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竜とわたしの従者  作者: 朔真サク
第1章
2/20

1-2 この世界で『ミーナ』だ



 どうやらここは異世界らしい。

 おそらく日本ではないだろう、もしかしたら世界すら違ったりして――なんて考えていた未衣菜は、青年の言葉でとてつもなくあっさり、端的に絶望へ叩き落とされた。

 この世界には、未衣菜が知る国はひとつも存在しないのだ。言語の壁がなぜかサッパリ取り払われている部分については、青年の言った『神』とやらがいいようにやってくれているのだろう。自動翻訳みたいなアレである。



「やっぱりここ、異世界なんですね……」



 そういうことなら、あの遺伝子レベルで地球上の生物とは生体構造が異なっていそうな肉食鳥も、それを片手剣で吹っ飛ばす目の前の美しすぎる男の存在も納得が行く。ここは異世界なのだ。日本での常識は通用しない。

 青年は未衣菜について【異世界の客人】だと言っていたが、さすがにそれについて考える余裕は今の彼女になかった。


 非現実的な現実を受け止めるので精いっぱいの未衣菜を気の毒そうに見つめた青年は、「ひとまず移動しましょうか」と言った。


「移動って……村にですか?」

「申し上げにくいのですが、アーガイル村はとても小さな村なので宿屋はありません」

「えっ……」


 宿屋で最悪皿洗いか床掃除でもして泊まらせてもらおうと思っていたのに。

 あてが外れて困惑する未衣菜に、命の恩人はさらに救いの手を差し伸べてくれた。



「ですので……よろしければ、今夜は私の家に泊まってください。この近くなので」

「え……村の方じゃないんですか?」

「ええ。少々事情があって森の中に家を建てて住んでいます。家といっても、一人暮らしの粗末なものですが。今日は先ほどまで家の近くを歩いていて、途中で貴女の悲鳴が聞こえたので助けに来た次第です」

「なるほど……。で、でもいいんですか? 助けていただいたうえに宿まで……わたし、お金持ってないんですけど」



 なんて親切な人だろう。森の中にひとりで住んでいるというところに若干の怪しさは感じるが、未衣菜を【異世界の客人】だと推察したあたり、事情に詳しいのかもしれない。正直、今から村で民家の戸を叩いて回るのは大変なので、未衣菜としては非常に助かる申し出だった。


「かまいませんよ。【異世界の客人】は無条件に保護しなければならないと国の法律で決まっていますから」

「ほ、法律で……?」

「そのあたりの話もしますね。ひとまず家に帰りましょうか」

「は、はい。お世話になります! よろしくお願いします!」


 がばっと頭を下げると、頭上から小さく笑ったような声がした。顔をあげると、細められた黒曜石の瞳が優しく未衣菜を見つめていた。


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 未衣菜はまた見惚れそうになった。

 容姿も声も、すべてが綺麗な男の人だ。突然異世界トリップしてしまったことはどう考えても不運でしかないが、この人に助けてもらったことは間違いなく不幸中の幸いといえる。

 


 それから10分ほど森を歩いて、青年の家へたどり着いた。彼の言った通り、家というより大きめの山小屋と言った方が正しいかもしれない外観だ。森の中のひらけた場所に、木こりでも住んでいそうな一階建てのシンプルなコテージが建っている。

 ここまでの道のりを、彼は迷わず歩いてきた。この森に住んで長いのだろうか。


 未衣菜が「お邪魔します」と言って青年の家に入る頃には、丸い月が空高くに浮かんでいた。スマートフォンの時刻を見ると、21時前。異世界に召喚されたと思われる時刻から、既に三時間近くが経過している。

 扉を開けると、見た目通りのワンルームがあった。左手に小さな窓があり、そこから射した月明かりが部屋全体を照らしている。右手にキッチンのようなものがあり、奥にひとつ扉も見えるが、あちらに寝室などがあるのだろうか。

 青年は部屋に入ると、中央の大きな机に置かれた燭台に人差し指を向けた。その瞬間、フッと燭台に火が灯る。


「えっ」


 思わず声をあげてしまった未衣菜を見て、青年は何かに気づいたような顔をした。


「そちらの世界に、魔法はありませんか?」

「あ、やっぱりそれ魔法なんですね……。ない、です。あくまで物語の中の空想というか」

「なるほど……。魔法がないとなると、根本的に違う点が多そうですね」


 青年は興味深そうに「ふむ」なんて思案顔をしているが、本物の魔法を初めて目にした未衣菜は密かに興奮していた。

 さすがはリアルファンタジー世界。人差し指を向けるだけで火を灯せるなんて驚きだ。部屋の中に電球のようなものは見当たらないが、この世界の照明器具はこれがデフォルトなのだろうか。

 青年は続けて部屋の左側にある暖炉に火を灯した。ふたつのあかい炎が、優しく部屋の中を照らす。未衣菜の世界では天井の真白い電球が部屋全体をパッと明るくしてくれるが、こういう淡い光も雰囲気があっていいかもしれない。

 

 「どうぞ座ってください」と言われ、未衣菜は中央の机と一緒に置いてある椅子に腰かけた。青年が向かいの椅子に座る。なんとなく、椅子がふたつあることが気になった。確か一人暮らしと言っていたが、来客用だろうか。未衣菜も一人暮らしだが、家にあるのは床に座るタイプの低い机なので、一般的な一人暮らしの椅子の数がわからなかった。



「さて……。何から話しましょうか。ああ、まず自己紹介からですね」



 言われて、そういえば名乗っていなかったことに気が付いた。名乗りもせずに泊まらせてもらおうとしていたなんて、突然の異世界トリップでパニックになっていたとはいえ失礼なことをしてしまったと反省する。


「私はローザ、といいます。お好きなように呼んでください」

「ええと、ローザさん。わたしは、おくは……いえ、未衣菜です。ミイナ」


 彼が名前だけを名乗ったので、それに合わせることにした。この世界に姓があるかはわからないが、オクハラと名乗ったところで横文字が標準の世界では呼びづらいだろうと思ったからだ。

 ローザと名乗った彼は、どこか噛みしめるような言い方で未衣菜の名前を呼んだ。


「……ミーナさん、ですね」

「はい。ミーナです、ローザさん」


 『ミーナ』か。横文字が標準の世界では、『ミイナ』ではなく『ミーナ』と伸ばして発音するのが自然なのかもしれない。音として大した違いはないが、なんだかこの世界で新しい名前を得たような気分になった。奥原未衣菜はこの世界で、『ミーナ』だ。



「では、ミーナさん……まず、今いるこの国についてですが」



 ローザが改まった声で話し始めたとき、グー……と大きな腹の虫が鳴いた。


「……ご、ごめんなさい……。夕飯食べる前にこの世界に来ちゃったから」


 音の発信元をおさえながら赤い顔で縮こまるミーナを見て、ローザはまた小さく笑った。


「では、まずは腹ごしらえしましょうか。口に合うかわかりませんが、簡単に何か作りますね」

「すみません何から何まで……本当に……」


 情けないし申し訳ないし、とにかく有難すぎて涙が出そうだ。あとで部屋の掃除を申し出ようと思った。


 ローザが作ってくれたのは、簡単に言うとリゾットだった。どうやらこの世界にも米はあるらしい。食感も味も、もとの世界で食べていたものとほとんど変わらない。しつこくない優しい味のリゾットを食べながら、ミーナは感動した瞳でローザを見た。


「す、すごく美味しいです……!」

「よかったです。足りなかったら他にも作りますので、遠慮なく言ってくださいね」


 この男はどこまで聖人なのだろうか。命の恩人があまりにいい人すぎて、彼に出会えたミーナは一生分の運を使い果たしてしまったのではないかと思った。

 さすがに初対面でおかわりをお願いするほど図々しくはなれなかったが、怪物との追いかけっこで疲れきったミーナのすきっ腹は温かなリゾットと彼の優しさで十分に満たされた。


「ご馳走様でした! とっても美味しかったです!」

「完食してくださって何よりです。では、改めて話をしましょうか」

「お願いします!」


 椅子に座ったまま、またガバッと頭をさげる。ローザは相変わらずの慈愛に満ちた眼差しで「はい」と頷いてくれた。



「まず、いま私たちがいる場所について。ここはフォルカナ王国の北西にある、アーガイルの森です」

「……ふぉ、ふぉるかな……」

「まあ細かい単語は追々覚えましょう。わからなくなったら都度教えますので」

「すみません……」

「大丈夫ですよ。次に、【異世界の客人】について。数十年、数百年と頻度はまちまちですが……私が知り得る限りの歴史では、この国に過去に5度、この世界ではない別のところから突然やってきたとされる人物が確認されています」

「5度……つまり、5人ってことですか」

「そうですね。他国を含める世界規模で見るとさらに多くなりますが、せいぜい20人程度でしょう」



 これは……多いのか少ないのか、いまいち判断ができない。フォルカナ王国?とやらが建国されたのがどれほど前なのかわからないが、数十年に一度と聞くと、頻度としては高いようにも感じられる。

 ひとまず、自分以外にも過去に別の世界からやってきた人間がいたのだ。しかもちゃんとそれが記録に残っているということを知れただけでも、心細い気持ちでいっぱいだったミーナは安心できた。


「【異世界の客人】は、神に招かれてやってきたと言われています。国で手厚く保護すべき対象なので、【客人】を見つけた者はただちに保護し、国に届け出なければなりません」

「それ……法律で決められてるって仰ってましたよね。届け出なかったらどうなるんですか?」

「重罪を犯したとして、地下牢に放り込まれますね。おそらく」

「うわあ……」

「ですので、ミーナさんも頃合いを見て王都までお送りします。王宮に保護されれば先ほど襲ってきたような魔物にはまず出会いませんし、衣食住も保障されます。国に監視されることにはなりますが、ある程度自由に生きられるかと」

「ちょ……ちょっと待ってください!」


 ローザは淡々と説明しているが、なんだか話の方向がおかしい気がする。今のミーナにとって最も重要なことを確認するため、すうっと深呼吸をしてからローザに問いかけた。



「い、衣食住とか、自由に生きるとか……わたし、そんなつもりないです。できれば今すぐ帰りたいんですけど」

「……これも非常に申し上げにくいのですが、これまで【客人】がもとの世界へ帰ったという記録はありません」

「……マジですか……」

 

 

 ミーナは再び絶望の淵へと追いやられた。なんということだろう。以前、インターネットでこういう異世界召喚ものの小説を読んだことがあるから可能性として考えなかったわけではないが、あり得て欲しくなくて考えないように意識の外に追いやっていた。

 フィクションの世界なら他人事で済むが、現実の自分のこととなると話は別だ。もとの世界へ帰れないなんて、困る。ものすごく困る。


「……大丈夫ですか、ミーナさん」

「大丈夫です。ちょっと……軽く絶望してるだけで」

「それは大丈夫じゃないですね……。辛い事実を突きつけてしまって申し訳ありません」

「いえ、いちばん重要なところなので……。早い段階で知れてよかったです」


 もとの世界に帰った【客人】はいない――。

 その事実を、疲れ切った今のミーナは受け入れることができなかった。まともに考えたくない。夢なら醒めて欲しい。凶悪な肉食鳥に襲われたこともひっくるめて、今日一日のことぜんぶ夢だったらいいのにと心底思った。



「……すぐには受け入れられないでしょうから、すぐに王都へ向かうのはやめましょうか。落ち着くまで、良ければ私の家でのんびり過ごされてください」



 ミーナの様子を見かねたローザが、そんな申し出をしてくれる。この聖人は、ミーナにどこまで恩を売れば気が済むのだろう。


「……いいんですか? 自分でいうのもなんですけど、こんな怪しい奴を家に置いたりして……」

「……その卵は、竜の卵です」


 ローザはミーナの膝にある巨大な卵を見て言った。唐突に飛び出したファンタジックすぎる単語に面食らう。


「りゅ、竜……!?」

「はい。訳あって私は竜に縁がありまして……竜の卵を持つ貴女を保護するのは、その卵を保護することと同じ。どうか私に、貴女とその卵を守らせてください」


 ローザの目は真剣だ。ミーナは自分の膝の上の卵を改めて見つめてみた。

 まさかこれが、竜の卵だなんて。ミーナの貧困な想像力では細部まで思い描くことが出来ないが、竜というと、つまりはあの……火を吹くドラゴンという認識で合っているだろうか。

 どうしてそんな、明らかに貴重そうなものが自分の手にあるのか、ミーナには皆目見当もつかなかった。あんな路地のゴミ山に置かれていた意味がわからない。

 当然のことだが、この卵の価値はミーナよりローザの方がよっぽど正しく認識しているだろう。ミーナが想像するより、ずっと貴重なものである可能性だってある。



「……わたし、この卵と一緒にこの世界に来たんです。でも竜の卵だなんて知らなくて。もしローザさんが竜にお詳しいんだったら、これはローザさんに持っててもらった方が」

「いいえ。その卵は貴女を選んだ。それは貴女の竜です」

「……わたしの、竜……?」

「また明日、お話しします。お疲れでしょうから、今日はこのままお休みください」

「……はい」



 ローザの言葉の意味は、なにひとつわからない。

 ただ実際、今のミーナは身体も心も疲労困憊で、竜の卵はおろか今後のことなんてとてもじゃないがまともに考えられる状態になかった。明日、いきなり王都へ出発すると言われても困る。だから『のんびり過ごされてください』というローザの言葉は有難かった。

 一日くらいは、落ち着いて現実を受け止める時間が欲しい。



「じゃあ……お言葉に甘えて。とりあえず明日一日、よろしくお願いします」



 ミーナは今日いちばん深々と頭をさげた。命を助けてもらい、ご飯までいただいて、さらには宿まで。いくら感謝しても足りないくらいだ。ローザに出会わなかったら、ミーナは今頃あの鳥の胃袋の中だったに違いない。明日は考え事をしながら家の掃除でもさせてもらおうと考えるミーナを、ローザは柔らかく微笑んで見つめた。



「わかりました。空いている部屋がひとつあるので、そちらを使ってください」



 奥の扉を開くと、短い廊下があった。右手と左手にそれぞれ扉がひとつずつあって、ミーナは右手の部屋に案内された。

 扉を開けてまず目に入ってきたのは、部屋にひとつだけある窓。明らかにひとり部屋だとわかる広さで、窓から差し込む月明かりで十分に中の様子が見渡せる。右手に簡素なクローゼットがあって、左手にベッド。家具らしい家具はそれだけだったが、埃がたまっている様子はなく、清潔な状態に保たれていた。


「つ、使っていいんですか。誰かのお部屋なんじゃ……」

「いいえ。空き部屋ですので気にしないで使ってください。向かいが私の寝室なので、何かあったら遠慮なく呼んでくださいね」

「……わかりました。ありがとうございます」


 パタン、と扉が閉められ、ミーナはリュックサックを床に置いた。卵をベッドの上に置き、窓の方へ近づく。見えるのは、風でかすかに揺れる木々と、夜空に浮かぶ白い月。世界が変わっても月は同じなんだなあ、とぼんやり思った。

 ここは異世界らしい。改めて考えてみると、不思議な感じがした。いつも通りの帰り道だったはずなのに。一体自分の身に何が起きているのか、今のミーナには何もわからなかった。

 


「……なんで空き部屋なんてあるんだろう」

 


 ベッドに腰かけて部屋を見回し、呟いた。こんな森の中にわざわざ家を建ててひとりで暮らしているのに、なぜ空き部屋を設ける必要があるのか。昔は誰かの部屋だった可能性も考えられるが、ベッドもクローゼットも、過去に使われたような形跡がない。

 先ほどまでローザといた部屋はそれなりに生活感があったが、ここだけそれが全くないのだ。まるでこの部屋だけ、別空間に切り取られているみたい。明らかに『たまたま』空いてしまっている部屋ではない。最初から――なんならこの家を建てた当時から――ずっとこの状態であるかのようだった。

 

 制服を着たまま寝るのは少し躊躇われて、ブレザーだけ脱いでクローゼットのハンガーにかけた。仕方なくシャツとスカートのままスニーカーを脱いで、ベッドに寝転がる。そうすると急激に眠気が襲ってきて、ミーナは自然と目を閉じた。


 どうして自分は【客人】なのか、この竜の卵はなんなのか。本当に自分はもとの世界に帰れないのか、ローザは一体何者でこの部屋は何なのか。

 考えなくてはならないことは山ほどあったが、ミーナはそれらの思考を放棄した。とにかく今日は疲れてしまった。一刻も早く眠りにつきたい。ミーナは襲いくる眠気に逆らわず、そのまま眠りに落ちていった。


 次に目が覚めたら、すべて夢であってほしいと思いながら。





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