龍血の少女 一
通りを行き交う人々がちらちらと向けてくる視線が痛い。
というのも、町中だというのに魅狐が俺の腕にべっとりと絡みついているからだった。
「魅狐……人前だぞ」
とりあえず小声で注意を促す。
「だからなんじゃ」
しかしまるで構わず、といった反応だ。
街道を歩いていたときは普通だったのに町へたどりついた途端にこれだった。
人の目のないところならばいくらくっついてくれてもよいのだが、こう人の多いところだと気にせずにはいられない。
「このような真昼間に、しかも天下の往来で、男女がこんなにくっつくものではない」
「知らぬわ。わらわがこうしていたいからこうしておるだけなのじゃ。誰にも文句を言われる筋合いあるまい」
当事者である俺は言ってもいいのでは。
「節度というものを考えてほしい」
「いやじゃ」
拒絶の意志をあらわすように、腕に組みつく力をさらに強めてきた。
「……気丈に見せかけてはおったがな、わらわとて毎日つらいのじゃ」
桜色の唇から、はぁ、と深いため息が吐き出される。
「拠り所もなく宿場から宿場への旅烏。混血とはいえ同胞たる鬼たちから命をつけ狙われ、勝ち目があるのかないのかわからぬ戦いをせねばならぬ不安の日々……」
それはわかっているつもりだが。
「こうしておぬしの温もりを感じ、汗の匂いを嗅いでおれば、すり減った心も癒されるというものなのじゃ」
汗……いや、化け狐だしそういう動物じみた感覚があるのかもしれないな。
俺の前でも弱音を吐いてくれるようになったのは距離が縮まった証と思っていいだろう。
それ自体は嬉しい。
時と場所を選んでもらいたいだけだ。
「わらわはこんなにも好きじゃというのに、そのように冷たくされると切なくなるのじゃ……」
「人間の町には人間の風紀というものがあると言っているのだ」
「辛抱できんのじゃ」
気持ちを通じ合わせた途端に加減知らずの愛情表現をしてくれる。
こういうところも姉妹で似通っているのだな。
横に目を向けると、その緋澄が羨ましそうな顔で姉を見つめていた。
自分も同じようにしたいが、理性と常識が働いて葛藤している……という表情だ。
すでに手がうずうずとしている。
もう片方の腕に飛びついてくるのも時間の問題かもしれない。
晴れて両方と恋仲になれたとはいえ、両腕に女をはべらせて町中を闊歩するほどの度胸はなかった。
早急になんとかせねば……。
「魅狐、あまり困らせないでくれ。周りの人だって迷惑に思っているかもしれないぞ」
「むぅ……では、わらわの言うことをひとつ聞いてくれたら離れてやってもよいぞ?」
「ああ。なんでも言ってくれ」
「この場で口付けせよ」
予想以上に恐ろしい要求が投げつけられた。
「ば、ばかを言うな……」
「わらわのことが好きならばできるじゃろう。あの言葉は真っ赤な嘘じゃったのか?」
「それとこれとは話が別だ」
「それとも釣った魚には餌をやらぬ男なのか、おぬしは。ひとたび抱いたら用無しか?」
人聞きが悪すぎる。
「もう少し手軽な餌で手を打ってもらいたい……」
「無理にとは言わぬぞ。わらわは別に、ずっとこうしていてもよいのじゃからな」
断固として譲る気はないようだった。
「わ、わかった。してやるから、ひとけのないところに行こう」
「ここでなければいやなのじゃ」
「こんなところで出来るわけないだろう」
「いやじゃいやじゃ」
引きずっていこうとしたが金剛力で抵抗される。
ぐっ、細い体をしていてなんだこの力は……本当に強いぞ。
半分とはいえ鬼の血を引いているだけあるな……。
「いやじゃあああー! 皆に見せつけて自慢したいのじゃあーーー!」
駄々をこねる子供のように大きな声を上げる。
それを聞いた周りの視線がさらに鋭利な矢となって俺へと突き刺さりまくった。
古来より妖狐とは男をたぶらかして世を乱す存在と伝えられているが、まさしくこいつにもその素養がありそうだった。
「緋澄……ちょっと助けてくれ」
「わかりました。お任せください」
すると緋澄は俺たちのすぐ目の前まできて、大きく両腕を開いてみせた。
「私が目隠しになりますので今のうちに済ませてください」
せずに済む方向性で助けてほしかったのだがな。
しかも道のド真ん中にいるため、一方からは隠せても他の三方からは丸見えだった。
「うむ。わらわの次は緋澄がしてもらうとよい」
「わ、私は、こういうところではちょっと恥ずかしいので……」
その羞恥心を一欠片でも姉に分けてやってくれ。
魅狐は目を閉じて顎を持ち上げる。
準備万端な体勢だ。
いつしか周囲には人だかりが出来て奇妙な見世物と化している。
なんだこの状況は……。
二股恋愛を企んだ男への天罰なのか。
「おうおう、ずいぶん楽しそうなことしてるじゃねぇかよぉ、お侍ぇよぉ!」
そんなとき。
明らかに酔った様子の若い男が千鳥足で人だかりから飛び出してきた。
「けっ、なんだぁさっきから見せつけやがって。俺への当てつけかぁ! ちきしょうめ、てめぇ……どこのどなた様だ、このやろう!」
呂律の回らない口でなにやらがなり立てている。
身なりからして町人らしい。
十代の終わりか二十そこそこか。
相手が俺だからよかったものの、刀を差した人間にこんな絡み方をしたら無礼討ちされてもおかしくない。
そんなこともわからないほど泥酔しているのだろうか……。
こんなに明るいうちから?
「いや、騒いでいて申し訳ない。俺は勇薙仁士郎という風来坊だが。気を悪くさせてしまったのなら謝ろう」
「謝るだぁ……? 謝って済むことだと思ってんのかぁっ! いちゃこらいちゃこらしやがってよぉ! そんないい女を二人もよぉ!」
さらに機嫌を損ねて詰め寄ってくる。
こちらの行動にも問題があるので邪険には扱えない。
「いいかぁ、世の中には男と女が同じ数だけいるんだよ。おめぇさんみたいな色男が二人も三人も独占しちまったらなぁ、俺みてぇにあぶれる男が出てきちまう……そういう連中に悪いと思わねぇのか!?」
「人として多少の後ろめたさはあるが……」
「だったら土下座しろ、土下座ぁ!」
これはまた手こずりそうな相手が来た。
さて、どうしたものか。
暴漢の対処の仕方は知っているが無害な酔っ払いの対処には慣れていない。
まいったな……。
「たとえ女が有り余っていたとしても、おぬしのような性根のねじ曲がった男になびくやつなど一人もおらんのじゃ」
と、よせばいいのに魅狐が挑発的な口調で言い返した。
それを受けて元から赤らんでいた男性の顔がさらにカッと赤くなる。
「な、なんだと! どういう意味だ、こらぁ!」
「わからぬか? 女を手に入れたければそれ相応の男であらねばならぬという意味じゃ。おぬし、自分がそれほどの男じゃと勘違いしておるのではあるまいな?」
「うっ……」
彼の威勢が弱まる。
痛いところを突かれた様子だった。
「仮にこの仁士郎がいなかったとしても、わらわはおぬしなんぞにはちぃーっとも見向きせんのじゃ。緋澄もそう思うであろう?」
「えっ、そうですね……」
急に話を振られて、うーんと首をひねる。
「私は仁士郎様と出会うまで男の人を好きになったことありませんでしたから……。この方のことはよく知りませんけど、きっと好きにはならないと思います」
口調は丁寧だが一刀両断だった。
よくそんなお眼鏡に叶ったものだな、俺は。
「つまりおぬしの怒りはてんで見当違いということなのじゃ」
「ううっ……」
「おぬしが女に相手されないのは誰のせいでもなく、おぬし自身のせいなのじゃ」
「うううっ……」
「いい男にやっかむ暇があったら自分の男を上げるのにでも時間を使うがよい。でなければいつまでも独り身のままじゃぞ」
「うわああああああっ」
口で女に勝てる男はそうそういない。
彼も例外ではなく、言い負かされてその場に泣き崩れた。
あるいは泣き上戸なのかもしれないが。
「ふふん。……興が削がれたわ。ゆくぞ」
魅狐は勝ち誇った顔でスタスタと歩き出した。
いつのまにか俺の腕から離れている。
そういう意味では彼に感謝したい部分もあった。
「すまなかったな。失礼する」
そして俺も踵を返して歩き出そうとしたとき。
「まっ、待ってくれぇ!」
と今度はその男性が、がばっと跳ね起きて俺にしがみついてきた。
「旦那を見込んで頼みがある……! お、俺に女を口説く極意を教えてくだせぇっ!」
今日は厄日か?




