龍血の少女 六
不気味な蜘蛛の足が横たわる龍娘へと突きつけられた。
「刀を捨てよ」
ふざけた要求だ。
放っておいても生命を吸われてしまうのだから、彼女に人質としての価値はないはず。
しかし俺は刀を放り投げてやった。
「ふふふ、従順でよい。どうだ、この者らの代わりに私の手駒とならぬか? それで此度の件手打ちにしてやってもいいぞ」
見上げるほどに大きな蜘蛛女はすっかり勝ち誇った顔を浮かべていた。
俺はチラリと捨てた刀の位置を確認しておく。
足元。すぐに拾える距離だ。
しかし人質を取られている以上うかつには動けない。
なんとかして彼女のそばから離さなくては。
「ふむ……よくよく見てみればたくましげな美丈夫……」
ねっとりした視線が俺を上から下まで舐める。
背筋がぞわぞわしてきた。
「なんなら伽の相手に据えてやってもよい。ちょうどあの大男の野太刀にも飽きてきたところだったのでな。いやはや、でかいばかりでてんで役に立たぬ」
「申し訳ないが、もっと若くて美しい女が好きなんだ」
「……痴れ者が」
まんまと挑発が効いたらしく、蜘蛛女の額に青筋が立つ。
俺はそっと下緒を緩めて鞘に手を添えた。
「ならばこの者らの後を追うがいいっ!」
八本の足をしならせて勢い良く飛びかかってくる。
刀を捨てさせたことで油断しているのか、なんの小細工もない直線的な跳躍だった。
詰めの甘いやつめ。
俺は鞘を引き抜いて刀代わりに握る。
そしてやつよりも高く跳び上がり、唐竹割りに叩きつけてやった。
妖刀を守護るための鞘も特別頑丈に拵えてある。
今まで試したことはなかったが、俺が思い切り打ち込んでも表面にひびひとつ入っていなかった。
「おごッ……お、うううッ……!」
陥没した頭を押さえてよろめく蜘蛛女。
その隙に俺は刀を拾い上げた。
「後を追うのは貴様のほうだ。我欲を満たすために命を奪った娘たちへ八熱地獄で詫び続けろ!」
振りかぶった刀身に雷光を宿す。
「勇薙流妖刀術――迅雷三乱斬!」
袈裟斬り、右薙ぎ、再び袈裟斬りを落雷のごとき速さで繰り出す三連撃。
蜘蛛女は細切れになって血の海の中に沈んだ。
◆
蜘蛛女が絶命したからか、龍娘にまとわりついていた糸は氷が溶けるように消えていった。
しかし彼女はぐったりとしたままだ。
「大丈夫か?」
「……問題ない……」
大いにありそうだった。
顔は蒼白で息も絶え絶え。
今の返事もようやく絞り出したといった具合だった。
早くちゃんとしたところで休ませてやったほうがいいな。
「失礼する」
一応断ってから、脇の下と膝の下に手を差し入れて抱え上げる。
間近に迫った彼女の顔が苦虫を噛み潰したようにしかめられた。
「触るな……下郎め」
身をよじって逃げようとするが、それすら出来ないほど消耗しているようだった。
「我慢してくれ。こんな血生臭いところで休憩というわけにもいかんだろう」
一応敷地内を見て回ったが生存者はいない。
最後に、折り重なるように積み上がった娘たちの死体に目を向けて……俺は廃寺を後にした。
◆
やつらに連れ去られた娘たちは、全員無残にも殺されていた……。
その事実を町の人にどう伝えればいいというのだ?
彼女たちにも家族がいるだろう。
友人、知人、想い人だっていただろう。
ある日突然、大切な人の命を理不尽に奪われた怒りと悲しみは筆舌に尽くしがたい。
幸いにもすでに仇討ちは果たせてある。
それがせめてもの慰みとなればいいのだが……。
「……おい」
鬱蒼とした森の一本道を引き返している途中である。
抱えている龍娘が不機嫌そうな声を出した。
いや、彼女が機嫌良さそうにしているところはまだ見たことはないが。
「どうした?」
「そんな無理をしてまで運んでもらわなくていい……おろせ」
「別に無理などしていないが」
「だって、そんなにつらそうな顔をしてるじゃないか。その……私が重いからだろう? 人間とは体の構造が違うんだから仕方な……ってなにを笑っている!」
「ちっとも重くないから心配をするな。普通の人間とも大して変わらない。むしろ緋澄より軽いくらいだ」
いつだったか、緋澄のこともこうして抱いて運んだことがあった。
「あいつ、やはり姫様だけあって良いものを食べて育ったのだろうな。細そうに見えて案外むっちりと肉が付いてる。全身ふよふよーって具合だ」
俺としてはそういう部分も魅力的と思うのだが、女は気にしがちだからな。
本人の前で口にしたことはない。
「……なんてことを言ったと知れたら餅みたいに頬を膨らませて口を聞いてくれなくなりそうだから、これはふたりだけの秘密ということで頼むぞ」
ぷっと噴き出す龍娘。
しかしすぐ、それを誤魔化すようにそっぽを向いてしまった。
「……魑潮よ。そろそろ俺のことを信用する気になってくれると嬉しいのだがな」
返事はない。
すなわち、魑潮と呼んだことに対する否定もないということだった。
俺は魅狐たちから妹の話を聞いていたが、彼女は当然俺のことなど知らない。
そこの温度差があるのは仕方がないことだ。
それでも肩を並べて戦った仲なのだから、もう少しくらいは心を開いてくれてもいいのではないかと思ってしまう。
「男は嫌いだ。……おまえどうこうではなく」
吐き捨てるように彼女がつぶやいた。
「男全般か?」
「無条件にだ」
「しかし男と女は同じ数だけいるという話だ。世の中の半分の人が苦手というのは、なかなか苦労しそうだな」
「嫌いなものは嫌いなんだからしょうがない」
「それもそうか。……実はな、俺も蜘蛛が嫌いなんだ。さっきはずっと鳥肌が立っていた」
青い目が意外そうに丸まって俺の顔を眺めた。
「嫌いなものをいきなり受け入れろというのも無理な話だったな。俺が悪かった、忘れてくれ」
「いや……まぁ、一応、礼は言っといてやる。おまえのおかげで助かったのは事実だからな」
再びそっぽを向いて、蚊の鳴くような声で言う。
口調はほんの少しだけしおらしくなった気がした。
◆
「あっ、仁士郎様おかえりなさ……えっ、その女性はどな……ええっ、ひょっとして……ちーちゃん!? ちーちゃんではないですかっ!?」
と、三段階に驚く緋澄に迎えられて俺は旅籠まで戻ってきた。
小さい頃以来会ってないという話だが一目見てわかるものなのだな。
「なっ、なんじゃとっ!?」
それを聞きつけた魅狐もやってきて、俺の腕の中にいる魑潮をまじまじと眺めた。
「姉上……」
ふたりの顔を見た魑潮が安堵したように口元を緩ませる。
はじめて見る穏やかな表情だった。
「おお……魑潮よ……達者であったか?」
「大きくなりましたね、ちーちゃん……」
姉ふたりの目にうっすらと涙が浮かぶ。
一悶着あったが無事に連れ帰ることが出来てよかった。
心からそう思う。
「せっかくのところすまないが、話はあとだ。ケガはないみたいだが相当体力が弱ってる。早く休ませてやりたい」
「そ、そのようじゃな。では布団の用意をしてくるのじゃ」
弾かれたように駆け出す魅狐。
残された緋澄は何をすべきか迷ってあたふたとした。
そんな次姉へ、魑潮が力なく片手を伸ばす。
緋澄は両の手の平で優しく包み込み、元気付けるように微笑みかけた。
「もう大丈夫ですよ、ちーちゃん。どうかしましたか?」
「……こいつ、姉上のことを餅みたいに太ってるって陰口叩いてたぞ」
緋澄の笑顔が凍りつく。
結局俺も地獄行きのようだった。




