26.実る恋、実らぬ恋 その2
「えっ? そうじゃなくて……」
「いいってば。あたしがチョコを渡せって無理強いしたことは、もう忘れてよ。彼だって、その……。いろいろ事情があるんだろうし。……ってことは、話は早いかも。実はさあ……。あっ、来た来た。みんな! こっち、こっちだよ! 」
チサが声をかけた同期仲間が三人そろって、どやどやと店内に入ってくる。
おかげで宏彦の話は上手い具合に回避され、危機を脱出したかのように見えたのだが。
ほっとしたのもつかの間、チサが急に不機嫌になる。
「な、なんで吉山君が、いるの? 」
ミユキとのっち、そしてその後に本日唯一の男性メンバーの稲川、だけのはずなのに、彼の横には予定外のメンバーがちゃっかり肩を並べていたのだ。
「よおっ! 池坂も来るってのに、畠元。なんで俺をはずす? 」
「ふん! なにさ。そんなの、こっちの勝手でしょ! 誘ってもいないのに、なんで来るのよ? 」
「へへへ。稲川は、俺を裏切らないからね。なあ、イナガワ」
仁太はまるで恋人同士のように同期の稲川の肩を抱き、頬ずりせんばかりに顔を寄せる。
「お、おい。吉山。やめてくれーー」
仁太に絡まれ、おまけにチサにこれ見よがしにギロッと睨まれた稲川は、顔の前で手を合わせ、ゴメンのポーズで彼女に許しを請うのだった。
チサはぷりぷり怒りながらも、仲間のグラスに順にビールを注ぐ。
仁太には、わざとそうしたのか偶然なのか、グラスの半分以上が泡で占められる。
チサの注ぎのテクニックは変幻自在だ。
「ちょうどいいわ。こうなったら稲川君にも聞いてもらおう。ミユキとのっちはもう知ってるんだけどね」
チサが意味ありげに目配せをする。ミユキとのっちは、チサ、がんばれと言わんばかりに、うんうんと大きく頷く。
それと対照的なのは仁太だった。
苦虫を噛みつぶしたような顔をして、澄香にすがるような視線を送る。
「あたしね、何を血迷ったのか、今年もまた吉山君にチョコをあげたんだけど……」
「おい、畠元。何を言い出すんだよ。別にここで言わなくてもいいだろ? 」
仁太が最後の防御に出る。
「だから、あんたにはここに来て欲しくなかったの。黙って聞いててよ。でね、吉山君ったら、一応もらっておいてやるだなんて、上から目線で言うんだよ。まあそれは多めに見ることにして、受け取ってもらえただけでもよかったなって、そう思うことにしたの。でもね、その後、なんて言ったと思う? 」
「ああああ! 畠元。それ以上は、な? 俺の人格が疑われる。だから、ここまでにしよう。やよいさん、ビール! おでんも適当にみつくろって」
往生際の悪い仁太が、話をそこで断ち切ろうとする。
「いーや。あたしは止めない。それでね、吉山君ったらさ、後輩の常吉麗子と設楽七海にも、もらったって、あたしにチョコを見せびらかすの。それも、すっごい高い某有名店の生チョコ。そりゃあ、あたしのはそこまで上等じゃないわよ。それだけならまだ我慢する。でもね、こいつったら、ひどいの。常吉も設楽も美人だし、日替わりで付き合おうかなとか言うんだよ。どう思う? あたしの気持ちを知ってて、フツーそんなこと言う? 」
その場に居た皆が一斉に首を横に振る。言わない、言わないと。
「でしょーー。常吉と設楽って、なんかさ、先輩のあたしたちをバカにしてるとこあるじゃない? あの二人だけはやなの。何があってもダメ。でさ、澄香」
突然名指しされた澄香は、京都に飛んで行きつつあった意識を引き戻し、はいっと返事をした。
「京都のカレのことなんだけど。なんかはっきりしないよね。カノジョがいるかもしれないって、澄香も言ってたし……。この際、吉山君とくっついちゃえば? それならあたしもあきらめられる。やっぱ吉山君は、澄香じゃなきゃダメなのよ」
窮地に追いやられて、苦悩にあえいでいた仁太の顔が、突如生気に溢れた輝きを取り戻す。
「吉山君、そうなんでしょ? ねえ、どうなの? 」
澄香の前に座る仁太が照れ笑いを浮かべながら、まあねと、首の後ろをぽりぽりと掻いた。
「そうよね。それが一番まるく収まるかも。チサは辛いだろうけど、澄香ならって、公認なんだしさ。ねえ、澄香。いっそのこと、そうしちゃえば? 」
ミユキまで一緒になってそんなことを言う。
澄香の意思などお構いなしに、どんどん話がふくらんでいくではないか。
「待ってよ、みんな。あたしは、その。吉山君のことは嫌いじゃない。仕事も出来るし、性格は明るいし、職場の同僚としては申し分ない、いい人だと思う。でもね、それとこれとは話は別だと思うの。あたしには、好きな人がいるんだし、そんな気持ちのまま付き合うだなんて、できっこないし」
そうだ。真実を曲げずに正しく伝えなければならない。
今までももちろん、この先は百パーセント、仁太との交際はありえない。
だって、澄香は。
宏彦と結婚するのだから。
「澄香、だからさあ。何度も言うけど、その好きな人と、ちっともらちが明かないじゃない。ここらで方向を変えてみるのもいいかもしれないよ。あたしだって辛い。でもね、好きになった人の幸せを願う気持ちだけは誰にも負けないつもり。吉山君が幸せになるのなら、あたし、何だって我慢できると思うの」
「チサ。よく言ったわ! 吉山君。よーーく聞いておきなさいよ。チサの想いに報いるためにも、澄香を大事に……して……ね」
チサの手を取りながら、会社一の美貌と謳われるミユキが、形のいい鼻を真っ赤にして涙を流す。
澄香は目の前で繰り広げられる出来事が、ドッキリ番組のように思えてならない。
みんな、冗談を言っているのだ。そうに違いない……と。
「チサもミユキも、お芝居はそれくらいにしてよ。稲川君も困ってるしさ。それより、のっちと稲川君は? 今年こそゴールインだよね」
入社したと同時に意気投合したカップル第一号でもあるのっちと稲川に矛先を向ける。
さっきからのっちの左手に光る指輪が気になって仕方ないのだ。
ドッキリはこれくらいでもうたくさんなのだから。
「澄香。真面目に聞いてるの? あたしが冗談とか思いつきでこんなこと言ってるって思ってる? あたしの目をよーく見て。これはね、澄香のためでもあるの。いくら好きでも、実らない恋ってのが世の中にはあると思うのよね。あたしだって……多分、そう。澄香、こんなに吉山君に愛されているんだよ。騙されたと思って、ここは何も言わず、あたしの言うとおりにしてみてよ」
チサの目が真剣だった。
ミユキものっちも。
稲川までもがこくこくと頷いて、チサに賛同している。
ドッキリでは……なかったのだ。
「ち、チサ……。ミユキ、のっち、稲川君、そして吉山君も。あたしの話、聞いてくれる? 」
澄香が一人一人の顔を見て、語り始めた。
もうこれ以上黙っていることは不可能だと判断したのだ。
「あの。あたし……」
そこにいた全員の視線が澄香に集まった。
そして。
「結婚……するの」