虫も殺せぬ臆病者が勇者に選ばれたようです
勇者と魔王のやり取りを切り取ったお話
コメディ系となります
魔王城 魔王の間
「魔王様!大変です!!ついに、ついに勇者がこの城にたどり着きました。現在配下達が食い止めていますが、奴がここに現れるのも時間の問題です。」
魔王は跪いた側近を玉座から見下ろした。豪奢な玉座の肘掛けに肘をつき長い足を組む。
「ほう、ついに勇者がここまでたどり着いたのか。側近よ、配下のものを無駄に傷つける必要はない。妾が直々に勇者の相手をしてやろう。」
魔王の見た目は人間の十代の女子を模している。褐色の肌に血で染まったかのような赤い唇、嗜虐的に弧を描く翡翠の色をした瞳。そしてこめかみの辺りから生える二本の角に漆黒に輝く翼、その姿は血も凍るような美しさだ。
しかしその見た目に惑わされてはいけない。彼女は強さこそ絶対的な正義という矜持を持つ魔族の頂点に、千年もの間君臨している歴史上最強の魔王なのだ。
先代魔王から魔王の座を引き継いでからというものの人間どもやら獣人どもやら精霊やら色々な種族が、世界を支配しようとする魔王の討伐を目指していた。だが、彼女は最強。ゆえにそのすべてを力でねじ伏せた。その時には彼女に叶うものなどいないと、同じ魔族すらもを震え上がらせたものだ。
しかし、それも二百年ほど前の話。魔王は世界を支配して魔王城に君臨した。それ以降はちょっかいをかけてくる輩などいなく退屈だったのだ。久しぶりの敵の存在に魔王の笑みが深くなる。
「いえ…魔王様…。」
側近が口ごもる。魔王は目を細めて彼に告げる。
「なんだ?申してみよ。」
「…配下の者達は怪我ひとつおってはいないのです。皆が催眠にかかったかのように勇者に道を開けるようなのです。」
「ほう…。催眠効果がある魔法でも使ったか?そんなもの妾には効かぬわ。しかし、ちと配下には荷が重いかもしれぬな。ますます妾が相手をせねばならまい。」
側近はハッとする。魔王様は状態異常を無効可する体質なのだ。
「本来ならば魔王様の手を煩わせるわけにはいきませぬ。しかし相手は強力な勇者。魔王様のお力をお貸しください。」
「よい。退屈しのぎにはなろう。妾に任せ、お前は配下達と共に下がっておるがよい。」
「御膳を失礼します。」
魔王は笑みを浮かべて側近に下がるように伝えた。側近はすぐさま魔王の間から退散した。勇者と魔王の戦いに巻き込まれでもしたら命が危ない。
側近が立ち去り魔王の間に一人残された魔王は勇者の到着を待つ。少しは楽しませてくれる相手であれよ。
それほど時間は経たずに魔王の間の扉が開く。この短時間でここまでたどり着くとはの。相当の手練れのようだ。少しは本気が出せるかもしれぬ。うきうきとした魔王の前についに勇者が現れた。
「あのー、あなたが魔王様ですか?」
間の抜けた声に魔王は拍子抜けする。扉を開けてやって来たのは、少年と青年の間くらいの人間の男だった。
それはよいのだが…
魔王は眉間にシワを寄せて男の様子を観察する。立派な盾は持っているが武器の類いは持っているように見えない。服装も動きやすそうであるが防御力がありそうに見えない普通の服だ。
このような装いでここまで来るとはよっぽどの自信がある強者か実力を理解できぬ愚者かどちらかだ。あるいはその盾を使った戦いをするのかの。どれ試してみるか…
魔王は相手を威圧する魔力をわざと放出させながら玉座から立ち上がる。ピリピリと肌を突き刺す感覚に生半可なものではこれだけで気絶するはずだ。
「よくぞ来た勇者よ。妾が魔王だ。」
声にも魔力をのせて威圧する。勇者はぽっかりと口を開けて「おぉ…」と呟いた。
さすがにこの程度では倒れぬか。顔色が真っ青ではあるがな。あんまり楽しめそうもないの。魔王は威圧を引っ込めつまらなそうに勇者を見た。すると勇者がぽっかり開けた口を言ったん閉ざし何やらごちゃごちゃ言い出した。魔王にというより一人言のようだ。
「こんな怖い人のとこ行けって村長なに考えてんだ。僕は虫も殺せない村一番の臆病者だぞ。あー、殺されたら送り出した村長と村人を呪ってやるー。けど死にたくないしな。とりあえず早く終わらせて帰ろう。」
ごちゃごちゃとした呟きは魔王の耳にしかと届いた。なんだと?戦えぬものを外に放り出したのか。ほぅ、つまりこやつはどうやら生け贄に差し出されたようだな。全く同胞を捧げるなど人間とは実に愚かなものだ。哀れに思わなくもないが、これもまた運命よ。
「お前は望んで戦いに来たわけではなさそうだが、勇者を倒すのが魔王の使命。妾に殺されることを誇りに思うがよい。」
魔王は魔力を右手に集める。黒い稲光がその手に現れた。盾など問題にならないぐらい強力な稲妻を作りサドスティックな笑みを浮かべる。
「案ずるな。せめてもの情けだ。痛みなど感じる間もなく消し炭にしてやるわ。」
勇者は真っ青になり震えながら稲妻と魔王を見比べる。その場から動かないのは、動いたら殺られると思ったのか恐怖のあまり動けないのか。魔王の笑みが一層深くなかったところで勇者は叫んだ。
「やめてください!それじゃあ僕死んじゃうじゃないですか。僕は死にたくないです。それ消してください。」
その瞬間、不思議な事が起こった。魔王は勇者の言ったことに納得してしまったのだ。ほぼ無意識のうちに稲妻を消したことに魔王自身が驚く。
「なんだと!?」
「分かってくれて良かったです。」
胸に手をやり、ほうっと深く息をつく勇者をよそに魔王は思考を張り巡らせる。
そう言えばさっき側近が言っていた。勇者は配下達に傷ひとつつけることなくここまで来たのだと。そして妾は勇者に洗脳能力があると思ったのだった。
久しぶりの客人に珍しくはしゃいでしまったようだ。もう油断などせぬわ。
魔王は再び手の平に稲妻を作る。今度は全身から凄まじい魔力のオーラを出しながらだ。
洗脳能力が魔法ならば、それを上回る力を放出させればよいだけのことよ。
魔王の殺意に勇者はあわあわとしながらも叫ぶ。
「だから、やめてください!」
「!?」
勇者の声と同時に再び魔力が消える。魔王はキッと勇者を睨み付け、玉座の横に立ててある剣を鞘から抜いた。
魔法が効かぬならこれならどうだ。
接近し剣を振りかぶるも勇者は立派な盾を使おうともしなかった。それどころかその盾を床に落とした。
盾と床とがぶつかってけたたましい音が響く。勇者は両手で頭をかばうようにして涙目になりながら言った。
「だから、もうやめてくださいって!僕はここに戦いに来たんじゃないんです。」
ぴたりと魔王は動きを止めた。なぜだ。なぜかこいつに攻撃をしたくないと思ってしまう。洗脳能力がここまで強力なのか?
「むむー。なんだ貴様は!勇者なのだろう。なぜ戦おうとせぬ。妙な術を使い妾を惑わす作戦か!」
魔法も物理攻撃も効かず、魔王は剣を下ろし頬を膨らませジト目で勇者を見る。勇者はそんな魔王にホッとした顔をした。話をする余地ができたからだろうか。
「僕はあなたと戦いに来たわけじゃありません。」
「では、何をしに来たのだ!」
「とりあえず…人間をいじめるのをやめてもらうため?」
魔王の問いかけに勇者は煮え切らない返事をした。魔王はその返答にやる気を削がれた。
「釈然としない。」
やれやれと首を降る魔王に勇者は突然訴え出す。
「そりゃそうですよ!僕は戦いなんてしたくないし死にたくなんかないし、虫すら殺せない、自他共に認める臆病者だ!たまたまこの盾を持てるからって放り出され魔王様に会ってこいっておかしいじゃないですか。」
ああ…。こやつが持っておるのが側近達の間で噂になった伝説の盾なのだろう。先程から感じる力はこやつでなくてこの盾か。このようなものに使われるなど盾もかわいそうじゃ。
「…おぬしの境遇は哀れに思うが…それでも侵入者を生きて返すわけにもいかぬ。」
「やめてくださいって。」
「やめろと言われてやめるわけが…」
おかしい…。こいつにやめろと言われるとやめる気持ちになってしまう。
「貴様の使う妙な術はなんだ。攻撃できぬではないか。」
「妙な術…?」
勇者はキョトンと首をかしげた。その様子に魔王は少し苛立った。
「だから!貴様がやめろと言うと攻撃出来ぬのはなぜなのだ!」
聞いて答えてくれるとも思わなかったが勇者はぽんっと手を打ってはにかんだ。
「ああ僕。昔からお願いだけは得意なんです。村の皆は説得力がすごいと言ってくれてます。」
これは…
「その説得力と言うやつがお主の特技か。」
恐らくこいつはここに来るまでの道中、そのお願いとやらをしてきたのだろう。配下達が攻撃しなかったのはこれが原因か。
むっ、では…
「あの、魔王様…何をしてるんですか。」
魔王は勇者の言葉に耳を貸さない。いや、魔王は両手で耳を塞いでいる。聞こえてないと言うのが正しい。
魔王はそのまま勇者に攻撃しようとした…がそれは出来なかった。勇者が瞳を潤ませてこちらを見てきたからだ
。
「ああ!もうなんなのだ!そんな目で見るな。」
魔王はそんな勇者にぐぬっと呟いて耳から手を離した。勇者の顔がパァーッと明るくなる。不覚にも魔王はホッとしてしまった。
まぁ、こやつに攻撃の意思はないらしい。どうやって仕留めるかゆっくり考えるとしよう。魔王は尊大だが美しい仕草で玉座に座った。
「ありがとうございます。魔王様は優しいですね。」
ドキッと魔王の心臓が鳴る。そんな言葉を言われたのは初めてのことだった。
「妾が優しいなどあり得ぬ。」
「いいえ、魔王様は優しいですよ。僕みたいなのをちゃんと相手にしてくれるのは魔王様ぐらいですもの。なんというかこんなの初めてです。」
そうか、こいつも初めてなのか。っていかん。こいつのペースに飲まれてはならぬ。そう思ったのもつかの間。
「魔王様、僕は魔王様とお友だちになりたいです。」
ニッコリと親しみが込められた笑みを浮かべ勇者が言った。その瞬間魔王の心が激しく揺れた。
「き、貴様、何を言う!友達など…。」
勇者は気づいていないが、その言葉は魔王に効果抜群だった。その美しさ、強さゆえに魔王は配下には恵まれたものの対等な友達という関係のものはいなかったのだ。
生まれてからずっとそうだった。そのため、もはや当たり前と化していたが、友達というものに憧れなかったわけではない。だが、それが致命的だった。
「ダメ…なのですか?」
魔王の激しい否定に勇者はへこんだ。実際には魔王はテンパっていただけなのだが勇者は気づかない。
「ダメ…とは言ってないだろう。」
「じゃあ、いいのですか?僕と友達になってくれます?」
「まぁ…なってやってもいい。」
「やったぁ!」
無邪気に喜ぶ勇者を見て魔王も嬉しくなる。初めての友達が妾に出来たと。
勇者は勇者で友達になれば殺されないですむと喜んでいた。
「では魔王様…」
「ならぬ、友とは名前で呼び合うのだろう。妾の名はチェルヒノーラ。そなたの名は?」
「僕はソンプ村出身のリカルドです。」
「そうか、ではリカルド。共に人間の世界を滅ぼそう。」
「いえ、それはダメですよぉ。」
「むぅ、なぜだ。」
魔王が清清しい笑顔で言ったのに勇者は慌てて両手を振る。不機嫌そうに目を細めた魔王に勇者は必死に説明する。
「人間の世界には僕の大事な友達とかも暮らしています。だから友達がいるとこを壊して友達を殺したら、あなたのことが嫌いになってしまいます。」
「むぅぅ、それは困る。確か人の世界には友達の友達は友達という言葉があったな。では、お前の友達は妾の友達か?」
勇者はなんか違う気もしたが違うとは言えず頷いた。
「そうか、ならば人間界を滅ぼすのは考えることにする。」
「ありがとうございます!魔王様大好きです。」
「なに、妾には造作もないことだ
。その代わりお前の友達を紹介するのだぞ。」
「はい!」
こうして魔王は勇者の口車に乗り人間界の侵略をやめた。側近達は驚き、クーデターを起こすこともあったが、相手は魔界一の強さをもつ魔王と、その魔王を説得した勇者である。その二人に叶うもの一人としては存在しなかった。
その後、魔王と勇者が親交を深めたことにより、それぞれの国も少しずつ交流を持ち、ついには、この世界で最も大きくいろいろな種族が住む一つの国となったのだった。
そこに行き着くまでには紆余曲折あり一筋縄ではいかなかったものの、今この国では多様な種族が毎日幸せそうに暮らしている。
その国に魔王と勇者はもういない。彼らがいたのは遥か昔のことである。しかし、その二人はこの国の始まりの者として今でも皆に慕われている。人々は今日も二人のことを武の魔王と言の勇者として崇めているのであった。