星空の下 後
城への帰り道。
夜も深まった町角に人気はなく、俺と緋澄の足音だけが暗い静寂の中に響いていた。
特に会話を交わすことはない。
ただただ、肩が触れ合うくらいに身を寄せて星空の下を歩く。
昨日までにはない距離の近さだった。
「あの、仁士郎様。一応の確認なのですけど……」
緋澄がおずおずと口を開く。
「あのようなことをしてくださるということは、その、仁士郎様も、私のことを……」
「誰とでもすることではない」
「で、ですよね。なんだか信じられなくて……天にも上る気分です」
緋澄は両手で自分の頬を包み込んだ。
うっとりとした目は、果たしてちゃんと前を見ているのか。
足取りもふらふらと危うくなっていた。
「早く魅狐姉様にご報告したいです」
「そうだな。……だがその前に」
緋澄は勇気を出して自分の正直な気持ちを告白してくれた。
ならば俺も自分の心に向き合わなければならないだろう。
包み隠さずに。
たとえどんな結果になろうともだ。
「緋澄。聞いてもらいたいことがある」
俺は足を止めて、彼女を真正面から見つめる。
「はい? なんでしょう」
俺の顔を見上げた緋澄がわずかに息を呑んだ。
真剣さが伝わったのかもしれない。
「俺は、心から緋澄のことを好いている」
飾り気のない言葉だったが、それを受け、緋澄は雷に打たれたようにビクッと体を震わせた。
湯気が出そうなほどに顔が赤らむ。
「わっ、私も、仁士郎様のこと……心からお慕い申しておりますっ……!」
声を裏返しながらも答えてくれる。
さっき言おうとして言えなかった言葉をそこでようやく言えたのかもしれない。
「そして俺は、それと同じくらいに……魅狐のことも好きでいる」
「えっ……?」
緋澄は一転して目を丸くした。
呆然としたように言葉を失う。
当たり前の反応だった。
「この気持ちには上も下もない。五割ずつでもなく、どちらにも十割の気持ちでいる」
構わず、俺は本音を吐露し続ける。
「許されることなら、ふたりともを俺のものにしたいとさえ思っている。恥知らずなことだが……これが俺の正直な気持ちだ」
緋澄は俯き、じわりと目に涙を浮かべた。
嫌われて当然のことを言ったのだ。
「だらしのない男と軽蔑してくれてもいい。だが、知っていてもらいたかった。この気持ちを誤魔化したままで付き合っていきたくはなかった……」
なにより彼女の好意に対して申し訳がないからだ。
「……嬉しいです」
しかし返ってきたのはあまりに予想外の言葉だった。
嬉しい……?
なじられこそすれ、そんなことを言われようとは……。
「私、前々からずっと考えていました」
緋澄は顔を上げる。
「この先も……たとえこの旅が終わりを迎えたとしても、私と姉様と仁士郎様の三人で、いつまでも一緒にいられたらいいなと」
決して俺を気遣って言ってくれているわけではない。
彼女の心からの言葉に思えた。
「それは難しいことというのもわかっていました。けど仁士郎様にそういうお気持ちがあるのなら、私の望みがかなうかもしれません。だから、それがとても嬉しいのです」
「嫌な気持ちになっていないか……?」
「なっていません」
「俺を軽蔑してないか?」
「していません」
緋澄は涙を指で拭って微笑む。
その表情には一点の曇りもなかった。
「もし他の女性を好きと仰られたら少しは考えてしまうかもしれませんけど……他でもない魅狐姉様ですから。私は構いません」
「緋澄……」
「それに、私たちの父様には妻が五人もいましたし。小さい頃はそういうのが普通だと思っていたくらいです」
そういう環境に生まれたのだとしてもだ。
なんて心が広いやつなのだろう、おまえは。
「仁士郎様」
緋澄が励ますように俺の手をぎゅっと握る。
「さっきの言葉を姉様にも言ってあげてください。私たち三人がもっと親密になれるのなら、それ以上に幸せなことはないです」
魅狐への気持ちはこの場に置いていくつもりでの告白だった。
……だが。
「おまえが許してくれるのなら……ああ、そうしよう」
彼女の優しさと懐の深さに勇気がふつふつと湧いてくる。
俺もその手を強く握り返した。
◆
「たっ……たわけたことを言うでないのじゃぁっ!」
魅狐が顔に血を上らせて叫んだ。
二の丸を囲うお濠の近く。
周囲に人の気配はなかった。
点々と立つ灯篭の明かりがほのかに夜闇を照らし、そよ風が草木を揺らす。
足元ではお濠の水が穏やかに流れていた。
直枝城に戻った俺と緋澄は、夜の散歩と洒落込みながら、立役者である魅狐に今日の経過を報告した。
俺たちの気持ちが通じ合ったことを、彼女はまるで自分のことのように喜んでくれた。
「よかったのう、緋澄よ」
「はい。姉様のおかげです」
と姉妹で仲睦まじく微笑み合う。
そして最後に、俺は魅狐へ思いの丈を打ち明けたのだった。
そしてこの怒りようである。
「何を堂々と二股宣言をしとるんじゃっ!」
「隠れて付き合っていたらたしかに不貞行為だろう。だから俺は、合意の上で、おまえたちふたりと恋仲になりたいと思っている」
「真面目な顔して言うでないわぁっ!」
魅狐は、はぁ……はぁ……と荒い息を吐く。
飄々としたところのある彼女がこんなに取り乱している姿を見るのは初めてだった。
「妖化の術の影響がこのようなところにも出ようとはのう……。緋澄とて呆れておろう!」
「いや、緋澄にはもう話してある。了承済みだ」
「なぬっ!」
魅狐は愕然とした表情を妹へ向ける。
「ま、まことか……?」
「はい」
緋澄はにっこりと笑って頷いた。
「い、いや、好きな男が他の女を好きと言っておるのじゃぞ……穏やかではなかろう?」
「いいえ。私の好きな姉様と、私の好きな仁士郎様が結ばれたら、それはとても素敵なことです」
「そういう問題ではなくじゃ!」
「私のことも好きと仰ってくださいましたし、それに、その……口付けもしてくださいましたし……」
自分で言っておきながら、きゃっ、と恥ずかしがって顔を手で覆う緋澄。
「キサマ……」
魅狐は般若面のような形相で俺を睨みつけた。
「俺は軽々しい気持ちで言っているわけではない。本気だ」
「なおさら不埒なのじゃ。二兎を追うものは一兎をも得ず。おぬしは緋澄を幸せにしてやることだけ考えておればよい」
「魅狐……」
「この話は聞かなかったことにするのじゃ。おぬしもそんな浮わついた気持ちは捨て、二度と言うでない。よいな?」
「いや、何度でも言うぞ。俺は、魅狐、おまえに恋い焦がれている」
「ぬぐっ……!」
魅狐はそむけた顔を着物の袖で隠すようにする。
わずかな隙間から茹で上がったように赤くなっているのが見えた。
「俺は緋澄のことも魅狐のことも、自分の命より大切に思っている。誰にも奪われたくない。俺だけを見ていてもらいたい。ふたりともが欲しい」
「よ、よくもぬけぬけと……そのように破廉恥な……!」
「俺の気持ちは今言った通りだ。今度はおまえの気持ちを聞かせてもらいたい」
「わ、わらわの気持ちじゃと……」
「ひとりの男として、俺のことをどう思っている?」
「ぬぅ……!」
魅狐は一転して押し黙った。
俺と緋澄は固唾を飲んでその答えを待つ。
かすかな夜風が彼女の長い銀髪を撫でていった。
「わ、わらわは……」
やがてその沈黙が破られる。
「呆れてものも言えんのじゃぁっ!」
と吐き捨てて、ぴゅーっと走り去ってしまう魅狐だった。
◆
「ふられてしまったな」
その場に取り残される俺と緋澄。
ため息まじりに呟くと、緋澄が慰めるように手を握ってくれた。
「諦めないでください。まだ可能性はあると思います」
「そうか……?」
「姉様の性格なら嫌なことにはハッキリ嫌と仰るはずなので」
たしかに、罵倒されただけで断られたわけではないと言えなくもないが……。
「私と仁士郎様を結んでくださったのは姉様です。だから今度は、私が、姉様と仁士郎様を結ぶお手伝いをいたします」
「緋澄……」
どこまでも健気なやつだ。
思わず、彼女の体を抱きしめる。
「わっ……」
緋澄は驚いたように身をすくませた。
「おまえの気持ちは嬉しい。だが、無理なことはしてくれなくていい。おまえが心を寄せてくれるというだけで俺は充分幸せなのだからな」
魅狐の言ったことももっともだ。
俺の気持ちは置いておいて、まずは緋澄のことを考える。
無理をさせたり、悲しませるようなことはしない。
それが前提条件だ。
「はい……。でも無理はしていません。私がしたいと思ったことですから」
彼女も腕を回し、互いの体を強く抱き合う。
豪剣を振るって妖怪と渡り合っているとは思えないほど、小さくて柔らかい体だった。
「いたらないことも多い私でよければ……どうかいつまでも、仁士郎様のおそばに置いてください」
「ああ。無論だ」
その言葉を誓うように、俺たちは唇を重ね合わせた。
◆
翌日。
俺と緋澄は、ふたりでご老公の茶室を訪れた。
「僭越ながら、この勇薙仁士郎に褒美をお与えくださるという言葉、覚えておいででしょうか」
俺が切り出した言葉に、ご老公は目を細めて頷く。
「おお、ようやく心が決まったか勇薙殿。して、何を望む? 遠慮せず申してみよ」
「では恐れながら……緋澄様を頂きたく思います」
「なんと……!」
一瞬は瞠目したご老公だったが、俺と緋澄を交互に見て、すぐに関係を察したようだった。
「……うむ、承知した。惚れ合う者同士がひとつになろうというのをどうして邪魔ができようか」
シワの多い顔にさらにシワを寄せ、満面の笑みを浮かべる。
「緋澄め、口を開けば仁士郎様仁士郎様とおぬしの話ばかりしておったからな。今にして思えばその時点で気が付くべきことであった」
「お、お祖父様っ……」
緋澄が焦って遮ろうとする。
果たしてどんな話をしていたのか……。
悪く言われていなければよいが。
「特殊な出自ゆえ、そなたの貰い手が見つかるかどうかがこの老体最後の憂いであった。だが勇薙殿のような御仁であれば安心して任せられる」
ご老公は襟首を正し、深く頭を下げてくれた。
「勇薙殿。此度の件重ね重ね世話になり礼の言葉もない。緋澄のこと、末長くよろしくお頼み申す」
「は。謹んで……」
俺は平伏してそのご厚意を受け取る。
顔を上げたご老公は、祖父らしい優しさに満ちた表情を孫娘へと傾けた。
「緋澄よ、幸せになるのだぞ」
「ご心配なく。仁士郎様と一緒にいさせてもらえるだけで私は幸せですから」
緋澄は満面の笑みを浮かべ、なんのてらいもなく言ってのける。
この笑顔を曇らせないためにもだ。
お祖父の仇であり、彼女たちの命をつけ狙う魎鉄を斬る。
改めてその決意を固くする俺だった。




