王の血脈 五
「我らの父がなぜ五種族の女に子を産ませたか、わからぬか?」
五本角の鬼が魅狐と緋澄を睥睨する。
こいつが魎鉄……。
魅狐たち五兄弟の長子にして唯一純血の鬼。
刺客を放って彼女たちを亡きものしようと企んでいる首魁。
「血を受けた子がそれぞれの種族で長となり、終いには我が血族でこの世を治めるために他ならぬ」
鬼王子魎鉄。
お祖父の仇……!
「すなわち鬼族の王に相応しいのは初めからこの俺ひとりということだ。おまえたちの謀反は先王の遺志に背いているだけぞ」
「もっともらしい御託をこねるでないわっ……!」
俺の背中に半分隠れながら魅狐が言い返す。
「おぬしのような乱暴者を王とすることこそ、共存共栄を掲げた父君の遺志に背くことなのじゃ」
背に触れる手はかすかに震えている気がした。
果たしてそれは怒りのためか恐れのためか。
「どれだけ刺客を送りこまれようとも、わらわは降伏せぬ。すべて返り討ちにしておぬしの首も頂くのじゃ!」
「はっはっはっ。出涸らしとはいえ王の血を引く身。一筋縄でいかぬのも道理よなぁ」
魎鉄の口元には悠然とした笑みが浮かんでいた。
「次におまえたちの顔を見るのは首級になってからとばかり思っておった。生きて顔を見せたこと、感心に値するぞ」
この余裕、恐らくは絶対的な自信からくるものだ。
魅狐や緋澄がいくら刃向かおうが、己を脅かすとは毛ほども思っていない。
いずれ掴む自分の王位は揺るがない。
そう確信している顔だ。
「このぶんでは、俺の小間使いどものうち誰が首を取ってくるかという遊戯ももうしばらくは楽しめそうだな」
遊戯だと……。
「案外、色鬼あたりが本命と俺は見ておるのだがな。やつの悪い癖が出なければよいが」
「魎鉄!」
言葉を遮るように一歩前に進み出た俺へ、やつの濃緑の瞳がギロリと向けられた。
「俺の名は勇薙仁士郎。貴様に言いたいことがふたつある」
「許す。申せ」
「ひとつ。俺はこれから魅狐と緋澄を嫁にもらう。決して貴様らに殺させはしない!」
「ほう?」
「そしてふたつ。俺の祖父、勇薙義十郎は義によって貴様に挑んで殺された。必ずその仇討ちを果たす!」
「成る程。その仕返しのために愚妹どもを手篭めにせしめたというわけか。なかなかの腕前ではないか」
「貴様っ……!」
炎を投げ入れられたように瞬間的に体が熱くなった。
激情に駆られて刀の柄に手が伸びる。
「仁士郎様、いけませんっ!」
と、緋澄がしがみつくように俺の腕を押さえた。
「お、落ち着いてくださいっ……!」
そこでハッとする。
周囲では多くの妖怪たちが不安げな眼差しで俺たちの様子を眺めていた。
ここで俺が刀を抜き、戦いを始めたら、彼らはどうなる……?
身勝手な振る舞いをして彼らの幸せな瞬間を壊してもよいのか?
たとえ仇敵が目の前にいようともだ……。
「……ああ、そうだな。馬鹿なことをするところだった。……よく止めてくれたな、緋澄……」
「いえ……」
右手を下ろして握りしめる。
どうにか平常心を取り戻そうとした。
普段の精神修行の成果が試されるときだ。
「ここは俺にとっても有用な場所ゆえな。踏み荒らさせるでないぞ」
そんな様子を見下ろして魎鉄がフッと鼻を鳴らした。
「おまえたちが俺の目に映ってなお息をしていられるのもこの里にいるおかげということだ」
決して争ってはならぬという、この結の里の戒律。
それをこいつも守ろうというのか……?
「残りいくばくもない人生よ。せいぜい夫婦ごっこに興じておるがよい」
「……兄様にお尋ねしたいことがあります」
緋澄が強い思いを眼差しに乗せて魎鉄を見上げた。
「魍呀兄様が私の住んでいた町を無法に襲い、多くの被害が出ました。亡くなられた方もたくさんおります。私はそれを決して許すことはできません」
落ち着いた口調ではあるが、声には静かな怒りが含まれていた。
「肉親だとしても……いいえ、肉親であるからこそ、それ相応の償いをするべきだと思っています」
緋澄……。
普段は能天気な顔をしているくせに、胸の中ではそんな烈火のような気持ちを秘めていたのか。
幼少から育ってきた町を無残に踏みにじられたのだから当然の怒りだ。
彼女の怒りは俺の怒りも同じ。
あのとき魍呀を討ち漏らした悔いが思い起こされる。
やつも魎鉄と並んで不倶戴天の敵と言って差し支えないだろう。
「教えてください。あれは魍呀兄様の独断だったのですか? それとも魎鉄兄様が指示されたことだったのですか? ……どうなのですか?」
「そのような雑事、いちいち覚えておらぬ」
「雑事……!」
緋澄は愕然として目を見開いた。
膨大な被害を目の当たりにしてきた俺たちには到底そんな一言では片付けられない。
唇を噛んでわなわなと肩を震わせる緋澄。
俺は何も言わずその肩を抱いた。
「とはいえ、魍呀のやつが俺の許しなく何かをするとは思えぬ。そういう許可を出したのやもしれぬな。改めて本人にでも聞くがよい」
話は済んだとばかりに歩いていこうとする魎鉄。
そのとき、やつの右手で鎖がジャラリと音を立てた。
やつの巨体に隠れて今まで気づかなかったが……その鎖に三人の女がつながれていた。
一見すると人間のようだが。
三人とも人形のように感情が失われた顔を浮かべていた。
着物は薄汚れて、ところどころが破れたりしているのに気にとめる様子もない。
腕と首に鎖を巻かれて引きずられている姿はまるで罪人のようだった。
「そ、その方たちは……?」
息を呑んで尋ねる緋澄に、魎鉄は「決まっておろう」とこともなげに答える。
「この里に来る目的はひとつ。こやつらを嫁にするためよ」
それが嫁にする者の扱いか……?
「合意の上とは思えませんが……」
緋澄も困惑しきった顔で女たちを見る。
「無論、合意だとも。のう?」
魎鉄に尋ねられ、女たちは観念しきったようにおずおずと頷いてみせた。
「なに、最初は嫌がっておったがな。こやつらの町を半分ほど焼き払ったところで自分たちから嫁にしてくれとせがんできおったわ」
魎鉄は鷹揚に笑い声を上げる。
「何十人目の嫁になるかはもはや数えておらぬが、今までで最も落とし甲斐のある女たちであったぞ」
悪びれる様子もなければ自慢げでもない。
それが日時茶飯事であるかのように平然とした笑みだった。
なんというやつだ……!
俺を含めて魅狐も緋澄も言葉を失う。
鎖を引いて去っていく魎鉄。
女たちも否応なくそれに続く。
……このまま見過ごしてしまってよいのか……?
どうやら魎鉄のほうもこの里で争いごとを起こすつもりはないらしい。
どれほど信用できるかはわからないが、つまりここにいるあいだは魅狐と緋澄が襲われる心配もないということだ。
この場では下手な手出しをせず、黙ってやり過ごし、改めて戦う機会が訪れるのを待つ……。
それが最善なのだろうか?
去り際、鎖につながれた女のひとりがこちらを盗み見るように振り向いた。
言葉を発することはない。
眼差しを送ってきただけだった。
恐怖に圧殺された心の片隅にわずかだけ残った勇気。
それを振り絞って送られた、わらにもすがるような、助けを求める眼差し。
「――魎鉄! 貴様に果たし合いを申し込む!」
それを見た瞬間、俺は衝動的に口走っていた。
「この里の南に三角の形をした大きな池がある! 今夜、月が中天にかかる時刻、そのほとりでひとり待つ! 貴様もひとりでそこに来い!」
魎鉄は横顔だけを振り向かせた。
「覚えておこう」
◆
「なっ、なんということを自分勝手に決めてしまったのじゃっ!」
「今のはよくないと思いますっ! こんな重大なこと、せめて相談してもらいたかったですっ!」
魅狐と緋澄に両側からバシバシと叩かれる。
「痛い痛い」
「前々からそういうところあるのうっ、おぬし!」
「そうですっ! 仁士郎様そういうところありますっ!」
魎鉄の去った町並みはそれまで通りの穏やかさを取り戻していた。
いや、一触即発の状態なのは俺たちだけだったので、当然といえば当然のことだが。
「たしかに、勝手に決めてしまったことはすまないと思う。だが、今日やるか後日やるかの違いだけだ。俺は奴を斬るために旅をしてきたのだからな」
「そうだとしてもです」
「うむ。言うにことかいて一対一で戦おうとは、またぞろ気障妖怪が頭を出しおったか。あまりに無謀なのじゃ」
とっさに口を出たとはいえ、言ったことに対する後悔はない。
戦いになれば魎鉄は真っ先に彼女たちを狙ってくるだろう。
やつの目的は俺などではなく、自分が王となるためにこのふたりを消すことなのだから。
安全な場所があるのならそれを利用しない手はない。
「どうせ勝算だってなかろう?」
「それは……正直なところ、やってみなければわからないが」
「それ見よ、考え無しめっ!」
鬼の強さは角の数で測れるという。
魎鉄は五本角。
以前、必死の思いで撃退した魍呀でさえも三本角だった。
やつよりも確実に強いということだ。
だが俺もあの頃より数段強くなっているはず。
挑む前から臆していては勝てるものも勝てなくなる。
「だが、またとない好機だ。俺の命にかえても倒してみせる。おまえたちはここで待っていてくれ」
「命にかえてはダメですっ!」
「そうじゃそうじゃ! おぬしをひとりで戦わせて、万が一のことでもあれば、わらわたちはどうすればよいのじゃ……!」
「私たちは三人で運命を共にすると誓ったはずです」
「止めてもついてゆくのじゃ!」
ぐいぐいと詰め寄ってくるふたり。
どうにも旗色が悪そうだ。
「い、いや、ひとりで待つとすでに言ってしまったわけだし……俺から反故にするわけには……」
「かまわぬ。あのような無頼の徒に義理を立てる必要など毛の先ほどもないのじゃ」
「私たちは一心同体です。三人だったとしても、それはひとりと同じことです」
違うと思うぞ。
しかしこのふたりに結託されたら口で勝てる気がしない。
どう説き伏せたものか……。
……待てよ、思い出した。
俺には奥の手があるのだった。
「そ、そうだ、昨日の勝負で俺が勝ったのだから、なんでも言うことを聞いてもらえるはずだったな?」
つまらないことで消費していなくてよかった。
「その権利を今使わせてもらうぞ。ふたりとも、今夜はこの里から出ないでくれ」
「こ、このようなときに何を言っておるのじゃっ!」
「今それを持ち出すのは卑怯ですっ!」
再びバシバシと叩かれる。
道のど真ん中でこんなことをしているのだから、さすがに周囲から向けられる目も厳しくなってきた。
「頼む、俺を信じて行かせてくれ! 必ず生きて戻ってくると約束する!」
ふたりを強引に抱き寄せて攻撃をやめさせる。
「そうしたらだ。明日、晴れて婚儀とやらを行なって夫婦になろう!」
腕の中で魅狐が「むぅ」と唸った。
「……戦いの前にそのようなことを宣言するのは逆に不吉なのじゃがなぁ……」
「そ、そうなのか……?」




