鬼の爪痕
その後。魅狐は緋澄に付き添って城に行き、俺は町の宿に運び込まれた。
魅狐の持っていた御神酒の効果は絶大で、一口貰った俺も翌朝にはすでに動けるようになっていた。
これなら緋澄もすぐに良くなるだろう。
城下町の景色は、まるで大嵐のあとのような状態になっていた。
無数の家が破壊され、数え切れないほどの人が被害を受けた。
医院に入りきらない負傷者が野外に寝かせられているほどだ。
俺もじっとしているわけにはいかない。
なにか出来ることはないかと考えて、ひとまず、大量に散乱した瓦礫の撤去作業を手伝うことにした。
妖化した肉体は戦いのときだけでなくこういうときにも役に立つものだった。
町の男がふたりがかりでも持ち上げられない瓦礫を、俺はひとりでやすやすと運ぶことができた。
そして長く働いても一向に疲れない。
さすがに腹は減るので昼には蕎麦一杯を頂いたが、またすぐ働き出すことができた。
「まるで緋澄様のよう」
と、町人が舌を巻いて呟いた。
◆
夕刻になると作業が切り上げとなったので、俺は緋澄の見舞いに行くことにした。
しかし、果たして部外者が城に入ることができるのか……。
もし入れなかったとしたら、魅狐を呼んでもらって緋澄の具合を聞くとしようか。
そんなことを考えながら城門の前まで行ったとき。
「おおっ! おぬしはあのときの!」
と、門番のひとりが俺を見てにこやかな笑みを浮かべた。
俺は覚えがなくて申し訳なかったのだが、話を聞くと、町外れの茶屋へ魍呀襲来を報せに来てくれたあの城侍だったということがわかった。
「峠の妖怪を退治してくれて感謝する。あいつには俺たちも手を焼いていたからな。それから、あの狼を連れた鬼を撃退したのもおぬしだったそうだな」
「いえ、微力ながら緋澄様を手伝っただけです」
「謙遜をするな。して、今日は何用だ?」
「その緋澄様を見舞いたいと思って参りましたが、通してもらえるでしょうか」
城侍は難しい顔をした。
「うむ……本来であれば聞く耳も持たぬところだが、特別に掛け合ってみよう。少し待たれよ」
「痛み入ります」
日が沈み切り、灯篭に火がつけられた頃、ようやく彼が戻ってきた。
その表情は晴れやかだった。
「許可が下りたぞ。それから、この手形を持っておれ。そうすれば次からは好きなときにこの城に出入りができる」
「俺のような者に、そんなものを与えていいのか……?」
純粋な疑問が口をついて出た。
俺はこの城に縁もゆかりもない。
そうやすやすと人に渡すような手形ではないはずだ。
「おぬしのことをお館様にお伝えたら是非にと仰られた」
たしかここの城主は緋澄の叔父に当たる人だったか。
「それだけのことをしてくれたのだ。胸を張って受け取っておけ」
「そういうことなら、ありがたく頂戴いたします。重ね重ねすみません。俺の名は勇薙仁士郎……お気遣い感謝します」
◆
彼の案内で城の敷地内を歩いていく。
「とはいえ、さすがに緋澄様と直接会うことは出来ぬと思うぞ」
「近くまで行ければ充分です」
緋澄は城内ではなく、広大な庭に一軒だけ建った離れにいるのだという。
周囲は枯山水を思わせる紋様の白砂や、切り揃えられた木々や草、彩り豊かな花々が植えられていた。
たしかに療養をするならこういう美しい景色の中にいるほうが良いのかもしれない。
離れの四方には長刀を持った侍女たちが控えていた。
うかつに近寄れば問答無用で滅多刺しにされるのだろう。
今は城侍に先導されているので、その心配はないと思いたい。
離れに到着したとき、まるで俺の気配を察知したかのように、障子が少しだけ開いて魅狐が顔を覗かせた。
鮮やかな朱色の着物が障子紙に透けて見える。
彼女は赤っぽい衣服が好きなのかもしれない。
「姫の寝所じゃ、男は入れんぞ? おぬしのように下心ありありの助兵衛なやつは特にじゃ」
侍女たちの突き刺すような視線が俺に注がれたのがわかった。
こんなときに冗談で済まない冗談を言うものではないぞ……。
「おまえはもう怪我が治ったのか?」
「あの程度かすり傷みたいなものじゃ」
「なら良かった。緋澄の具合はどうなんだ?」
「意識は取り戻しておるが、まだ起きて話をするというのはつらいようじゃ」
「そうか。……緋澄っ!」
部屋の中まで届くよう大きな声を出して呼びかけた。
「お雛という娘を知っているな。大鎌切を退治したと報せたらとても喜んでいたぞ。おまえにも礼を伝えておいてくれと頼まれた」
峠に出掛ける際、緋澄と話していたあの童女だ。
父親を大鎌切に殺されたという彼女にしてみれば、俺たちが仇討ちを果たしたことになる。
「おまえの容態に関しても甚く心配していた。元気になったら顔を見せに行ってやるといい」
それだけ伝えて、俺は城を後にした。
◆
翌日は瓦礫の撤去と並行して解体作業を手伝うことにした。
一部だけ壊れた家は修理すればいいが、半壊までいくと一度完全に壊してから新しく建て直さなければならないという。
その作業に、俺は自分の刀を使うことにした。
お祖父の形見の妖刀・八雷神空断。
魍呀と戦っていたあのときになって、俺ははじめてこの刀に秘められた能力を使うことができた。
理由は簡単だ。
突然のことで忘れていたが、奴と戦う直前に人刃一体なる儀式を済ませていたからだった。
俺は半壊した平屋の前で、刀を抜いて精神を集中させる。
柄を握った手に静電気のような刺激が走った瞬間、刀身にわずかな稲妻が発生していた。
お祖父と同じ、稲妻をまとった剣技……本当に俺もそれを使えるようになったのだ。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
とはいえ、単に見様見真似で使えることと、自分のものとして使いこなせることは別だ。
驕らず浮かれず、これまで以上の鍛錬を積まなくてはならないだろう。
稲妻をまとった刀を正眼に構え、平屋の壁に狙いを定める。
丹田に力を込めると、刀身の稲妻が切っ先に集まって小さな玉となった。
「勇薙流妖刀術……」
壁に向かってまっすぐ突き出す。
「雷重爆撃覇!」
切っ先が触れた瞬間、稲妻が四方八方に飛散し、平屋が内部から弾けて粉々になった。
周りで見学していた人たちから、「おおー」という歓声や、まばらな拍手が送られた。
しかし解体できたのはいいが……無駄に瓦礫を散乱させてしまった。
使う技は考える必要がありそうだ。
◆
その日の夕刻も緋澄の見舞いに行った。
手形があるので止められることもなく城内へ。
離れの場所は覚えているので案内も必要なかった。
離れに近付くと、昨日と同じように魅狐が障子の隙間から顔を覗かせた。
「案外マメなやつじゃな、おぬし」
呆れているのか感心しているのか微妙な口調だった。
「暇なだけだ。緋澄は起きているか?」
「うむ。昨日よりは元気になって、食事ももりもり食べていたぞ」
「良いことだ」
「しかし、動かぬくせにそんなに食べて太りはせぬかとわらわには別の心配が出てきてしまっているのじゃがな」
「痩せ細るよりはそのほうがいいだろう」
町の様子や町人たちから言付かった見舞いの言葉を障子越しに緋澄に伝え、宿に戻った。
◆
その翌日の作業は、昨日とほとんど同じだった。
片付けが進んで町並みがだいぶ綺麗になってきたように思える。
そして町の人々から話しかけられたり、礼を言われることも多くなっていた。
嬉しくなって作業も捗ってしまうものだ。
そして夕刻になると、やはり俺は城に向かうのだった。
離れの周りに控えている侍女たちにも顔を覚えてもらい、挨拶くらいは交わすようになった。
障子を開けて魅狐が顔を出す。
覗かせた表情は、なにやら不満げに見えた。
「許可が出たのじゃ」
「なんのだ?」
「中に入ってもよい、とな」
魅狐が障子を開けてくれる。
畳敷きの広い部屋。隅に控える女小姓や、綿の多そうな布団の端が見えた。
肝心の緋澄の姿はここからでは伺うことができない。
「緋澄の具合もだいぶよくなってきたからのう。せっせと来てくれるので、障子越しよりも直接話がしたいとの申せじゃ」
光栄なことだ。
とはいえ、である。
「元気になった顔を見ておきたいところだが……遠慮をしておこう」
俺は首を横に振った。
「招かれたからといっても女性の部屋にやすやすと入るものではないからな」
姫様の寝所となれば尚更だ。
俺だけでなく緋澄の体面にも関わってきてしまう。
「ほう……」
と、魅狐は至極意外そうな顔をした。
「今なら寝巻き姿の緋澄を拝めたというのに……殊勝なやつじゃな」
「うっ……」
甘美な誘惑だった。
「さっきまで寝ておったから、うっすらと汗ばんでいたり、寝巻きが乱れて上気した肌が露わになっていたり、男が見たらたまらん姿なんじゃがなぁ……」
なぜそんな姿のときに部屋に入ってもいいなどという許しが貰えたのか……。
「姉様、ウソ言わないでくださいっ……!」
奥のほうから緋澄が小声で反論した。
◆
やはり寝所には入らず外から話だけをして宿に引き上げた。
夕食を済ませ、部屋の窓から夜の町並みを眺める。
二階なのでかなり遠くまでが見渡せた。
片付けが進んだように思えたが、まだまだ作業は残っていそうだ。
完全に復興するまで付き合ってやるというわけにもいかない。
俺たちには俺たちの旅がある。
今は緋澄が回復するのを待つしかないので、それまでは手伝いを続けるつもりはあるが……。
「……あれは……」
ふと、暗闇の中にひとり佇む女の姿があった。
夜でも映える銀色の髪に朱色の着物。
そして狐耳と尻尾。
間違いなく魅狐だった。
◆
「どこかへ夜這いでもしに行く途中か、仁士郎」
後ろから声をかけようとしたところで、魅狐が振り返りもせず言った。
耳がでかいだけあってか察知能力が高い。
「おまえの姿が見えたから出てきたんだ。どうした?」
「どうもせぬ。ただの息抜きじゃ」
瓦礫が取り除かれて更地となった一角を前にして立つ魅狐。
その背中はひどく頼りなげに思えた。
「ここのところ緋澄の世話をしていて部屋にこもりきりだったからのう。快調してきたのでようやくわらわも気が楽になったのじゃ」
病人や怪我人の面倒を見るのは想像以上に大変と聞く。
数日つきっきりで行なうのは容易なことではないはずだ。
姉妹だからというだけで出来ることではない。
「おまえは緋澄のことをよほど大事に思っているのだな」
「当然じゃ」
愚問、とでも言いたげに、長い銀髪を翻しながら振り向く。
「わらわにとって、心の拠りどころはあやつひとりじゃからな」
疲れの浮かんだ表情。
物憂げな眼差しは、いつかと同じ寂寥を奥に抱え込んでいた。
「父も母も死に、里は滅ぼされ、兄たちからは命を狙われる始末……。わらわが心から信を置けるのは、もはや緋澄だけとなってしまったのじゃ」
弱々しい呟きが夜風に流れていく。
魅狐は、緋澄の前では自然体で笑ったり泣いたりと様々な表情を見せる。
取り繕っていない素顔を見せられる相手ということなのだろう。
俺には見せない顔だ。
それを少し羨ましく思えた。
「寂しいことを言うな。今は俺もいるだろう」
魅狐の狐耳が一度だけぴくりと動く。
それは周囲の物音を聞こうと忙しなく動いているときとは明らかに異なる反応だった。
「おまえには命の恩がある。そして志を同じくする仲間だ。おまえのことは気の置けないやつだと思っている。だからおまえにも、同じように思ってもらえると嬉しい」
無論、緋澄の代わりとまではなれない。
だがせめて。
「もっと信頼して、頼ってもらいたい。魅狐……」
彼女の隣に並び、その肩を抱き寄せようと腕を伸ばす……が、するりと逃げられてしまった。
「そうじゃな。まぁ、おぬしの存在も気休め程度には思っておいてやるのじゃ」
魅狐は悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。
「さて……助兵衛妖怪が出てきたようじゃ、そろそろ戻るとするかの」
「送っていくぞ」
「構わぬ。もう狼はこりごりじゃからな」
俺が送り狼とでも言いたいのだろうか。
……今の行動のあとでは言い訳できないが。
夜闇に溶けるように魅狐が歩き去っていく。
その確かな足取りに、先ほどまでの頼りなさはなかった。
「……なかなか手強い」
ため息まじりに声が出たのは、まったく無意識でのことだった。