克服と決着
全身がただれていく。
ニルヴァーナは、ただその中で、これが相手の切り札だったのだと思い至る。ならば、それを乗り越えれば、どうにでもなる。今度は、こっちの切り札の出番だった。
息を吸い、自分の体内を巡る。
命を蝕まれる中、ニルヴァーナは強引に再生させながら、その時間を引き延ばしていく。
「無駄だ。もう終わりだ」
その宣告を、ニルヴァーナは拒否した。
ぜぇぜぇと苦しい呼吸を繰り返しつつ、ニルヴァーナは身体の芯からわきあがる激情と力に意識を委ねていく。
自らに入り雑じってしまった、鬼の生存本能だった。
「さぁ、おしまいだ」
カエンタケが剣に炎を宿らせる。高い魔力の威圧を感じ取りつつも、しかしニルヴァーナはほくそ笑む。
見つけたのだ。
恐ろしい勢いで体内をスクリーニングし、毒素を分解、無力化。それだけに終わらず、毒性を取り込んで角に宿した。
つまり、毒の耐性と、毒の獲得。
「……──なにっ!?」
敏感に察知したらしいカエンタケは驚愕しつつも一気に間合いを詰めていく。
元に戻った視界の中、ニルヴァーナはカエンタケよりも素早く動き、その腕から剣を取り出す。
麒麟の剣だ。
「敬意をくれてやろう。そしてこれで終わりだ! 丙子……」
「……──ルォオオオオオオオオォォォオンッ!!」
「り……!?」
ニルヴァーナの真後ろから、咆哮が響き渡った。
反射的にニルヴァーナは左へ飛び退き、振り返って剣を構える。カエンタケも意識を声の主へ向けていた。
ズシン、と。
重い足音が、腹にまで響いてくる。
「な、なんだ、あれは……!?」
バキバキと音を立てながら木々を薙ぎ払い、姿を見せたのは、怪物だった。
まるで弾丸のような、流線形のフォルム。寒気さえ催す禍々しい頭部の角に、口から生える牙。濁った鋭い瞳。
巨大すぎる、猪だった。
「異常進化した、のか……?」
「違う。あれは、魔力暴走の結果だ」
自分にあてはめて推論を出したニルヴァーナを、カエンタケは否定してから苦る。
魔力暴走。
単語を耳にして、ニルヴァーナは思い出した。
麒麟から与えられた知識の引き出しから魔力暴走の項目を出す。魔力暴走とは、器のキャパシティを超えた魔力を高密度に循環させ、全身にある魔力の流れを暴走させることがきっかけとなる。
暴走した魔力の流れは、とめどなく全身を破壊し、超再生を呼び起こす。
結果としてどうなるかは、その時々だが、ほとんどの場合は命を落とす。仮に生き延びたとしても、かなりの後遺症に悩まされるだろう。
《生き残った結果の個体か……?》
改めて見ると、恐ろしいほどの魔力が循環していた。
「ヤツめ……! そうまでして王になりたいか!」
「王?」
「ダークロウ森を支配するもの……ファルムのことだ」
忌々しそうに吐き捨て、カエンタケは剣を構え、じわりと間合いをはかる。
だが、厳しいことはすぐに分かった。
ニルヴァーナは木々よりも頭二つは大きい猪を睨みながら、不利を理解する。
《あの相手に毒は効果がない。毒を与えようにも、破壊すべき細胞がもはやないからな》
そうなると、勝負は剣術と炎の魔法だけになるが、そのどちらも通用しない。
あの巨躯に、カエンタケの武器はあまりにも小さい。
「ダークロウの森……さっき通り抜けてきたが、ファルムというのが支配者なのか」
「通り抜けてきた、だと? バカ言え、アイツは狡猾だ。お前のような存在を放置するはずがないだろう。部下にするために捉えるか、それとも殺すか、どちらかだ」
「だろうな。おそらく罠にはめられそうになっていた。だから、逃げた」
「逃げた、なんて。こともなげに言いやがって」
「まぁ幸運だったことは認めよう」
ニルヴァーナは素直に言いつつも、黄金の直刀を構えた。
「だが今は、コイツを先になんとかすべきではないのか?」
「……随分と冷静だな?」
「俺は王だからな。自分と眷族を脅かすものに対して、戦うものだ」
剣に力をこめる。滲みでてくるのは、強大過ぎる魔力。
決して猪にも負けていない。
「おい?」
「カエンタケ、といったな。ここは一時共闘といこうじゃないか」
「共闘、だと?」
「そうだ。敵の敵は味方、だろう?」
「……ちっ。貴様がファルムの手先じゃないってのは、認めてやる」
「おいおい、まさか俺に攻撃をしかけてきたのは、それが理由か? 随分と失礼だな」
「フン」
鼻を鳴らし、カエンタケはニルヴァーナの隣に立つ。
「いいだろう。一時停戦だ。どちらにせよ、貴様は俺たちランタンの森にとって脅威であることに変わりはないからな」
「ほう?」
「貴様のその力、周囲の生態系をあっさりと崩す。それが脅威といっている」
「……そのあたりは、話し合いの余地がありそうだな」
二人の会話を、猪の雄叫びが切り裂く。
カエンタケは怯むように構えたが、ニルヴァーナは泰然としていた。
「主様!」
眷族がニルヴァーナに声をかけてくる。
しかし、ニルヴァーナはただ穏やかに笑むだけだった。
《俺は、俺の眷族を守る》
猪が、その巨躯を活かして特攻をしかけてくる。
木々さえも薙ぎ倒し、誰にもなにものにも邪魔できない勢いがある。そんな暴威にニルヴァーナの眷族が耐えられるはずがない。彼らはまだ、動くことさえかなわない。
ニルヴァーナはカエンタケによってダメージを受けた仲間を修復させつつ、剣に魔力をずっしりとこめていく。
《俺は気を失うだろう。だから、頼むぞ――……!》
瞬間、ニルヴァーナの体内が全部もっていかれる。
それを堪えつつ、ニルヴァーナは剣をふるった。瞬間。麒麟の力が解放されて、黄金の閃光が猪に降りかかり――一瞬で消滅させた。
音もなく、波もたたず、空気も震えず。
ただ、麒麟の力が猪の全てを奪い去った。
残ったのは、戻ってきた静寂と、力を使い切って、すっかり動けなくなってしまったニルヴァーナ。もう、意識はない。
「主様!」
遠くで、眷族の声を耳にしつつ、ニルヴァーナはあっさりと意識を手放した。
どの道我慢できるレベルではないのだ。それならば、さっさと気を失わせて回復に努めるべきだろう。もし停戦協定を反故にされた場合の保険も一応かけてはある。
《そう。俺は死ねない。こんなとこ、ろ、で……》
▲▽▲▽
――目が覚める。
ゆっくりと起き上がると、まだ周囲には薄い霧がかかっていて、時間がそれほど経過していなさそうだ。最初に使った時よりも回復時間が早い。
ニルヴァーナは疑問に思ったが、自分が魔力を提供する眷族に囲まれていることを知って理解した。この提供された魔力の分だけ回復が短縮されたのだ。それに、カエンタケはきっちりと停戦協定を守ってくれたようだ。
自分の肉体を確かめつつ、ニルヴァーナはゆっくりと起き上がった。
すぐ傍には、カエンタケがあぐらで座りながら待っていた。ピリピリとした緊張感はないが、逆に静かで恐ろしさがある。
反対側には、眷族が同じように座りながら周囲をキョロキョロと見張っていた。
頼りなさはあるが、ニルヴァーナを守る必死さがあった。
「起きたか」
「うむ。ゆっくりと寝てしまった。済まないな」
「構わん。俺は約束を守っているだけだからな」
カエンタケはゆっくりと立ち、剣を鞘におさめた。はりつめていた空気感さえ穏やかになる。完全に戦闘モードを解除したからだろう。
ある意味、油断しているともいえる。
ニルヴァーナは一瞬だけ戸惑いを覚えたが、すぐに気にしなくなった。油断した、というのは心を許している、ということだ。
「そうか。ならば、続きをやるか? お前にとって、俺は脅威なのだろう?」
一瞬だけ、緊張が走る。
カエンタケは焼け付くような視線を送ってきて、すぐにため息をついた。
「やらん。お前と戦っても勝てないからな」
「ほう?」
「あのバケ猪を一撃で屠ったあの一撃。あんなものを捌けるような技、俺にはない。それに、お前に対して優位性をもっていたはずのスピードも、もう互角かそれ以上だ」
「お前の動きを観察させてもらったからな」
ニルヴァーナがこともなげに答えると、カエンタケは呆れたのか、大きいため息をまた一ついれた。
「気持ち悪いヤツだ。あんな超速戦闘の中で観察して進化させるなんて、ありえん」
「俺の身体は改造がききやすいからな」
もちろんそれだけではない。
ニルヴァーナにだけ与えられたユニークスキル、《進化促進》の寄与も大きい。
完全な初見殺しでもない限り、ニルヴァーナは対応できる。今回で、凄まじい高速機動も手に入れたので、尚更だ。
「フン」
「それで? 俺との戦闘をやめて、どうするんだ?」
「無論、決まっている」
カエンタケは改めてニルヴァーナと対峙する。そして、潔く頭を下げた。
「あのファルムの手先でなく、むしろ敵対する存在。それでいて、この俺よりも強く、また眷族の数も揃えられる……。俺たちにとっては、願ってもかなったりだ」
カエンタケはまた一段階、頭を下げる。
「頼む。俺たち、ランタンの森を助けてくれ」