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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 1-3 恋の連鎖反応
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28.俺のこと、忘れた?

 今日は、待ちに待った土曜日だ。

 澄香は万全の防寒対策をして、朝の八時には家を出た。

 一度三宮にもどり、JRで京都に向かう段取りをつけた。


 乗った新快速の時刻を知らせると、京都駅に宏彦が迎えに来てくれる手はずになっていた。

 その後、バスで祇園方面に出向き、清水寺周辺を散策して宏彦の寮に向かう予定になっている。

 雪の日曜日に巻き起こった宏彦の寮での出来事は、澄香の脳裏から一瞬たりとも消えたことはない。

 続きはまた今度と言った時の宏彦の言葉にしがたい表情も、絶対に忘れることはなかった。


 澄香は宏彦にすべてを任せようと覚悟を決めていた。

 他の同級生や、会社の同期の女の子たちにしてみれば、一笑に付されるようなことかもしれないが、澄香には一生の一大事なのだ。

 けれど、もはや彼を拒む理由は何もない。

 宏彦と身も心もひとつになりたいと心からそう思える自分が、愛おしくもあった。


 デニムと弟のお下がりのジャケットという、色気もそっけもない格好だが、下着だけは気合が入っている……つもりだ。

 三宮のセンター街にある、老舗メーカーの上下おそろいのセットを奮発したのだ。

 色や形は定番だが、レースが高級なのだと店員が説明してくれた一品だったりする。

 ここまでくれば、もう後へは引けない。

 以前、チサやマキが手振り身振りを交えて語ってくれた、今となってはありがたい体験談をあれこれ思い出し、誰もが通る道だと自分に言い聞かせる。

 澄香は背筋を伸ばし、さっそうと京都駅のプラットホームに降り立った。



 土曜日の京都駅は午前中から大勢の人で賑わっていた。

 待ち合わせ場所は中央口の改札前だ。

 目の前に旅行社があるからすぐにわかると宏彦が言ってくれたのを心の中で復唱する。

 何度か京都駅を利用したことはあるが、いつも誰かと一緒だったので、駅のしくみが今ひとつ理解できていない。

 なので、今回は初めて来たも同然だった。

 情けないことに、今どこを歩いているのかもわからない状態だ。


 人の流れに合わせてどんどん歩いていくと、中央口という案内板が見えた。

 ここだろうか。宏彦に連絡を取ろうと携帯を取り出した時だった。


「池坂? おい、池坂じゃないか? 」


 誰かが澄香を呼び止める。

 チャコールグレーのスーツ姿のその人が満面の笑顔で近づいてきた。


「なんで? どうしたんだ? 俺のこと、忘れた? 」


 その人は自分を指差し、俺、俺だよと繰り返す。

 澄香は目の下のほくろと相変わらず日に焼けたままの黒い肌に、ようやく記憶がよみがえる。


「せ、先輩? 福永先輩? 」

「もおっ! こいつ。何が先輩? だよ。忘れたとか、マジ、ありえないし! 」

「やだ、先輩。ホントに先輩なんだ。どうして? なんでここにいるんですか? 」

「それを言うなら、おまえこそ。なんで京都なんかにいるんだよ。神戸の会社に勤めてるんだろ? 転勤したのか? 」

「ち、違いますよ。今日はその。京都観光に……来ただけです。それより先輩はなんでここにいらっしゃるのですか? 」

「俺か? 俺は研修と言う名の修行だよ。実家の旅館を継ぐ前に、よそ様の釜の飯食って来いって、追い出されて。こっちの旅館で勉強させてもらってるんだ。今も、お客さんを新幹線まで見送りに来たところ。で、おまえは今からどこに行くんだ? 」


 長かった髪も短くなり、一層爽やかさを増した福永がどこまでも陽気に訊ねる。


「あたしは、中央口の改札に……その……行くところなんですけど」

「改札? ここにあるけど? ただし、新幹線だけどね。八条の方に行くんだったら、こっちの出口だけど……」

「八条? 多分、違う……。清水寺の方に行く予定なんです」

「なら北側だな。おまえ、間違って南側に来てしまったんじゃないのか? 俺も今からそっち側に出るから、一緒に行こう。もしかして、待ち合わせ? 」

「は、はい」

「そっか。それは残念だな。俺は今から一時間くらいならサボっても大丈夫なんだけど。それだったら、おまえを引き止めるの悪いよな」

「ええ、まあ……」


 澄香は福永のことが次第に心に重くのしかかる。

 このまま待ち合わせ場所に向かえば、宏彦と鉢合わせしてしまうのではないかと不安になるのだ。

 別にやましいことをしているわけではないが、一度はプロポーズまでされた人なのだ。

 あらぬ誤解を招く火種にならないかと気が気でない。


「あの、先輩」


 澄香は途中で立ち止まり勇気を出して先輩に話しかける。


「あたし、もう大丈夫なんで。ここから一人で行けます。先輩も、仕事に戻ってください。今日はお会いできて嬉しかったです」


 そう言って頭を下げ、そこから駆け出そうとしたのだが。


「待てよ! 何も、逃げ出さなくてもいいだろ。取って食おうってわけじゃないんだから。近況くらい聞かせてよ。他のサークル仲間とは会ったりしてるの? 」


 福永の手が、澄香の腕を掴む。


「時々……。先輩、あ、あのう。すみません。手、離して……」

「あっ、ごめん。おまえが急に行っちまおうとするから……。悪かったよ。なあ、池坂。ひょっとして、待ち合わせの相手って、男? 」

「えっ? あ、ああ。はい。そうです」

「そういう……ことか。ごめん。迷惑だったよな」

「いや、そうじゃないんです。あたしの方こそ、先輩には申し訳なかったと……」

「おっと、それ以上は禁句ってことで。あの後おまえから何か言ってくるんじゃないかって期待してた時期もあったけど。つまりは縁がなかったってことだよな。なあ、あそこにずっとこっちを見てる人がいるけど。おまえの連れじゃない? 」


 澄香は福永の視線をたどって、そこに目をやる。

 通路の端の方でじっとこっちを見ているのは、紛れもなく宏彦本人だった。


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