亡者の城 一
ゆるやかな峠道の小脇では、見渡す限りの白詰草が昼下がりの風に揺らされていた。
「仁士郎様、知っていますか?」
緋澄が道端にしゃがみこんで投げかけてくる。
草葉と共に揺れる長い黒髪。
澄んだ緋色の瞳は喜色に彩られて足元に向けられていた。
「白詰草の中には、まれに四つ葉のものがあって、それを見つけられた人には小さな幸せが訪れるといいます」
「ほう。しかし、この中から探し出すのは骨が折れそうだな」
俺も足元をざっと眺めてみるが、どれも見慣れた三つ葉のものだけだった。
ここには数えきれないほど大量の白詰草が生えている。
中には四つ葉のものもあるのかもしれない。
だがわざわざ探していたら日が暮れてしまうだろう。
「小さな幸せとは言うがの、具体的にどんな幸せが訪れるんじゃ?」
魅狐が訝しむような表情で訊ねた。
まるで興味がないのか、退屈そうに銀髪の毛先を弄んでいる。
「どんなと言われても……」
緋澄は困ったように眉根を寄せた。
「なんじゃ、ガセじゃったのか?」
「いえ、本当にそういう言い伝えがあるのです」
「ならば答えられるじゃろう」
悪戯っぽい笑みを浮かべて詰め寄る魅狐。
緋澄はしどろもどろになって目を泳がせた。
「う……具体的には……お夕飯が一品増えるとかです」
恐らくだが白詰草にそこまでの力は無い。
「あとは好きな人に振り向いてもらえるとか……大きな仕事が入るとか……枯れ木に花が咲くとか……地面を掘ったら小判が出てくるとか……」
恐らくだが白詰草にそこまでの力は無い。
「と、とにかく幸せなことが起こるんです。昔から言い伝えられていることなので間違いないです」
謎な自信で力説する緋澄だった。
途中で別の昔話が混ざっていた気がするが。
「あやしいもんじゃなぁ……」
「よし……ならこういうのはどうだ。最初に四つ葉の白詰草を見つけた者が、他のふたりになんでも言うことを聞いてもらえるということにしよう」
「むぅ?」
「なんでもですか……?」
俺の提案に、魅狐は怪訝な顔をし、緋澄は少しだけわくわくしたような顔を向けた。
「ああ、なんでもだ。それは小さな幸せと言えるのではないか?」
「そうですね……それに楽しそうです。では誰が一番に見つけられるか競争しましょう!」
やる気を見せて四つ葉探しに本腰を入れる緋澄。
それを見てひそかにほくそ笑む俺だった。
「助兵衛心ありありという顔をしとるな、おぬし」
魅狐にはバレていたが。
「俺は元からこういう顔をしている」
「それは災難じゃな」
しかし緋澄が承服した時点でこの遊戯は成立しているのだ。
俺が先に見つけられれば、ふたりになんでも言うことを聞いてもらえる……。
これを逃す手はない。
「出遅れても吠え面をかいても知らないぞ、魅狐」
さっそく俺も道の脇にしゃがみこみ、目を皿のようにする。
「ぬっ……吠え面をかくのはおぬしじゃ!」
そしてなんだかんだと言いつつも参加する魅狐だった。
◆
しかし、なかなか見つかないものだな。
緑色は目に優しいと聞くが、こう凝視し続けているとさすがに目頭のあたりが痛くなってくる。
そんなとき。
「ありましたっ!」
と大きな声を上げたのは緋澄だった。
「なにっ……!」
俺と魅狐はしゃがむ彼女のもとへ駆け寄る。
緋澄が指差す先、無数の三つ葉の中に、ひとつだけ四つ葉の白詰草が生えていた。
「おお、まことに四つ葉じゃ」
「よく見つけたな、緋澄」
緋澄は誇らしげに、えへへ、と笑った。
「この勝負、緋澄の勝ちじゃな。残念じゃったな、仁士郎」
と、魅狐が肘で小突いてくる。
彼女たちを言いなりにしてやろうという俺の企みはあっさりと玉砕してしまったのだった。
「うむ……そうだな……なんでも命じてくれ……」
「落ち込みすぎじゃろ」
「えっと……なんでも言うことを聞いてもらえるのでしたよね?」
「ああ。そういう約定だからな」
「本当になんでもですか?」
「おすすめは裸踊りじゃ」
魅狐が緋澄へ耳打ちをする。
自分もやらされるかもしれないという危険性を考えていないのだろうか。
「では……手を」
緋澄が意を決したように告げる。
「おふたりとも……山を下りるまで、私と手をつないで歩いてください」
そして俺たちへ向けて両手を差し出した。
「なんじゃ、そんなことでよいのか」
魅狐は拍子抜けしたように言い、すぐさま片方の手をつなぎ合わせる。
「別にいつでもつないでやるんじゃがなあ」
「ほ、他に思い浮かばなくて……」
拍子抜けしたのは俺も同じだった。
どんな無茶なことを言われるかと思ったら、こんな無邪気なこととは……。
下心全開で企んでいた自分が急に恥ずかしくなってくる。
「あの、仁士郎様もよろしいですか……? い、いえ、別にその、嫌だと仰られるのなら他のことを考えますけども……!」
「いや、お安い御用だ」
むしろこちらからお願いして触れさせてもらいたくなるような、柔らかくて滑らかな白い手。
軽く握ると同じくらいの力で握り返される。
「お手数おかけします……」
俯いた緋澄の顔が、火を入れた炉のように赤く染まっていった。
自分で言い出しておいて恥ずかしがってどうする……。
なにやらこちらの体温まで上がってくる思いだった。
「……姉様、やっぱり私の言った通りです」
緋澄は嬉しそうに魅狐へと耳打ちする。
しかし手をつなげる距離にいるので当然ながら俺にも聞こえていた。
「幸せなこと、訪れました」
「そのようじゃな」
微笑む彼女を見て、魅狐も自然に表情を綻ばせるのだった。
◆
四つ葉の白詰草探しに熱中していたためか、山を下りた頃にはすっかり日が傾いていた。
茜色に染まる空。
見渡す限りの広大な草原。
そのはるか向こう側に、城と町が見えた。
地図によると直枝城というらしい。
それを聞いた緋澄が首をひねる。
「直枝城? どこかで聞いたことが……あっ、思い出しました。私のお祖父様の住んでおられるお城です」
そしてとんでもないことをさらりと言った。
本人の気安さについつい忘れそうになるが、彼女は紛れもない姫様なのだ。
それをこういうときに思い知らされる。
「人間のほうの祖父か?」
「はい。葵川定國様と言いまして……」
鬼の王の血を引く一方で、人間である母親もやんごとなき血筋に連なる人らしい。
本来なら俺みたいな人間は近付くことすらできない立場の人だ。
そんな人と手をつなげてしまう俺はなかなかの果報者と言って差し支えないだろう。
「すでに城主の座を御子息様に譲って隠居をされていると聞いています。もう何年も会っていませんが、きっとまだお元気のはずです」
「では、今宵はあの城に厄介になるとするのじゃ。緋澄が口利きをすれば中に入れてもらえるじゃろ?」
「ええ、恐らくは。私も久しぶりにお祖父様とお会いしたいですし」
夕焼けの下、何もない草原を三人並んで歩いていく。
地面には長く伸びる三つの影。
いつからか魅狐と緋澄は、山を下りたときに離した手を再びつないでいた。
「むっ……なんじゃ?」
不意に魅狐が怪訝な声を上げた。
視線は前方へ向けられている。
俺も目をこらして見てみると、町の前に、なにやら大勢の人間が列をなして立っていた。
数千……あるいは数万といるだろうか。
ずらりと並んだ鎧兜の集団は、まるで戦国の世を描いた絵巻物の光景だった。
そんな軍勢と城を右側とするなら、反対の左側から、同じくらいの軍勢が凄まじい勢いで進行してきた。
草原の真ん中で両軍が激突。
数千対数千の激しい戦闘が開始される。
遠くで眺めている俺たちのところまでは戦火が飛んでくる心配はなさそうだが。
「こんな時代に戦とはのう」
魅狐が目をすがめて呟く。
天下泰平の世が築かれて百数十年。
こんな戦などそうそう起きないものと思っていたが……。
「でも、相手の軍勢は人間ではないみたいです……」
緋澄が、城へ攻め込んでいるほうを指を差して言う。
ボロボロの鎧兜を着て、刀や槍を携えた軍勢。
よく見るとその兵士たちは骨だけの姿だった。
兜の下の顔も、鎧から見える手や足も、すべてが骨。
骸骨の兵士たちの軍勢だ。
「あれは……妖なのか?」
「ここからではなんとも言えぬが、怨霊の類やもしれぬな」
誰にでもなく尋ねた問いに、魅狐が答えてくれる。
怨霊……。
殺された猪の霊が人に取り憑いた例は知っているが、似たようなものだろうか。
「ど、どうしましょう……加勢すべきでしょうか?」
緋澄が眉をハの字にして俺たちを見た。
町と城を守っている側は人間の兵士たち。
そして緋澄の祖父がいる城となれば、どちらに味方すべきかは明らかだ。
「わらわたちが行ってどうにかなる数ではあるまい」
冷静な顔で首を振る魅狐。
「無闇矢鱈と面倒事に首を突っ込むものではないのじゃ」
「でも放ってはおけません……義を見てせざるは勇なきなりです」
姉の忠告を振り切り、緋澄は早足で戦場へと向かっていった。
「……昔は、わらわの言うことには素直に従ってくれたのじゃがなぁ」
そして恨めがましい目が俺へと注がれる。
「近くにいる者の影響かのう」
「だが放っておけないのは事実だ。あの人間たちのことも、緋澄のこともな」
「最後のには同意じゃ」
意見が合致したところで、俺と魅狐はずんずんと進む緋澄を追いかけた。
◆
だが俺たちが戦場へたどり着く前にその戦闘は終わりを迎えていた。
日が沈み切り、夜のとばりが下りると、骸骨兵士たちは蒸発したように消え去ったのだ。
草原に残されたのは疲弊しきった様子の人間たちだけだった。




