龍血の少女 五
木漏れ日降り注ぐ森の小径を龍娘と並んで歩く。
こいつは否定しているが、依然として俺は魑潮ではないかと思っていた。
とはいえ顔の作りはあまりふたりとは似ていないか……。
異母姉妹だけあってか髪の色も目の色もバラバラだ。
銀髪金眼の魅狐。黒髪緋眼の緋澄。
そしてこいつは金髪青眼だ。
切れ長の目は凛々しいというよりは攻撃的。
引き結んだ唇は薄め。
険しい表情しか見ていないものの、どことなく娘らしい可憐さも滲み出ている気がする。
色白で鼻筋が通った美しい顔立ちだ。
美人なところは共通点と言えるかもしれない。
そういえば、魅狐と緋澄もずっと旅をしているのに肌が白いままだな。
外を歩き続けているのだからもっと日に焼けていそうなものだが……。
妖の体は人間の体よりも強靭だから、太陽の光程度では焼かれないのだろうか。
「じろじろ見るな。さっきから馴れ馴れしいぞおまえ」
無遠慮に眺めていた結果、ぎろり、と音が鳴りそうほど鋭く睨まれてしまった。
「すまなかった。しかしせっかく美形なのにそんなに恐い顔ばかりしていたらもったいないぞ」
「……歯が浮く。そうやって出会った女をすぐ口説くのがおまえの癖か。どうりで色女をふたりも囲えるわけだな」
「さっきは言い忘れたが、その恋仲というのは魅狐と緋澄のことだ」
わずかに眉が動いただけで反応はない。
むすっと黙り込んでしまったので、ひとりで勝手に喋ることにした。
「俺の祖父は魎鉄に殺された。その仇討ちのために旅をしている。ひょんなことから彼女たちと出会い、そして三人で旅をするうちに……という具合だ。もちろん合意の上での関係だぞ」
「添い遂げたいと思っている大切なふたりだ。そんなふたりの妹であるなら、俺にとっても妹と同じ。魑潮のことはそのように考えている」
「彼女たちの兄……魎鉄と魍呀がロクでもない鬼なだけに、魑潮というやつはどうなのかと不安だったのだが、どうやら杞憂に終わったみたいだ」
俺は改めて、隣を歩く彼女の顔を覗き込む。
「俺と同じく、町の人たちを見殺しにできずここへ乗り込みに来るようなやつだからな」
肩のあたりで小さなため息が聞こえた。
「私はそんなお節介焼きじゃない。気に食わない連中がのさばっているからぶっ飛ばしにきただけだ」
言ってから、彼女は誤魔化すように首を横に振った。
「いや、まぁ、私はその魑潮とかいうやつでは断じてないから、今の話とはまったく無関係なひとりごとだがな……」
「ああ、わかっている」
「なにを笑ってるっ!」
考えてみれば彼女も年頃の娘。
見ず知らずの男を警戒するのは良いことだ。
早く片付けて町に戻り、魅狐と緋澄に会わせてやろう。
そうすれば彼女だってもっと素直になってくれるはずだ。
◆
朽ちかけた廃寺の門前に、ふたりの男がたむろしていた。
どちらも薄汚い風体をしている。
近づいてゆく俺たちに気付き、短刀を見せびらかすようにして寄ってきた。
「止まりな、ご両人。知らなかったか? ここは関所だ。通りたかったら通行料払っていきな」
「町からさらってきた女たちがいるだろう? それを返してもらいにきた」
言葉を無視して龍娘が訊いた。
こいつらに連れ去られた女は数知れず。
しかもひとりも戻ってきていないという話だった。
「ああ……あの女どもか。へへっ、あそこに置いてあるぜ」
寺の敷地内を指差す。
冷たい手で心臓をつかまれた。
庭の一角に……おぞましいものがあったからだ。
それは、うず高く積まれた死体の山。
裸体の女と千切れた着物が折り重なり、どす黒い血の色で塗り尽くされている。
その周囲にはおびただしい数の蝿がたかっていた。
「好きなだけ持ち帰ってくれ。もう用済みだからよ。腐りはじめてるせいかどうにも臭くてしょうがねぇ」
「待て待て、この女と引き換えにしようぜ。頭領好みの若くて上玉な娘じゃねぇか」
男たちは悪びれる様子もなくせせら笑う。
胸の中に炎を投げ入れられたようだった。
全身の血がぐつぐつと沸き立つ。
これが人間の所業か……?
「龍血活性――」
龍娘が静かに呟く。
青い瞳が輝くと同時に両腕が龍の腕へと変化した。
次の瞬間、片方の男の首が飛ぶ。
「うっ……うおおおおっ……!」
もう片方の男が驚きの声を上げるも、再び龍腕が振るわれると、すぐにそれが断末魔の叫びへと変わった。
その声を聞きつけて、寺の中からどやどやと男たちが飛び出してくる。
二十人以上はいるだろうか。
「ボサッとするな勇薙! ひとりたりとも逃がすんじゃないぞ………寺のゴミ掃除だ!」
「……ああ」
仲間の死体と俺たちを見て即座に状況を把握したらしい。
無数の男たちは各々刃物を手にし出す。
俺も鯉口を切った。
「貴様らに情けは不要と心得た……!」
もはや彼らを人とは思わん。
「健気に咲く鮮やかな花々、いたずらに摘み取る悪逆非道の行ない……命をもって贖え!」
◆
廃寺の広大な境内に血煙が舞い散る。
取り囲んで次々と斬りかかってくる賊の男たちを、俺はかたっぱしから撫で斬りにしていった。
妖刀は刃こぼれもしなければ血脂で切れ味が鈍ることもない。
かつて千騎の骸骨兵と戦ったことを思えば、この程度の数など大したものではなかった。
ちらりと龍娘に目を向けると、彼女も縦横無尽に両腕を振り回し、小太刀のような爪で屍山血河を築いている。
仲間たちがやすやす斬られていくというのに、彼らの中に怯えて逃げ出す者はいなかった。
勇猛果敢といえばそれまでだが、正気なようで、どこか正常さを欠いている感じがする。
妖の匂い……俺にはそれを嗅ぎ取ることができないが、あるいはそういったものの影響なのだろうか。
「なんでぇ、この騒ぎは!」
あらかた片付けたころ、崩れかけている本堂の中から筋肉質の大男が姿を現した。
血溜まりに伏す仲間たちには目もくれず、ぎょろりとした目で俺たちを見やる。
「てめぇら……このオレを獄門破りの伊座衛門と知っての狼藉かぁっ!」
そして野太刀を抜いて俺に躍りかかってきた。
周りの男たちをすべて斬り終えていた俺は、正面に刀を構えてその男と対峙する。
伊座衛門……こいつが頭領か。
「うおりゃあっ!」
猛々しい気勢を発しながら大上段から振り下ろす伊座衛門。
俺はそれを独楽のように回って避け、峰で背中を叩く。
「うぐっ!」
伊座衛門は倒れ込み、四つん這いの姿勢となった。
「伊座衛門! 奉行所に代わってこの勇薙仁士郎が処す!」
差し出された格好の後ろ首めがけ、掲げた刀をまっすぐ振り下ろす。
切っ先が地面に触れたのに一拍遅れて、ごとりと落ちた頭が血溜まりの中に転がった。
視線を上げると、ちょうど龍娘が最後のひとりを斬り裂いたところだった。
◆
龍娘が腕を元に戻す。
これですべて片付いたか。
結局妖怪は出てこなかったな。
斬った手応えからして伊座衛門とかいうやつも人間だった。
あるいはまだ寺のどこかに潜んでいるのか、別の場所にも根城があるのか……。
「あっ……」
と龍娘が小さな声を上げる。
見ると、崩れかけた本堂の扉のそばに艶かしい裸の女が立っていた。
思わず息を呑む。
三十代から四十代ほどだろうか。
着物は何もまとっておらず、熟れた肉体を白日のもとにさらしている。
髪は凄艶に乱れ、どこか正気の無い顔で立ち尽くし、境内の惨状を見渡していた。
「よかった、生きてるやつがいたか……おい、男は来るなよ!」
女が全裸だからだろう、俺に冷たく言い放って龍娘が駆け寄っていく。
なにかを求めるように片手を伸ばす女。
その指先から白い糸のようなものが発射され、龍娘の体にまとわりついた。
「なっ!」
糸にぐるぐる巻きにされた龍娘は地面に倒れる。
そして網にかかった魚のようにのたうち回った。
彼女の腕力をもって振りほどこうとするも振りほどけない。
そんな様子だ。
この女……まさか!
「ふふふ……なんと若く、みずみずしく、活力にあふれた美しい娘……。そこいらの村娘百人にも勝る馳走だ」
女の顔に邪悪な笑みが浮かんだ。
「おまえの命を吸い尽くせば私はさらなる若さと美しさを手に入れることができよう。仕込んだ手駒を失っても余りあるほどのな」
「魑潮!」
俺は急いで彼女に駆け寄る。
解放してやろうと試みるが、粘着質な糸がべっとりと絡み付いていて引き剥がせない。
しかも糸に触れた瞬間、どっと疲れが押し寄せてくるような感覚があった。
もしや、この糸、生命力を吸っているのか。
「うっ……くそっ……ぐぅっ……!」
龍娘の顔色が見る間に悪くなり、抵抗を続けられずにぐったりとし出す。
「うふふふ……美味よ、美味」
逆に女は顔に生気を取り戻し、肉体がどんどん若返っている様子だった。
そうか、さらわれた娘たちもこうして……!
本当の頭領はこいつだったのか。
早く手を打たねばまずい!
俺は彼女を背にかばうように立ち、裸の女へ刀を向けた。
「私の機嫌を損ねないほうがいいぞ? 吸生を終えるまで黙って見ておれ」
「貴様、人間ではないな」
「お互いにのう」
「ならば斬る!」
先手を取って斬りかかる。
しかし――相手が人間の女の姿をしているということに心のどこかでためらいがあったのか――俺の刀は空を切った。
女は俺を飛び越えるように跳躍。
頭上高くに舞った細い影が瞬時に膨れ上がる。
俺の後方――倒れる龍娘のそばに着地したとき、女の姿は激変していた。
上半身は変わらず人間の女だが、下半身は恐ろしく巨大な蜘蛛。
おぞましい八本の足が地面に広がる血河を踏む。
さしずめこいつは……大蜘蛛女……!




