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武士の理 前

 広く大きな川が穏やかに流れている。

 うららかな日差しが川面に反射して、宝石箱のように輝いていた。


 俺と魅狐みこ緋澄ひすみは茶店の長椅子に座って休んでいる。


 目の前の街道は人の往来が多かった。

 旅人風、商人風、駕籠かごかき、飛脚。

 様々な人たちが通り過ぎたり、あるいはこの茶店へと立ち寄っていく。


 そんな中を、浪人風の二人組が歩いてきた。


 ひとりは背が高くて筋肉質。

 端正な顔立ちながらも野生的な雰囲気をまとわせている。

 骨太な美丈夫といった印象だ。


 もうひとりは対照的に線の細い優男だった。

 女物のような派手な柄の着物。

 何故か化粧もしているようだった。


 二人組がチラリとこちらを見る。

 そしてなにやら言葉を交わしたあと、こちらへ向かって歩いてきた。

 茶店へ寄りに来た客かと思いきや、脇目も振らず俺たちの前へとやってくる。


「おお……こいつぁ驚いた」

 野生的な男が感嘆を込めて言った。

 その視線はまっすぐ緋澄ひすみへと注がれている。


「あの、なんでしょう……?」

 緋澄ひすみの様子からすると知り合いというわけでもないらしい。


「俺ぁ、あんたみたいに美しい人初めて見たぜ」

「えっ……そんなことはないと思いますけども……えっと、ありがとうございます」

 いきなり何を言うのかと戸惑いつつも、一応礼を返す緋澄ひすみ

「お世辞でも嬉しいです」


「バカ言っちゃいけねぇ、お世辞なものか。なぁ旦那」

 と、俺へ同意が求められる。

「ああ……俺も美しいと思う」

 それもお世辞ではなく本心だ。


「えぇっ? も、もう……からかわないでくださいっ……!」

 緋澄ひすみは耳まで真っ赤にして小さくなった。


「わらわはどうなのじゃ?」

 その隣で魅狐みこが対抗するように尋ねる。

 負けず劣らず可憐な姉妹だが、男は即座に謝るときのように手を立ててみせた。


「わりぃな、化け狐には興味ねぇんだ」

「ご挨拶じゃな」

 口を尖らせる魅狐みこ


 いや、待て……。


 魅狐みこは常に幻術を使っていて、狐耳や尻尾は普通の人間には見えないはずだ。

 幻術が作用するのは人間相手だけで鬼やあやかしといった連中には効果がない。

 そんな彼女の正体をあっさり看破するとは、この男……。


「おまえたち……」

「おっかねぇ顔しなさんな、旦那。似た者同士仲良くしようぜ」

 俺が警戒心を働かせた気配が伝わったのだろう、男は人懐っこい笑みを浮かべてみせた。


「俺は赤ノ介(あかのすけ)、こっちは弟の青次郎あおじろう。ふたりとも鬼のおとっつぁんと人間のおっかさんから産まれてきた兄弟だ」

 すなわち半人半鬼ということか……。

 見た目はまるっきり普通の人間と変わらないが。


「私と同じ人、初めて会いました……」

 緋澄ひすみが目を丸くして、浪人風のふたりを改めて眺めた。


 魅狐みこは特に驚いた様子はない。

 最初からわかっていたのだろうか。


「俺たちは嫁探しの旅をしてるんだ。困ったことにこんな身の上だから、なかなか相手をしてくれる女がいなくてな」


 鬼の血を引いていると聞けば大抵の人間の女は逃げ出してしまうだろう。

 鬼の女がどうなのかはわからないが。


「というわけだ、娘さん。あんた俺の嫁になってくれねぇか?」

「えっ?」


 突然の求婚を受けて固まる緋澄ひすみ

「すみません……お断りします」

 しかしすぐに、申し訳なさそうに頭を下げる。

 無性にホッとする俺だった。


 とはいえ初対面で求婚されて頷く女はいないだろう。

「なにぃ?」

 だが赤ノ介は不思議そうに小首をかしげた。


「あんた、もう結婚してんのか?」

「いえ……」

「なら恋仲の男がいるとか……この旦那か?」

 と、俺を指差す。

「そんな、滅相もないですっ……!」

 緋澄ひすみは首が取れるんじゃないかという勢いでぶんぶんと横に振った。


「じゃあいいじゃねえか。自分で言うのもなんだが俺ぁ結構な男前だぜ?」

 たしかに自分で言うのもなんだ。

「見た目の問題ではなく……お会いしたばかりなので、まだどんな人なのかもわからないですし……」


「ならどんな男が好きなんだ?」

「えっ?」

「顔が良いとか、腕っぷしが強いとか、金を持ってるとか、粋な性格とか、いろいろあるだろう? ちなみに俺はすべてに当てはまってる男の中の男だぜ」

 よく自分で言えるものだった。


「私が好きなのは……その……」

 緋澄ひすみは忍ぶように俺をチラチラと見る。

「……私に勇気をくれる人です」


「初めて聞く答えだな……もうちっと詳しく教えてくれねぇか」

「えっと……」

 またしても俺をチラチラと見る。


「……困難があるときには一緒に立ち向かってくれて。弱気になっているときには背中を押してくれて。いつも勇ましい姿を見せてくれて……」

 はにかみながら答える緋澄ひすみの横で、魅狐みこまで俺をじっと見つめていた。

「……そういう人が素敵だと思います」


「俺だって、あんたのそばにいれば、そういうことをしてやれるかもしれないぜ」

「それは……そうかもしれませんけど……」

「半人半鬼なんて滅多にいるもんじゃねぇ。そういう意味でも俺たちゃお似合いだと思うがなぁ」


 赤ノ介はまだまだ粘るつもりのようだった。

 緋澄ひすみは助けを求めるように魅狐みこへ視線を送る。

 ここまでくると、さすがに俺も黙ってはいられなかった。


「赤ノ介殿、彼女が困っているようだ。そのあたりで勘弁してやってくれないか」

「ん……そうなのか。そりゃあ悪かった」

 赤ノ介は素直に謝った。


「嫌がる女を無理矢理ってのも趣味じゃねえからな……残念だが諦めることにするぜ」

 本当に残念そうに深いため息をつき、頭をかく。


 口説き方は強引だが退き際は潔い。

 なんとも不思議な男だった。


 だが悪い男ではない気がする。

 緋澄ひすみと同じく半鬼ということは、鬼や妖怪とも渡り合える強さを持っているのだろう。

 魎鉄りょうてつを討つ旅の仲間にするには彼のような人が打ってつけなのかもしれない。


「迷惑かけたな御三方。さぁ行こうぜ青次郎、また探し直しだ」

 後ろでじっと待っていた弟にそう言い、赤ノ介は踵を返す。

 俺は彼らを仲間に勧誘するため声をかけようとして……。


「もう、あんちゃん! あたしのことは鈴蘭すずらんって呼んでっていつも言ってるじゃないの!」


 その弟が女のような口調で猫なで声を出したので、つい長椅子から滑り落ちてしまった。


「しゃらくせぇな。親からもらった名前を大事にしやがれ」

「それにまだあたしの用事が済んでないわよ!」

「用事っておめぇ……ははぁ」

 赤ノ介の気の毒そうな目が俺へ向けられた気がした。


 長椅子に座り直した俺の横へ、その青次郎だか鈴蘭だかが、ぴったりと寄り添うように腰をかける。


「ねぇ、雄々しいお侍様。お名前うかがってもよろしい?」

 しなを作って俺の腕に絡みつき、上目遣いに見つめてくる。

 女ならば嬉しい状況だが、こいつは紛れもなく男だ。

 背筋を冷たいものが駆けていく。


「……勇薙いさなぎ仁士郎じんしろうという」

「きゃっ、ご立派なお名前。ぴったりだわぁ。仁様とお呼びしてもいいかしら?」

「それは……好きに呼んだらいいが……」


 魅狐みこ緋澄ひすみは口を半開きにして呆然と眺めていた。


「ねぇ仁様、あたしのことどう思う?」

 気色が悪い。


「うむ……兄上殿とはあまり似てないのだな」

 積極的すぎる口説き方をするところは似ているかもしれないが。


「そうかしら。けど、あんちゃんと似てる部分もあるわよ。たとえば面食いなところとか、一目惚れしやすいところとか……ね」

 彼が俺の手を握ろうとしてきたので、さすがに腕を振りほどいて体を離す。


「青次郎殿」

「もう! 鈴蘭よ」

「……鈴蘭殿。すまないが、俺は、その、女性が好きなのだが」


「最初はみんなそう言うのよぉ。でも一回試してみたら新たな扉が開かれるかもしれないわよ?」

 そんな扉には永久にかんぬきをかけたままにしておきたい。


「……何を試すのでしょう?」

 緋澄ひすみが小声で魅狐みこへと尋ねる。

 魅狐みこはすでに我関せずといった態度でお茶をすすっていた。


「おい青次郎、どうやらその旦那は脈なしだ。潔く諦めな」

 と、赤ノ介が助け舟を出してくれる。


「鈴蘭だってば、あんちゃん! あと一歩で落ちるところなんだから邪魔しないでよね」

 俺はあと一歩で落ちるところだったのか?


「いいや、無理だな。今夜はふたりでフラれ酒といこうぜ」

 言い残して颯爽と歩き去る赤ノ介。


「あらら……すねちゃったのかしら。仁様、機会が会ったらまた会いましょうね」

 青次郎は名残惜しそうに俺を見るも、最終的には兄のあとを追っていった。


 そんな機会が来ないことを願う。

 そして仲間に勧誘しなくてよかったと、心から思った瞬間だった。


 ◆


魅狐みこはどういう男が好きなんだ?」

「なんじゃ突然」

 いや、今そういう話をしていたのだから別に突然でもないだろう。


「それ、私も聞いてみたいです」

「むう……」


 緋澄ひすみにねだられて、魅狐みこは腕を組んで考え込む。

 たっぷり間を置いてから再び口を開いた。


「嫌いな男ならすぐに答えられるんじゃがなあ……」

「一応、聞いておこう」

「情交のときに足を舐めてくる男じゃ」


「あれ? 仁士郎様、顔を押さえてどうしたんですか?」

「いや……急に恥ずかしさが込み上げてきただけだ。俺に構わず話を続けてくれ」

「はい……」


 なぜこんなところでへきを暴露されなければならん……。


「姉様は、その……男性とそういうことをした経験があるのですか?」

「まぁ多少はのう」

「すごいです……さすが姉様です」

 姉へ惜しみない尊敬の眼差しを送る緋澄ひすみ


「そ、それは、ど、どういう感じでしたか?」

 そして興奮気味に訊ねる。

 俺に構わずとは言ったが、俺が聞いていい話なのか、これは……。


「なに、大したことはなかったのじゃ。案外こんなものか、という感じじゃな」


「あれ? 仁士郎様、がっくりとうなだれてどうしたんですか?」

「いや……男として深く傷付いただけだ。俺に構わず話を続けてくれ」

「はい……」


 しまった、続けさせてどうする。

 この話は危険だ。やめさせなくては……。


「でもその人はどうして足なんかを舐めたのですか?」

 そこを掘り下げるんじゃない。

 というか俺のいないところで話してくれ。


「さぁのう。他の男とは寝たことがないのでわからぬが、単にそやつが変態だったというだけじゃろう」

「世の中にはいろいろな人がいるのですね……」


 魅狐みこ緋澄ひすみの肩に手を置く。

「うかつに素足を見せると助兵衛すけべえ気障きざ足舐め妖怪が寄ってくるかもしれぬなら、くれぐれも気を付けるのじゃぞ緋澄ひすみよ」

 そしてしみじみと言った。


「は、はあ……」

 よく意味がわかっていなさそうな顔で生返事をする緋澄ひすみだった。

 

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