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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
本編
49/210

48.もういいよ。 その1

 他の客の迷惑にならないよう、口元をもう片方の手でふさいで、声を押し込めるようにしながら話し始めた。


「もしもし。池坂……です」


 どうかこの携帯の向こう側の相手が宏彦本人でありますように……と祈るような気持ちで自分の名を告げる。


『澄香か? 大丈夫なのか? 昨日はどうしたんだ? 』

「あ……加賀屋君……」


 澄香は宏彦の声を聞いたとたんひざの力が抜け、その場にかがみ込む。

 そしてほっとしたようにため息混じりに彼の名をつぶやいた。


『昨日から何も連絡ないし、どうしたのかと思って心配したんだぞ。また風邪か? 仕事が忙しいのか? それとも……』


 いきなりの質問攻めに何から答えていいのか言葉に詰まる。

 別に何もないの、連絡しないでごめんねと言うのがやっとだった。


 それと……。今確か、澄香と呼びすてにされなかっただろうか。

 メールではいつもそう呼ばれても、それは文面上のこと。

 彼の口から直接聞いたのは今が初めてだ。


 彼にそう呼ばせてしまうくらい、心配させてしまったということなのだろう。

 澄香は気を取り直して、大きく息を吸い込んだ。そしてゆっくりと吐き出す。

 大丈夫だから、落ち着いて、落ち着くんだ、と自分に言い聞かせて宏彦との会話を続ける。


「あのね、昨日は残業してて、帰るのが遅くなって。それで知らない間に寝ちゃってて、気がついたら朝で。おまけに携帯、充電するの忘れてて、それで、それで……」


 言い訳を並べるうちに、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになり、何も言えなくなった。


『はあ? ったくしょうがないなあ。でも体調が悪いわけじゃなくて安心した。なあ澄香。今、どこにいる? まだ会社か? なんかそっち、騒々しいな』

「あっ。ごめんね。今まだ三宮なんだ。会社は定時に出たんだけど、ぶらぶらしてたらお腹がすいちゃって。生田筋(いくたすじ)南のケーキショップにいるの」

『誰か他に一緒なのか? 』

「ううん。一人。加賀屋君こそ突然電話なんかしてきて、一体どうしたの? 」

『生田筋南の……。ああ、あそこだな。よし、わかった。いいか? 絶対にそこを動かないで。絶対にだぞ! 』


 結局宏彦は澄香の質問に答えることなく、そこを動くなとだけ言って電話を切った。


 澄香は声の聞こえなくなった携帯をしばらくいぶかしげに眺めた後、釈然としない面持ちでさっきの席にすごすごと戻る。

 宏彦の言っていることの意味が全く理解できない。

 絶対にそこを動くなって、どういうことだろう。  


 何度その言葉を繰り返しても、答えは見つからない。

 そのまま言葉通りに受け取るとすれば、それはここにいろ、即ちケーキショップから出るなという意味になる。


 でもなぜ? 宏彦は今、札幌にいるのだ。

 神戸にいる澄香にどうしてそんな遠隔指示を出す必要があるのか、彼の意図が全く見えてこない。


 とにかく、宏彦に言われたとおりに店の中に留まり、またサンドイッチをつまむ。

 改めてメールが送られて来るのかもしれない。

 ひたすら携帯に意識を集中させながら連絡を待っていた。


 ところが何も音沙汰のないまま時間だけが過ぎて行く。

 そんな中食べるハムサンドもツナサンドも、みんな同じ味だ。

 味の違いなんて今の澄香にわかるはずもなく、ぬるくなった紅茶をぞんざいに口に運び、のどの奥に広がる渋みに思わず顔を歪めた。



「いらっしゃいませ」


 宏彦からの電話があった後、二十分くらい経った頃だろうか。

 店員の明るい声が澄香の背後で響く。


 コツコツという靴音が近くで止まり、澄香の足元に大きなカバンがどさっと置かれた。

 彼女の視野に、白っぽいダウンジャケットを着た腕が飛び込む。

 その人物を見上げた瞬間……目が合った。


「澄香……。俺の寿命、これ以上縮めてどうする気だよ。元気そうで……本当によかった。ったく、昨日から生きた心地がしなかった」


 軽く憎まれ口をたたくその人物は、外の冷気をまとったまま、澄香の前の椅子に長い足をもてあますように斜めに座った。


「か、加賀屋君。な、なんで、ここに? 」


 あまりの驚きに澄香は両手で口元を覆い、大きく目を見開いた。


「ご覧の通り。新千歳十五時過ぎの便に飛び乗って神戸に帰ってきたんだよ」

「で、でも、帰るのは来週だって……」


 目の前があふれ出す涙でかすんで、宏彦の顔がよく見えない。


「ああ、そうだよ。その予定だったよ。でも……。昨日は澄香から何の連絡もないし、一昨日も何か変だっただろ? 仕事は今日の午前中で切り上げてきた。澄香? 」


 宏彦が困ったような顔をして澄香を見た。


「ごめんなさい。どうしたんだろ。勝手に涙が出ちゃって……」


 澄香は、ぽろぽろと涙をこぼしながらも、精一杯の笑顔を作る。


「澄香……」


 これ使えよと言って、宏彦がズボンのポケットからブルーのハンカチを出して澄香に渡す。

 澄香はためらいがちにハンカチを受け取ると、そっと涙をぬぐった。




「で、今朝。誰から電話があったと思う? 」


 澄香の涙が収まったのを見届けた宏彦は、店員にコーヒーを注文するとすぐにそのまま向かい合った澄香の方に身を乗り出し、やや不機嫌そうに訊ねる。


「わからないよ。誰なの? あっ、加賀屋君のお母さん? 」


 澄香は今朝母親が言っていた話を思い出しそう答えてみたのだが、宏彦はただ首を横に振るばかりだ。 

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