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妖異の辻斬り 後

 宿に戻った俺は、ひとり、部屋に寝転がって思案にふけっていた。

 ちなみに魅狐みこ緋澄ひすみは別の部屋に泊まっている。

 可能な限り二部屋宿を取るのが暗黙の了解となっていた。


 考えているのは新しい刀の調達方法だ。

 鬼と戦うことを考えると、妖刀とまでいかなくともそれなりの大業物おおわざものは欲しい。

 となると、やはり問題は金だな。


 明日になったら日雇いの肉体労働でも探すとするか……。

 この妖化した肉体であれば人の何倍だって働ける。

 多少の金ならすぐに稼げるはずだ。


 しばらくはこの町に滞在することになるので、早速その旨を彼女たちに報告することにした。


魅狐みこ緋澄ひすみ、ちょっといいか」

「なんじゃ?」


 断わってからふすまを開けると、部屋の中には裁縫をしている魅狐みこの姿しかなかった。

 着物の破れた部分を縫って補修しているようだ。


緋澄ひすみはどうした?」

「うむ? おぬしの部屋におらんのか?」

 魅狐みこはきょとんとして小首をかしげた。


「いや、俺のところには来ていないが……」

 なにやら嫌な予感が湧き上がってくる。

「ふむ……少し前にコソコソ出て行ったのでてっきりそのつもりと思っていたのじゃが……かわやにしては遅すぎるのう」


「まさかあいつ、さっきの店に戻ったのでは……」


 責任感の強い緋澄ひすみのこと。

 どうにかして俺の刀を取り戻そうとするのも充分考えられることだ。


「……なにかあったのかえ?」

 魅狐みこはなにも聞かされていないようだった。


 ◆


 魅狐みこと共に、先ほどの呑み屋へ夜の町を急ぐ。

 そのあいだに事のあらましを説明していた。


「ほう、あの刀をくれてやるとは随分気前が良いものじゃな」

「とっさのことだったからな。だが、もう少し考えてもよかったかもしれない」


 忘れろと言って忘れるような彼女ではない。

 気に病んだ挙句にこのような行動を起こすことだって予想ができたはずだ。

 軽率だったのは俺も同じかもしれない。


 呑み屋にたどり着き、油障子あぶらしょうじを開けて暖簾のれんをくぐる。

「どうして先ほど言っていることが違うのですかっ!」

 すると緋澄ひすみの金切り声が聞こえてきた。


「そりゃさっきとは状況が違うんだから話が違ってくるのは当たり前だろ」

 五人の男たちがいる席へ緋澄ひすみが詰め寄っている。

 最年長らしき男がニヤついた顔でそれに応対していた。


「この大業物と娘さんのナマクラじゃ釣り合わねぇんだから、交換なんかするわけねぇだろ」

「そこをなんとか……おねがいします」

「まっ、どうしてもってんなら、やっぱり着物を脱いでもらうしかねぇな」

「そんな……!」

「刀と着物の両方となら……いや、そうだな、ついでに裸踊りでもしてもらおうか。それなら考えてやってもいいぜ」


 周りの男たちも、そいつはいい! と口々にはやし立てる。

 緋澄ひすみは握った拳をかすかに震わせた。


緋澄ひすみ、もうよせ」

 そこで俺が割って入る。

 彼女は振り向いて目をぱちくりさせた。

仁士郎じんしろう様っ……! 姉様も……」


「へっ、今さら返してくれって頼みに来ても遅いぜ旦那」

「彼女を連れ戻しにきただけだ。すぐに帰る」

「そいつはよかった。次のシマまでついて来られたらかなわねぇからな」


 と、男たちはぞろぞろと席を立つ。

 そして店主を一睨みしただけで勘定も払わず店を出て行ってしまった。


緋澄ひすみ……俺のほうは本当にいい。もうあいつらには関わるな」

「しかし……」

 緋澄ひすみは不満そうに顔を伏せる。

「私がしでかしてしまったことですから、やはり私がなんとかしなければと……」


「おぬしが裸踊りをして刀を取り戻したとして、こやつは喜ばぬぞ」

 魅狐みこのひとことに緋澄ひすみは「うっ」と息を詰まらせた。

 しゅんとなった彼女を慰めるように、魅狐みこはその体を優しく包み込む。


「それにじゃ。問題が起きたら三人で取り掛かるべきと仁士郎をたしなめたのはおぬしじゃろう。そのおぬしが相談もなしにこのようなことをしてどうするのじゃ」

「それは……はい……その通りでした……」

「あまり心配をかけるでない」

「すみません……」


 緋澄ひすみは姉の胸元に顔をうずめる。

 幼な子をあやすようにその背をそっと撫でる魅狐みこだった。



「邪魔をしたな」

 店主に頭を下げて、俺たちも帰ろうとする。

「今のは銀蔵ぎんぞう一味といって評判のよろしくない連中ですから。あんまり近付かないほうがいいですよ」

「心得た」


 再び暖簾のれんをくぐって外に出る。

 その途端。


「うああああっ!」


 男たちの悲鳴が夜闇の中にこだました。


 ◆


 叫び声のしたほうへ走ると、先ほどの男たちが通りの真ん中で固まっていた。


 五人のうち二人が血を流し、もう二人が彼らをかばうように立ち、最後のひとり……最年長らしい男が、俺の刀を抜いて何者かと対峙していた。


「仁士郎様、あれっ!」

 緋澄ひすみが驚いて指を差す。

 その何者かとは、件の鎧武者の辻斬りだった。


「ふむ……付喪神つくもがみじゃな」

 隣で魅狐みこがぼそりと呟く。

「古びた刀に魂が宿ってひとりでに動くようになったのじゃろう。あの鎧武者は恐らく生前の使い手。残留思念が幻影となって現れているのじゃ」


 なるほど、刀は実物だが使い手は幻。

 それですべて得心がいった。


「なぜ人を襲うんだ?」

「そこまではわからぬが、おおかた刀の本能でなにかを斬りたくて仕方なかったのじゃろう」


「そ、そんなことより早く助けて差し上げないと……!」

 焦って言う緋澄ひすみに、俺は「ああ」と頷いてみせる。

 好ましい連中ではないが、それはそれ、これはこれだ。

 見殺しにはできない。


「待つのじゃ」

 駆け出そうとする俺たちの袖を魅狐みこがつかんだ。


「姉様?」

「なんだ?」


「ふふっ……これは好機じゃ。うまく立ち回ればおぬしの刀を取り戻せるかもしぬぞ?」

 と、ズル賢そうに笑う魅狐みこだった。


 ◆


「く、来るんじゃねぇっ!」

 たしか銀蔵ぎんぞうとかいう名の男が、俺の刀を無茶苦茶に振り回して鎧武者を牽制する。


 しかしそんな牽制など意味はなく、鎧武者はずんずんと近寄ってくる。

 そして振り下ろされた太刀が彼の左腕をかすめた。

 わずかに血飛沫が散る。


「ちくしょうめっ!」

 ならず者とはいえ仲間意識は強いらしく、斬られた者を置いて逃げるということはしなかった。


 反撃を試みるも、やはり刃は鎧武者の体をすり抜けてしまう。

 どうにもならず、傷付いた仲間を担いでじりじりと後退していく。

 鎧武者が無慈悲に迫る。


 そこへ緋澄ひすみが駆けつけた。


「下がっていてくださいっ!」


 鎧武者と銀蔵のあいだに滑り込んで刀を抜く。

 そして鎧武者の太刀をしっかりと受け止めてみせた。


「あ、あんたはさっきの……!」


 若い娘とはいえ武士装束の緋澄ひすみが加勢したことで、一堂にホッとした表情が浮かぶ。

 しかしそれも一瞬のことだった。


「ううっ、つ、強い……な、なんという強さなのでしょう! 私ではとてもではありませんが歯が立ちませんっ!」


 台詞棒読みな大根芝居の彼女だったが、男たちはそれに気付く余裕もなく、ただただ恐怖にどよめいた。


 緋澄ひすみは鎧武者の攻撃をひたすら防御する。


「大丈夫か、緋澄ひすみっ!」

 手はず通りに、そこで俺が登場した。


「じ、仁士郎様、お助けくださいっ!」

「そうしたいのはやまやまだが、あいにく今の俺は刀を持っていない」

「なんということでしょう! 仁士郎様の刀さえあれば、このような相手、すぐに倒して頂けるのにっ!」

「ああ、これではみんな殺されてしまうな……俺の刀さえあれば、なんとかできるのだが……!」


 ちらっ、と銀蔵のほうを見る。


「お、おいっ! あんたの刀ならここにあるぞ!」


 期待通りの反応をしてくれるやつだった。


「しかし、それはすでにあなた方に譲ったものだ。他人の刀を使うわけにはいかない」

「か、返してやらぁっ!」


「……本当に返してくれるのか?」

「ああ!」

「あとから貸しただけと言ったり、金を要求したりしないか?」

「しねぇよっ! だ、だから早くあいつを追っ払ってくれ!」

「承知した」


 彼から刀を受け取り、かたわらに捨てられていた鞘も拾い上げる。

 失われた肉体の一部が戻ったような気分だった。


「よし、下がれ緋澄ひすみ!」

「はいっ!」


 どこか嬉しそうな顔をして後退する彼女に代わり、俺が鎧武者と向き合う。


「仁士郎っ!」

 後方から魅狐みこの鋭い声が飛んだ。

「やつの本体は刀じゃ! 刀をへし折ってやるのじゃ!」

「応!」


 刀を鞘に納め、居合の構えを取る。

 鎧武者は俺に標的を移し、両手に握った刀を大きく振りかぶった。


 そしてそれが振り下ろされたとき――鎧武者の刀は真っ二つに砕けていた。


雷速抜刀撃らいそくばっとうげき

 すでに俺が超神速の抜き打ちを叩き込んでいたためである。


 折れた刀の切っ先が宙を舞い、近くの白壁に突き刺さる。

 鎧武者は苦しみながら煙のように消え、残った柄の部分が、からりと音を立てて足元に転がった。


 ◆


 俺は刀を鞘に戻し、静かに息を吐いた。

 なんだかんだと強がりを言いつつ、やはりこの握り心地は安心できる。

 もはや一心同体といっても過言ではない。


 振り向くと、男たちが一目散に逃げていく後ろ姿が暗闇の中に見えた。


「うまくいきましたね、仁士郎様っ!」

 緋澄ひすみが駆け寄ってきて満面の笑みを浮かべる。

「ああ。これでこの町の人たちも辻斬りに怯えなく済む。ついでに刀も戻ってきたし、緋澄ひすみももう悩む必要はないな」


「はい。あの、改めて……申し訳ありませんでした」

 緋澄ひすみはぺこりと頭を下げた。


「こうして丸く収まったのだから、もう気にするな。めそめそしているよりも明るくいてくれたほうがいい」

「はい」


「これにて一件落着じゃな」

 遠くで見ていた魅狐みこもゆるやかな足取りで歩み寄ってきた。

「おまえの悪知恵のおかげでな。礼を言うぞ」

「ぬかしよる」


「しかし彼らも散々な目に遭って少し気の毒だな」

「あのような者共、気の毒に思う価値すらないのじゃ。……見てみよ」

 と、魅狐みこが片手を開く。

 白い手の平に小さなサイコロが載せられていた。


「それは?」

「連中が逃げていくときに落としていったものじゃが、わらわの目は誤魔化されぬ。イカサマ用に細工されたサイコロじゃ」


 となると、最初に緋澄ひすみが大負けしたという博打も、もしや……。


 俺と緋澄ひすみは呆気にとられてお互い顔を見合わせた。


 ◆


 宿に戻って早々、俺は眠気を覚えて布団にくるまった。

 先ほどのぶどう酒の酔いが完全には覚めていなかったのか、あるいは精神的な疲れがあったのか。

 すんなり眠りに落ちてしまう。


 そして幾ばくか。


 静寂に包まれた宿の廊下を、ぎしぎしと歩く音が響いた。

 そんな小さな音で目を覚ましてしまうあたり、普段から無意識のうちに気を張っているのかもしれない。


 その足音が俺の部屋の前で止まる。

 体を起こして刀に手をかけたのも無意識でのことだった。


「仁士郎様……まだ起きていますか?」

 ささやくような声がした。

 ほっとして刀を置く。


緋澄ひすみか。どうかしたか?」

「入ってもいいでしょうか?」

「ああ……」


 こんな夜更けに何の用だ?

 慌てた様子はないので、火急というわけではなさそうだが。


 静かにふすまが開けられる。

 寝間着姿の彼女が、遠慮がちに布団のそばまで来て正座をした。


「あの……」

 もじもじと体をくねらせているばかりでなかなか用件が出てこない。

 ややあって、緊張した面持ちで口を開いた。

「今日はいろいろと助けていただいたり、ご迷惑をおかけしてしまったので、私なりにそのお返しが出来たらと思いまして……」


「気にするなと言っただろう。大事にも至らなかったのだし。俺は何も気にしていないのだからな」

「いいえ、それでは私の気が済まないのです」


 緋澄ひすみは固い決意を込めた目を向けてくる。

 律儀というか義理堅いというか。

 こういうところがどうにも彼女らしい。


「しかし私では、どんなことをしたらいいかわからなかったので、姉様に相談しましたら、その……」

 またしても、もじもじとしてしまう緋澄ひすみ

 その頬はにわかに赤らんでいた。

「添い寝をしたら喜んでいただけるだろうと教わりまして……」


 なにを吹き込んでくれたのだあいつは。


「……お邪魔でしたでしょうか」

「い、いや、決してそんなことはなく、むしろ毎晩でもやってもらいたいところだが……」

「よかったです」


 緋澄ひすみは胸をなで下ろす。


 だが、そんなことをされたら確実に添い寝だけでは済まなくなるぞ……。

 ちゃんとわかっているのか?


 魅狐みこだって当然それはわかっているはずだ。

 もしや、俺と緋澄ひすみの仲をさらに親密にして、自分から気をそらそうと企んでいるのではなかろうな。


 ……まぁ、それはそれとしてだ。


「おまえさえよければ、頼もうか」

 拒む理由はひとつもないので、掛け布団を開けて促す。


「はい。失礼いたします……」

 緋澄ひすみはおずおずと布団に入ってきた。

 なにやら俺まで緊張してくる。


 体が外に出てしまわないよう、密着して横になった。

 ふたりぶんの体温によって布団の中の熱がみるみるうちに高まっていく。

 あるいは俺の体が熱くなっているだけなのか。

 心臓の音がやけに大きく聞こえた。


 ひそかに深呼吸をすると、彼女の良い匂いが鼻一杯に広がる。

 頭が痺れるようだった。

 女の色香と言うべきか。

 男を惑わす匂いだ。


 い、いいのか、この状況は……。

 いや、いい。

 いいということにしておこう。

 いいのだ、これは。


 お互いの気持ちは確かめ合っているわけだし。

 緋澄ひすみの祖父からも許しはもらっているわけだし。

 俺としてもきちんと責任を取るつもりはあるわけだし。


 何も問題ない。

 ああ、問題はないはずだ。

 ……な、ないよな?


「あのとき」

 緋澄ひすみが熱っぽくささやいた。

「私を助けるために、とても大切にしている刀を迷わず差し出していただけたこと……嬉しかったです」


 潤んだ緋色の瞳が至近距離で俺の目を見つめる。

 普段の彼女からは考えられないほど艶かしい表情に思わず息を呑んだ。


「……刀は武士の魂とも言う。だからこそ、俺はその使いどころを誤りたくなかった。たとえ本当に手放すことになっていたとしても惜しんだりはしない」


「そのお気持ちが心から嬉しいです。ですから、わ、私も……私の一番大切なものでお応えしたいです……」

 緋澄ひすみは羞恥に声を震わせる。

 首元はじっとりと汗ばんでいた。


「そこまで思ってくれる気持ちが、俺も嬉しい」

 彼女の柔らかな体に腕を回し、引き寄せる。

 あ……という小さな吐息が漏れ聞こえた。


緋澄ひすみ……」

「はい……その……私は……構いません……」


 ふたつの体を溶け合わせるように、彼女をさらに強く抱きしめた。

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