亡者の城 四
太陽が山陰に沈み、空の橙色も薄くなっていく。
昼と夜の狭間。
黄昏時の訪れを、俺は三の丸庭園の真ん中に座して待ち構えていた。
「そろそろだぞ勇薙殿。気を付けられよ」
どこからか総元殿の緊迫した声がかけられる。
しばし話をしていたが、やはり彼は姿を見せることはなかった。
「言っておく。おまえが殺されかけようと、私はこの術を解く気はない」
「無論だ。でなければ彼らも報われまい」
俺は立ち上がり、袴に着いた砂を払う。
ぞくりと背筋を震わせる風が吹いたのは、単に夜の冷気がやってきたからか、あるいは死者の世界との扉が通じたからか。
黄昏時は逢魔時とも言われる。
魔性に逢いやすい時間帯。
それは決して人々の不安から生み出された言葉ではないだろう。
目の前の地面がムクリと隆起する。
まるで草の芽が萌え出るように、そこから手甲をつけた骨の手が突き出した。
続いて刀を握ったもう片方の手、兜を被った髑髏、鎧を着た胴体、そして具足をつけた骨の足が這い出ててくる。
昨日見たのと同じ――甲冑姿の骸骨兵士がゆらりと立ち上がった。
一体だけではない。
城の庭一面から、わらわらと、何十、何百という骸骨たちが蘇ってくる。
さすがにおぞましい光景だ。
しかし慄いてもいられない。
「我こそは勇薙仁士郎! この城を滅ぼし、貴殿らを骸とせしめた直枝の城より参った!」
俺は刀を掲げて声を張り上げる。
「この妖刀・八雷神空断にかけて貴殿らに戦いを申し込む! 我が剣を恐れぬのなら挑んでこられよ!」
果たして彼らに言葉が通じるかどうか……。
これで素通りされたら恥ずかしいことこの上ないが、その心配はなさそうだった。
骸骨兵たちの空洞と化した目が俺へと向けられていく。
やがて目の前の一体が刀を上段に構え、鋭く踏み込んで斬りかかってきた。
俺はすり抜けざまに胴切りを放つ。
鎧ごと真っ二つになった骸骨兵は、地面に倒れるや否や、黒い煙となって消えていった。
これで彼は成仏できたということか……?
たしかに俺が同じ立場なら、毒で殺されるよりはこうして立ち合って殺されるほうが諦めもつくというものだ。
「勇気ありしはこの者だけか! 仲間の仇を討ち取ってみせよ!」
駄目押しに再び大声で挑発する。
それを合図としたかのように、他の骸骨兵たちもにわかに殺到してきた。
「いざ尋常に……勝負!」
俺も覚悟を決め、黒山の中へ飛び込んだ。
◆
走る勢いのまま跳躍し、落下速度を乗せて刀を振り下ろす。
骸骨は左右に両断され黒い煙となって消えた。
俺は足を止めず、その隣の骸骨へ斬り上げ。
さらに振り向きざまに袈裟斬り。
二体が同時に黒い煙と化した。
側面から振るわれた刀をかがんで避け、反撃に骨だけの首を払い飛ばす。
再び駆け出した俺の耳元を、いくつもの太刀風がかすめていった。
魅狐と緋澄を置いてきたのは、ひとえに彼女たちを危険に巻き込みたくないという思いから。
それと同時に戦いやすさを考慮した結果でもあった。
この乱戦の中で味方を気にかけている余裕はない。
ならば最初から連れてこなければよいのだと。
周りはすべて敵。
近づく者、あるいは動く者すべてを斬ればいい。
余計な考えを排除し、ただ反射神経のままに刀を振るっていく――。
そうして初めて千という数を相手にできると思ったからだ。
目の前の骸骨兵へ、ひたすら最速の一太刀を打ち込んでいく。
殺傷力はこの際考えない。
そして、とにかく動き続ける。
少しでも足を止めたら四方八方から滅多斬りにされるのは明白だ。
予想していた通り、この骸骨兵たちの身体能力は普通の人間と変わらないようだった。
今の俺にしてみれば、腕の振りひとつ、足運びひとつを取っても蚊の止まるほどに遅く感じる。
力の差は歴然。
まさに蹴散らすという表現が相応しい。
渡り合える。
と思って気が緩んだか。
背中に鋭い痛みが走った。
斬られた……!
しかし浅い。
この数だ、多少の傷は覚悟している。
「勇薙流妖刀術――」
刀身から稲妻の刃が伸び、刀の長さを倍加させる。
「絶空雷破斬!」
横薙ぎに一閃。
まとめて十体ほどを斬り裂く。
「おおおおっ!」
自分を鼓舞するように気勢を発し、津波のように襲いかかる骸骨たちに立ち向かっていった。
◆
果たしてどれくらいの時間が過ぎたのか。
もはや何体斬ったのかもわからない。
そして、自分が何回斬られたのかも。
無間地獄とも思われた戦いの終わりは、あるとき突然訪れた。
まだまだ尽きないほど無数にいた骸骨兵たちが、一斉に倒れ、そのまま地面へと沈んでいったのだ。
「なに……!」
斬り倒して黒い煙になるのとは明らかに違う消え方だった。
おびただしい数の骸骨兵が瞬時にいなくなり、城跡は再び静寂に包まれる。
朽ちてさびれた庭に立っているのは俺ひとりだけだった。
「刻限だ」
総元殿の声が聞こえてくる。姿は見えない。
夜目が効くので気付かなかったが、辺りはすでに暗闇に包まれていた。
星の瞬く空は濃い青で塗り込められている。
「半死半生の彼らは、昼と夜の狭間たる黄昏時しか活動ができない。夜となったため再び土に帰ったのだ」
「そうか……そういう……話だったな」
俺は刀を鞘に収める余裕もなく、その場に膝をついた。
じわじわと疲労と痛みが襲いかかってくる。
体力はとっくに限界を迎えていた。
途中からはほとんど無意識で戦っていたくらいだ。
着物は血まみれになっている。
彼らは血を流さないので、返り血ではなくすべて俺の血なのだろう。
体中傷だらけなのかもしれない。
深傷は無いはずたが、かすり傷でもここまで重なれば大したものだ。
致命傷を受けずに済んだのは普段の稽古の賜物と思いたかった。
「……無事か? 勇薙殿」
総元殿の声に気遣うような響きが含まれた。
話し相手がいるのは助かる。
ひとりきりだったらこのまま意識を失って倒れていたかもしれない。
「ああ……どうやら、この体は俺が思っている以上によく働いてくれるようだ……少し休めば動けるようになる」
妖化した体は傷の治りも早い。
出血もすぐに止まるだろう。
「しかし、おまえの強さには驚かされた。正直すぐに八つ裂きにされてしまうと思っていたが刻限まで戦い抜いてみせるとは」
「さすがに一日で倒し切れる数ではなかったが……彼らはあとどれくらい残っている……?」
「ふむ……」
総元殿はしばし黙る。
もしや律儀に数えているのだろうか。
「おまえが倒したのは、おおよそ四百といったところだろう」
まだ半分にも満たない。
文字通りに気の遠くなるような数字だった。
だが俺は倒れていない。
戦い抜いてみせた。
ならば明日も同じことをすればいいだけだ。
勝機はある。
俺が諦めさえしなければ。
◆
体力の回復を待って城下町まで戻り、町医者に手当てをしてもらい、新しい着物と袴に着替える。
その頃にはすっかり夜も更けていた。
直枝城に帰ると、門のところに緋澄がぽつんと立っていた。
「緋澄……どうした、こんな夜更けに」
しかし答えは返ってこなかった。
自分の体を抱くように腕を組み、むすっとした顔で見つめてくるばかりだ。
なにやら虫の居所を悪くしていることはわかる。
「……ずいぶん長い時間遊ばれていたんですね」
ようやく、つっけんどんに口を開いた。
なんの話だ……?
ああ、思い出した。
そういえば遊女屋に行くと嘘をついて抜け出してきたのだった。
深く考えずに言った言葉だったが、女からすればあまり気分の良いものではなかったかもしれない。
とはいえ骸骨兵たちとの戦いは明日以降も続く。
もう少し遊び人のままでいたほうがよさそうだ。
「ああ……想像以上に楽しかったからな。ついつい時間も忘れて遊んでしまった」
「はぁ……楽しまれたのでしたら結構ですけど……」
心のこもってない声で言う緋澄。
もしや俺の帰りをずっと待っていたのだろうか。
いじらしい奴だ。
「遊女屋と言っても単に酒を呑んで騒いできただけだ。その……女郎と床に入ったわけではないからな」
余計に女々しい言い訳になってしまった気もする。
しかしそこを誤解されたままというのは俺としても心苦しい。
実際遊女と寝るには店の常連にならなければいけないと聞くので不自然なことではないはずだ。
「えっ、そうなのですか……? けどそれでしたらどうしてこんなに長時間……」
「いつまでも夜風に当たっていたら風邪を引いてしまうぞ。さぁ、早く城の中へ入ろう」
緋澄の肩を抱いて一緒に歩き出す。
「あ……はい……そ、そうですね……」
すると彼女は頬を朱に染め、急にしおらしくなった。
「あの……仁士郎様が遊んでおられるあいだ、私たちも戦列に参加していたんですけど」
城の敷地内を歩きながら緋澄が言う。
先ほどまでのトゲトゲしさはなくなっていた。
「今日は何故か、あの骸骨の軍勢は現れませんでした」
「そういう日もあるだろう」
「けど不思議です。あの軍勢が現れてから毎日攻撃されていたそうなので、こんなことは初めてだとか……」
俺があの城跡で骸骨兵たちを足止めしていれば、やはりこちらには現れない。
それがわかったのは収穫だ。
「兵士の方々はよほど嬉しかったようで、さっきまでこの庭で酒宴をされていました」
「明日になったらまた現れるかもしれぬだろう。浮かれるのが早すぎるのではないか」
「はい。上役の方にそう怒られて、皆様あわてて片付ける羽目になっていました」
そのときの光景を思い出してか、緋澄はクスリと笑みをこぼした。
◆
緋澄とは城内で別れ、ひとり廊下を歩く。
ご老公に用意してもらった寝所は当然ながら別々だ。
俺の部屋の手前で、まるで待ち構えるように魅狐が立っていた。
姉妹だけあって行動が似通うものだ。
「また気障妖怪がいけ好かない顔をのぞかせたようじゃな」
「開口一番ずいぶんなことを言う」
「おぬし、ひとりであの骸骨どもと戦っておったんじゃろ?」
しかしこういう鋭さは姉妹でも似ていないものだった。
魅狐は感情を押し殺したような表情でじっと見つめてくる。
まぁ、こいつにまで隠しておく意味はないか。
「危険な戦いに付き合わせたくなかった。おまえはともかく、緋澄は無理にでもついてくると言いかねなかったからな。だから黙って行くことにした。……すまなかったな」
俺は素直に頭を下げる。
魅狐のため息だけが返された。
「いつから気付いていたんだ?」
「現れぬ骸骨ども。不自然に姿を消したままのおぬし。そして血の匂いを漂わせて帰ってきた姿を見れば、阿保でも見当がつくのじゃ」
「緋澄は気付いていなかったようだが」
「おぬしが女遊びに夢中になってると思っていじけておったからのう。時として恋というのは頭の働きを鈍らせるものじゃ」
「恋……」
不意に発せられた単語にドキリとする。
魅狐の黄金色の瞳は息を呑むほどの真剣みを帯びていた。
軽口の類いではない。
「あやつの気持ち、おぬしとて気付いてないわけなかろう?」
確信を抱いた問いかけだった。
ならば、そこに対する誤魔化しはするべきではない。
「……心当たるものはある」
自信を持って頷けるほど俺は色男ではないが、緋澄は感情の動きがわかりやすいやつだ。
俺へ向けられる態度や言葉に何も思わないわけではない。
そうであったらいいという願望も多々含まれているかもしれないが。
「そうであるなら、金輪際あやつを傷付けるようなことは言うでない」
魅狐は諭すように続ける。
「惚れた男が遊女屋に行くと聞いて喜ぶ女などおらぬ。……あのように悲しむ顔はもう見たくないのじゃ」
俺の前ではぷりぷりした顔しか見せなかったが、その裏ではひどく悲しんでもいたのだろう。
気の毒なことをしてしまった。
魅狐が堪りかねてこんなことを言いに来るのも当然だ。
「たしかに軽率な言葉だった。反省する。……明日は別の言い訳を考えておかなくてはな」
「明日……? 戦いはまだ終わっておらんのか?」
「ああ。だから緋澄にはまだ黙っておいてくれ。ついでに上手く取り繕ってくれると助かる」
「明日もひとりで行く気か?」
俺は頷いてみせる。
ご老公に彼女たちのことを頼まれた手前、やはりこの戦いに同行させるわけにはいかない。
そして俺がひとりで相手をしてやればこの城の兵士たちも戦わずに済む。
これが一番良い方法なのだ。
「仁士郎」
魅狐の表情にほんのわずかだけ逡巡が浮かぶ。
視線は俺の足元に落とされていた。
「おぬしに何かあったら、それこそ緋澄が悲しむことになる……ゆめゆめ忘れるでないぞ」
魅狐はそう言い置いて立ち去る。
その際一瞬だけ垣間見えた切なげな横顔が、鮮明に脳裏に焼きついて離れなかった。




