同盟と精霊王
「助ける……だと?」
「ちょっと、主様にいきなり攻撃しておきながら、なんてあつかましい!」
咬みつくように眷族が出てくるが、ニルヴァーナは片手で制した。
話は聞いてやってもいい。
ニルヴァーナはそう思っていた。いっそ清々しいからだ。
「構わぬ。カエンタケ。ファルムはそれほどに強敵なのか?」
「ああ。俺たちランタンの森もそれなりに勢力はもっていたんだ。俺のように準精霊クラスも数人いた。姫をはじめとして、な。だが……」
カエンタケはぎり、と歯ぎしりをした。
「連中が侵攻してきたから、迎撃にでたんだが、あっさりと駆逐されたよ。ファルムによってな。だから俺たちは緩衝地帯として保持していたエリアを破棄し、姫を連れて逃げてきたんだ」
「だがそれにとどまらず、じわじわと削り取られてるんだろう?」
「ああ。そうだ。このままでは、ランタンの森はそう遠くない内、ダークロウの森に呑み込まれてしまう。この穏やかで霧がかるほど水分の豊富なここは、暗闇に囚われてしまう。ファルムの汚らしい魔力によってな」
今度息をついたのは、ニルヴァーナの方だった。
あの森がどれだけ危険なのかは察している。その脅威が迫ってきている以上、ニルヴァーナにも対策が必要だった。
《アレに一人で対応するのはまだ不可能。かといって、悠長に眷族を成長させていく余裕もなし。となれば、ここを離れるか……協力要請に承諾するか》
ニルヴァーナの思考は続く。
《難しい判断ではある。ここと同等条件な場所は、この広大な森林ならば見つかるだろう。だが、周囲の環境がどうか分からない。それに……ここで重要なのは》
ちらりと、深々と頭を下げるカエンタケに目をやる。
《仲間を見つけておく、だな》
ニルヴァーナは決意する。
そっと腕を伸ばし、カエンタケの肩を叩いた。
「いいだろう。協力要請を受理する」
「主様……」
「反論はするつもりなどないだろう?」
諭すように語りかけると、眷族は一礼してから一歩下がった。戦術的に正しいという判断ができたのだろう。
「だがもちろん、タダでとはいわんぞ」
「分かっている。条件は?」
カエンタケの返事は早かった。おそらくも何も、はじめから交渉をするつもりなのだ。
ニルヴァーナは考える。
麒麟の知識と宿した知性で、交渉の意味は知っている。だが、実戦でどう扱えるのか、となれば話は変わってくる。
はじめから交渉の天才などいない。
だから、開き直ることにした。
「俺は仲間が欲しい。話したとは思うが、鬼どもへの復讐が今の俺の全てだ」
「……それに協力しろ、と?」
「仲間が欲しいからな」
「つまりそれは、俺たちに屈服しろというのか?」
「いや、そのつもりはない」
少しだけ警戒の滲んだ声に、ニルヴァーナは即座に否定した。
状況によってはそれも考慮するが、今はその時期でも状況でもない、と考えている。そもそもニルヴァーナはまだ勢力らしい勢力ではない。
話を聞けば、カエンタケの方が勢力的には大きいだろうし、相手にも王がいる。つまり屈服といった類の判断はカエンタケには不可能なのだ。
「あくまでも協力体制だ。俺もまだ王として未熟だし、勢力も弱いからな」
「対等な同盟関係、といえばいいか?」
「そうとらえてもらって構わない」
ニルヴァーナは頷く。
「それならばオーケーだ」
「それとまだある。俺と、俺の眷族……あの子に剣を教えてもらいたい」
「剣を?」
「他にも体捌きだったりとか、戦闘に関するもの、すべてといってもいい」
この提案にはもちろん、ニルヴァーナなりの考えがあった。
今必要なのは、仲間もそうだが、ニルヴァーナやその眷族自身の戦闘力だ。カエンタケはニルヴァーナが対峙した中でもっとも強く、もっとも理論的だった。
彼から学べることは非常に多い。そういう観点からの判断だ。
「いいだろう。それで対価なら優しいものだ……ニルヴァーナ、と呼んでいいか?」
「もちろんだ」
「ではあの子は? あの子に名はないのか?」
問われて、ニルヴァーナは目を点にさせた。
眷族にそんなものはない。考えたこともなかった。だが、確かに名がないのは不便だ、と思い至った。
ニルヴァーナは顎を何度かさすりつつ眷族を見てから、口を開く。
「リタ。リタでいい」
「あ、主様っ……こんな私なんかに名前を……!」
感激した様子で、一本角の眷族──リタは両手で口をおおった。
「あった方が便利だろう?」
「はいっ! ありがとうございますっ! 私……リタは幸せです!」
なんでもない様子のニルヴァーナに、拝むような姿勢さえ見せるリタ。
チグハグな二人を見て、カエンタケは呆れた。
「なんだかスゴくズレてるなお前らは……まぁいい。とにかくこれから、お前たちを俺たちの本拠地へ招待する。我らランタンの森の支配者――姫であるタマ様にな」
「女王、ということか」
「ああ。それに精霊王様へ早く報せないといけないからな」
「精霊王?」
ニルヴァーナは疑問をすぐ口にした。
精霊王。
単語を反芻した直後、麒麟から与えられた知識が閃き、ニルヴァーナの脳裏に浮かぶ。このフリードリッヒ大森林の頂点ともいえる存在だ。数百年前、様々な種族が森の覇権を争う、激動の戦乱時代にあった森林を一つに導き、以降、平穏を保っている偉大なる存在としてあがめられている。
まさに、圧倒的な上位存在だ。
「我ら一族は、精霊王様直々にランタンの森の統治を任されているからな」
「統治を、か」
「そうだ。精霊王様はそうやって、森林を細かく区分けし、統治を有力者たちに任せることで平穏を訪れさせたんだ。他者の統治区域を侵略しない、という掟も定めた。少しでも不穏な動きをすれば、精霊王様がその威光でもって成敗し、統治者たちからの忠誠も確保して、な」
ニルヴァーナは感心して、ほう、と声を漏らした。
《分割統治……いや、統治の細分化か》
自分一人だけでは、どうしても無理が出てくる。しかも、同時多発的にトラブルが起これば対処の仕方が非常に困難だ。
その点、効率的なシステムといえよう。ニルヴァーナは納得したが、疑問もまたやってくる。
「それならば、どうしてファルムが攻めてきているのだ?」
「その精霊王様が、もうじき寿命を迎えられるからだ」
カエンタケは本当に悲しそうな表情を浮かべ、うなだれる。そこに覇気も何もない。
ニルヴァーナの知識によれば、現在の精霊王は朱雀だ。炎帝とも呼ばれる神にも等しい存在であり、慈悲深くも好戦的な性格。
元々が鳥なので、数百年も生き永らえたことは驚嘆に値する。それだけの力を保持している証拠だ。
「精霊王様のもと、この森はひとつになったが、親精霊王派と、反精霊王派がいて、長年対立の火花をくすぶらせていたんだ」
「ほう。つまりお前たちは親精霊王派で、ファルムが反精霊王派ということか」
カエンタケは首肯し、踵を返した。どうやらランタンの森の中枢へ案内してくれるらしい。
眷族を放置していられるほど、彼らはまだ強くない。ニルヴァーナは即座に彼らを種子の状態まで戻し、懐に回収した。
魔力を消費するが、彼らを放置するよりましだった。
「……器用なものだな」
「植物だからな、俺は」
ニルヴァーナは自慢しつつ、カエンタケに追随していく。
「それで? 精霊王が寿命を迎えようとしていることで、その反精霊王派が俄かに動こうとしているのは理解したのだが? その精霊王に何を報せるつもりなのか」
「謀反の報せだ。精霊王様へは遠いからな、ここは」
「……つまり、もう精霊王はここまで力が及んでいないのか」
「カンが鋭いな、お前は」
否定しないカエンタケに、ニルヴァーナは同情した。
カエンタケをはじめとするランタンの森を統治しているのは、菌類だ。精霊王によって精霊化し、統治するようになった背景がある。そのため、絶対的な親精霊王派の一角だ。
反面、古くから精霊化してきた種族と比べて歴史は浅く、力も決して強くはない。
今まで統治してこれたのは、精霊王の威光があってこそだ。
それがほとんど効力を失いつつある現状、彼らが苦しむのは当然の流れだった。
「だからこそ、我らが目となり口となり、手となる必要がある」
「ほう?」
「ファルムの狼藉はもはや許し難し。ここは一つ、精霊王様に討伐の許可を頂き、正式に倒そうと思う」
「おいおい、いきなりだな。俺とリタが助力するだけだろう?」
「こうすることで、親精霊王派の援軍も見込めるんだ。だが、到着まで時間がかかる」
「なるほど、俺はそれまでの盾の代わりということか」
あっけらかんとしていて、あけすけで。自分に対しても無遠慮で。
ニルヴァーナの人柄が分かる発言に、カエンタケは苦笑した。ここまでおっぴろげなのは珍しい、と。
「全てを台無しにすると、そういう意味だな」
「だが、乗り越えれば、俺にも機はある、か?」
「お前に統治領域を与えてもらえるよう便宜ははかってやるさ」
ニルヴァーナが要求する前に、カエンタケは応じた。
これは大きい。この森全体の支配者である精霊王からの許可が下りれば、ニルヴァーナも立ち回りやすくなるだろうから。
「それならばいい。精霊王とはどうやって連絡をつけるんだ?」
「通信魔法の術式が組み込まれたものがあるんだ。そこで連絡をつける。話もすぐに可能だ。こうなった以上、速度は非常に重要だからな」
「援軍をもらうにしても、だな」
カエンタケは黙って頷いた。
「あの猪のようなバケモノはそう簡単にできるものじゃないからな。すぐに本格的な侵略をしてくるとは考えにくい。全勢力をかけられるわけでもないからな」
「……つまり、ファルムもファルムで狙われているのか?」
「ファルムは決して大勢力ではないからな」
カエンタケの発言は不穏だ。
《つまり、勢力を大きくさせるのは簡単ではない、ということか》
とはいえ、ファルムをどうにかできなければ意味がない。
どちらにせよ、ニルヴァーナに選択肢はなかった。
――どくんっ。
その時だ。
ニルヴァーナだけでなく、誰もがその鼓動を、感じ取った。
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