王の血脈 四
早朝に町を出立した俺たち六人は、街道を外れて道なき道を進み、やがて深い樹海の中に足を踏み入れた。
目的地である結の里は妖怪たちが婚儀を行なう場所。
人間が容易に来れないような奥地にあるのも納得だ。
和修吉さんと摩那さんが地図を手に、太陽の位置で方角を確認しながら先導してくれる。
その後ろで、
「はーー……なんだか今のうちからドキドキしてきました……」
木漏れ日を受けて歩く緋澄が自分の胸を押さえて呟いた。
「あの、仁士郎様……手をつないでもいいですか?」
「ああ」
重ねた右手がぎゅっと握り返される。
「結の里に着けたら、本当に仁士郎様のお嫁さんにしてもらえるのですよね……」
照れながらも花のような笑みを浮かべる緋澄。
「私、自分が結婚をできるなんて思ってもいませんでした。しかも、とても好きな人と……そして姉様も一緒に。こういうのを天にも昇る気分と言うのですね」
「俺も同じ気持ちだ」
こんなに喜んでくれるのなら勇気を出して求婚した甲斐があったというものだな。
「わらわもじゃっ!」
対抗するように魅狐が反対側の腕に飛びついてきた。
「とはいえ、せっかくの晴れ姿を見せびらかす親族がおらぬというのは残念じゃな」
「そうですね。でもちーちゃんがいてくれますから。それで充分です」
緋澄はにっこり笑って、最後尾を歩く魑潮に顔を向ける。
その魑潮は微妙な顔を浮かべて俺たちを眺めていた。
不満は残るものの観念し始めているといった表情だ。
心配する気持ちはわからないでもない。
姉ふたりがそろってロクでもない女たらしに引っかかっているとしたら一大事だからな。
俺がそういう男に見えるという点はあながち否定できないが……。
「恐らくあれが『三角池』でしょうね」
和修吉さんが前方を指差した。
木々の隙間から陽の光を反射してきらきらと輝く水面が見える。
名前の通り三角形をした大きな池。
ひとまずそれを目印に進んできたのだった。
ここをまっすぐ北へ行けば結の里にたどり着けるはずだ。
「このあたりで少し休んでいくのはどうじゃ。歩き詰めで疲れも溜まっておろう」
鬱蒼とした樹海をひたすら歩いてきたからな。
いくら龍族や鬼族と言えども知らず知らずのうちに疲労が蓄積されているだろう。
魅狐の提案を受け、池のほとりで思い思いに休み始める。
結の里に着いて婚儀を済ませたら和修吉さんと摩那さんとはお別れだ。
あとはふたりで安住の地を探して旅をするのだという。
「勇薙殿は仇討ちのために旅をしているとか……。それが済んだらどうするのですか?」
「恐らくそのときには魅狐が鬼族の王となっているはずなので、彼女に仕える侍として寄り添ってゆければと」
やはり主君あってこその侍だからな。
鬼の王の仕事内容など見当もつかないが、大変なのはたしかだろう。
俺の剣が役に立つことだってきっとあるはずだ。
人間の世を捨てて妖の世界で生きるというのも案外悪くない。
彼女たちがいるのだからな。
「ほう。しかし魅狐殿と結婚されるということは勇薙殿が王になられるのでは?」
「えっ?」
今まで考えてもいなかったが……もしかしたらそういう可能性もあるのか?
「いや、そうはならぬ」
と、魅狐が横から否定した。
「王を継げるのは直接王の血を引いた子だけじゃ。人間は男しか殿様になれぬが鬼の王は女でもなれるゆえな」
それを聞いてホッとする。
いきなりそんなものになれと言われたら大層困っていたところだ。
「血を引いた子だけとはいうが、世継ぎが途絶えたらどうするんだ?」
「むー……そのようなことは滅多に起こらぬじゃろうな」
「しかし、子に恵まれないことだってあるだろう」
「鬼は三百年や四百年生きる者もザラにおるのじゃ。それに加えて嫁や亭主は何人こさえてもよいからのう。寿命を迎えるまでには子のひとりくらい自然に出来ておるというものじゃ」
そういうものか。
生命力が高い鬼ならでは文化なのかもしれないな。
「もっとも」
魅狐が腕をからめながら耳元に顔を近付けてくる。
否応なく鼓動が早くなった。
「わらわはおぬし以外とは子作りするつもりはないので安心するがよい。その代わり、世継ぎを絶やさぬよう頑張らねばならぬぞ?」
人前で何を言い出すんだこいつは。
「せ、責任重大だな」
「まっ、焦ることはないのじゃ。妖化の術を受けたことでおぬしも妖怪並の寿命を得ているはずじゃからな」
衝撃の事実がさらりと語られた気がした。
身体能力が上昇しているのだから、そういう部分も変わっていて不思議ではないが……。
「ちなみに妖怪というのは何年くらい生きるんだ?」
「それは種族によってまちまちなので一概には言えぬが」
魅狐が小首をかしげる。
「わらわの母である妖狐は五百歳を超えておったし、龍族に至っては千年生きるとも言われておる」
「途方もない話だな……」
六十歳でも長寿と言われる人間社会では想像もできない世界だ。
「すなわち、それだけ長いあいだ一緒にいられるということなのじゃ」
魅狐が腕に抱きつく力を強めた。
「つまらぬことで命を落としたりせねばのう」
見上げてくる目はなにかを言いたげな色を帯びている。
昨夜うやむやのまま終わらせてしまった話が頭をよぎった。
「……そうだな。長生きをしておまえたちを幸せにする。それも夫婦としての大事な責任だな」
「うむっ!」
満足げに微笑む魅狐。
池に目を向けると、龍化させた腕で器用に魚を取る魑潮と、それを見て拍手する緋澄と摩那さんの姿があった。
魑潮の今後の身の振り方についての話はまだしていなかった。
◆
再び樹海の中を延々歩いていくと、大きな鳥居があった。
それをくぐった先には気の遠くなるような石段が続いている。
いったい何百段あるのか。何千段あるのか。
登山をしている気分で登っていくと、日が暮れ始めた頃、ようやく頂上が見えてきた。
皆の顔に達成感が疲労感が五分五分に浮かぶ。
そして石段を登った先に――町があった。
◆
「ようこそおいでくださいました。我が結の里はどなた様でも歓迎いたします」
町の入り口でにこやかに声をかけてきたのは、うさぎ人間……としか言い表せない妖怪だった
化け猫や化け狐の要領で化け兎といったところだろうか。
神主のような服を着ている。
似たような姿の者があちこちに見えるあたり、恐らく彼らがこの里の住人なのだろう。
「ただし、里にご滞在のあいだはひとつだけ戒律を守っていただく必要がございますが」
「戒律?」
「それは、一切争わぬこと」
ほがらかだった兎顔に微量の真剣さが混じる。
「ここは夫婦を結ぶ神聖な里でございますので。無闇に妖術を使ったり、御刀を抜くことなどないようおねがいいたします」
「ああ。承知した」
戒律などと大仰なこと言い出すから面食らったが、なんてことはない。
よっぽどのことがなければ町中で抜刀沙汰など起きないだろう。
皆がその規則を守っているのならなおさらだ。
「ではごゆるりと」
俺の返事を聞いて妖兎に柔和さが戻った。
「手前の区画が宿場でございます。婚儀をなさりたい方は奥の社へ。ご希望の方がたくさん参られておりますので順番待ちとなりましょうが……」
◆
大きな町の中には様々な種類の妖怪が行き交っていた。
河童、天狗、大狸、一つ目……名前のわからない者まで大量にいる。
普通の人間が見たら卒倒してしまいそうな光景だった。
「まるで百鬼夜行だな」
「婚儀を行えるのはこの里だけじゃからな。夫婦になりたい妖怪が日本中から集まってくるのじゃ」
なるほど、混むはずだ。
「それだけ旅人も多かろう。先に宿を確保しておいたほうがよいかもしれぬな。結婚初夜に野宿なぞごめんなのじゃ」
「では我々は社の混雑具合を見てきましょうか」
と和修吉さん。
「予約が必要なら勇薙殿たちのぶんまで取っておきますよ」
「頼みます」
しばらくしたら再びこの場に集合と決め、三人ずつ二手に分かれた。
◆
通りに並ぶ旅籠の数は多いが、どこも軒先に『満員御礼』の札がかけられていた。
このままでは魅狐の心配が現実のものになってしまうもしれない。
……という不安を抱えながらも辛抱強く旅籠を回り、どうにか人数分の部屋を確保することができた。
胸を撫で下ろして集合場所へ戻りがてら、三人で町の中を練り歩く。
「……ふふっ」
と緋澄が嬉しそうな笑みをこぼした。
「なんだか皆さん幸せそうな顔をしていますね」
通りすぎる妖怪たちの顔は、どれも温かみに満ちている。
これから夫婦になろうという者たち……あるいはすでに婚儀を済ませた者たちだ。
人生でも指折りに幸せな瞬間であろう。
まさしく俺がそうなのだからな。
文化は違えどこういうところは人間も妖怪も変わらないのかもしれない。
戒律などというものがなくともこの里で争いごとは起きないだろう。
そう思えるほど微笑ましく平和な光景だった。
並んで歩く魅狐と緋澄の顔をうかがってみる。
ふたりも彼らと同じような顔を浮かべている気がした。
「……えっ……」
そんなふたりが、不意にぴたりと立ち止まった。
表情は一転して凍りついたように硬直している。
「どうした?」
ふたりの視線の先……さまざまな妖怪がひしめく往来の中に、大きな鬼の姿があった。
人間を一回りも二回りも上回るほどの巨体。
黒鉄色の肌。濃緑の瞳。
そして天に向かってそびえる凶々しい五本角……!
五本角の鬼……!
心臓がドクリと跳ねた。
「な、なんということじゃ……よもやこのようなところで出くわそうとは……!」
魅狐が脂汗を浮かべて息を呑む。
緋澄が絞り出すように呟いた。
「魎鉄兄様……」




