナが絞ってくれた数点を試着し、白いシャツとブラウス、カーキ色のパンツを選んだ。アンナはミーナが訳ありだということを考慮して、この世界の一般市民の娘が着るような、ありていにいえば没個性なデザインのものを選んでくれた。
「あと、これも。あたしの若い頃のもんだけど、履けるようなら持って行きな」
そう言って二階から引っ張り出してくれたのは、くるぶし丈のブーツだった。履いてみるとほんの少しつま先に隙間が出来るくらいで、歩く分には問題ない。
「本当にいただいていいんですか? まだ全然履けるのに……」
「いいんだよ。娘がもう少し大きくなったら渡そうかと思ってたんだけどね、『おさがりはヤダ』なんて言われちまってねえ……貰い手がいなくて困ってたんだ。お嬢ちゃんが履いてくれるんなら、そいつも喜ぶだろうよ」
「あ、ありがとうございます……! 一生大事にします!」
「フフ、一生はダメだよ。もっと大きな街に行ったら、ちゃんと嬢ちゃんの足に合う靴を仕立ててもらいな。せっかく綺麗な足なんだから、大事にしないとね」
「はい! ありがとうございます!」
アンナのおかげで、異世界コーディネートが完成した。これでどこへ出しても怪しくない、異世界人ミーナの出来上がりである。
「あと……これも持って行きな」
最後にアンナが渡してくれたのは、なんと下着と肌着だった。
ミーナの世界ほど縫製がしっかりしているわけではないが、ホックの部分が紐であることを除けばちゃんと胸を支えてくれそうなブラジャー、エロいお姉さんが身につけるものだと思っていた紐パンツ、薄い生地でできたタンクトップのような肌着をそれぞれ数点、麻袋に入れて持たせてくれた。
大事な部分が紐で出来ているのが少々心許なく、これを身につける自分を想像すると恥ずかしくなるが、文句は言っていられない。下着の替えがあるなんて、どう考えても有難すぎるからだ。
「たぶんローザがうちに頼んだ本当の目的はこれだろう。さすがにあいつの口から、嬢ちゃんの下着を買いたいなんて言えないだろうからね……。嬢ちゃんとしても、正直洋服なんかよりこっちの方が欲しかっただろう?」
「しょ、正直に言うとそうですね……。衛生的にも、こっちの方が死活問題というか」
そうだったのか。あの男はどこまで紳士なのだろう。というか普通、一人暮らしの男性がここまで気が回るものだろうか。外見年齢はミーナと変わらないが、あの落ち着きっぷりを考えると実は子持ちでも不思議でない気がする。ローザに関しては謎が増えるばかりだ。
その後、二階の風呂まで貸してくれると言われて、実はすごく身体を洗いたかったミーナは泣くほど感激して喜んだ。
「ローザの家は風呂がないからね……。あいつはずっと森で一人暮らしだから、身体を洗いたくなったら魔法で水を出してササッと済ませちまうってわけさ。風呂は入れる時に入っておきな」
なるほど。ローザの家に浴室がないのはそういうことだったのかと納得した。この世界の文明レベル的に風呂が贅沢品だったら申し訳ないと思って、何も聞けないでいたのだ。
アンナの家の浴室には、人がひとり入れるくらいの浴槽があった。
浴槽にお湯を溜めるために渡されたのは、炎を閉じ込めたような赤い石と、水を閉じ込めたような青い石。『魔法石』と呼ばれるこの二つを浴槽に入れて魔力を注ぐと、青い魔法石から湧き出た水が赤い魔法石から発した熱によって温められてお湯になるらしい。異世界の科学が凄すぎてビックリである。
アンナに魔法石に魔力を注いでもらい、浴槽の中にお湯が溜まっていく様を興味津々でちらちら見ながら、ひとりになった脱衣所でミーナは服を脱いだ。
約二日ぶりに制服を脱いで、解放感に息をつく。アンナの前でローブを脱いだ時は、色々事情を察していそうな彼女でもさすがに驚いた顔をしていた。しかし職業柄か『ちょっとこの服、近くで見てみてもいいかい』と言って、ミーナが試着している間、興味深そうに制服を観察していた。『これを見れただけでも代金にお釣りが出るくらいだよ。ありがとう』とお礼を言われたほどなので、現代日本の縫製技術は相当のものなのだろう。
と、キャミソールを脱いでブラジャーを外そうと腕をうしろに回したとき、はたと気づいた。
「……なに、これ……」
ミーナの目は、自分の左わき腹に釘付けになった。そこには、絶対二日前まではなかったと言い切れる――握り拳ほどの痣があった。
痣というより、焼印やタトゥーと言った方が近いかもしれない。明らかにどこかにぶつけて出来たものではない、ハッキリとした絵柄が描かれている。握り拳ほどの円の中に、鳥のような竜のようなはっきりしない形のシルエット。何かのシンボルのように見えるそれが自分の身体に刻まれていることを、ミーナはすぐに受け止められなかった。
――自分が【異世界の客人】だから?
その印とでもいうのだろうか。それ以外に理由が見当たらない。こればかりはミーナ以外の【客人】に確かめないとわからないが、それとは関係のない呪いや何かの類だったらどうしようと不安になった。怖い。何が起こるかわからない、何が起きても不思議でない異世界だからこそミーナの心は恐怖で渦巻いた。
一体、自分の身に何が起きているのだろう。
ローザは【異世界の客人】について、『神に招かれた』と言っていた。ミーナはそれについてあまり深く考えてこなかったが、そもそもどうして神は自分を招いたのだろうかと、ここに来てようやく当然の疑問を抱いた。
仮にこの印が【客人】である証だとしたら、この印をつけたのは神だということになる。何故こんなことをする必要があるのだろう。この世界の人間と区別するため? フォルカナ国の法律で定められているように、神から招かれた人間だと示し、きちんと安全な場所で保護させるため? ……それは一体どうして?
わざわざ異世界から招くのだから、きっと神にも目的があるはずだ。何故不定期に異世界人を招くのだろう。【客人】は何の目的で招かれるのか? 考えれば考えるほど、疑問が湧き出てくる。
――自分は一体、何のためにこの世界に?
答えの出ない問いが、ミーナの頭の中を支配した。