亡者の城 五
しかし、緋澄が俺のことをか……。
薄々そんな気はしていたが……そうか……。
本人から直接聞かされたわけではないものの、他ならぬ魅狐が言うことだ。
ならば間違いなくそういうことなのだろう。
「なにか良いことでもあったか、勇薙殿」
からかうような総元殿の声にハッとする。
相変わらず声だけで当人の姿は見当たらなかった。
朽ちた城跡。
俺は昨日と同じく、だだっ広い城内庭園に座して時が来るのを待っていた。
西日は突き刺さるようにまぶしい。
骸骨たちが現れるまでまだ少しだけ時間があるだろう。
「どうしてそう思われる?」
「どうもこうも、顔がにやけている。さては女絡みだな」
……鋭い。
虚無僧のくせに、どうにもこういう話題が好きなやつだ。
とはいえ、あんなことを聞かされて意識するなというほうが無理な話だ。
なんとなく顔を合わせにくく、今日は緋澄にも魅狐にも会わないように城から抜け出してきたのだった。
「ところで総元殿。こことあの直枝城はだいぶ離れているはずだろう」
はぐらかすため話題を変える。
「骸骨たちはどうやって瞬時に移動しているのだ?」
普通に移動していれば、ここで蘇ってから城の近くへ行くまでのあいだに夜になってしまうはずだ。
計算が合わないだろう。
「彼らは半死半生の存在。肉体もまたこの世の理の中に有って無きがごとし。あの城を攻め滅ぼしたいという強い怨念が疾風となって空間さえも飛び越えさせるのだ」
「……なるほど」
わからん。
今は緋澄のことで頭が一杯なので深く考える気もなかった。
目を瞑れば、俺の意志とは無関係に彼女の微笑んだ顔がまぶたの裏に浮かんでくる。
烏の濡れ羽色をした長い髪。
餅のように白く柔らかそうな肌。
澄んだ緋色の瞳。愛らしい小鼻。
椿の花びらのような唇。ほっそりとした顎。
確信を得て振り返ってみれば、俺に対して向けられた言葉や態度は、まさしく恋する女のそれに思えてくる。
彼女が俺のことを好いているとは……。
それが本当ならば……願っても無い話だが……。
まずい。心臓が早鐘を打って落ち着かない気分になってきた。
骸骨たちとの激しい戦いが控えているというのに、浮かれている場合ではないぞ。
「……仁士郎様……」
彼女のことを考えるあまり幻聴まで鮮明に……。
「……仁士郎様っ!」
いや……これは。
目を開けると、城門のほうから緋澄が小走りにやってきていた。
後ろには魅狐の姿もある。
俺は驚いて立ち上がった。
「おまえたち……どうしてここに」
思わず口から出た言葉は愚問だった。
俺がここにいることは魅狐しか知らない。
ならば彼女が打ち明けたということだ。
「こんなことってないです!」
緋澄が息も整えずに詰め寄ってくる。
その顔は興奮のあまり紅潮していた。
「どうしてですかっ……! ひどいです! あんまりですっ!」
温和な彼女には珍しい剣幕に押され、額に冷や汗が滲んでくる。
「い、いや、すまない、嘘をついていたことは謝まろう」
「そうではなく、いいえ、それもですけど……私が言いたいのは、そういうことではなくて、その……!」
「緋澄よ、少し落ち着くのじゃ。何を言うておるのかわからぬぞ」
追いついてきた魅狐が彼女の両肩に手を添える。
「はい……」
緋澄は胸を押さえて深呼吸をした。
それで少しは冷静さを取り戻したようだった。
「仁士郎様……おねがいですから」
改めて、真剣な眼差しが向けられる。
「ひとりだけでなんとかしようとしないで、もっと私たちのことを信頼してほしいです」
「信頼……」
目の覚めるような思いだった。
いつか俺も魅狐に対して同じようなことを言った覚えがある。
俺を信頼して、頼ってもらいたいと。
だがその実……俺のほうこそ心根では彼女たちを信頼していなかったというのだろうか……。
だから黙って行動を起こしたと?
「それは違う。俺は、おまえたちを危険な戦いに引き込みたくなかった」
「だからといってこんなの勝手です。ひとりよがりです。仁士郎様だけが危険な目に遭うなんて、私は嫌です」
緋澄が俺の手を取り、ぎゅっと握りしめる。
「私たち三人は、たとえるなら白詰草……三つの葉は咲くときも枯れるときも一緒です」
口調は普段通りの穏やかなものに戻りつつあった。
手の柔らかさと温かさに似た優しさに満ちている。
「私たちのことを大事に思ってくださることは嬉しいです。けど、こういうことはもうしないでください。どんな問題でも三人で一緒に立ち向かって、三人で乗り越えていきたいです」
「緋澄……」
彼女からすれば裏切られた気分だったのだろう。
たしかに、ひとりよがりと言われればその通りだったかもしれない。
「そうだな……すまなかった。無断で、というのはまずかったな。今後はきちんと相談すると約束しよう」
だが相談していたとしても、やはり俺はひとりで戦いに向かっていたはずだ。
彼女たちを危険に近付かせたくない。
俺だけが戦って済むなら迷いなくそれを選ぶ。
たとえ勝手と言われようともだ。
「緋澄よ、このあたりで手打ちにしてやるのじゃ」
良きところで魅狐が助け船を出してくれた。
言いたいことを言い終えたからか、緋澄はすっきりした顔で頷いてみせる。
「……はい。わかってくだされば、私は……あっ」
そして俺の手を握り続けていることにそこでようやく気付き、慌てて手を放した。
「こやつは優しい男なのじゃ。それゆえ心配をかけまいとひとりで抱え込もうとする。悪気がないからこそ余計に厄介な性質じゃな」
「そうですね。それはちゃんとわかっています。……けど、姉様もそういうところがあります」
「ぬっ?」
急に矛先を向けられて魅狐は鼻白んだ。
緋澄は拗ねるように唇を尖らせる。
「わりと秘密主義です。このことだって昨日のうちに気付いていたのに、私に黙ってました」
「そ、それは、おぬしに無用な心配をかけぬようにと……最終的には白状したじゃろう」
「しぶしぶです。朝から仁士郎様の姿が見えなかったので、どこへ行ったか知りませんかと聞いても、はぐらすばかりで、何度も訊ねてようやくでしたし……」
魅狐は魅狐なりに俺の言い付けを守ろうとはしてくれていたのか。
しかし根負けしてしまうあたり、やはり妹には甘い姉のようだ。
「俺が口止めをしておいたんだ。あまり責めないでやってくれ」
「なんだか私だけ蚊帳の外みたいで、少し悲しかったです」
緋澄はいじけたようにそっぽを向いてしまう。
さてどうやってご機嫌取りをしようかと、俺と魅狐は自然と顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑をこぼれさせた。
「……勇薙殿。取り込み中悪いが」
すっかり存在を忘れていた総元殿の低い声が風に乗って聞こえてくる。
声はするが姿は見えぬので、魅狐と緋澄は驚いて周囲を見回した。
「そろそろだぞ。用心なされ」
いかん、話しているあいだに黄昏時が差し迫っていたようだ。
こうなった以上は一連托生。
彼女たちの力も借りるしかない。
「魅狐、緋澄、骸骨の軍勢が出てくる。構えろ」
刀を抜いた俺の言葉が終わるか終わらぬかというとき。
周囲の地面から、草の芽が出るように骨の手が突き出した。
昨日と同じく鎧兜の骸骨兵たちが続々と地中から這い出てくる。
がらんとしていた城内庭園はあっというまに亡者ひしめく常世の国と化すのだった。
「ひっ……」
おぞましき光景に緋澄が小さく悲鳴を漏らす。
「仁士郎様は……このような数を相手に戦っていたのですか……!」
遠くから眺めるのと、こうして目の前で相対すのとは迫力が段違いだ。
「残るはおよそ六百体。一体一体の強さはさほどでもないが、数が厄介だ。少しでも旗色が悪くなったら退却する。いいな?」
「わらわたちを見くびるでないのじゃ――妖血活性!」
魅狐の黄金色の瞳が仄かに輝き、白くてふかふかのしっぽが二又に分裂する。
「鬼の王の血を引く長姉と次姉。このような烏合の衆に後れは取らんのじゃ」
「そうです……かつて姉様が言ってくださいました。ひとりでは勝てない敵でも、三人ならきっと勝てると」
声に勇ましさを取り戻しつつ、緋澄が刀を引き抜く。
「鬼血活性……!」
彼女の緋色の瞳も炎のような輝きを帯びた。
三人、背を合わせて立つ。
偉そうなことを言いつつも、彼女たちがそばにいることにとてつもない安心感を覚えている自分がいた。
果たして昨日の記憶があるのか……俺が何も言わずとも、大量無数の骸骨たちは一斉にこちらへと襲いかかってきた。




