3.会いたい その1
「お母さん。えっと、あのね」
待ってましたとでも言うように、母の顔がぱっと輝く。
「実は、その……。高校で同じクラスだった、五丁目の、か」
好奇心に満ち溢れた顔をして、食い入るように見つめてくる母に圧倒され、そこまで出かかった声が再び逆戻りしてしまう。
「もう、澄香ったら、何をそんなに緊張してるの? 高校の同級生なら、何も問題ないじゃない。何か不都合でもあるの? 」
「ないけど。でも、こういうことって、その、恥ずかしいし、結構勇気がいるんだから……」
「ホント、困った子ね。お母さんは頭ごなしに反対したりしないわよ。あなたがそこまで、一生懸命、想ってる人なんでしょ? それにそのお相手も澄香のことを好きだと言ってくれたのよね? なら、何も心配ないじゃない。お父さんや信雅が何か言っても、私だけは澄香の味方だから、安心して言ってくれればいいのよ。えっと、今、何丁目って言った? 」
いや、そうじゃなくて、お母さんがあまりにもあからさまに、好奇の目を向けてくるから……などとはとても言えなくて、澄香はもう一度自分を奮い立たせ、仕切り直す。
恥ずかしさなんて、もうどうでもいい。
「あのね、五丁目の、か」
「あら、五丁目っていえば、すぐそこじゃない。なら、中学も一緒よね? それとも、私立に進学したのかしら? でも高校の同級生だからそれはないし……」
そんなに仲良しだった男の子がいたかしら? とまたもや途中で話の腰を折られる。
「誰かしら? この町内の人で、中央高校の同級生っていえば限られるわね……」
「だから、加賀屋君だってば……。お母さんも知ってるでしょ? 」
よし、言えた。
あとは野となれ山となれ。
「加賀屋さん? 」
「そうだよ」
「へっ? 」
「うん」
母はそのまま黙り込んでしまった。
さっきまでの勢いはどこへやら、澄香は急に不安に襲われ、母の顔色を伺う。
あんなに調子のいい事を言っておきながら、やっぱり反対されるのだろうか。
「もしかして。加賀屋さんちのボクなの? ほんとに? 」
町内で同じ高校に進学した同級生の男子は彼一人だけだ。
どうころんでも迷いようが無いほど簡単な問題なのに、母は尚も首を傾げ続ける。
にしても……。加賀屋さんちのボクはないでしょ、ボクは!
なかなか信じようとしない母を恨めしげに睨み、ほんとなんだってば、信じてよと言い返す。
「それは大変だわ。こんなことしてる場合じゃないわね」
一大決心をしたかのようにすくっと立ち上がった母は、早送りの録画画面さながらのてきぱきとした動きで、ドレッサーの奥からホットカーラーを捜し出し、温めたかと思ったら少し伸び始めたショートカットの毛先に巻きつける。
その上、客間の掃除まで始めたではないか。
澄香はその変わり身の速さに、ただただ、唖然とするばかりだった。
メイクを仕上げて、チェックのワンピースに着替え靴を選んでいると、携帯が電話の着信音を奏でる。
宏彦からだ。時計を見ると、まだ約束の時刻まで三十分もある。
どうしたのだろうと不思議に思いながら携帯を耳に当てた。
「もしもし」
『澄香、俺だけど』
宏彦の心地よい声が耳に届く。
「加賀屋君……。おはよう。夕べは、その、どうも……」
電話で話すのは、まだどうにも慣れない。
変に思われなかっただろうか。
『ああ、いや。こちらこそ、遅くまで電話して、ごめん。よく眠れた? 」
「う、うん。ちょっとだけならね。加賀屋君は? 」
『俺? 俺はあの後、即行で寝た。澄香、本当に大丈夫? 』
「平気だよ。心配いらないって。ところで、何かあったの? 」
澄香の気持ちが次第にほぐれていく。
『実は……。ちょっと早いんだけど、もうすぐ迎えに行こうと思って。澄香のことを少しだけ親に話したら、おふくろがうるさくて……』
「ぷっ……。うちも同じだよ。ついさっきまで、誰と出かけるの? そのお相手は誰? ってそれはもう大変だったんだから。もしうちの母が加賀屋君に何か言っても、気にしないでね」
『あはは。わかったよ。じゃあ、今からそっちに行くから』
「待ってるね。それじゃ、あとで」
電話を切ったあと、自然と笑みがこぼれ、意味もなくぴょんと飛び跳ねてしまった。
メールでは感じることのなかった高揚感にしばし酔いしれる。
お気に入りの白いコートと、ゴールドのチェーンのついたファーのバッグを手にして、行って来ますと客間に向って声をかけた。
宏彦の家は歩いてもたぶん十分くらいの距離だろうから、車だとあっという間にここに着いてしまう。
澄香はあわててリボンの飾りのついたベロア調のパンプスを履き、玄関のドアに手を掛けた。