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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
本編
51/210

50.かくれんぼ

「か、加賀屋君……」


 澄香が少し身体を離して宏彦を見上げようとすると、すぐにまた、胸元に引き戻される。

 そして、髪を撫でられながら、彼の話し声に耳を傾けた。


「俺、高校の卒業式の夜、見たんだ。澄香が木戸と一緒に帰るところを」


 澄香はあの日の記憶の糸を、ゆっくりとたぐり寄せてみる。

 改札を出たところで、足を滑らせたあの夜だ。


「きっと澄香は、一人で駅に戻って来ると信じて待ってたんだ。そしてさも偶然会ったように見せかけて、俺の気持ちを伝えようって決めてたのに……。それなのに、木戸と。手なんか繋ぎやがってさ。二人してとっとと行っちまうし」


 澄香はあの夜、誰かがこっちを見ているような気がして、木戸に手を引かれながらも、何度も辺りを見回したことを思い出していた。


 ジュースの自動販売機の陰に誰かがいたのだ。

 じゃあ、その人が宏彦だったのだろうか。


 あの時、木戸と手をつながなければよかった。

 いや、すべりそうになったのがいけなかった。

 そもそも木戸とコーヒーショップに行かなければよかったのだ。


 宏彦の後を追って帰るべきだったなどと過去を悔やんでみても、時を戻すことは出来ない。

 澄香はまた溢れそうになる涙を堪えるために口元を引き結び、宏彦の胸元あたりのダウンジャケットの布地をぎゅっと掴んだ。


「俺あの晩、本気で失恋したと思って泣いたよ。なんであの時、三宮で澄香と木戸を二人きりにしちまったんだろうって、どれだけ後悔したか……」

「加賀屋君……。あの日はね、木戸君の最後の望みだっていうから。家まで送ってもらっただけ。ほんとうにそれだけなの」


 澄香はすぐそばにある宏彦の顔を見上げながら言った。

 すると、ますます宏彦の腕が澄香を強く抱き締める。


 ファスナーがあいたままのダウンジャケットの内側に、自然と澄香の顔が埋まっていく。

 彼の匂いがする。どこか香ばしいような、心が落ち着く香りだ。

 さっき飲んだコーヒーの匂いかもしれない。

 宏彦の指が再び澄香の髪に触れる。


「今なら澄香の言うことも信じられるけど、あの時は無理だった。目の前であんなところ見せつけられてみろ。誰だって見込みは無いってそう思うよ。あの夜が二人っきりで会った最後の日だったって去年の年末初めて木戸の口から真実を知らされたんだ。大学の頃あいつ、澄香とより戻したみたいなこと言ってた。遠距離だからメールやってるとか、神戸に帰ったら会うとか」

「そ、そんなあ。それは違うよ。本当に木戸君とは付き合ってなんかいなかったんだから。だって、あたし、加賀屋君とのメールですべて本当のことを知らせていたんだよ」


 宏彦の胸に顔が押さえつけられて、くぐもったような声になってしまう。


「ああ。それは俺だって気付いてたよ。俺は澄香のことなら何でも知ってたからな。あいつの言うことと澄香が知らせてくれることが矛盾するんだ。澄香がサークルの旅行に行ってる時に神戸で会ったとか、わけのわからないことも言ってたしな。旅先の写真も送ってくれていたし、澄香の言い分に矛盾点は何も無かった」

「木戸君、そんなこと言ってたんだ。一度も会ったことなんてないのに……」

「俺を牽制してたんだと思う。あいつ、俺が澄香のことを好きだって気づいてたんだよ。で去年の春くらいから、あの教え子の話が出るようになって、木戸のやつ、やっと澄香のことをあきらめる決心がついたんだと思った。っていうか、俺の想像だけど、あいつなりに、ふんぎりをつけるために、教え子との道を選んだのかもしれないけどな……」


 そういえばその頃から宏彦とのメールの頻度が高まって、休日に朝から晩までやり取りをしていることもあったなどと思い出す。


「一難去ってまた一難。木戸が片付いたと思えば今度は会社の男だろ? 」

「も、もしかして、吉山君のこと? 」

「そうだ。年が明けてから、チサさんと匹敵するくらい、そいつの名前がメールに登場するものだから俺は見たこともない男を相手に、はらわたが煮えくり返るほど嫉妬させてもらったから……」


 澄香の頭頂部に、宏彦の顎のあたりがそっと合わさる。


「へっ? そうなんだ。ご、ごめんなさい……」

「それもこれも、俺に、あと一歩の勇気がなかったから……。今なら笑ってそう言える。澄香、そろそろ帰ろうか? 」


 宏彦の胸のあたりに片耳を当てるような格好で抱き締められていたので、身体中が彼の声に包まれているような、この上なく幸せな気分にどっぷりと浸っていたのだ。

 なのにもう帰ろうだなんて……。


「まだ……帰りたくない」


 そう言って、宏彦の背中に手を回して今度は澄香が抱きつく形になる。

 宏彦から離れたくなかった。このまま夜の闇に二人して溶け込んでしまいたかった。


「また風邪ひくぞ? 」


 腕の力を緩めた宏彦が少し身体を引き離し、澄香の顔を覗きこむ。

 こんなに近くから見たことがないと思うくらい宏彦の顔が近付いて、彼の両手が澄香の頬を優しく包み込んだ。


「明日は日曜日だろ。会社は休み? 」

「うん。日曜日はよほどのことが無い限り出勤しない」


 なんだか気恥ずかしくて目を逸らそうとするけれど、宏彦がそれを許さない。

 頬に添えられた彼の手が澄香の自由を奪う。


「じゃあ……。今夜は俺、実家に泊まるから。明日の朝、十時ごろ池坂家に迎えに行くよ。どこかに出かけよう、二人で……」


 うんと頷くことすら叶わなくて、またたくまに目の前の視界が閉ざされる。

 そして何も見えなくなって。

 暗闇だから? それとも……。


 宏彦の唇が澄香のそれと重なり、優しくかすめるように合わさる。

 澄香はゆっくりと目を閉じた。

 公園の街灯がひとつになった影を静かに地面に映し出す。




 もういいかい? 

 もういいよ。



 ようやく見つかったんだね。

 かくれんぼは、もう終わりだよ。



 二人の心と心がお互いに呼び合って、求め合って。

 たった今、長かったゲームが幕を閉じる。


 公園の木の間からこっそり二人を見ていたのは……。

 やっぱりオリオン座だったのかもしれない。





                                                fin


番外編へ続きます。




最後までお読みいただきありがとうございました。

皆様からの熱いご要望にお応えして、番外編に続きます。

二人の“それから”をゆっくりと追ってみたいと思います。


本編よりも長い番外編になりますが

ドキドキあり、キュンキュンあり、ハラハラありの展開に

お付き合いいただけると嬉しいです。

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