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月下の影鬼 中

 畳の上には三枚の布団が敷いてある。

 並べて置かれた二枚。

 そして衝立ついたてを挟み、部屋の端にもう一枚。

 これが魅狐みこの示した譲歩だった。


 だが素直に引き下げる俺ではない。


「誰がどの布団で寝るか、くじ引きで決めるのはどうだ?」

「えっ……それでもし、私と仁士郎様が隣で寝ることになってしまったらどうしましょう……」

 冗談のつもりだったが、緋澄ひすみは信じ切った顔で戸惑っていた。


「緊張して眠れないかもしれません」

「そのときは、眠れるまで布団の上で別のことをすればいい」

「別のこと?」

「疲れてしまってぐっすり寝られるぞ」


「今からでもおぬしの布団を廊下に出せるのじゃぞ」

 魅狐みこがぞっとするような声を出したので俺は慌てて弁明することにした。


「……冗談だ。俺はちゃんと部屋の隅で寝る」

「冗談だったんですか……よかったです」

 緋澄ひすみは本気で胸をなでおろしていた。

「それで、お布団の上でなにをするつもりだったんですか?」


 聞くのか……?

 そう純粋な目で見つめられると、なにやらとても悪いことをした気分になってくる。

 この手の冗談はあまり緋澄ひすみには言わないほうがよさそうだった。


「うむ……それはだな……腕立て伏せや腹筋などだ。軽く体を動かして適度に疲れさせるとよく寝られるのだ」

「そうなんですか。今度、眠れないときに試してみます」

「二万回くらいやるといい」

「朝になってしまいます……」


 ◆


「この衝立ついたて黄泉比良坂よもつひらさかじゃ。心得ておくのじゃぞ」

 越えたら命はないということか。


 燭台のロウソクの火が消されて部屋が暗闇に包まれる。

 俺は煩悩を忘れてさっさと寝てしまおうと、布団の中で目を閉じた。


 しかし緋澄ひすみの世間知らずさには驚かされる。

 この歳にもなれば、普通は男と寝た経験のひとつやふたつありそうなものだが……。


 本人に魅力がないというわけでも当然ないし。

 城下に出てはいても姫様ということで、手を出す勇気のある男がいなかったのだろうか。

 ……しかし俺は違うぞ。

 不肖勇薙仁士郎、勇ならすでに持っている。


 とはいえ彼女も彼女で深い悩みを抱えていたからな。

 好きな男を作る余裕がなかっただけなのかもしれない。


魅狐みこ姉様……まだ起きていますか?」

「なんじゃ?」

 しばらくして、衝立ついたての向こうからひそひそと話す声が聞こえてきた。


「そちらのお布団に行ってもいいですか?」

「うむ、参れ」


 衣摺れの音。

「子供のようじゃな」

 そして、くすくすと忍んだ笑い声が生まれた。

 ふたりは本当に仲の良い姉妹なのだな……。

 俺には兄弟というものがいないからそれを少し羨ましくも思う。


「俺もそっちの布団に行っていいか?」

「えぇっ?」

 急に声をかけたからか、緋澄ひすみの大きな声が暗い部屋に響いた。


「そ、それは……ちょっと困りますが……」

「死なすぞ」

 魅狐みこの脅しがだんだん直接的になっていく。


「いや、冗談だ。忘れてくれ」

「あまり冗談に聞こえなかったです……」

 あわよくば、という下心が透けて見えてしまったのかもしれない。


「姉様が、仁士郎様のことを助兵衛と言っていた理由がわかった気がします……」

 わかられてしまった……。

「とっとと寝りゃ」


 今日のところはこれくらいにして、本当に寝よう。

 欲にかられた挙句に嫌われてしまったら元も子もない。


 その前にかわやへ行っておくことにした。


 ◆


 厠は旅籠はたご本館の外にあった。

 用を済ませたあと、俺は夜風に当たって頭を冷やしていくことにした。


 静寂に包まれた暗闇。

 どこからか響く虫の声。

 見上げてみると、うっすら赤みを帯びた月が山間に浮かんでいた。


 このまま部屋に戻っても悶々としていて寝られる気がしない。

 女と同じ部屋で寝るとは言っても、手を出せない状況では精神修行と変わらなかった。


 特にあのふたりは眩しすぎる。

 俺の忍耐力がいつまで保つのかわからない。

 今度からは、素直に二部屋取ったほうが精神的に良いのかもしれないな……。


 深く息を吐いて、旅籠はたごの中に戻ろうとしたとき――闇の中になにかが見えた。


 土を踏む足音。

 そして、なにやら金属がこすれるような音も聞こえた。


 旅籠へ来た客だろうか?

 こんな夜更けに?

 俺はその方角を凝視する。

 足音は徐々に大きくなっていく。


 そして暗闇の中から、一体の鬼が歩み出てきた。


「何者だ!」

 俺は刀の柄に手をかけて呼びかけた。

 だが聞くまでもなかったかもしれない。

 こんなところへ現れた以上は、魅狐みこ緋澄ひすみの命を狙って魎鉄りょうてつから送り込まれた刺客に決まっている。


影鬼かげおに

 二本角の鬼が足を止めて名乗る。

 先ほどから聞こえていた金属音は、こいつが持っている鎖鎌から発せられたものだった。


「俺は勇薙いさなぎ仁士郎じんしろう。ここへ来た用向きを聞こう」

「なるほど……ならば貴様が、魍呀もうが様を退けたという半妖か」


 影鬼かげおにが、くっくっと喉を鳴らして笑った。

 それを知って恐れる様子もない。


 鬼の強さは角の数でわかるという。

 二本角ということは、三本角の魍呀もうがよりは弱いと見ていいだろう。

 だがこいつも妖術が使えるはず。

 油断は出来ない。


「俺は用向きを聞いた。単なる泊まり客とは言わせんぞ」

「あの女どもを殺しにきた……とはっきり言わねば刀を抜かないのか?」

「無闇に抜くものではない。だが、そういう理由なら抜かねばなるまい」


 鯉口を切る。

 妖刀・八雷神空断やくさいかづちのかみそらたちの青白い刃が月光を反射して煌めいた。


 しかし影鬼は一向に構える様子がない。

「嗚呼、不粋不粋」

 それどころか、呆れたように頭を押さえた。


「勇薙仁士郎と言ったか。よもや、この場で戦うつもりではあるまいな?」

「なに?」


「この旅籠はたごには他の人間も大勢いるだろう。ここで戦えば彼らを巻き込んでしまうぞ。それでもいいのか?」

「それは……いいわけがない」


 だが鬼にそんなことを言われるのは正直言って心外だった。

 人間への被害など何も考えずに襲ってくる連中ではないか。


「そこでだ。場所を変えて戦うことにせぬか? たとえば……」

 影鬼は斜め上を振り仰いだ。

「あそこの山頂はどうだ」


「何を企んでいる」

「企みなど」

 ふふ、と短い笑い声が発せられた。

「私は人間という連中が嫌いではないのでな。巻き添えで傷付くことがあったら胸が痛むというだけだ」


 鬼の言葉とは思えない。

 本心から言っていることなのだろうか?


「とはいえ、あの女どもを殺すという使命は優先させてもらう。貴様がここで戦うというのなら私はそれで一向に構わないが」


 ここで戦えば周囲に被害が出るのは確実だ。

 場所を変えるというのに異論はない。

 問題は、この影鬼というやつの言葉を信用するのか否かだ。

 どこかに罠が張ってあって、おびき出そうとしているだけだとしたら……。


「さあ、どうするのだ? それとも戦わずに女どもを差し出すか?」

「……いいだろう、場所を変える。ただし行くのは俺だけだ」

「ほう?」


「俺を倒してから改めて彼女たちに挑むがいい」

「三人とも殺すつもりで来たのだから、ひとりずつでも同じことよ。……ついて参れ」


 影鬼が背を向けて歩き出す。

 歩調に合わせて鎖鎌がじゃらじゃらと鳴った。


 魅狐みこ緋澄ひすみに声をかけておくべきか……。

 いや、今はこいつから目を離すほうが危険だ。

 まさかこいつに旅籠の中までついてきてもらうわけにもいかない。


 俺は刀を納め、ひとり影鬼のあとを追った。

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