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星空の下 中

 緋澄ひすみと並んでぷらぷらしていると、辺りはすっかり暗くなってしまう。

 ちょうど良いところで雰囲気のありそうな料亭を見つけたので、そこで夕餉ゆうげを済ませていくことにした。


 女中の案内で小さな個室に通される。

 油障子を開けると縁側があり、狭いながらも草花が繁る庭園がしつらえてあった。


 空には月と星が浮かんでいる。

 そよそよと入り込む涼しげな夜風が、知らず熱くなっていた体に心地よかった。


 やがて会席料理と酒が運ばれてくる。

 ふたりで互いに酌をしながら、ささやかな贅沢に舌鼓を打った。


「そういえば仁士郎様、聞きましたけど、あれはどういうことです?」

 緋澄ひすみがむっと唇を尖らせる。

 しかし本気で怒っているという様子ではなかった。


「なにがだ?」

「あの骸骨の軍勢を倒したという件です。どうも私だけがちやほやされて、まるで仁士郎様がいないかのような扱いを皆様がするので、おかしいと思っていたんです」


 ああ。俺のことは伏せて、緋澄ひすみ主導のもと解決したと広めてもらった話か。

 城の兵士が解決できなかったことを、俺のような、どこの馬の骨とも知れぬ者が解決してしまっては城主の名誉に関わる。

 表向きにはこうしておいたほうが収まりがいいのだ。


 しかし人の口に戸は立てられないもの。

 早々にご老公の耳に入ってしまっていたが、ついには彼女の知るところにもなったというわけか。


「別に構わないだろう。まったくの嘘をついているわけではないのだから」

「構います。瓦版にもまるで私ひとりがあの軍勢をやっつけたような書かれ方をしていたので、なんだか申し訳ないです」


「勇ましい姫様が刀を手にして八面六臂の大立ち回り。それこそ劇の物語みたいでみんな盛り上がっていただろう」

「けど、仁士郎様も、もっと皆様から褒められたり認められたりしてもいいと思います」

「そういうのは柄ではない」


 お猪口に満たされた濁り酒をあおる。

 良い酒なのか、口当たりがなめらかなのでどんどんと入っていってしまう。


「お侍様というのは、手柄を立てて名を上げたいものでしょう? なのに……無欲なのですね」

 不満げに呟いて、緋澄ひすみも両手で大事そうに持ったお猪口を傾けた。

 至福そうな吐息がこぼれる。

 

「ご老公からも同じことを言われた」

 無論、人並みに欲はあると思うのだが。


「お祖父様からも?」

「なぜだか気に入られたようで、好きなものを褒美にくださると仰られて……どうにも参っていたところだ」


 仕官の話や金銀財宝は充分魅力的だが、旅する身にとっては荷物になる。

 しかしここで断ったり、大したことのないものを要求してしまったら、逆にご老公のご厚意を軽んずることになってしまう。

 だから頭を悩ませているのだ。


「どうして参るのですか? 好きなものをくださるというのなら、普通は嬉しいと思いますけど」

「嬉しくは思っている。だが、褒美や名声が欲しいためにやったわけではないからな。なかなか急には思いつかない」

「では、なんのためにやったのです?」


 なんのために、か。

 改めて問われると難しい。

 自然とそうしたほうが良いと思い、なんの疑いもなく行動しただけなのだから。


「単におせっかいな性格というだけだ……なんてことを言うと、また魅狐みこ気障きざだなんだとからかわれそうだな」

「そうですね」


 その光景が容易に思い浮かんだのか、緋澄ひすみはくすくすと鈴を転がすように笑った。


 ◆


 食事を平らげたあと、俺と緋澄ひすみは縁側に並んで腰を下ろした。


 他の個室とは竹垣で隔離されている。

 静かで穏やかな、ふたりだけの空間だった。

 

 雲ひとつない夜空に浮かぶ星々だけが隣り合う俺たちを見下ろしている。


「……あの」

 恐る恐るといった具合に緋澄ひすみが口を開いた。

「仁士郎様に聞いてもらいことがあるのですけど……よろしいですか?」


 いつになく緊張した口ぶりだった。

 膝の上に置いた手はぎゅっと握りしめられている。

 意を決して大事な話を切り出している……そんな気配がうかがえた。


「ああ。聞こう」

 そんな緊張が伝染したか、俺の口からも固い声が出た。


「最近の私は……少し妙なのです」

「妙?」

「はい……寝ても覚めても、その……ずっとひとりの男の人のことばかり考えてしまっていて」


 心臓が跳ね上がる。

 無意識に、ごくりと喉が鳴ったが、幸い彼女には気取られなかったようだった。


「その人のちょっとした仕草や言葉に、いちいち、嬉しくなったり、悲しくなったり、どきどきしたり、苦しくなったりして……こういうことは初めてで」


 一言一言、慎重に言葉を選ぶようにつむがれていく。

 うつむいた緋澄ひすみの目は自分の膝あたりに注がれていた。

 長い睫毛が何度も上下運動を繰り返す。


「姉様に相談しましたら、どうやらそれは恋患いというものらしくて……。それで、治すにはどうしたらいいのかと尋ねましたら、その人に想いを告げるのが一番だと教えてもらいまして……」


 魅狐みこが急に世話を焼くようになったのにはそういう経緯があったわけか。


「それで、今日は、朝からそういう覚悟を決めてきて……なかなか勇気が出せませんでましたけど、きっと、今なら……だから……」

 

 いよいよ核心に迫り、俺の鼓動も高まっていく。

 ここで他の男の名前が出てきたら俺は血を吐いて死ぬかもしれない。


「わた、私は……その……」


 彼女の息遣いが早くなる。

 胸の前で両手を握り合わせ、勇気を振り絞るように、たどたどしく言葉を吐き出していく。


「……仁士郎様の……ことが……」


 そこで不意に言葉が途切れた。

 俺は辛抱強く、最後の一言を待つ。


 長い長い沈黙のあと……緋澄ひすみの口から、ううっ、と泣くようなうめき声が漏れた。


「あのっ……きょ、今日は、とてもよく星が見えますねっ!」


 ずるぅぅぅっ、と頭の中の俺が盛大に縁側から転がり落ちた。

 もちろん現実世界での俺は必死にそれを我慢している。


 あと二文字でいいのに、なぜそれが頑張れない……!

 そしてその誤魔化し方はあまりに強引すぎるぞ……。


「そ、そうです。実は私、星空を見るのが好きで……昔から毎晩のように眺めていたんです」


 緋澄ひすみは完全に誤魔化し切れたと思っているのか、平然と星の話題を続けようとしていた。

 こういう流れなら好きという二文字がさらりと言えるのだな……。


「お城の天守閣の上に登って、そこで仰向けになって見るのが好きでした」


 危なっかしいやつだ。


「見つかったらすごく怒られてしまいましたけど……でも懲りずに登ってました。どこよりも空に近い場所で眺めて、この美しい景色をひとりじめしたかったんです」


 違う話をして落ち着きを取り戻したのか、緋澄ひすみは穏やかな表情で夜空を見上げていた。


 きっと彼女なりに限界まで勇気を出してくれたのだろう。

 結果的に最後まで言い切ることはできなかったようだが。

 そんな姿もなにやら奥ゆかしくて可愛い。

 あばたもえくぼとはこういうものかもしれないな。


 女にここまで言わせておいて何もしないのは男がすたる。

 次は俺が勇気を出す番だ。


 緋澄ひすみの横顔を眺める。

 澄んだ緋色の瞳に星々の輝きが映り込み、小さな夜空を形成していた。

 その輝きに誘われるようにして、俺は彼女に顔を近付けていく。


「俺は、その瞳をひとりじめしたい」


「はい?」

 緋澄ひすみが振り向く。

「わっ……!」

 目の前に俺の顔が迫っていて驚いたのだろう。

 大きな目がことさら大きく見開かれた。


「えぇっ……なっ、あ、あのっ、なにを……!」

 しどろもどろになって顔が紅潮していく。

 そんな彼女の肩に手を回し、ぐっと抱き寄せる。

 桃のような甘い匂いがした。


「初めて会ったときから、この澄んだ緋色の瞳を美しいと思っていた」

「そ……それは、あの……ありがとう……ございます……」

「きっとご両親もそう思われたのだろうな。だから緋澄ひすみという名前をつけた」

「そう……かも……しれませんね……」


 鼻と鼻が触れ合う距離で言葉を交わす。

 なにかに囚われたように、互いの目を見つめながら。

 湿った息が口元にかかるのも構わず。

 頭の奥が痺れていく感覚があった。


「私は、あまり好きな部分ではないですけど……」

「どうしてだ?」

「普通の人間はこういう色をしていませんから……気味が悪いと言われたこともあります」


 たしかに俺もこういう人間は見たことがなかった。

 鬼の父と人間の母を持つ緋澄ひすみだ。

 ならばその瞳の色は父譲りなのだろう。

 しかしこんなに綺麗なものを気味が悪いとは、あんまりだ。


「……けれど、仁士郎様がそう仰ってくださるのなら」

 緋色の目が熱を帯びてじっとりと潤んだ。

「今日からは好きになれるかもしれません」

「言ってみるものだな」


 さらに顔を近づけるよう試みる。

 そこで緋澄ひすみは、恥ずかしさから逃げるように視線をそらした。


「あの、目なら……見てくださっても構いませんけど……なにも、そんなに顔を近づけなくても……」

「いや、むしろ、もっと近づけてみたい」


「し、しかし、これ以上……近づくとなると……その……」

 緋澄ひすみはきゅっとまぶたを閉じる。

 睫毛が小刻みに震えていた。

「口と口がくっついてしまいますが……」


 腕にはほとんど力を入れていない。

 体を離して逃げることも、俺を押しのけることも出来るだろう。

 だが彼女はそれをしなかった。


「そ、そういうことは、好き合う人同士で行なうものと聞いていまして……」


 身を委ねている。

 目を閉じたままで。


「ならば問題ない」

 あとは、顔をほんの少し前に出すだけでよかった。


 ふたつの唇が触れ合う。

「んっ……」

 手の下で彼女の肩がびくんと跳ねた。


 長いあいだその甘い柔らかさを感じていた気がする。

 あるいは俺がそう体感していただけで、実際は一秒二秒のことだったのか。


 名残り惜しい気持ちで顔を離す。

 緋澄ひすみは耳まで真っ赤になり、今にも溶け出してしまいそうなほど恍惚とした表情を浮かべていた。


 その火照りを隠すように、両手で顔を覆ってうつむいてしまう。


「……また気絶してしまいそうです……」

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