峠の大鎌切 後
逆三角形の顔にぎょろりとした大きな目玉。横に開く口。
棒のように細長い胴体を瓜のような下半身が支えている。
六本の足のうち、前の二本は大太刀を越すほどの巨大な鎌の形をしていた。
「人に化けていたのかっ!」
俺は慌てて刀に手をかける。
が、大鎌切は刀を抜くより速く、俺の目の前に飛び込んできた。
なんという俊敏さ……!
右手の大鎌が振りかぶられる。
俺はとっさにしゃがみ込んだ。
ひゅっという音がして、頭のすぐ上を鎌が走り抜ける。
後ろにあった大木がまっぷたつに断ち切られていた。
「仁士郎! いくら妖化した体と言えどその鎌を受けたら一巻の終わりなのじゃ!」
そんなことは言われなくともわかる。
大鎌切が、今度は左の鎌を振り下ろしてくる。
俺は抜いた刀を横にしてそれを受け止めた。
ずしりと重みが加わる。
だが俺の腕力も決して負けていない。
「ぬぬ」
意外、といった声を漏らした大鎌切が、再び右の鎌を振り上げようとしてサッと跳び退いた。
側面から緋澄が斬りかかっていたのに気付いたのだろう。
青い輝きを帯びた刀が俺の目の前で空を切った。
「助かった!」
「いえ。あの素早さは脅威です。気を付けてください」
俺と緋澄は並んで刀を構え直した。
「大鎌切とやらよ……俺の名は勇薙仁士郎。死出の土産に覚えておけ」
俺は正眼。緋澄は顔の横で切っ先を前に向けた霞の構えを取る。
魅狐はそそくさと俺たちの背後に隠れた。
「姫様よ……先日あなたにやられた傷口が痛おて痛おてかなわぬのだ……」
大鎌切はすでに俺から緋澄へと狙いを移したらしい。
細長い体をゆらゆらとさせながら鎌を持ち上げる。
飛びかかる隙を狙っているのだろう。
「この痛み……貴様をいたぶり抜くまで治らぬわ!」
「あなたに襲われた人々の痛みはそんなものではなかったはずです」
緋澄の声音には静かな怒りが含まれていた。
刀を握る手に力が込められたのを感じ取る。
「鬼血活性……!」
そう唱えたとき、彼女の緋色の瞳が炎のような輝きを帯びた。
緋澄が地を蹴って斬りかかる。
その速度は風の如し。
大鎌切も鎌を振って応戦。
金切り音が幾重にも鳴り響いた。
大鎌切は目にも止まらぬ速さで山道を左右に飛び跳ねる。
しかし緋澄もその速度に食らいついて刀を打ち込み続けた。
鬼の血を引いているとはいえ脅威的な身のこなしだ。
両者の速さを前にして、俺は見ていることしかできなかった。
うかつに飛び込めば緋澄の邪魔をしてしまう。
それだけは避けたかった。
だが彼女だけを戦わせておくわけにもいかない……!
固くなった唾を飲み下す。
「仁士郎、焦るでない」
背後から投げられた魅狐の冷静な声に、はっとした。
「緋澄と奴は互角に戦っておる……すなわち奴にも余裕はないということなのじゃ。いずれ隙も生まれよう。そのときを待つのじゃ」
「ああ」
俺は深く息を吐いて、気持ちを落ち着けるよう試みた。
手を出せないことに対する焦りがたしかにあったかもしれない。
刀を抜いたときこそ平常心を保つべし……それがお祖父の教えだ。
「半人半鬼の娘も半鬼半妖の娘も食うたことがない。どんな味がするのか楽しみだ」
大鎌切が両手の鎌をやたらめったら振り回して乱打をあびせかける。
緋澄はそれをすべて刀でさばいた。
「まずは貴様の手足を裂いて動けなくし、狐のほうを食らう。そのあと三日三晩かけて貴様の生き血をすすり尽くしてくれるわ!」
「そんな脅かし、怖くありませんっ!」
何度目かの衝突のあと、互いに弾くようにして両者の距離が離れた。
そのとき。
「斬風空裂衝!」
緋澄が何もない空間に刀を振った。
太刀風が霧を裂いて飛ぶ。
すると、刃が届くはずもない距離にいる大鎌切の右鎌が突如として千切れ飛んだ。
「グガッ……!」
「覚悟っ!」
トドメを刺そうと駆け出した緋澄へ、大鎌切が唾液を吐き出す。
「うっ!」
緋澄は反射的にそれを避けようとして、体勢を崩して尻餅をついてしまった。
まずい……!
俺は助けるべく走り出す。
大鎌切は勝機と見たか、片鎌を大きく振り上げて彼女に飛びかかった。
今、奴の目には緋澄しか映っていない。
疾走する俺のすぐ横を、矢のように飛ぶ火の玉が追い抜いた。
魅狐が放ったものだろう。
火の玉が大鎌切の顔に命中。
「グガッ!」
顔を炎に包まれ、大鎌切は苦しんで身を仰け反らせた。
「おおおおっ!」
俺は裂帛の気合いを込めて、走りながら刀を横薙ぎに振るう。
手応えあり。
大鎌切の細長い胴体を一刀両断した。
「グガアアアッ!」
断末魔の叫びを上げながら、大鎌切の上半身が宙を舞い、ごろごろと山道を転がり落ちていく。
残った下半身は血飛沫を吹いたあと、その場に力無くくずおれた。
「怪我はないか、緋澄」
「はい……おかげさまで」
起き上がった緋澄が刀を納めて尻をぱんぱんと払う。
そのときにはもう瞳の煌々とした輝きは消え失せていた。
「偉そうなことを言っておいて、大して役に立てず面目ない」
「そんなことはありません。鮮やかな一太刀でした。……これで殺された方々の無念も晴れることでしょう」
緋澄は長くて深い息を吐く。
そして上げた顔は、まるで肩の荷が下りたかのような、晴れ晴れとして眩い微笑みだった。
「力を貸してくださってありがとうございました」
「いや……それより、先ほど使った技は――」
俺も刀を納めようと鞘に手をかける。
そのときだった。
「いかん、ふたりとも気を付けい!」
切迫した魅狐の声が飛んだ。
死骸となった大鎌切の下半身が、もぞり、と動いたのを視界の端が捉える。
次の瞬間。
大鎌切の下半身が弾け、内側から黒く太い縄のようなものが飛び出してきた。
一直線に緋澄へと襲いかかる。
俺は反射的に刀を振ってそれを斬り払った。
地面に落ちたその正体は、俺の脚ほどもある長さと太さをしたミミズ……のようなものだった。
自分の血溜まりの中でしばらくジタバタとしていたが、やがて力尽き、動かなくなった。
「いったいなんなんだ、これは……」
「こやつ……大針金虫じゃな」
歩み寄った魅狐がおぞましいものを見る目で血溜まりを見下ろした。
「これも妖怪なのか」
「他の生き物の腸に寄生する妖なのじゃ。新たな宿主を求めて出てきたのじゃろう……危ういところじゃったな」
「ああ……おまえに言われなければ気付かなかったところだ」
そして間に合わずに緋澄がこいつに寄生されていたかもしれない。
ぞっとする想像だった。
ふと声がしないことに気付いて緋澄を見ると、またしても立ったまま気絶していた。