緋眼の姫侍 後
家を貸してくれた農夫にお礼を言ったあと、来たときと同じあぜ道を今度は三人で歩いて引き返した。
並んで立つと、姉の魅狐と妹の緋澄はほとんど同じ身長だということがわかった。
しかし野良仕事で鍛えられているからか、体の肉付きは緋澄のほうが良さそうだった。
銀髪金眼の魅狐に、黒髪緋眼の緋澄。
姉妹といえども母親が違うのであまり似てないのは道理だろうか。
「父様が亡くなったという報せのすぐあとです」
歩きながら、緋澄が重々しく語り出した。
「魎鉄兄様の使いだという鬼がやってきて、魎鉄兄様を次の王として認めるか否か、と私に訊ねました」
「なんと答えたんじゃ?」
「私は、とても認められませんと答えました。兄様はほんの少し気に障ったことがあったというだけで、町ひとつ城ひとつをたやすく焼き払ってしまうような方ですから」
俺も魎鉄の強さ恐ろしさを多少聞いていたつもりだった。
だが、そこまでとは……。
「それからです。私のもとに、さきほどのような刺客が送られてくるようになったのは」
「わらわとおおよそ同じ状況じゃな」
「そうなのですか?」
「まぁ、わらわの場合は魎鉄のやつ自らが里に乗り込んできて恭順を迫ってきたがの」
そして拒否したために里を滅ぼされた……。
と以前俺は聞いていたが、魅狐は今そこまでは語らなかった。
鬼の王になるには、王の血を継ぐ兄弟すべての同意を得なければならないという。
同意をせぬ者は兄弟であっても殺す。
そういう考え方も鬼の世では珍しいことではないらしい。
「魍呀は魎鉄の支持を表明したと聞くのじゃ」
「そうですか。魍呀兄様はそういうひとでしたね……」
俺の知らない名前が出ていた。
「……魍呀とは?」
「私たち兄弟の二番目の兄です」
「言っとらんかったか? 獣の血を引く、獣王子魍呀じゃ」
魎鉄の側についたのなら、そいつも俺たちの敵ということか。
いずれは戦うことになるかもしれない。
「魎鉄を王にせぬため、わらわも次の王へと名乗り出たのじゃ。緋澄よ、わらわを支持してはくれぬか?」
「もちろんです」
緋澄は即答した。
「魅狐姉様は人間にもお優しい方です。姉様が王となるなら、私は何の不満はありません」
「うむ。そう言ってくれると思っていたのじゃ」
魅狐は嬉しそうに顔をほころばせる。
それを見て緋澄も朗らかな笑みを浮かべた。
「そしてじゃ。わらわたちは魎鉄を討つための旅をしておる。おぬしも同行して、共に戦ってほしいのじゃが……かまわぬか?」
「……はい。父様の菩提を弔うために母様が出家なされて、私も身の振り方を考えていたところです。姉様のお力になれればと思いはしますが……」
と、緋澄は申し訳なさそうにして足を止めた。
「私にはやらなければならないことがあって……今はここを離れられません。少しだけ時間をください」
「なんじゃ、それは?」
「ここから西に行った峠に大鎌切という妖怪が住み着いていて、通る人々を襲っています。それをなんとかしたいのです」
緋澄は険しい顔で西の方角を見る。
澄んだ緋色の瞳は、畑のさらに向こうの山々に向けられていた。
「一度討伐に出たのですが、手傷を負わせるのがやっとで仕留めるには至りませんでした」
両手が胸元で握り込まれる。
眉をひそめたその表情は、まるで痛みに耐えているかのようだった。
「妖怪と戦うことができるのは私だけです。今日明日にも再び討伐に行こうと思っていましたから、ちょうどいい機会です」
「姫様おひとりで……?」
「はい。なので魅狐姉様と仁士郎様は町で待っていてください。私が大鎌切を倒してきますから……そうしたら一緒に旅をいたしましょう」
「いや、そういうことならば俺たちも」
と言いかけて、私たちも、と丁寧に言い直す。
「その妖怪を斬るお供をさせてください。人々を困らせる妖怪を放ってはおけませぬし、ただ待っているわけにもいきませぬ」
「えっ……良いのですか?」
緋澄が目を丸くして問い返す。
「無論です」
俺ははっきりと頷いてみせた。
「そうじゃな。ひとりでは勝てぬ敵でも、三人ならばきっと勝てるのじゃ」
魅狐もそれに同意してくれた。
「姉様……仁士郎様……。では、私に力を貸しください」
「是非とも」
「元より力を借りに来たのはこちらなのじゃ。腹は違えど姉妹、遠慮は不要なのじゃよ」
「はい……ありがとうございます」
◆
緋澄が城に戻って支度をしているあいだ、俺と魅狐は城下町の飯屋で待つことにした。
腹が減っては戦が出来ぬという故事に則り腹ごしらえをしていくためだ。
魅狐がきつねうどんを注文したのでつい笑ってしまったら、容赦なく箸で目を突かれた。
一刻ほどして、着替えた緋澄が飯屋に現れた。
「お待たせしました」
「ほう……そういう服装も似合っているのじゃな」
桜色の小袖に白い陣羽織。
藤色の括り袴。腰に大小の刀。
頭の後ろでひとつに束ねた長い黒髪が馬の尾のように揺れている。
野暮ったい野間着姿とは打って変わって、清楚で勇ましき女剣士といった装いだった。
「いえ、それほどでも……」
緋澄は照れくさそうに体をもじもじとさせる。
似合っているという魅狐の言葉には俺も全面的に同意だった。
◆
店の外には十人ほどの城侍が控えていた。
彼らも同行するのかと思ったが、どうやら緋澄を見送りに来ただけのようだった。
「ここまでで結構です。どうかお戻りください」
「では、姫様……お気をつけて」
城侍たちは一様に心苦しそうな表情を浮かべて引き返していった。
「……侍の方たちも以前討伐に出ましたけど、その多くが返り討ちに遭ってしまいました」
彼らの無念さを汲み取るように緋澄が呟く。
「もう、ひとりの犠牲者も出したくないんです」
彼らとしても出来る限りの力になりたかったのだろう。
しかし妖怪と戦うには人間はあまりに無力だ。
下手をすれば足を引っ張ってしまう。
それがわかっているからこそ余計に悔しいのだ。
同じ武士として……そして元人間として、俺は彼らの気持ちが痛いほどよくわかった。
「あの者たちのぶんまで私が姫様の力になりましょう」
「ええ、おねがいします」
「緋澄さま……」
と、ひとりの童女が駆け寄ってきた。
「峠の妖怪を退治しに行くのですか?」
刀を差した姿を見てそう思ったのだろう。
緋澄は膝をついてその童女と視線を合わせた。
「はい。今日こそ必ず討ち取ってきます」
強い調子で頷く。
それは童女に答えているようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
「がんばって……絶対やっつけてきてください」
「約束します」
妙に真に迫った応援を送ったあと、童女はその場を走り去っていく。
緋澄はその背を悲痛な面持ちで眺めていた。
「彼女のお父様も、城に仕える侍の方でした。そして先日……私や他の人と共に、あの峠に赴いたのです」
緋澄の両の拳は強く握られ、かすかに震えていた。
「しかし、生きて帰ってこれたのは私だけでした。私の力が至らなかったばかりに、彼らを死なせてしまったのです……」
「わらわたちがそやつを討てば、死んでいった者たちの無念も晴れるじゃろうて」
震える拳を魅狐の両手が優しく包み込む。
緋澄ははっとしたように姉の顔を見た。
「過ぎたことを悔やんでも時は戻らぬ。これから出来ることに尽力すればいいのじゃ」
「はい……姉様」
頷いた緋澄の眼差しは、確固たる決意に満ち溢れていた。