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獣血の魍呀 中

 城下町は惨憺たる有様だった。

 そこらじゅうの家が破壊され、無数の悲鳴がこだまし、獣と血の匂いが充満している。

 まるでいくさの光景だ。

 だが相手は鎧武者ではなく狼。


 ざっと見ただけで数十匹はいるだろう狼たちが手当たり次第といった具合に人々を襲っていた。

 武士、町人を問わず男たちが応戦しているものの、素早い狼の動きには手を焼いているようだ。


 俺もすかさず加勢して、子供に襲いかかろうとしていた二匹を続けざまに斬る。

 しかしこの暴力の波の前では焼け石に水のように感じられた。


仁士郎じんしろう、時間の無駄じゃ! 手下に構うでない!」

「だが放ってはおけん!」

「ならば狼どもの相手はわらわがする、おぬしらふたりでかしら魍呀もうがを討つのじゃ!」

 魅狐みこが前方を指差す。

「そうすればこやつらも退いていくじゃろう!」


 指の先、砂煙の上がる家と家のあいだに、恐ろしく巨大な影が見えた。

 あれが魍呀もうがだろうか。


「承知した。食われるなよ、魅狐みこ

「誰に言うておる――妖血ようけつ活性!」


 魅狐みこの金色の瞳が仄かな輝きを帯び、白い尾が二本に増える。

 そして周囲に無数の火の玉が出現した。


「愚劣な獣どもよ……覚悟すりゃ!」

 魅狐みこは乱戦の中に飛び込んで、小石ほどの火の玉を次々と投げ飛ばした。

 火の玉は正確に狼たちだけをとらえる。

 火だるまとなった狼は、人を襲うことをやめて一目散に逃げていった。

 これなら任せておいても大丈夫そうだ。


「行くぞ緋澄ひすみ!」

 と、先ほど見えた巨大な影へ駆け出そうとしたが、なんの返事もなかった。


 緋澄ひすみは悲惨な町の光景を前に、呆然と立ち尽くしている。

 その立ち姿は押せばあっさり倒れてしまいそうなほど心許ないものだった。


「……私のせいで、こんな……」

 絞り出したような声が漏れた。

 思い悩んでいる場合か……!


「おまえのせいではない。しっかりしろ」

 肩を持って無理に振り向かせる。

 澄んだ緋色の瞳は弱々しく揺らめいていた。

 

「しかし……魍呀もうが兄様は私を狙ってやって来たのです。ならばこんな事態になってしまった原因は私以外にありませんっ……!」

 潤んだ目からは今にも大粒の涙がこぼれそうになっている。

「町の人々をこんな目に遭わせてしまって……私は……!」


 これは、まずい。

 魍呀もうがとやらは相当な強敵のはずだ。

 その戦いを目の前にしてそんな精神状態でいられたら非常にまずい。

 鬼の血を引いて強い力を有しているといっても、彼女の中身は単なる十七歳の娘と変わらないのかもしれなかった。


緋澄ひすみ!」

 俺は彼女の両肩を掴み、真正面から目と目を合わせた。


「おまえも刀を持つのなら武士の務めを果たせ!」

「武士の務め……?」

「弱きを助け強きを挫くことだ」

 手の下で肩がびくりと跳ねた。


「人々を襲っている鬼がいる。助ける方法は戦うことだけ。おまえにはその力がある。ならばやるべきことはひとつしかないだろう。余計なことは考えるな!」


 お祖父じいならもっと上手い励まし方もできたのだろう。

 俺にそんな器用な真似はできない。

 だから気持ちをぶつけるだけだ。

 そして多少なりとも、俺の気持ちは伝わったようだった。


「……はい……!」

 緋澄ひすみは目に溜まった涙を乱雑に拭い取る。

 前に向けた顔は、さっきより少しだけ勇ましさを取り戻していた。


 ◆


 逃げ惑う人々の波に逆らい、向かってくる狼たちを蹴散らしながら、ふたりで町中を駆けていく。

 倒壊したいくつもの家。その瓦礫の下から、押し潰されたであろう人間の手足が覗いてた。

 道端にも血まみれで倒れている人々がそこかしこに散見される。


 救出しに行きたい衝動をぐっと堪えた。

 今は元凶を討って新たな被害を抑えるのが先……!

 そしてそれが出来るのは俺たちしかいないのだ。


 行きがけに寄った飯屋の角を曲がって大通りに出たとき、その巨大な鬼の姿が目に飛び込んできた。


 平屋の屋根にまで達する上背。

 屈強な筋肉の鎧をまとった太い手足。

 赤銅色の肌。青灰色の目。

 頭頂部に生えた三本角。

 そして人間ひとりと同じくらいはあるだろう大きな金棒を、軽々と肩に担いで通りの真ん中に仁王立ちしていた。


魍呀もうが兄様っ……!」

 緋澄ひすみが静かな怒りを孕ませて呼びかける。

 その声音にもう弱気の色はなかった。


「ようやくおいでなすったか緋澄ひすみ。てめぇ今までどこに隠れていやがった」

 魍呀もうがは大きな口から太い牙を覗かせる。

 好戦的に笑ったのだと感じた。


「兄様の目的は私のはず……なぜ町の人を襲っているのです!」

「んなもん、てめぇが兄者を王と認めねぇからに決まってんだろうがよ」


 何が決まっているのか。

 魍呀もうがの憎々しげな笑い声が通りに響き渡った。


「だから周りの人間が殺される。そしててめぇもこれから殺される。魎鉄りょうてつの兄者に逆らうってのはそういうことだ」

「そんな……」

「とはいえ可愛い妹だ。ここで許しを乞うってんなら、てめぇの命だけは助けてやってもいいぜ。……ただし」


 魍呀もうがは巨大な金棒を勢いよく足元に叩きつけた。

 地面が蜘蛛の巣状にひび割れ、まるで地震が起きたかのように周囲が揺れた。


「こいつで百叩きの刑に耐えられたらの話だがなぁ。ぐわははははっ!」


「……私は、こんなことを命じる魎鉄りょうてつ兄様を王と認めることはできません」

 緋澄ひすみは凛とした声で言い返し、刀の柄に手をかける。

「そしてこんなことを平然と行なう魍呀もうが兄様のことも、許すことはできません」


 魍呀もうがは嘲笑うように鼻を鳴らした。

「おいおい。まさかてめぇ、オレと戦うつもりじゃあねぇだろうな」


「戦います」

 緋澄ひすみは淀みなく刀を抜いた。

 青白い刃が陽光を反射して煌めく。

 顔の横で切っ先を前に向けた構えを取った。

「この町の人々を守るためならば、兄様とだって戦えます。……私も武士ですから」


「うつけに育ったもんだぜ。魅狐みこもてめぇも兄弟の恥晒しだ。みんな仲良くここで狼どもの晩餐にしてやるぜ」


「恥を知れ魍呀もうが! 貴様には一分の義もない!」

 俺も刀を抜いて正眼に構える。

「なんだぁてめぇは」

 魍呀もうがはそこで初めて俺に気付いたかのように、ぎろりとした目を向けた。


「人間の匂いとはちょっとばかし違うな。半妖か?」

「俺の名は勇薙いさなぎ仁士郎。死出の土産に覚えておけ!」

「身の程知らずがまだいたとはなぁ。類は友を呼ぶって、昔のやつは良いことを言ったもんだぜ」


 魍呀もうがが身をかがめて右手に握った金棒を振りかぶる。

 それは奴の臨戦態勢だった。


鬼血きけつ活性……!」

 唱えた緋澄ひすみの瞳がほのかな輝きを帯びる。

 こちらも待ったなし。


「てめぇに半分でも同じ血が流れてると思うと反吐が出らあっ!」

 魍呀もうがが真っ向から突っ込んできた。


斬風空裂衝ざんぷうくうれつしょうっ!」

 緋澄ひすみが風の刃を飛ばして迎撃する。

 魍呀もうがの額が弾けて鮮血を散らしたが、まるで効いていないかのように、そのまま突き進んできた。


 俺は道の右側へ、緋澄ひすみは左へ跳んで散開する。

 魍呀もうがは迷わず緋澄ひすみに狙いを定めた。


 巨大な金棒が薙ぎ払われる。

 さながら暴風。

 緋澄ひすみは真上へ跳んでかわす。

 彼女の背後にあった建物が、蹴られた砂山のごとくたやすく打ち壊された。


 その威力に驚愕している暇はない。

 俺はその隙に魍呀もうがの左腕へ一太刀を浴びせる。

 だが奴の巨体さ故、その程度の一撃はかすり傷にも等しかった。


「しゃらくせぇっ!」

 魍呀もうがが、俺を振り払うように左腕を横薙ぎにする。

 後ろに跳んで回避。

 そのあいだに魍呀もうがの後方に回り込んだ緋澄ひすみが背中を斬りつけた。

 しかし奴は表情ひとつ変えない。


 俺を掴み取ろうとでもいうのか、左手を開いて突き出してきた。

 すんでのところで真横によける。

 奴の鋭い爪がかすめて、着物の袖が裂けた。


 緋澄ひすみがもう一撃、今度は首の後ろに斬撃を見舞う。

「ちっ……!」

 さすがに多少は効き目があったらしく、魍呀もうがは眉間に皺を寄せ、素早く遠間に逃れた。


 腕力も頑強さも凄まじい奴だ。

 今まで戦ってきた物の怪とは明らかに一線を画している。

 だが、まったく太刀打ちできない相手とは思わなかった。

 今のようにふたりで連携して少しずつでも傷を与えていけば押し切れるかもしれない……。


 そんなわずかに見えた光明も、魍呀もうがの余裕の笑みによって暗雲が立ち込めることとなった。


「へっ、口ほどのこたぁあるみてぇだな。それならこっちも少しはやる気が湧いてくるってもんだぜ」

「仁士郎様……注意してください」

 緋澄ひすみの緊迫した言葉が終わるか終わらぬかといったとき。


獣血じゅうけつ活性!」

 魍呀もうがの体に恐ろしい変化が起きた。


 青灰色の瞳が煌々とした輝きを帯びる。

 鼻と口が大きく前にせり出す。

 頭頂部に三角形の耳が突き出す。

 そして一瞬にして、全身が灰色の毛にびっしりと覆われた。

 その姿はさながら二足歩行の巨大狼。


 鬼の王と獣の妻とのあいだに生まれし子……獣王子じゅうおうじ魍呀もうが

 これが奴の真の姿だとでもいうのだろうか。


「狼どもに食わせるのはもったいねぇからやめたぜ」

 ずらりと並んだ鋭い牙の隙間から、唾液を滴らせた長い舌が垂れた。

「てめぇらふたりとも、オレが直々に食い殺してやる!」

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