峠の大鎌切 前
「そうですか、仁士郎様はお祖父様の仇討ちを……」
道すがら、俺は緋澄に自分の身の上を話していた。
「魎鉄の妹である姫様には、複雑な気持ちもあるかと思いますが……」
「いえ。兄様のような振る舞いをしていては様々な恨みを買ってしまうのは当然のことです。薄情な妹とお思いでしょうが……私は仁士郎様のなさることを止めはいたしません」
「そう言っていただけると助かります」
「……ところで仁士郎様。その、喋り方を改めてもらえませんか?」
と、緋澄がなにやら唇を尖らせた。
無礼があったのかと思いヒヤリとしたが、どうやら逆のことを言いたいようだった。
「私も今日より魅狐姉様に仕える侍となりました。つまり私と仁士郎様は同じ立場です」
俺は仕えたつもりはないのだが。
「どうか同僚のように気軽に扱ってください」
と言われても、身分の高い人をいきなりそんなふうに扱えるはずもない。
「名前も緋澄と呼び捨てにしてください」
「出会ったばかりの女性をそんなふうに呼ぶわけには……」
やんわりと断ったつもりだったが、緋澄は納得せずに食い下がってくる。
「えっと……仁士郎様はおいくつですか?」
「十八ですが」
「私も十八歳です。同じ歳なのだから、なおさら遠慮は不要です」
強引な理屈だった。
いや……本人がここまで望んでいるのだから、むしろ従わないほうが無礼に当たるのだろうか……?
「仁士郎様は魅狐姉様とは呼び捨てで気軽に話していますよね? 私とも同じように接してほしいので……おねがいします」
おねがいとまで言われたら、無碍に断わるわけにもいかない。
「では……そのように」
なるべく努めてみせよう。
俺の返事を聞いて緋澄は満足げな顔をした。
「……ということは、魅狐は俺より年上か?」
そういえば今までこいつの年齢を気にしたことはなかった。
妖狐なので何百歳ということもあり得そうだが、見た目では緋澄とそう変わらないように感じる。
「いや、わらわも十八じゃ」
「姉妹なのに同じ歳なのか」
「腹違いの姉妹じゃからな。ふたつの腹が同時に膨らむこともあるじゃろうて」
◆
大鎌切なる妖怪が出るという峠は深い霧に包まれていた。
昼間だというのに薄暗く、遠くが見渡せない。
山道の両脇には木や草が生い茂っていて風が吹くたびにさわさわと揺れて音を立てる。
なにかが潜むには絶好の場所に思えた。
「この霧では油断しておるとはぐれてしまいそうじゃな」
「道の脇は崖になっているところもあります。うっかり足を滑らせてしまわないよう気をつけてください」
「うむ、なら用心のため皆で手を繋いでいくのじゃ」
魅狐が緋澄の手を取って握った。
緋澄を真ん中にして両脇に俺たちがいるという位置関係だ。
俺も自然と緋澄の手を取ろうとする。
が、その手をサッと避けられてしまった。
「それはいいのですが、その、私が仁士郎様と手を繋ぐのですか……?」
なにやら戸惑っている様子だ。
「できれば姉様と繋いでほしいのですが……」
「おぬしのほうが近いじゃろ」
「しかし、姉様に仕えている方ですし」
「わらわはこの助兵衛妖怪には触りたくないのじゃ」
自分から尻を乗せてきたやつがよく言う。
「そ、そこをなんとか……我慢してください」
そんなに俺と手を繋ぐのが嫌なのか、ふたりともよ……。
「俺はこのままでも良いが」
「そう言うわけにもいきません。はぐれたり崖に落ちたりしたら大変です」
とは言うものの一向に繋ごうとはしてくれない。
「嫌なのなら無理をしなくていい」
「嫌というか、その……私……」
緋澄は空いている左手を胸の前に持ってきて、なにかを隠すようにぎゅっと握りしめた。
「普段から刀や鍬を振っているので……マメだらけで、ごつごつしていたりして、あまり女らしい手ではないので……恥ずかしいのです」
そんなことを気にしていたのか。
俺は強引に彼女の手を取って自分の手と繋ぎ合せた。
「わっ……!」
「なんてことはない、普通の可愛らしい手だ」
「あ……ありがとうございます……」
緋澄は顔を俯かせ、蚊の鳴くような声で言った。
「助兵衛気障妖怪に昇格じゃな」
隣で魅狐が冷ややかに呟いた。
◆
霧深い山道を三人並んで手を繋ぎながら歩いていく。
もしやこれはとても恥ずかしい状況なのではないだろうか。
互いが離れないようにするためならば、手ではなく着物の一部を掴むとかでもよかったのでは……。
「こうしておると、なにやら小さい頃を思い出すのう」
「そうですね」
魅狐と緋澄は顔を見合わせて微笑みを交わす。
その仲睦まじい光景に水を差すのも気が引けたので、無粋なことは言わないでおいた。
「ふたりは、小さい頃は一緒に暮らしていたのか?」
「うむ。鬼ヶ島にある城の中で、父と五人の母、そして兄弟たちで暮らしておったのじゃ」
改めて聞くとすごい家族構成だ。
とはいえ彼女たちの父は鬼の王。
人間の城主だって何人も側室を抱えている。
そう考えれば、さほど珍しいことではないのかもしれない。
「魎鉄兄様と魍呀兄様は、そのときにはすでに成人でしたので、数えるほどしか顔を合せたことがありませんでしたけど」
「わらわが九つになったとき、急に母とともに狐の里に帰ることになったのじゃ」
「なぜだ?」
「聞いておらん。おおかた妻同士で喧嘩でもしたんじゃろ。もともとあまり上手くはいっておらんかったからの」
「私もそのすぐあとくらいに母様と今のお城に来ることになりました」
たしか五人それぞれ種族の違う妻だったと聞いた。
鬼、獣、妖、人、龍。
仲良くやっていくのは相当に難しいだろう。
「むっ……誰か来るのじゃ」
不意に大勢の足音が聞こえてきて、俺たち三人はその場に立ち止まった。
自然と繋いでいた手が解消される。
山道の先、霧のあいだから、十人ほどの男が姿を表した。
身なりの汚さからして賊まがいの連中だろう。
「へっへっへっ……待ちな。ここを通るには女と荷物を置いていってもらおうか」
男たちが一斉に刃物を構える。
妖怪だけでなく山賊もいるとはけったいな山だ。
この程度の人数であれば、斬り伏せるのは容易いが……。
「私たちは、この峠に住まう妖怪を討伐しに来ました」
物怖じせずに緋澄が告げた。
「どうか道を開けてください」
「妖怪だってぇ? へへっ……俺の股ぐらの大入道も娘さんに用があるみたいだぜぇ」
山道一杯に広がった男たちがじりじりと歩み寄ってくる。
面倒な連中に絡まれたものだ。
賊と言えども人間を斬るのは忍びない。
緋澄もそう思っているようで、顔には大きく困惑の色が浮かんでいた。
「大入道が私に用があるんですか……? しかし股とは……?」
いや、下品な洒落を理解できていないだけだった。
「やれやれなのじゃな」
魅狐が俺たちの前に進み出る。
「人間相手であればわらわの幻術で事足りるのじゃ」
と呟いて、右手を軽く払う仕草をした。
すると賊のひとりが、「あっ!」と驚いて明後日の方向を指差した。
俺にはその先に何も見えない。
しかし賊たちは次々に「あれはっ!」「おおっ!」「なんと!」と大いに色めき立った。
そして我先にと山道を外れて駆けていく。
その先は崖であった。
「うわああああー!」
賊たちは自ら崖に飛び込んで、悲鳴と共に急斜面を転がり落ちていった。
狐に化かされたとはまさにこのことだろうか。
「なにをしたのだ?」
魅狐はふふふと忍び笑いをこぼした。
「女をご所望のようじゃったからのう。見目麗しい裸の女たちに手招きをさせたまでじゃよ」
その幻につられて崖と気付かず落ちていってしまったのか。
なんとも恐ろしい術を使うものだ。
もし俺にも見えていたらうっかり引っかかっていたかもしれない。
「姉様、仁士郎様……!」
緋澄の強張った声を聞き、俺は視線を前に戻した。
賊たちはすべて崖に落ちたと思っていたが……ひとり、山道に残っている者がいた。
霧に浮かぶ人影は何の変哲もない賊の男。
だがその眼光は異様に鋭く、ぎらぎらした光を宿らせていた。
「むぅ。わらわの幻術が効かぬとなれば、鬼か妖か……あるいは男色家か」
「最後の者でないことを願いたいな」
「ははははっ」
男が乾いた笑い声を上げた。
「我が操心術を上書きせしめる狐とは……今日は頼もしいお供をお連れのようですなぁ、姫様!」
「大鎌切っ……!」
緋澄が叫ぶが早いか、男の体が風船が割れるがごとく弾け飛んだ。
どうやって潜んでいたのか、体の中から、男のふた回りは大きい蟷螂の妖怪が姿を現した。