表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 1-4 青春酸歌
97/210

46.しょっぱい水溜り その3

「それは、こっちのせりふ。宏彦は、あなたみたいな浮ついた女に本気になる人じゃないわ。それも、たったの二週間で、彼女気取りで大きな顔をされたんじゃ、こっちだってやってられない。あたしたちにはね、二人にしかわからないモノがあるの。親の都合で外国暮らしが長くて、向こうでなかなか馴染めなかった。こっちに帰ってきても、まともに付き合ってくれる友達なんていなくて……。そんなあたしのことを理解してくれるのは、彼だけなの。彼を理解してあげられるのも、あたし……だけ」


 片桐の声も震えていた。

 異国暮らしでの苦悩は、きっと本当のことなのだろう。

 澄香にとって宏彦がすべてであるように、片桐にとっても、理解し合える彼がすべてなのだ。

 そして、そんな彼女を宏彦は今でも受け入れている。

 現実を目の当たりにした澄香は、愕然とした面持ちで立ちすくむ。


 信じていたのに。

 宏彦のことを心から信じて、恋の成就を喜び、かみしめていたのに。

 もう、何も考えたくなかった。

 澄香の目の前で勝ち誇った眼差しを向ける片桐の姿も、そんな彼女に心を許す宏彦のことも、すべて、澄香の脳裏から消し去りたかった。


「あら、池坂さん。どうかした? あたし、言いすぎたかしら……」

「あの、あたし……いえ、何でもないです。そうだ、この後、予定があるので……」

「まあ、そうなの? 残念だわ。せっかくこうやって何年ぶりかに会えたのに。あたしの言い分も理解してもらえたのかしら? 」


 片桐の言い分など、理解したくはない。

 けれどそれが事実だと言うのなら、澄香がここにいる理由は何もない。

 もちろん、この後、予定などあるわけもなく。

 この場から逃れるための思いつきでしかない。


「片桐さん。あたし、そろそろ行かなくちゃ。宏彦……あ、いや、加賀屋君によろしくお伝え下さい、それでは……」


 澄香は片桐の横を通り抜けて、階段に向かおうとした。


「池坂さん、ちょっと待って。それじゃあ、あたしが無理やりあなたを追い返したみたいじゃない。ちゃんと自分でわけを……」


 すると部屋のドアが開き、本を手にした宏彦が出てきた。


「これだろ? 」


 本を片桐の顔の前にかざした後、彼女の手にそっけなく載せる。


「あ、ああ。そうね。これだわ。ねえ、宏彦。この人、帰るって言ってるけど」


 片桐が甘えたような目をして宏彦を見上げて言った。


「えっ? どういうことだ? 」


 宏彦がはっとした顔をして、澄香を見た。


「ごめんなさい。あたし、これからちょっと約束があって。その……。今朝、今日は会えないって電話もらった後、マキと連絡取ったの。そ、その、マキの職場って中ノ島でしょ? 今日もどこかの結婚式場で仕事だって言ってたから、だから、梅田で会う約束をしてて……」


 ありそうなことを、さも真実のように組み立てていく。


「それ、本当か? こいつに何か言われたんじゃないのか? 」


 宏彦が片桐を睨みつけながら言った。


「やだ。なんであたしのせい? あたしはただ、このテキストのことを……話しただけ、なの、に……」


 尚も宏彦に睨まれ続けている片桐が、みるみる勢いを失くす。


「宏彦、違うの。本当に、マキと約束があるから……。今日は勝手なことしてごめんね。あなたの都合も考えずに、こんなところまで来て、悪かったと思ってる。片桐さんとも久しぶりだったんでしょ? なのに、あたしったら……」

「澄香、何を言ってるんだ。おまえは何も悪くないよ。俺は嬉しかった。でも、その約束、本当なのか? 」

「うん、本当だよ。嘘じゃないってば」

「そうか……。じゃあ、駅まで送るよ」


 宏彦が澄香と並んで歩き出そうとする。


「ううん。いいの。あたしは大丈夫だから。片桐さんが一人になってしまう」

「澄香だって、一人になってしまうだろ? 」

「だから、あたしは大丈夫だってば。それじゃあ……」


 澄香が、怪訝そうな顔をする宏彦をよそに、その場から駆け出した。


「おい、澄香。なら、明日は? 会えるんだろ? 」

「う、うん……」


 階段に差し掛かったところで宏彦に背を向けたまま、あいまいに頷く。


「あっ、いけない。時間が……。マキを待たせちゃ悪いから。それじゃあ。いろいろ、ありがと……」


 澄香は振り返らなかった。

 宏彦に自分を追って欲しいとも思わなかった。

 今はただ、一分でも一秒でも早く、ここから立ち去りたかっただけだ。


 階段を駆け下り大通りに出ると、ライトをつけた車が次々と澄香の前を通り過ぎていく。

 手を上げて合図を送り、すぐに停まったタクシーに乗り込んだ。


 京都駅までお願いしますと告げてドアがパタンと閉まった時、プレゼントの入った紙袋を廊下に置き忘れて来たことに気付く。

 何も持っていない両手を膝の上に広げて、じっと手のひらを見つめた。

 北海道から帰って来たあの日、この手を握り締めてくれた宏彦は、また澄香の前から遠ざかっていく。

 だんだんと指の境界線がぼやけてきて、目に映る世界が滲んできた。

 ぽたり、ぽたりと、涙の粒が手のひらに転がり落ちて、小さな水溜りを作る。

 とてもしょっぱい水溜りだ。


 夢のようだった二週間。

 でもやっぱり夢だった二週間。

 澄香は左右の手のひらをピタッと合わせて、涙と宏彦への想いを、そっとその中に閉じ込めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ