47.もうひとつの道 その1
『……もしもし、澄香? ねえねえ、どいうことなの? さっきのは、いったいナニ? 』
澄香は携帯を耳にあてながら、タクシーの乗務員にすみませんと身をすぼめて謝る。
車という個室も同然の空間で携帯で話すのは、彼女の本意ではない。
どうぞという言葉に甘えて、ついつい友人の呼び出しに応えてしまった。
「マキ、ごめんね。まだ仕事中だった? 」
澄香は口元を覆い隠すようにしながら、小声で返事をする。
『うん、仕事中だよ。でもね、携帯オッケーな場所だったからすぐに確認できてよかったけど。でさあ、澄香のメールを見終わったら、すぐにかがちゃんから電話がかかってきたんだもの。びっくりだよー』
「そうなんだ……」
『今夜帰る時間が決まったら、俺に連絡するよう、澄香に言ってくれって。だから、なんでかがちゃんなのさ? 』
「いや、それは……」
『どうしてあたしが、澄香にそんなこと言わなきゃならないのかさっぱりわからなくて。ちょっとお、あんたたち、何なの? 』
澄香は車が発車してしばらくしてから、涙を封じ込めるようにしてマキにメールを送ったのだ。
今夜はマキと会う約束をしたことになっているので、加賀屋君から連絡があったら話を合わせて欲しいと。
まさかこんなにも早く、宏彦がマキに連絡をするとは思ってもみなかった。
多分……。さっき宏彦から送られてきたメールへの返信をまだしていないからだ。
一方、マキは、澄香の突拍子もないメールを見て、相当混乱しているだろうことは、彼女の口ぶりから容易に察しがつく。
「マキ。本当にごめんね。ちょっと、いろいろあってさ……」
『いろいろ? ますますわかんないよ……。ねえねえ、ちゃんと説明してよ」
「う、うん。それが……」
澄香は宏彦と婚約したことを、まだマキに言ってなかった。
それどころか、付き合っていることも知らせていない。
マキの仕事の忙しさを常々聞かされていた澄香は、もうすぐ突入するブライダルシーズンを前に、電話をかけるのをためらっていたのだ。
そんな状況で、何の説明もないまま、いきなりアリバイ工作を頼んだことに、澄香は言いようのない心苦しさを感じていた。
今すぐにでも理由を話したいのだが、ここはタクシーの中だ。
すべての会話が乗務員に筒抜けである以上、詳しいことは言えない。
澄香は言いかけて、思わず口をつぐんでしまった。
『澄香ー。もしかして、移動中? 』
「うん。そうなの。今、タクシーの中。家に帰ってから、かけなおすね」
『そっか。わかった。あたしの方も、今ちょっとたてこんでるから、その方がありがたい……いや、やっぱ、あたしから電話しようかな。実は、今夜も遅くなりそうなんだ。最近のカップルさんたちってさ、やたら独自性を重視するから、それぞれの要望を叶えるために、こっちは夜中まで東奔西走してる。それと、授かり婚の花嫁さんも結構いるから、身体に負担の少ないプログラムを考えなきゃならないでしょ? 二十四時間なんて、それこそ、あっと言う間。もう一人、あたしが欲しいくらい』
「マキが忙しいってわかってて、わがまま言っちゃった。あたしって、なんてバカなんだろ。ホンとにごめんね」
『何言ってんのよ。澄香の願いごとなんて、ほとんど前例がないじゃん。あたしばっか、澄香に頼ってるんだからさ。ここは、いっぱい甘えてよね』
「ありがと、マキ」
『でもさ、澄香があたしを頼ってくれたおかげで、何やらおもしろい話が聞けそうじゃない? 澄香とかがちゃん、実は、訳ありなんでしょ? 多分あたしの勘が間違ってなければ、ふっふっふ……あっ、はい。わかりました。今すぐ行きます……』
「マキ? 大丈夫? 」
『やだ、いいところだったのに。澄香、ごめーーん。今から打ち合わせなの。そうだ、澄香。安心して。今夜、もうすぐ澄香と会うんだよって、かがちゃんにそれっぽく言っといたから。これくらいお安い御用だよ。じゃあ、またね』
マキの声が、あっという間にフェイドアウトしていく。
危機一髪だった。マキへのメールが少しでも遅れていたら、宏彦に咄嗟についた嘘がばれてしまうところだったのだ。
いや、もうすでにバレているのかもしれない。
でも澄香はそれでもいいと思った。
こんな気持のままで宏彦と過ごしても、お互いに傷つけ合うだけだ。
今夜はどうしても一人になりたかった。
電話を切った後、さっき送られてきたばかりのメールをじっと見ていた。
それは、澄香の手のひらの涙がまだ乾ききらないうちに、宏彦から届いたものだった。
マキとの約束が終わる時間を知らせてくれという内容だ。
梅田まで迎えに行くから、その後、神戸まで一緒に帰ろうと書いてある。
宏彦とマキは、クラス同窓会の幹事を任されているので、連絡を取り合う機会も多い。
それに高校時代は、澄香よりマキの方がよっぽど宏彦と親しかったという事実を思い出し、彼がマキにコンタクトを取る可能性を踏まえて、急遽アリバイ協力メールを送ったのだ。
梅田まで迎えに行くなどと言いながら、宏彦は、マキとの約束の真相を確認したかったのかもしれない。
澄香は一瞬ためらったが、迎えに来なくてもいいと記して宏彦に送信した。
そのまま、マキの家に泊まるかもしれないから……ともっともらしい理由を付け加えることも忘れなかった。