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Confcito  作者: 高月怜
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2.今日のお客様

「どうぞ」


その言葉に山口里穂は俯いていた顔をあげる。顔を上げれば20代後半の男性が湯気の上がるカップを机の上に置いてくれるのが分かる。自分に向けられる優しい笑みに里穂は“ふっ”と強ばった顔を緩ませた。


「……ありがとうございます」


今にも消え入りそうな声で礼を言って、カップを口に運ぶ。一口飲み込むと柔らかな温かさが冷えきった心に染み入る。


「あったかい……」


そう呟いた里穂の頬を涙が伝い落ちる。一筋涙が零れ落ちた涙を皮切りに止めどなく涙が頬を伝って落ちる。


「あれ……?」


いきなり涙が止まらなくなった里穂は慌てて拭う。しかし、涙は止まらずに頬を伝っては落ちる。いきなり見知らぬ人の前でボロボロと泣き出した自分に混乱する。止まらない涙と自分の置かれた状況に焦れば焦るほど涙は溢れては止まらない。どうしようと慌てる里穂の前にタオルが差し出される。


「大丈夫ですよ。どうぞ」


「すいません……」


両手で涙を拭っていた里穂は近くに居たらしい男性が差し出す布を有り難く受けとる。


でも……


“恥ずかしい……”


“すんっ”と鼻を鳴らして、目を伏せる。男性から受け取った布を膝の上において握りしめる。三十路を越えた女が見知らぬ男性の前で子供のように泣くのが恥ずかしくて堪らない。恥ずかしさと居たたまれなさに押し潰されそうな気持ちで目を伏せれば向かいの椅子が引かれる音が耳に届いた。そして少し遅れてジーンズに包まれた長い足が視界に入る。その事に目を瞬いて恐る恐る下に向けていた顔を上げれば机に肘をついた男性が優しく微笑みながら自分を見ていた事に気づく。


「あの……」


恥ずかしくなってそう口にすると男性が更に笑みを深めて自分の口に指を当てる。その意味が分からずに男性を眺めていればゆっくりと右に向かって指を向けられる。その指先を追って目にした鏡に映る自分の姿に里穂は目を見張る。鏡に映る自分は紛れもなく自分なのにそこに映る自分は強く降る雨に打たれてぎゅっと拳を握っている。握りしめられた拳は力が込められているのか白い。


“これは私だ……”


でも不思議なことにその姿を目にした里穂は何故かそれが自分だと疑いもしなかった。何故なら、今も自分の心の中では雨が降り続けて自分を打ち付けているからだ。


「そう……あれが心の中の君」


里穂の心を読んだように耳に届いた事に男性に視線を戻す。するとまるで自分の事のように痛ましげな表情で鏡の中の自分を見ている横顔が視界に入る。それを見て再び、鏡の中の自分に目を戻す。傘も持たずに雨に打たれ続ける彼女は紛れもなく自分だ。


「色んな事が起こっても頑張り屋な君は誰にも甘えられず、ただ一人打ち付ける雨の中で頑張ってたんだね」


鏡を食い入るように眺める自分の心を代弁するかのような言葉に再び自分の頬を涙が伝い落ちる。低いテノールの声音が強ばって、誰にも打ち明けらずにいた弱い自分を引きずり出す。


「……私は……」


そうポツリと呟いたものの、それ以上は言葉にならず後はただ先ほど受け取ったタオルに顔を押し付ける。


“なんで私だけ!”


“辛い!”


“苦しい!”


荒れ狂う感情が胸に去来して言葉にならない。ただ、涙となる。鏡に映った自分を認める。


“私は辛くて苦しいのだと”


人前で泣くことも喚くことも恥だと言われるこの世界では人は自分に降る雨に一人で耐えるしか出来ない。ずっとタオルに顔を押し付けて泣く里穂を前に詩音はただ傍らに座り続ける。


ー雨ー



それは誰にでも平等に降り注ぐもの。しかし、心の中で降る雨にはさす傘を持たない人間がこの世には数多いる。今日、この店に招き入れた女性もまたその一人だ。店に招き入れた時からずっとずぶ濡れの姿のままの里穂は椅子に座っている。長い間、心の中で降る雨に打たれ続けて傘をさすことすら忘れてしまったらしい。里穂の泣き声を聞きながら、詩音は嘆息した。あまりに雨が冷たくて彼女は自分がずぶ濡れで寒さに震えていることにすら分からずにいた。あまりにも降る雨が冷たくて麻痺してしまったのだろう。


どれぐらいそうしていたのか……女性の泣き声が徐々に小さくなってくる。


「……落ち着いた?」


完全に嗚咽が止まったのを見計らって詩音が声をかけると女性がタオルに顔を押し付けたまま頷く。


「……ごめんなさい」


少しして女性がタオルから顔を離して詩音を見上げてくる。泣きすぎて嗄れた喉から絞り出された声が自分に向けられたのに詩音は首を振る。


「気にしないで。君を招き入れたのは僕だから」


そう答えるとまだ生気は全くなく、ぼんやりとした表情はしているが女性が目を瞬く。そして自分の言葉を少し考えてから周りを

見回す。その瞳が店に無造作に積まれたガラス瓶の中に入れられた糖花を見つめる。少しして不安気に自分を見上げてくる。


「お菓子屋さん……?」


そう呟く言葉に詩音は“フワリ”と笑う。


「正確には……“砂糖菓子”かな……」


里穂の言葉を肯定しながらも椅子から立ち上がった詩音は蓋のついたガラス瓶の一つを手に取る。そこに入れられた糖花達は一つ一つが色んな色を纏っている。その事に目を細めながらもその中の一つを瓶の中から取り出して、里穂の手に乗せる。


「金平糖……?」


自分の手の中に乗せられた一粒を里穂はしげしげと眺める。小さい角がたくさんある砂糖菓子を里穂は金平糖以外に知らなかった。手に乗せられた一粒を確かめるように問いかければ男性が無言で食べるように促す。その仕草に少し考えた後、その透明な粒を口に含む。


「……甘い……」


口に含んだ瞬間、里穂の口から勝手に言葉が口から漏れる。遠い昔に食べた記憶のある金平糖よりも甘い塊をコロコロと口の中で転がすと無気力だった体に少し熱が灯った気がする。透明な粒を口の中で転がす里穂の頬に少し赤みが戻ったのを見て詩音はホッと息を吐く。


「落ち着いた?」


「ええ」


先ほど同じ問いかけに里穂が今度はしっかりと応じる。その事に詩音は安堵しながらも周りを見る余裕を取り戻した里穂が“キョロキョロ”するのを眺める。


「ここは?」


暫くして満足したのか周りを見回していた里穂が自分に視線を戻すのに詩音は凭れていた棚から体を離す。ようやく今夜のお客様は周りを気にする余裕を取り戻したようだ。里穂の前に一歩進み出た詩音は様々な色の糖花が入ったガラスの瓶を背に少しキザったらしく手を広げた。


「ここは“Confcito”。いらっしやいませ、お客様」


その言葉に今日のお客様が目を見開くのに詩音は笑みを深めた。

いつもお読み頂きましてありがとうございます。誤字・脱字がありましたら申し訳ありません。少しでも降り注ぐ雨への傘になりますように

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