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妖化の仁士郎 後

 俺が先頭に立ってつるを斬り分けながら、部屋を出て廊下を走る。

 廊下にしても床から壁まで一面が植物の蔓に覆われていた。


 先ほど食事を持ってきてくれた飯盛女らしき人間が、壁を這う蔓の中に見えた。

 らしき、と思ったのは、体が枯れ木のように干からびて木乃伊ミイラと化していたからだった。


 もう生きてはいないだろう。

 生命力を吸い取る……と魅狐みこは言った。

 俺たちも長居していたらこうなってしまうかもしれない。


 うねうねとうごめく蔓に足を取られないよう気を付けながら階段を駆け下りる。

 玄関脇を見ると、接客してくれたおやじも蔓の中に取り込まれていた。

 やはり木乃伊ミイラ状となっている。

 宴会をしていた旅芸人の一座が静かになったのも同じ目に遭ったからかもしれない。

 だがそちらまで確かめに行く余裕はなかった。


 魅狐みこがちゃんとついて来ていることを確かめつつ旅籠の外に飛び出る。

 外は外で景色が一変していた。

 何もなかったはずの草っ原に背の高い草木が現れ、隙間なくびっしりと生えていたのだ。

 まるで突然森の深部に放り込まれたようだった。


「むっ」

 魅狐みこの頭頂部に生えた三角形の耳がぴこぴこと忙しなく動いた。

「仁士郎、上じゃ!」


 屋根の上を指差す。

 三日月を背に、二本角の鬼が立っていた。


「一つ、ひとえに鬼のため」

 詠うような鬼の声が闇夜に響く。

「二つ、不浄の血を絶やし。三つ、乱れた世を正す――妖姫あやかしひめ魅狐みこよ、この樹鬼きおにが貴様の命貰い受けるぞ 」


 あの蜂鬼とかいうやつと同じく、彼女を狙って送り込まれた刺客……!


「くくく……せめてもの慈悲、まぐわっている快楽の最中くびり殺してやろうと思ったが、いささか時間が早かったようだな」


 夜闇に包まれた中で、その鬼の下卑た笑みを俺ははっきり見て取ることができた。


「そっ、そんなことせんのじゃっ!」

「貴様……! 無関係な人間たちを巻き込むとはどういう了見だ!」


「我が吸生樹陣きゅうせいじゅじんの術の養分となれたのだ。新たな鬼の世を築くための誉れ高い死と言えよう」

「勝手な物言いを……!」


 俺は刀を正眼に構える。

 しかし相手は屋根の上。

 どのように戦うか……。


「邪魔立てするつもりか侍よ。ならば二人まとめて地獄に落としてやる」

 樹鬼きおにが手をかざす。


「あの世でお楽しみの続きをするといい! 葉刃飛翔殺ようじんひしょうさつ!」

 すると周囲の草木から、さながら手裏剣のように無数の葉っぱが飛んできた。


 狙いは魅狐みこ

 俺は彼女を背にかばいながら、刀を振って葉っぱを弾き飛ばす。


 手裏剣状の葉っぱは次々から次へと襲いかかってきた。

 到底すべては弾き切れない。

 魅狐みこをかばったままでは下手に動くわけにもいかなかった。


「ぐっ……!」

 俺の肌に無数の傷がつけられていく。

 まるで本物の手裏剣のごとき斬れ味を有していた。


「くくくっ……半鬼半妖の分際で我らが王になろうなどとは笑止千万! 身のほど知らずの厚顔無恥! 見果てぬ夢と共にここで永遠の眠りにつけ!」


「仁士郎っ、無理するでない!」

 肩越しに魅狐みこが声を張り上げる。

「それより、なにか手立てはないか!?」

 このままではやられる一方だ。

 鬼にしても妖術にしても、俺には知識と経験が足りなさすぎる。


「これらはすべて奴の妖術によって生み出されたもの……奴を殺せば消え失せるのじゃ」

「しかし、あんな高いところに陣取られていては斬るにも斬れん」


 屋根まで登っているあいだにこの葉っぱで切り刻まれるのは明白だ。

 びっしりと生えた草木が壁となっていて退路も無い。

 完全に詰んだ状況だった。

 弓矢でもあれば反撃できるのだが。


「ならば、わらわが奴を叩き落とす。そこをおぬしがトドメを刺すのじゃ!」

「出来るのか? どうやって?」

「こうやってじゃ――妖血ようけつ活性!」


 そう唱えた直後。

 魅狐みこの金色の瞳が、まるで炎のような輝きを帯びた。

 白い毛並みの尻尾が二本に増える。

 そして無数の火の玉が彼女の周りに出現した。

「その姿は……!?」


 魅狐みこが俺の背後から飛び出す。

妖狐火炎術ようこかえんじゅつ!」

 無数の火の玉を両手で一塊にし、屋根の上の樹鬼へと発射した。


 猪の成獣ほどもある巨大な火の玉が矢のような速さで夜闇の中を飛ぶ。

 

「うっ!」

 樹鬼は慌てて飛び退こうとするが、右半身に火の玉を受けた。

 体勢を崩し、火だるまとなって屋根の上から滑り落ちる。

 どすん、と大きな音が響いた。


「今じゃ!」

「応!」

 俺は地面に倒れている樹鬼へ素早く駆ける。


「お、おのれっ……!」

無辜むこな人々の命を路傍の石の如く扱う――地獄に落ちるべきは貴様だ!」


 そして首筋めがけて渾身の刀を振り下ろした。

 断末魔の叫びを上げながら、樹鬼の首が胴体から離れる。


 すると周囲を覆っていた大量の木々が、泡が弾けるように消えていった。


 何もない草っ原と穏やかに流れる川。

 そして旅籠がぽつんとあるだけの景色に立ち戻る。


「見事じゃ、仁士郎」

 歩み寄ってくる魅狐みこもすでに元の姿に戻っていた。

 瞳は輝きを失い、尻尾も一本に戻っている。


「おまえの術にも驚いた。今のは何をしたんだ?」

「わらわには鬼とあやかしの血が半分ずつ流れておる。一時的にあやかしの血を濃くし、妖術の威力を高めたのじゃ」

「自分の血を操ったということか……。器用なものだな」


 俺は深く息を吐いて刀を鞘に納める。

 興奮状態で気付かなかったのか、無数の傷を受けた体が今になってズキズキと痛み始めた。


魅狐みこ……おまえに怪我はないか?」

「うむ。おぬしが守ってくれたおかげでの」

「そうか。なら怪我のし甲斐もあったというものだな」

「ふふ、気障きざなことを言いよるわ」


 魅狐みこは袖の中から小さな瓢箪ひょうたんを取り出し、俺に手渡した。


「これを呑んでおくといいのじゃ」

「これは?」

「狐の里謹製の御神酒おみきじゃ。もののけにとっては霊験あらたかな万能薬、その程度の切り傷であればたちどころに治ってしまうのじゃ」


 半信半疑で、蓋を開けて一口あおる。

 すると嘘のように体の痛みが引いていった。


 ◆


 旅籠はたごの中にはひとつの死体も転がっていなかった。

 その代わり、彼らが着ていたであろう衣服だけが散乱していた。


「あの植物に肉体すべてを吸い取られてしまったのじゃろうな」

 魅狐みこが憐憫に呟く。

「鬼の強さは角の数。一角ひとづの級であれば恐るるに足らぬが、今のような二角ふたづの級は様々な妖術を使うことができるのじゃ」


 俺にも魅狐みこにも関係ない、ただ偶然この場に居合わせただけの人間たち……。

 それを戯れのように殺してみせるとは。

「これが鬼のやり口か……!」


「この後継者争いが続く限り魎鉄りょうてつはわらわに刺客を送り続けるじゃろうな。そして否応なく巻き込まれる者たちも出てきてしまうのじゃ」

「ならば一刻でも早く魎鉄りょうてつを斬るまでだ。……この刀で」


 お祖父じいの形見である刀に目を落とす。

 俺はこの刀の真の力をまだ使いこなせていない。

 妖刀・八雷神空断やくさいかづちのかみそらたち……。

 お祖父はこの刀に稲妻をまとうことができた。

 この先も鬼と戦っていくには、俺もあの技を使えるようにならなくてはいけないだろう。


 ◆


 元いた部屋に戻り、俺と魅狐みこは交代で見張りをしながら寝ることにした。

 戦いのあとで昂ぶっているからか眠る気にはなれない。

 まずは俺が見張りを引き受けた。

 刀を抱いて壁に背中を預ける。

 静寂な中でふたりきり。

 妖怪と化した俺が言うのもなんだが、静かな旅籠というのもなかなかに不気味なものだった。


「すっかり酔いも覚めてしまったのじゃ……」

 布団の中から魅狐みこが呟いた。

 彼女にしてもそうそう眠る気にはなれないらしい。

 顔は見えないが、その声は少しだけ震えている気がした。


 部屋はいくらでも空いたというのに、今度は同じ部屋で寝ることを嫌がらなかった。

 当然だろう。

 彼女は鬼に命を狙われているのだ。

 仲間たちは次々と殺され、今は寄る辺もなく一人きり。

 平静を装ってはいるが何も思わないはずはない。

 気休め代わりにはなるだろうと、俺は先ほどの続きを問いかけた。


「そういえば、なにか言いかけていなかったか? 仲間になってくれそうな者に心当たりがあるとか……」

「うむ……それはわらわの妹、緋澄ひすみのことじゃ」

「妹?」


「五兄弟の四番目……鬼の王と人間の妻との間に出来た子、人姫ひとひめ緋澄ひすみじゃ」

「兄弟のひとりなら、そいつも王の座を争う敵ではないのか?」

「いや、あやつに限ってそんな野心はないじゃろう。そして魎鉄りょうてつに賛同もせんはず。きっとわらわの味方となってくれるはずなのじゃ」


 魅狐みこがそう言う以上俺は信じるしかなかった。

 

 鬼と人間の合いの子か……。

 俺の頭の中に、筋骨隆々とした巨大な女の姿が思い浮かぶ。

 大きな口には牙もあるだろう。

 そして地面をきしませながら歩み、丸太のような太い腕で熊をくびり殺すのだ。


 ……恐ろしすぎる。

 なんだその化け物は。

 いや、仲間となってくれるなら心強くもあるが……。


 そんな馬鹿なことを考えているうちに、魅狐みこは安らかな寝息を立てていた。


 規則正しく上下する布団。

 魅狐みこはその中で襦袢じゅばんだけの姿になっている。

 布団から少しだけはみ出した白い脚に、思わず目が釘付けになった。

 

 ……不義理な男だな、俺は……。

 魅狐みこのことなど女とは思っていない、と言ったばかりだというのに。

 たしかにそのときはなんとも思っていなかったはずだ。

 だが今は……。


 彼女の身の上を聞き、その寂しさを埋めてやりたいと思ったからだろうか。

 酒を呑んだからだろうか。

 戦いの直後で昂ぶっているからだろうか。


 あるいは肉体が人間からあやかしへと変わった証なのか。

 俺の男としての部分がどうしようもなく魅狐みこのことを求めていた。


 刀を枕元に置き、彼女が眠る布団へと静かに潜り込む。

 嫌がられたらすぐにでもやめるつもりだった。


魅狐みこ……」

 布団の中は魅狐みこの匂いで充満していた。

 無防備な背中を抱きしめる。

「むぅ……」

 目を覚ましたからだろう、驚いたようにびくりと肩が震えた。


「……あれほど言うたじゃろうに……」

 魅狐みこは責める口調で呟いたが、それ以上の抵抗はしなかった。

「……仕方のないやつじゃな」

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