退魔の巫女 前
険しい峠道を抜けてたどり着いたのはなかなかに大きな町だった。
多くの人が行き交い、活気にあふれている。
「とりあえず飯じゃな」
魅狐の頭に生えた大きな狐耳が、疲労と空腹を訴えるようにだらりと下がっていた。
彼女の言葉に反対する者はなく、ひとまず飯屋を求めて町を歩くことにした。
そば、うどん、天ぷら、寿司、うなぎ、……。
大きな町だけあってか、見ただけで食欲を刺戟するような看板があちらこちらに掲げられている。
緋澄も目を輝かせて店を吟味していた。
「私、桜餅が食べたいです」
食後にしろ。
ちょうど昼飯時なのだろう、通りは人混みであふれかえっている。
そんな通りの前方からひとりの巫女が歩いてきた。
おなじみの白い小袖に緋袴。
二十歳前後だろうか。凛としていて端正な顔立ち。
二本の三つ編みが左右の肩に垂れ下がっている。
気の強そうな切れ長の目が、すれ違う人々を観察するように忙しなく動いていた。
その巫女の後ろからは、黒い羽織を着た同心たちがぞろぞろとついてきていた。
彼女に付き従っているという感じだ。
異様な光景にも思えるが、住民たちは特に気にする様子もない。
もしかしたらこの町では見慣れた光景なのだろうか。
顔を戻すと、物言いたげな魅狐と目が合った。
「新しい町に来て早々べっぴん漁りとは節操がないやつじゃな」
「なにを言っている……」
魅狐が急に顔を近付けてくるので、どきりとしたが、小声で話したいだけのようだった。
「あの手の人間には近づかぬほうがよいぞ。妖の気配に敏感じゃからな」
あの巫女のことか?
「こんな町中でわらわたちの素性を気取られてはなにかと厄介じゃ」
見た目は人間そのものである俺たちも中身は立派なもののけだ。
特に魅狐は幻術で人間に見せかけているだけで、狐耳とふかふかのしっぽは誤魔化しようもない。
たしかに注意する必要がありそうだ。
「あっ、仁士郎様」
緋澄が嬉しそうに俺の袖をくいくいと引っ張った。
「桜餅を売っているお店がありましたよっ!」
食後にしろ。
甘味屋の看板を見ていた緋色の瞳が、不意に俺へと向けられた。
「そういえば、仁士郎様はどんな食べ物が好きなのですか?」
「大抵のものは好きだが、あえて言うなら……ふろふき大根だ」
「ずいぶん質素なものが好きなんじゃな」
横で魅狐が茶々を入れる。
「それは……私でも作れますか?」
緋澄の表情は真剣みを含んでいた。
このぶんだと料理などあまりしたことがないのだろうな。
姫様育ちなのだからさもありなんだが。
「作るだけなら簡単だが、美味く作ろうとすると難しい。質素だからこそ作る人の腕前が試される奥の深い料理だからな」
「そうなのですか。私も、そろそろ料理くらい出来たほうがいいと思いまして……せっかくなので、まずはふろふき大根から練習したいと思います」
旅の途中に練習する機会はあまりないかもしれないが。
「もし私が作ったら食べていただけますか? うまくはできないかもしれませんけど……」
「無論だ。味見は任せておけ」
「では、そのときはおねがいします」
緋澄は満足げに微笑んだ。
「ちなみに私は桜餅が好きだったりします」
だろうな。
「仁士郎様は、つぶあんとこしあん、どちら派ですか?」
「そうだな……」
特にこだわりはないが……今食べるとしたらこしあんの気分だろうか。
「あっ、言わないでください!」
自分から聞いておいて何故か制止する緋澄だった。
「ど、どうした……?」
「うかつでした……つぶあん派とこしあん派には、それはそれは深い溝があるのです」
神妙な面持ちで告げる。
「もし仁士郎様が私と違う派閥の人だったら、とんでもない確執が生まれてしまうところでした……」
いや俺は何の派閥にも属していないが。
「なのでこの質問はお互いのためになりません。危ないところでした……どうか忘れてください」
「あ、ああ……」
あんこひとつに対してそんな恐ろしい確執があるとは……。
知られざる桜餅界の闇を垣間見たような気がした。
「わらわは桜餅よりは柏餅派じゃな」
ぼそりと呟く魅狐。
「う、嘘ですよね姉様……!」
緋澄が信じがたいという表情で姉の顔を見る。
……とんでもない確執が生まれた瞬間でないことを願うばかりだった。
なんてことを話していると、脇の店から団体客がぞろぞろと出てきた。
俺は道を譲るために後ろへ下がる。
その拍子に、先ほどの巫女と肩がぶつかってしまった。
「失礼……」
突然、肩に火を押しつけられたような痛みが走った。
驚いて肩を見るも、なんともない。
次に巫女を見ると、なにやら鬼の形相でこちらを睨んでいた。
彼女の人差し指が俺へと突きつけられる。
「この者らを捕らえよ!」
巫女の鋭い号令を受け、十人を超す同心たちが一斉に抜刀。
呆然とする俺たちをあっという間に取り囲んだ。
円の向こう側では、町の住民たちが何事かと訝しげな顔を向けている。
「な、なんじゃ……?」
何事か、と思っているのはこちらも同じだ。
なぜこんなことになったのかまるで理由がわからない。
いや、もしかしたら、魅狐が先ほど言っていた懸念が当たってしまったのか……。
同心たちの目は真剣だった。
迂闊なことをすれば問答無用で斬りかかるという気配が滲み出ている。
「むぅ、仕方ないのう。仁士郎、緋澄、ひと暴れしてやるのじゃ」
なのでそんな物騒なことは言わないでもらいたかった。
「し、しかし、普通の人間の方たちですし……」
戸惑う緋澄へ魅狐は構わぬと告げる。
「先に刀を向けたのはあちらじゃ、文句は言えまい」
「待て、まず事情を聞くのが先だ」
彼らを指揮しているらしい巫女へ呼びかける。
「聞いてくれ。俺たちは旅をしていて、つい先ほどこの町に来たところだ。このような扱いを受ける謂れは無いぞ」
「黙れ!」
巫女は断固した声で一喝した。
「弁明はあとで聞く。今は大人しく我らに従え。でなければこの場で首を刎ねるぞ、もののけ共め」
◆
出来ることなら人間相手に手荒な真似はしたくない。
なすがままに連行された俺たち三人は、荷物を取り上げられ、町中の広場に設置された大きな檻に入れられた。
車座に座る俺たちを、多くの住民が足を止めて眺めている。
浮かんでいる表情は興味、不安、忌避、不快。
どれも好意的なものではなかった。
晒し刑にされた罪人というのはこんな気分なのだろうか。
「な、なんだか落ち着きませんね……」
緋澄は正座したまま顔を俯かせている。
その隣で魅狐が深いため息をついた。
「見せ物ではないと言うのに……じゃからひと暴れして逃げてしまえばよかったのじゃ」
「悪かった」
とはいえそれが正解だったとは思わない。
「だが、この檻なら素手でも壊せるのではないか? いざとなったらいつでも逃げ出せるぞ」
木材で組まれただけの檻だ。
人間の力では無理でも俺たちならなんとかなりそうだ。
「ほう。ならば仁士郎、その格子に手を触れてみるとよいのじゃ」
言われた通りに触れてみる。
「うっ!」
すると、焼かれたような痛みが走った。
だが手には火傷も何もない。
格子も普通の角材に見える。
いったいこれは……?
「恐らく退魔の結界が張られておるのじゃろう。限られた人間のみが使える術なので初めて見るが……わらわたちのような者には効果覿面と聞くのじゃ」
難しい顔をして腕を組む魅狐。
「この手のやつには妖術も効きにくいはずじゃからのう。逃げるのには骨が折れそうじゃ 」
妖や鬼を寄せつけぬ結界ということか。
この痛みには、先ほど覚えがあった。
「あの巫女……」
「なんじゃ?」
自分の名前を呼ばれたと勘違いした魅狐が返事をする。
ややこしい。
「おまえではなく、先ほどの巫女装束を着た女のことだ」
「ややこしいの」
同感だった。
「あの女に触れたときも同じ痛みがあった。あいつがこの結界を張ったのかもしれないな」
「えっ、仁士郎様……」
緋澄が何故か軽蔑するような目を向けてきた。
「通りすがりの女性を触ろうとしたのですか……?」
「するわけないだろう。たまたまぶつかっただけだ」
「そんな助兵衛は引っ捕えられて当然じゃな」
「聞けっ!」
あの巫女は、もののけ共、と言っていた。
恐らく俺が触れたことで素性を見抜かれてしまったのだろう。
だが、いくら妖や鬼に連なる者とはいえ、問答無用でこの仕打ちはあんまりだ。
俺たちには悪意も害意も無いということを伝え、穏便に解放してもらわなくては……。
そんなことを考えているとき、ちょうどあの巫女が檻の前までやってきた。




