3.何にも染まらない透明な愛情
「……と言っても難しいから、お菓子屋さんで問題ないよ。お客様。僕はここの店主で詩音」
手を広げて茶目っ気たっぷりに自分を紹介してみせた詩音は“ぽかん”とした表情を晒す相手にクックックッと笑う。
「いいねぇ、お姉さん。まさに鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してる」
「あ……ご、ごめんなさい!」
いきなりの説明についていけず、詩音の説明を聞いていた里穂は顔を赤くして俯く。その様子に詩音は手を振る。
「あははは、気にしない。気にしない。この店に来たお客様はみんなそんな感じだから」
嫌みに聞こえない快活な笑い声を上げた詩音は里穂の申し訳なさそうな表情を笑い飛ばしてニコリと笑う。
「それにうちの店はお姉さんみたいな訳あり客しか来店しないしね」
ヒラヒラと手を振ってそう言うと里穂が“ガバッ”と顔をあげる。その表情に詩音はわざとらしく肩を竦めてみせる。
「だってお姉さん、毎日この道を通ってるけどこの道でうちの店を見たことある?」
そう問いかけられた里穂は眉を潜めて考え込む。ここ数ヶ月は下を向いてずっと歩いていたがあそこにこんな店があったとは気づいていなかった。
「ないわ」
ここの店主だと名乗る男性にそう率直に口を開けば、後ろの棚に背を預けて腕を組んでいた詩音が口元を緩める。
「でしょう?この店は普段はあそこにはないんだ。あそこは昔から魚屋で、つい先日。店の主人が亡くなって廃業したばかりだからね」
詩音に言われて記憶を回顧した里穂は目を瞬く。確かに目の前の男性が言うようにこの店があった場所にあった魚屋を思い出す。その魚屋はこじんまりとしていたが元気のいいおじいさんとおばあさんが仲良く経営していた筈だ。
「あそこはいつも気のいいおじいさんがいつも通りがかる度に声をかけてくれたわ」
そう呟けば“そうだね”と詩音が同意する。
「おしどり夫婦ってああいうもんなのかな~ってぐらい仲良かったよね」
「そうだったわ」
声をかけられる度に“クスクス”と笑って、時には魚を買ったりしていた。その横でおばあさんが呆れたように笑っていてまるで“幸せ”の象徴のようだった。でもここ数ヶ月はずっと顔を伏せて歩いていたからいつからあの店がなくなったのかは分からない。だからおじいさんが死んだというのも今日初めて聞いた。
「という訳で、今日はその入り口を借りてお姉さんにご来店頂きました」
相手の感傷的な気分を振り払うように詩音はそう口にすると改めて里穂に向き直る。
「で、最初の話に戻るけどここは“訳あり客専門”の砂糖菓子屋さんなんだよ」
そう告げられた里穂は最初よりも腑に落ちた表情で詩音に聞き返す。
「訳あり?」
「そ、訳あり」
目を見張る里穂に詩音はウィンクする。そして里穂を真っ直ぐに見つめる。
「理由はそれぞれだけどね。うちにくるお客様はみんな疲れきってるんだ」
その言葉に里穂は息を呑む。この数ヶ月、里穂は突然、家族を見舞った出来事に心も体も追いつかず、ずっと常に追い立てられるように生きてきた。家に帰れば弟の介護に、突然の弟の身を襲った出来事を受け入れられたい母親と父親。しかし、会社ではそんな事関係なしに仕事を課せられる。自分に余裕がないのは自分の都合で世間一般ではプライベートと仕事は分けろと言われるのだ。それが頭では分かっていても上手く分けられず、くだらない失敗を繰り返した。その度に何度も“情けない”と叱られた。“すいません”と謝る自分と同時に“仕方ないじゃない”と思う自分もいた。だって、家族を見舞った不幸を支えるプライベートな自分も自分で仕事をする私もまた自分。たった一人の人間なのだ。ぐちゃぐちゃの感情の中でずっと生きてきた。
「その証拠が彼女だよ」
そう促されて横を向けば自分とうり二つの女性が大雨の中で傘も指さずに立ち尽くしている。その女性を眺めていると詩音が目を細める。
「うちはね、お姉さんみたいに現実の世界に疲れてもう無理って人に疲れを癒していってもらう場所なんだよね~」
そう詩音に言われて里穂は目を瞬く。ようやくここが不思議な場所なんだと理解する。そして自嘲的に笑う。
「そっかぁ……疲れてるのかな……」
いつも会社でも家でも聞き分けのよい自分を演じていた。自分だけが我慢すれば全て上手くいくと思ったのだ。そう素直に目の前の男性に吐き出せば詩音がニコリと笑う。
ーそしてー
里穂の前で自分が凭れていた棚を振り返ると砂糖菓子が入った瓶を手に取る。その様子眺めていると蓋のついた瓶を自分の前に持った詩音が瓶の中に目を凝らしている。見た限り、瓶の中には様々な色のついた金平糖が入っているようだ。瓶の中を見れば発色が鮮やかな青色から赤黒い色をしたグロテスクな金平糖とバリエーション溢れる金平糖が入っているらしい。
「うん……これがいい……」
しばらく、瓶の中を見ていた詩音が声を発したのに我に返れば、自分の横を通り過ぎてカウンターに向かう。動く姿を目で追えば店の奥に小さなキッチンがあり、そこに設えられた棚には様々なものが雑多に詰め込まれているのだ。その棚に近づいた詩音が一枚の皿を取り出すと瓶の中から選んだらしい一粒を乗せる。見守っていればその一粒を乗せた皿と瓶を手に再び、里穂の前に戻って来て椅子を引く。
「はい」
向かいに座った詩音が差し出した皿に載る一粒の金平糖に里穂は視線を落とす。
「透明……?」
あれだけ色んな色をした金平糖があったのに自分に出された金平糖は透明。透き通るように綺麗な色に里穂は惹き付けられたように手を伸ばす。その姿に詩音は口元を緩める。
「綺麗でしょう?」
「ええ」
その言葉に従うようにその粒をつまみ上げた里穂が目の前に翳すと同時に詩音が目を細目ながら口を開く。
「だって……それは“無償の愛情”だからね」
その言葉に透明な粒を摘まんでいた里穂は間抜けな表情で詩音の顔を見つめた。
いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。