10.都へと続く道 その2
「おい、それって、ケンカ売ってる? 俺が澄香って呼んでるのになんでかがちゃんなんだよ。じゃあ、澄香のことも、いけちゃんとでも呼べってか? 違うだろ? 俺の名前はなんていうのか知ってるよな。言ってみ? 」
「ひ、ひろ……ひこ」
「そうだろ? じゃあそれで決まりね。考えても見ろよ。澄香は四月生まれで俺は二月生まれ。澄香の方がほぼ一年近く年上なんだぞ。そこんところはびしっとリーダーシップを取ってもらわないと困るよ。たのんだぞ! 」
……って、それは禁句でしょ?
澄香は決死の覚悟で呼んだ宏彦の名よりも、年上発言の方が堪える。
毎年、澄香の誕生日のメールは、そのことでやり合ってきた。
お姉さま……という書き出しのメールで、四月いっぱいは宏彦にからかわれるのが慣例化しているのだ。
もちろん二人して、その状況を楽しんでいたのだが、ここまではっきり言われると辛いものがある。
たとえ学年は同じであっても、実際は年上であることを必要以上に意識せざるを得なくなる。
「年上で悪かったわね。でも来週から一ヶ月ちょっとの間は同い年なんだから。それじゃあ、これからは遠慮なくヒロヒコって呼ぶことにするもん! 」
澄香は無意識に頬をぷうっと膨らませる。
手元のコーヒーにミルクをどぼどぼと溢れんばかりにいれてスプーンでかき混ぜ、ごくごくとまるでジュースのようにそれを飲んだ。
「昼飯が早かったから、まだ時間はいっぱいあるぞ。どこか、行きたいところは? 」
会計を済ませ、再び車に乗り込んだ宏彦が訊ねる。
行きたいところは、などと聞きながらも、もうすでに車は東に向って走り始めていた。
宏彦には、すでに次の行き先が決まっているようにも思える。
「かが……あっ、ごめん。ひ、宏彦の行きたいところでいいよ」
加賀屋君と呼んでしまいそうになるのを堪えて、宏彦の問いに答える。
それに気をよくしたのか、宏彦が腕を伸ばし、澄香の右手を握る。
「ここでならいいだろ? 誰も見てない」
「そ、それはそうだけど。危ないから、ちゃんと両手でハンドル握って運転しなきゃ。ね? 」
澄香は繋いだままの宏彦の手をステアリングに戻した。
「はいはい、お姉さまの言うとおりにいたします。じゃあ、今から京都に行くぞ。いい? 」
「きょ、京都? 今から? 」
思いがけない宏彦の提案に驚きを隠せない。
ハーバーランドか三宮に出て、買い物をしたり映画を観るのもいいかなと思っていた澄香は、突拍子もないことを言い出す宏彦の横顔をまじまじと覗き込む。
「そんなに変か? 京都と言っても、高速飛ばせばすぐだよ。こんな寒い日に京都観光する人もそんなに多くないだろうし。この時間なら道路も空いてる。夜も今日中には家に送り届けるから。それとも……。泊まってく? 」
えっ? 今なんて? 澄香の思考回路が急停止した。
ただ漠然と聞いていた京都という地名だったが、もしかして、宏彦の会社の寮に向かっているのだろうか?
ならば話は違う。
宏彦の本気とも冗談とも取れる突然の泊りの誘いに、澄香は返す言葉も見つからず、そのままシートに貼りつくようにして固まってしまった。
伊丹近辺に差し掛かったのだろうか。
飛行機がかなり高度を下げて飛んでいるのが目に入る。車輪も見える。
窓から人影も区別できそうなくらい、低空飛行だ。
黙って外を見ている澄香を横目に、宏彦がおもむろに口を開いた。
「俺の今いる寮は一応単身者用だけど、借り上げマンションだから来客の出入りは比較的自由なんだ。所帯持ちの単身赴任の社員は、家族も時々呼び寄せてるし、澄香が俺の部屋に泊まっても、全く問題はないよ」
「そ、そうなんだ……」
昨日、初めてお互いの気持ちを確認しあって、翌日の今日、プロポーズまでされた。
そして、今度は彼の部屋へ直行ときた。
普通の恋人同士なら、数ヶ月から半年くらいかける行程を、たったの一両日で暴走するものだから、ついていけないのも当然だ。
澄香は半ば呆気にとられて、機械的に返事するのが精一杯だった。
「でも……。さっきのことは冗談だから。この状況で澄香を泊めてみろ。それこそ俺、勘当されてしまう。信用も何もあったもんじゃないよな」
澄香は宏彦が本気で泊まれと言ってるとは思わなかったが、彼の寮に向っていることは、紛れもない事実だ。
想い合っている二人がそこに向かえば何が起こるかなんてことは、経験のない澄香であっても簡単に想像がつく。
ひとたび彼の腕に抱きとめられたら、もうそこから離れることができないこともわかっていた。
澄香は覚悟めいたものを胸に抱きながら、宏彦に言った。
「あたし……。宏彦の部屋に、泊まってもいいよ」 と。