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妖異の辻斬り 中

「今のお連れさん、ひとりでお帰りですかい?」

 店を出て行った魅狐みこの後ろ姿を見ていた若い店主が心配そうに声をかけてきた。


「すぐそばの宿までだが」

 一般人には単なる娘に見えても、その実

、炎の術を巧みに操る怜悧な妖狐だ。

 ならず者の人間に目をつけられたとしてもどうということはない。


「けど用心なされたほうがいいですよ。近頃このあたりには妙な辻斬りが出ますから」

「妙な辻斬り……?」


「もう何人も被害に遭ってて……なんでも鎧武者の亡霊らしいです」

 亡霊……最近やたらとそういうのに縁があるな。

 祟られているのか?


「こっちの刀は向こうを斬れずにすり抜けちまうのに、向こうの刀はしっかりこっちを斬ってくる。なんとも恐ろしい話ですよ」

「それは、たしかに妙だな」

「お役人さんたちも見回りしてるようですけど、まだお縄にできてないみたいです。そのせいで夜はお客さんも減って弱ってまして……とにかく用心なすってくださいよ」

「ああ。ご忠告感謝します」


 どちらにせよ、魅狐みこが帰ってしまったのだからそう長居もしまい。

 しかし緋澄ひすみはどこにいるのやら……。

 まさかかわやで寝ているのではあるまいな。


 と店内を見渡してみると、奥のほうの座席に彼女が座っているのが見えた。

 

 ◆


緋澄ひすみ……何をしているんだ?」

「あっ、仁士郎じんしろう様。ちょっと遊戯あそびに誘われまして」


 緋澄ひすみは、遊び人風の男が五人いる席に加わっていた。

 机の上には、酒とさかなの他、三つのサイコロが入った丼と駒札が置かれている。


「この丼ぶりの中に三つのサイコロを振って、大きい数が出た人が勝ちというものらしいです。他にもゾロメとかシゴロとか特殊な数があるようで……」


 彼女に説明されるまでもなくチンチロ

だ。

 仲間うちだけでやっている小規模なもののようだが、博打ばくちは博打。

 あまり感心しないな。


魅狐みこはもう先に行ってしまった。俺たちもそろそろ戻るぞ」

「はい」

 緋澄ひすみは席を立つ。


「では、失礼いたしました」

 そして遊び人風の男たちに頭を下げて、立ち去ろうとする。

「待ちな、娘さんよ」

 そこを呼び止める声があった。


 彼らの中では一番の年長者らしい男だ。

 屈強そうな体で、右目の下に大きな傷がある。

 まとう雰囲気はいかにもカタギの人間ではなかった。


「ずらかるってんなら、今までの負け金、耳を揃えて払ってからにしてもらおうか」

「えっ……どういうことでしょう……?」

「どうもこうもねぇ。金だ、金。豪快に張って派手に負けてたんだ、さぞや大金をお持ちなんだろうなぁ? えぇ?」

「お金……?」


 緋澄ひすみは、何を言っているのかわからない、とひたすら目を丸くした。

 まさか自分が何をやっていたのかわかっていなかったのではないだろうな……。


緋澄ひすみ、おまえがやっていたのは博打だ。この木の札が金の代わりになる」

「えっ……しかし、私、そんなこと、何も聞いていませんけど……」


 一瞬で酔いが覚めたように、緋澄ひすみの顔から見る見る血の気が引いていく。

 俺を見上げる瞳は不安げに揺らいでいた。


「しらばっくれてんじゃねぇ!」

 男がドスの効いた声を張り上げる。

 緋澄ひすみは驚いて身をすくませた。


「さんざん負けといて知らなかったで済むと思ってんのか! チンチロっつったら博打以外にねぇだろうが!」

「私、本当に……なにも……」


 周りの男たちが、してやったり、という笑みをひそかに浮かべたのを俺は見逃さなかった。


 恐らく緋澄ひすみはなんの説明も受けていなかったのだろう。

 身なりの良い格好をしていた彼女が世間知らずなのを見抜き、言葉巧みに引き込んで、勝負するよう誘導したのだ。

 一旦始めてしまえばどうとでもなる。

 彼らの思うつぼだ。


「さぁ、きっちり払ってもらおうか!」

 男が要求してきた金額は、俺たちでは到底払い切れないほどの大金だった。


「す、すみません……そんなお金は持っていません……」

「なにぃ? ならこの落とし前はどうやってつけるってんだ? えぇ、おい!」

「うぅ……」


 萎縮してしまった緋澄ひすみに代わり、俺があいだに入る。


「持ち合わせがないのだからしょうがない。なんとか工面できるよう考えるから、今日のところは勘弁してくれないか」

「いいや帰すわけにはいかねぇ。金がねぇってんなら別のもんで払ってもらおうか」

「別のもの?」


「女にそんな立派なもんはいらねぇだろ」

 男が、緋澄ひすみが帯びている刀を指差す。

「ちゃんと見てみねぇとわからねぇが、なかなかの業物じゃねえか? 金額分の価値は充分ありそうだ」


 緋澄ひすみは大事そうに刀を抱えた。


「こ、これは、家に代々伝わっていた大切なものなので……お譲りするわけには……」

「へぇ、そうかい。……ならその着てる物でもいいぞ」

 男がニヤリと笑う。

「着ている物……?」


「あんたが着てる服をこの場で全部脱いで渡してくれるってんなら、それで負け金の代わりにしてやってもいいぜ」

 緋澄ひすみの顔が羞恥に染まる。

 男の提案に、周りの仲間たちも色めき立った。


「待て、着物でいいなら俺のを持っていけ」

「バカ言っちゃいけねぇぜ旦那、あんたの安物がいくらになるってんだ。それに男の裸にゃ一文の価値もない。それ込みでチャラにしてやろうってんだよ」


 男たちは下卑た笑みを浮かべて緋澄ひすみに舐めるような視線を注ぐ。

 当の彼女は恥辱に唇を噛んで、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


 この場から逃げ出すことは簡単だ。

 彼らを叩きのめして賭け金を踏み倒してもいい。

 だがそんなことをしたら単なる外道だ。

 どういう形であれ、博打が成立してしまった時点で彼らのほうに義があるのだから。


「……わかりました」

 首を絞められたような声で緋澄ひすみが答えた。

「それで許して頂けるなら……」

 そして震える手で羽織紐をほどく。


 男たちが口笛を吹いて大いに盛り上がった。


「そんなことをする必要はない」

 俺は彼女の手をつかんで下ろさせる。

 そして自分の刀を帯から外し、叩きつけるように机の上に置いた。

「金ならこれでお釣りが来るだろう」


「えっ……?」

 緋澄ひすみは大きく目を見開いて息を呑む。

 男たちは白けたようにため息を吐いた。


「一応、改めさせてもらうぜ」

 一番年長の男が俺の刀を受け取り、鯉口を切る。

 妖刀・八雷神空断やくさいかづちのかみそらたちの青白い刃が、ロウソクの明かりを受けて妖しく輝いた。


「長年いろんな品を見てきたが……こいつはすげぇ……」

 男は満足そうに呟いて刀を鞘に納める。

「たしかに受け取ったぜ。負け金はチャラだ。さっ、帰りな」


「ああ、そうさせてもらう」

 緋澄ひすみの手を引いてその場を去ろうとする。

 だが緋澄ひすみは抵抗した。


「ま、待ってください、その刀は、仁士郎様のっ……!」

「いい」

「そんな……いいはずないです……!」

「いいと言った」


 彼女を引きずるようにして無理矢理引っ張り、その呑み屋をあとにした。


 ◆


 夜の町を緋澄ひすみの手を引きながら歩く。

「仁士郎様っ……待ってください!」

 彼女はまだ納得していなかった。


「やはり私の刀を代わりに渡してきます」

「何度も言わせるな」


「ですが……あの刀は、お祖父じい様の形見の、とても大切なものなのでしょう……?」

「ああ」

「どうしてあんなことを……」


「たしかにあの刀は、自分の命と同じくらいに大切だと思っているものだ」

「でしたら」

「だが命より大切なものもある。それだけだ」


 緋澄ひすみは引きつったように息を飲み込んだ。

 つないだ手がぶるぶると震え出す。


「……申し訳ありません……」

 涙声がこぼれた。

「私があんなことをしたばかりに……」

 

「済んだことだ。もう忘れろ」

 緋澄ひすみはさめざめと泣き始める。


「それと、見知らぬ男の誘いにほいほい乗っていくのはもうやめてくれ。気が気じゃない」

 騙されたほうが悪いと言うつもりはないが、軽率だったのは事実だ。

 隙があるから付け込まれてしまう。

 無事に済んだからよかったものの、一歩間違えばどうなっていたことか。


「はい……もうしません……」

 心からの反省がうかがえる声だった。


 あの刀を手放すことに対して何も思わないわけではないが、あくまで物は物だ。

 引き換えに彼女の尊厳が守れたのならそれでいい。


 お祖父じいもきっと許してくれるだろう。

 むしろ、あの場で何もせず見ているだけだったら、そちらのほうが怒られてしまいそうだ。


 宿のある方向へ角を曲がったとき。

 前方の闇の中に、妙な人影が浮かんでいるのが見えた。

 思わず足を止めてしまう。


 闇の中から滲み出るように――抜き身の刀を持った鎧武者が歩いてきた。


「えっ……! なんです!?」

 ぎょっとした緋澄ひすみが抱きついてくる。

 瞬時に、先ほどの店主との会話が思い出された。


「もしやこいつが例の辻斬り……!」

 無意識に腰へ伸ばした手が空振りする。

 そうだった……今の俺は丸腰だ。


「つ、辻斬り……? 私にお任せくださいっ!」

 緋澄ひすみは袖で涙を拭い、俺をかばうように前に出る。

 そして刀を抜いて半身に構えた。


 鎧武者はずんずんと歩いてくる。

 兜と面に覆われていて顔はうかがえない。

 妙なのは、まるで足音がしないことだ。

 鎧というのは動くたびにガチャガチャと鳴るものだが、その音もしない。

 まさしく亡霊と呼ぶにふさわしかった。


 鎧武者が緩慢な動作で刀を振り上げ、振り下ろす。


「はっ!」

 緋澄ひすみはそれを刀で受け止め、跳ね返す。

 そして。

「たぁっ!」

 相手の頭部へ反撃の一太刀を叩き込んだ。


 それで勝負は決した――はずだったが。

 まるで霞を斬ったように、緋澄ひすみの刀が鎧武者の体をすり抜けたのだった。


 店主が噂していた通りだ。


 緋澄ひすみは戸惑いつつも、鎧武者の斬撃を避ける。

 そして胴、小手、と二撃を打つが、やはりそれもすり抜けてしまった。


「ど、どういうことでしょう……! 手応えがまったくありません!」


 本当に亡霊なのか……?

 しかし実際に斬られた被害者はいるようだし、刀と刀は打ち合うことができる。

 それがことさら妙だった。


 そんなとき。

「辻斬りめ、神妙にいたせ!」

 その場へ数人の同心が駆けつけてくる。


 すると、かかげられた提灯の明かりから逃げるように、鎧武者はサッと姿を消してしまった。


「ぬう、逃げられたか。……無事か、ご両人」

「はい。おかげさまで助かりました」

 同心に礼を言い、緋澄ひすみは刀を納める。


「妙な辻斬りが出るという噂を聞いたが、やはり今のが?」

 俺の問いにその同心がうむと頷いた。

「すでに十人以上が斬られている。素性がわからぬのでこうして見回りを強化しているのだが、どうにも……。解決するまで夜間はあまり出歩かぬようにな」


 と、言い残して同心たちは再び駆けていく。

 熱心な働きぶりに感心しながら、俺は刀の無い不便さをまざまざと痛感していた。

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